キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

  • 白水社
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感想 : 451
  • Amazon.co.jp ・本 (361ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560090008

作品紹介・あらすじ

J.D.サリンジャーの不朽の青春文学『ライ麦畑でつかまえて』が、村上春樹の新しい訳を得て、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』として生まれ変わりました。ホールデン・コールフィールドが永遠に16歳でありつづけるのと同じように、この小説はあなたの中に、いつまでも留まることでしょう。雪が降るように、風がそよぐように、川が流れるように、ホールデン・コールフィールドは魂のひとつのありかとなって、時代を超え、世代を超え、この世界に存在しているのです。さあ、ホールデンの声に(もう一度)耳を澄ませてください。

感想・レビュー・書評

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  • ずっと積んであった本です。
    2003年にこの新訳の初版が出たときに、単行本で買っていました。
    旧訳の『ライ麦畑でつかまえて』は読んでいません。
    青春期に読むべき本を、いい歳になってからやっと読みました。

    主人公のホールデイングは、作家の兄DBと、小さい頃に亡くなった弟のアリー、活発で美しい妹のフィービーの四人兄弟妹です。
    ホールディンは何度も学校を転校しているちょっとした不良で、男子校の寮に入っていて、いつも女の子のことを考えていて、話題はそれしかありません。
    飲酒もし、女の子を買おうとして失敗し、お金も騙しとられます。
    中盤までは、なんだか年頃の男の子の生態が生々しくて、嫌悪感を感じました。これがどうして名作として読み継がれているのだろうかと思いました。
    私が中高生の頃に、弟に借りて読んでいた少年漫画誌のマイナーな方の漫画みたいだと思いました(私はあだち充とかが目当てで借りていました)。

    でも、最後の方になってホールディングは目覚めるんです。最後の最後25章以降はもう文章がスピード感に溢れ、ハチャメチャで「これ、すごく面白い!」と思いました。
    これはやっぱり、青春期に読んでいたらきっともっと印象深く心に刻まれた好きな作品になっていた気がします。
    でも、今の年齢で読んでも1回も読まないより、ずっとよかったと思います。

    • まことさん
      猫丸さん。
      いえ、いえ、確かにそんな楽しみ方も、できますね。
      もし、若い時に読んでいたら違っていたかな、とは思いますが…。
      猫丸さん。
      いえ、いえ、確かにそんな楽しみ方も、できますね。
      もし、若い時に読んでいたら違っていたかな、とは思いますが…。
      2021/04/12
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      まことさん
      若い時は誰もが今と先が見えずに悶々とし、主人公との距離が近い。と言うのがあるでしょうね。

      「ナイン・ストーリーズ」を読めばサリ...
      まことさん
      若い時は誰もが今と先が見えずに悶々とし、主人公との距離が近い。と言うのがあるでしょうね。

      「ナイン・ストーリーズ」を読めばサリンジャーの違う面も、、、
      2021/04/13
    • まことさん
      猫丸さん。
      「ナイン・ストーリーズ」未読です。
      なんか、うちの本棚にあったような気がしますが…。
      探してみます。
      猫丸さん。
      「ナイン・ストーリーズ」未読です。
      なんか、うちの本棚にあったような気がしますが…。
      探してみます。
      2021/04/13
  • 村上春樹訳の『ライ麦畑でつかまえて』。高校生の主人公がクリスマス前後に起きたどたばたについて回想する青春小説。主人公の心のうちを読者に語りかける文体のため、個人的には村上春樹の訳がしっくりくる。周りが大人へと成長していくのを目の当たりにし、自分だけが取り残され、大人になりきれない主人公。自暴自棄になり、社会や秩序、力などに抗いながら、心の葛藤を描いている。正直、なぜここまで評価されているのか私にはわからない。罵詈雑言のオンパレードを一方的に聞く立場としては、決して心地よい気持ちにはなれない。

  • サリンジャー版「人間失格」ですね。

    自分は特別で周りはどうかしてる、っていう感覚ってやっぱりあるものです。だから、このホールデンくんもさして特別でも、変でもない。でもそんなことって当時はわからないものです。

    読んでて苛立つし、恥ずかしいし、懐かしいし、分からんでもないから、
    結局惹きつけられていました。

  • ■月曜日の通勤電車、また回り始める社会に自分を適応させるのをあきらめ、いつもの駅を乗り過ごしててみたくなる。■

    【注】作品の世界観に酔ったまま、ホールデン口調で書かせてもらいます。お許しを。

    僕は自分の考えをしっかり持ってるように装うのがうまいんだ。けど本当はそうめんみたいに流されやすいし、自分の芯なんてコシのないうどんほどもないのさ。
    よかったら、ラーメンでも食べながら僕のたわごとに付き合ってくれないか。

