台湾生まれ 日本語育ち

  • 白水社
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感想 : 28
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  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560084793

作品紹介・あらすじ

東京在住の台湾人作家、待望のエッセイ

 著者は1980年に台湾人の両親の間に台湾・台北市で生まれた。3歳の時に家族と東京に引っ越し、台湾語混じりの中国語を話す両親のもと、中国語・台湾語・日本語の3つの言語が交錯する環境で育った。2009年、自身を投影した家族の物語「好去好来歌」ですばる文学賞佳作を受賞。将来を期待される若手作家だ。
 「あなたの母語は何ですか」と聞かれると、いつも戸惑う――。自由に操れるのは日本語だが、幼いころ耳にし、覚えかけたのは両親が話す台湾語混じりの中国語だった。相変わらず両親は家で台湾語混じりの中国語を話すし、たまに混じる日本語はオカシイ。学校では日本人の生徒と同じように振舞っていたが、街中で中国語を耳にすると懐かしく感じる……。「ピンインやカタカナを駆使してでも、どうにか輪郭をつけたい記憶が、私にはたくさんあるようなのだ」。
 本書は、台湾人の著者が、台湾語・中国語・日本語の3つの言語のはざまで、揺れ、惑いながら、ときには国境を越えて自身のルーツを探った4年の歩みである。両親が話す中国語は鞭をもって覚えさせられたものであり、祖父母が話す日本語も同様に覚えさせられたものだと知った著者が辿りついた境地とは。

感想・レビュー・書評

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  • 著者の言語に対する追求がすごい。台湾の教育の歴史や台湾語と中国語の違いなど、初めて知ることがたくさんあった。

  • 国とは何か、言語とは何かを考えさせられる。彼女が使う言葉は日本語でもなければ、にほんごでもない。ニホンゴである。中国語、日本語、台湾語の間を揺れる(vacillate)ことで、自分自身のアイデンティを獲得し、自分自身の言葉を紡いでいく。その言葉は自分だけの言葉。異化された作家の言葉。外国語を話す時のアクセントの中にこそ、母国語が見え隠れする愛おしさに気付かされる。違和感があるからこそ、人は立ち止まって耳を傾けるのではないか。前回紹介したリービ英雄の教え子であり、新進気鋭の作家、温又柔。

    「中華人民共和国に限りなく近い中華民国・馬祖で、わたしは、わたしのニホンゴを抱きしめている」

  • 台湾人の両親を持つ著者は、幼少期より日本で育ち、日本語を主に話してきた。
    そんな著者が、言語(国語)から自身や家族、国家の歴史を紐解いていく。
    戦後の植民地化により、それまで話していた言語(国語)が禁止され、宗主国の言葉を国語として話すことを強いられた歴史がある。
    それは、台湾もそうである。
    日本語を話すことを強いられたのである。
    それ故に、同じ国に居ながら、世代間で言語格差が生じた。
    著者の両親の世代は、台湾語。その両親(著者の祖父母)の世代は、日本語も話す。
    日本で育った著者だからこそ、この現実を目の当たりにし、葛藤したのだろう。
    言葉が歴史を表しているなどと考えたことがなかった。
    言葉は意思疎通の大切なツールである。
    戦争は、世代間の言語による分断をも生んでしまったのかもしれない。
    言葉について、戦争について、新たな視点を持つことができた。

  • 中国語を勉強する者として、また台湾に興味がある者として興味深く読ませてもらった。自分は中国語を外国語として学んでいるので、ただ先生の言われるまま真似して、直して、目の前にあるリンゴは「pingguo」(ピングォ:かな表記をするとこれが近いかな)などと覚えるだけだった。しかし著者は台湾人として中国語を学ぶ、という、自分には想像の及ばない体験をしている。

    著者は台湾で生まれ、物心つく頃には東京にいて、日本の学校に通学。日本語での生活である。家では著者言うところの「ママ語」をきき、外では日本語、という状況。この「ママ語」の説明が興味深い。台湾語、北京語、そして日本語が混合した使い方で、お母さん自身が正しい言葉遣いができていないという劣等感を抱いていたとのこと。同じ親として切ない思いだ。学校での外国語学習では正誤がついて回る。そうでないと授業は進まないしテストもできない。しかし日常で使う言葉は、テストの基準とは別物であることを、ここでは教えられる。著者の「ママ語」に対する愛情の深さに、心がなごんだ。

    上記のような言葉に対する探究心を示す文章に加え、台湾の歴史事情にも踏み込んでおり、台湾に幾度か行ったことのある者としてさらに知りたい気持ちが高まった。

    ところで、少し気になるのは、アイデンティティーに関する記述が重複している(言葉を変えて同内容のことを言っている)ことだ。今後小説として作品を創り続けるなら、この素材を全く使わない方法も必要だと思った。(えらそうにすみません)

    もっと書きたいことはあるが、とりとめがつかなくなりそうなのでこの辺で。

  • sg

  • まあまあ面白い。ただ「台湾海峡一九四六」を読むきっかけとなったので、出逢えてよかった一冊。

  • ことば

  • 「3つの母語ではなく、1つの母語の中に3つの言語が響きあっている。」

  • 台湾で生まれ、3歳から日本で暮らした著者にとって、「あなたの母語は何ですか」という質問は難しいものです。自由に操れるのは日本だけれど、幼い頃覚えかけたのは両親が話す台湾語混じりの中国語。両親は家で台湾語交じりの中国語を話し、たまに混じる日本語はおかしい。学校では日本人の生徒と同じように振舞っていたけれど、街なかで中国語を耳にすると懐かしく感じる・・・。台湾人の著者が、台湾語・中国語・日本語の3つの言語のはざまで自身のルーツを探るエッセイです。

  •  母語・母国語・国語。本書では明確に定義されているわけではないが、行間から推測するに、筆者はこう考えているようである。「母語」は、翻訳せずにそのまま受け入れる言葉。流暢な第一言語であるとは限らない。「母国語」は、「母国」の言葉。「国語」は、学校で習う、公的空間の言葉。大多数の日本人にとってはこの三つは全て一致し、当然のごとく日本語だろう。しかし、三歳で日本に移り住み、日本語を第一言語としつつ、「母語」は日本語・中国語・台湾語だと述べる筆者にとってはどうだろうか。
     筆者の両親が他ならぬ台湾の本省人家庭出身であることが、筆者を取り巻く言語の様相をより複雑にしている。筆者の両親にとって「國語」は学校で学んだもの。さらに祖父母となると日本語を学校で学んでおり、両親世代を飛び越えて直接流ちょうな日本語で筆者との会話が可能となる。筆者自身のように、「外国」に移動すれば使う言語が変わってくるのは自然だが、祖父母や移住前の両親はずっと台湾住まいで、ただ指導層が変わっただけだというのに。
     筆者が学校で中国語を学ぶ苦労や、また台湾の辿った歴史について思いはあろう。ただ本書の筆致は柔らかく、思ったままを感受性豊かに描いているように思われる。

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著者プロフィール

1980年、台湾・台北市生まれ。3歳より東京在住。2009年、「好去好来歌」で第33回すばる文学賞佳作を受賞。両親はともに台湾人。創作は日本語で行う。著作に『真ん中の子どもたち』(集英社、2017年、芥川賞候補)、『台湾生まれ 日本語育ち』(白水社、2015年、日本エッセイスト・クラブ賞受賞、2018年に増補版刊行)、『空港時光』(河出書房新社、2018年)、『「国語」から旅立って』(新曜社、2019年)、『魯肉飯(ロバプン)のさえずり』(中央公論新社、2020年)など。

「2020年 『私とあなたのあいだ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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