眠りの航路 (エクス・リブリス)

  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (338ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560090695

作品紹介・あらすじ

睡眠に異常を来した「僕」の意識は、太平洋戦争末期に少年工として高座の海軍工廠に従事した父・三郎の記憶へ漕ぎ出してゆく――。鮮烈な長篇デビュー作。

感想・レビュー・書評

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  • 学生時代、御所の中を歩いていて、蛞蝓になって塀をのぼってゆく夢の話を聞いたことがある。なんでも、夢を見たら、自分の襟首をひっつかんで夢から引っぺがし、枕元においてある紙に、今見たばかりの夢を書き写すことを習慣にしているのだそうだ。せっかく気持ちよく眠っているのに、ずいぶん過酷なことをするものだ、となかば呆れて聞いていたが、後に彼はH氏賞を受賞した。物書きになるような者はふだんから、並の人間には及びもつかぬことをしているものだ。主人公も同じことをしている。

    日本では『歩道橋の魔術師』、『自転車泥棒』、『複眼人』が既に訳されている呉明益だが、この『眠りの航路』が最初の長篇小説である。呉明益といえば、台北の中華商場を舞台にした作品で有名だが、本作にも登場する。そして、あの自転車と失踪した父についても詳しく語られている。邦訳の順序が、逆になっているので、本作が『自転車泥棒』の前日譚のようにも読めるが、事実は、読者から「あの自転車は、あれからどうなったのですか」と訊かれ、思いついたのが『自転車泥棒』だったのだ。

    そんなこんなで、愛読者にとっては初めて出会う気がしない「ぼく」は、台北でゴシップ紙の記者をしている。しかし内心では今の仕事に嫌気がさしている。そんなとき、友人に誘われて数十年に一度という竹の開花を見るために、陽名山に登って以来、睡眠時間の周期が二十七時間に伸びたことに気づく。眠くなるのが一日に三時間ずつ遅くなる。そして睡魔に襲われると、夢も見ず、死んだように眠るのだ。いつどこで眠り込んでしまうかも知れないのでは、記者の仕事もできず、「ぼく」は、山の中に家を借り、時間に縛られない仕事をするようになる。「ぼく」はそこに大量の太平洋戦争の資料を持ち込む。

    短章形式で、複数の話題が入れ代わり立ち代わり語られるので、最初は分かりづらいが、そのうち、太平洋戦争末期、台湾から神奈川県の高座海軍工廠に少年工として渡航した十三歳の「三郎」というのが、「ぼく」の父であることが分かってくると、話のつながりが見えてくる。「ぼく」の父は難聴という持病のせいもあって、寡黙で自分のことを話さない人だった。大学に進んでからは、商場にあった家を出て、父と話すこともなくなっていた「ぼく」だが、同窓会の日、偶然出会った今は古本屋をしている旧友から、父が昔売った本に紛れていた菓子箱を返される。その中には、写真その他、父の過去が残されていた。

    断章ごとに、叙述のスタイルが変わる。ひとつは、現在の「ぼく」が語る睡眠障害について、医者と語り合う夢と眠りについての理論的考察。山に籠りながら、週一で医師の家に通ううち、日本の医師を紹介された「ぼく」は日本に渡る。「ぼく」は治療の傍ら、父の所持品に記録されていた場所を訪れる。もう一つは、太平洋戦争末期の三郎の海軍工廠での暮らし。彼はそこで五歳年上の平岡君と知り合い、秘かに敬慕の念を抱くようになる。平岡君は宿舎の図書館職員をしていたが、暇を見つけては少年工に話をしてくれた。二人はそこで、終戦の詔勅を聞くことになる。

    この「ぼく」の現在と戦争末期の三郎の話に割り込むように、「ぼく」の語る、父の中華商場時代の回想が入る。そして、それとは別に「あなたは」という二人称の語りによる、日本語教育を受けて育ち、戦後帰国したものの、中国語を話す台湾人の中で暮らす三郎たち「失われた世代」の抱く違和感と孤独が綴られる。叙述スタイルが異なるのは、「ぼく」が、小説を書こうとしているからだ。ある意味ではこれは作家の構想メモのようなものだ。整理して普通の小説らしい体裁をとることもできただろうが、作家はこのスタイルを採用した。