    ホールデン、君って奴は苦労を知らずに育って社会をなめ切ってる。いいとこ育ちの金持ち坊ちゃまさ。でもまあ憎めないヤツだよ。
    わかってる、今の上から目線の言いぐさは僕のひがみだ。ぶっちゃけ、鼻をかんだチリ紙をゴミ箱にポイってするみたいに行き当たりばったりで行動できる君がうらやましかったんだ。

    例えば、僕はつまらない政界のゴシップや芸能界のスキャンダルにいちいち目くじら立てる大衆を鼻で笑う。資本主義やら市場経済とやらでできてるらしい現代社会にしたり顔でうんざりしている。そのくせ、その胡散臭い社会がひいた安全なレールの上を僕はちゃんと走っているんだ。結局、口だけは評論家みたいに偉そうだけど、君みたいにお利口さんをやめてドロップアウトするだけの度胸は鼻クソほどもなかったってわけ。

    この前だってそうさ。本の中で君と女の子がいい感じの場面で、職場最寄り駅が近いことを告げる車内アナウンスときた。君ならどうする?このまま無断欠勤して南の島まで行ったって死にはしない。

    でも僕には絶対できないんだ。沖縄でソーキそばをすするのはまた今度ってことにして、そそくさと読みかけの本を片付ける。機械的に電車を降り、足は勝手に職場へと向かうんだ。政治家の不倫とかに目がない連中と一緒にね。今日も一日、メールや決裁の処理、おまけに何が言いたいのかさっぱりわからない上司(たぶん火星人)に振り回されてヘトヘトになるってわかっていてもさ。

    もううんざり!やってられん!なんて同僚や友人と毒づいたりしながらも、このロクでもない人生ゲームを定年まで続けるだろうこともわかってる。実際中毒性のあるゲームだよ。僕はもうとっくに飛び出すという選択の余地のない茹でガエルさ。
    わかるだろ。要するに僕は怖いんだ。君は自分が臆病だって言ってたけど、僕は自分が臆病ってことを人に言えないくらい臆病なんだよ。

    ところで、明日は早起きして上の娘とジョギングなんだ。あの子は毎週楽しみにしてるんだよ。
    とりとめのないたわごとに付き合わせて悪かったな。ラーメン伸びるぞ。
    おやすみ。

  • コールフィールドのあまりにもむき出しな青臭さに気恥ずかしくなることも多々あった。そんなことどうでも良くなるくらい、掛け値なしの名作だった。
    社会からはみ出そうとしてるわけではないのに周りへの漠然とした違和感が常にあって、人は成長の過程のどこかでエゴと社会の折り合いをつけていくわけだけれどエゴを突き通せば社会の規定のレールからは瞬く間に外れていく。自分だけが狂っていて社会がマトモなのか、自分だけがマトモで社会が狂っているのか、どっちか区別がつかなくなって、うらぶれた気分になるコールフィールドをさらに追い詰めるラストの展開、、、。
    コールフィールドが社会に向けている眼はあまりに澄んでいる。

  • 大人になんてなりたくない。

    そう思っていても、いつの間にか大人になってしまっていて、大人のような振る舞いをしている自分がいる。その姿を子供の目線でみたら、とんでもなく滑稽なものに見えるのだろう。

    だけど、その子供の目線のまま大人として生きていると、今度は大人からの奇異の目にさらされてしまう。

    世の中とは不思議なものだ。

    そんな大人になりきれず、どこか子供のままのホールデンという一見、変わりものが皮肉って世の中を風刺する作品。つまり、わたしたちの代弁者をになってくれている人物がホールデンといことになる。この作品でしか味わえない独特の後読感がクセになる。

    今回、野崎孝訳と村上春樹訳を同時に読んでみた。それぞれに訳に異なる部分はあるのだけど、さほど気になるほどのものではない。村上春樹訳のほうが後からの出版されたものなので、現代風の言い回しなので読みやすいことは確かだと思う。

  • この作品を読んだのは初めて。
    なので原作との違い、野崎訳との違いについては分からない。
    ただ感じたのは「ずいぶんと春樹用語が散りばめられているなぁ」
    ということくらい。
    それがいいか悪いかは分からないが、読みやすいのは確かだ。

    さて、訳については置いておいて、内容の話。
    非常に面白かった。
    ホールデンの痛いほどの葛藤が、自分と重なってくる。
    まず、重要なのは一人称だという事。
    一人称の小説には、「客観的視点」など必要ではない。
    だからこそいくらでも断定が、偏見ができる。
    別に、読者全員にホールデンになれ、と言っているわけじゃない。
    だから、「ホールデンのこの行為は許せない」
    「この主張には納得できない」というのが当たり前。
    それは、作品に対する批判には全くなり得ない。
    主人公の理屈を支持し、無条件で助けてしまうような、
    という「機械仕掛けの神」がいるなら反発はあるかもしれないが、
    この作品にはそんなものはない。
    ホールデンは、受け入れられない。
    彼の周りの社会は、現実の社会と同じように、
    ホールデンの生など、取るに足らぬものとして見向きもしない。

    ホールデンは「反社会的」であると言われる事が多いらしい。
    この作品自体が、そういうものだと思われているとも。
    しかし僕はそうは思わない。
    ホールデンは「無条件に社会や大人全てに反発」なんてしていない。
    「けっきょく、世の中のすべてが気に入らないのよ」
    と妹のフィービーに言われると、彼はそれを激しく否定する。
    「そうじゃない。そういうんじゃないんだ。絶対にちがう」
    彼はただ、まだ本当に好きなものだと胸を張って言える事を、
    この世界の中から見つけ出せていないだけだ。
    抱けど彼はそれが、きっと見つけ出せるはずだと信じている。
    そういう意味で彼は、社会の肯定者だ。
    何も考えずに「社会は辛く厳しくみじめなものだ。仕方ない」と、
    嘆いてばかりいながら日々を暮らしている人間よりもずっと。
    彼が受け入れられないのは、インチキくさいものだ。
    もしも彼の言動を持って、「反社会的だ!」と思う人がいるなら、
    その人の方こそ「社会は全部インチキくさい」と、
    心のどこかで思っているんじゃないだろうか?

    僕がすごく印象的だったのは、
    ホールデンが作品中で最初から最後まで求めていたもの、
    それが「話を聞いてくれる人」であったことだ。
    そして、両親をふくめ、まともな大人とされる人々には、
    それを求める事ができなかった、ということ。
    ホールデンは大人たちから、「言うことを聞かない子ども」だと、
    思われているのだろう。
    だけど自分で思考停止して「話を聞かない」人間になったのは、
    大人たちの方ではないか?
    「ライ麦畑で崖から落ちる子どもをキャッチする人になりたい」
    と言ったホールデンは、「話を聞く人」になりたかったのだろう。

    僕がなりたいものもおそらくは、それに近いのかもしれない。

  • 1人の青年の語り口調で描かれる青春の一幕。

    「天気の子」で主人公の穂高が東京に家出してきた荷物の中にある描写から気になっていたがようやく読めた。

    読んでて主人公の天邪鬼さや唐突な衝動にしばし苛々させられたのは、自分が少しは大人になったからなのかもしれない。
    主人公の言動は、言葉に表せない大人への苛立ちや、自分はこんなもんじゃないっていう根拠なき自信が見え隠れし、自分が中学生くらいの時もこんな感じじゃなかったかなと小っ恥ずかしくなる。

    今いる環境に何某かの不満を抱えて飛び出してしまう様はそれこそ天気の子の穂高少年そっくりだった。

  • 高校生の時に読んでいたらどんな感想になっただろうとふと考えてしまった。基本口語だったので原文で読むとより面白いかもしれない。いつか心に余裕がある時に読もう。

  • 攻殻機動隊(S.A.C)での引用があり、読んでみようと思っていた作品。

    特に気持ちを揺さぶられる展開も爽快な読了感もないけど、ダラダラ読んでいられる作品で、読後に振り返ってみると色々感じるところはある。

    主人公ホールデンは割と裕福な家庭のティーンエイジャー(たしか17歳)で、名門校に通うも不勉強のあまり落第続き。
    物語は10代ならではの厭世観にあふれた視点で読者に語りかけるようにホールデンの身の回りのこと、思想が語られる。
    読んでいてホールデンの厨二感に共感性羞恥を覚える人も多いはず。
    作者であるサリンジャーに感心するのは、こんなに10代らしい(青臭い)内省的文章をよく大人が書けるなあ、ということだ。

    キャッチャー・イン・ザ・ライのくだりが物語の中盤、思わぬところで登場する。
    なぜサリンジャーがこれをタイトルとしたのかは色々と見解が分かれると思う。
    私が思うのは、若い頃や未熟な時期、人はとかく先のことを考えず自暴自棄になることが多いが、自分のことを真に思ってくれる人が誰かひとりいるだけでそのような暴走から救われることがあるんじゃないか、ということ。
    この物語では妹のフィービーがホールデンにとっての「キャッチャー・イン・ザ・ライ」なのかな。
    カッコつけて心はナイーブで、いろんな世のゴタゴタがめんどくさくて。世の中と関わらなければ一番楽だけど、ダサくてもとりあえずは色んなことに折り合いをつけて生きていく、それにちょっとずつ気付いてホールデン君は大人になっていくのだと思う。

    想像と全く違う1冊だったが、軽妙な語り口が面白く、70年前の小説ということを感じさせない(村上春樹訳だからというのもあるが)作品だった。

    (ちなみに攻殻機動隊での引用部分はストーリー上なんてことない一説だった。)

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