    断章形式は便利な形式だ。前の章とは無関係に全然別のことが書ける。視点もいくらでも変えることができる。だから、短くなったベッドの脚の代わりに床と脚の間につっこまれて身動きがとれなくなり、寝ている人間の夢に入り込むようになった「石ころ」という名の亀の視点でも書ける。あるいは、地上を遠く離れた世界に坐す観世音菩薩の心中にも入り込むことができる。人々の祈りを聴くことのできる大慈大悲の観世音菩薩の心中には広大無辺の図書館があり、内部は六角形だというから、まるで、あの「図書館」ではないか。

    「ぼく」と父は「夢遊病」と「睡眠障害」という夢にまつわる共通項を持っていた。夢について深く知るにつれ、それまで見ることもなかった暴力的な夢や不思議な夢を見ることになり、疎遠だった父との関係を再構築してゆく。戦争というものを知ることなく大きくなった「ぼく」の目を通して、父のような「失われた世代」と称される人々の、これまで台湾では表だって語られることがなかった世代の存在意義を問い直したい。ひとつには、そういう思いがあったのだろう。これ以降の作品と比べると、幾らか生硬な感があるのは否めない。

    ただ、そこは呉明益。こんなに詰め込まなくても大丈夫なのに、と思えるほど多彩なエピソードを用意して、読者を愉しませてくれる。観世音菩薩の図書館もそうだが、平岡君が三郎に語って聞かせる「蘭陵王」や岬の物語は、先行するテクストを巧みに自分の小説に繰り入れる、この作家の持ち味を早くものぞかせている。また、厖大な数の太平洋戦争中の資料を読み込んだ結果が、あの映画『風立ちぬ』にも出てきた牛を使っての飛行機の移動や、上野動物園で見世物にされたBー29の搭乗員の話等に活かされている。また、「レム睡眠障害」をはじめ、眠りや夢に関する理論も平易に紹介されていて、大いに勉強になった。

    夢の話だが、以前は見たこともある、空を飛ぶ夢もとんと見なくなり、見るのは退職前の仕事に纏わる夢がほとんどだ。やるべき仕事が期日までにできておらず焦ったり、その言い訳を考えたり、とまるでわざわざ夢で見なくてもいいようなお粗末な夢ばかりなのは、夢を重視してこなかった罰なのか、それとも、定年でさっさと退職したことを、心のどこかで悔やんでいるのか、こればかりは自分でも判断のしようがない。

  • 作家、呉明益が台湾少年工の記憶をたどる「眠りの航路」: 日本経済新聞(有料記事)
    https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD040SC0U1A001C2000000/

    眠りの航路 - 白水社
    https://www.hakusuisha.co.jp/book/b587424.html

  • 『なぜなら、記者の同情が嘘っぱちだなんてことは誰でも知っていたからだ。それに比べて、作家という存在はいわゆる作品の「深さ」を表現するために、物語を盗んだ後に憐みからかあるいは対象への理解からか、二粒ほど涙を流すふりをしなければならなかった。たとえその物語の主人公が、自分の両親であったとしてもだ』―『第二章 夜は最もいい時間だ。眠りに落ちるのが困難なとき、それはお前の耳にちょうど死者たちの叫び声が届いてしまったからだ。J・M・クッツェー「夷狄を待ちながら」』

    ああここに「複眼人」に、ここには「自転車泥棒」に、そしてもちろん物語全般を通して「歩道橋の魔術師」に展開していく筈の物語の種が既にある。この夢と現(うつつ)を、そして時代を行き来する複数の視点の錯綜する物語からは、後に語られる物語の芯となるイメージが作家の中にしっかりと存在していることが、翻訳の順番が逆になっているからこそよく解る。そして、台湾という土地とそれらが時代の空気と時間のもたらす変化によって、分かち難く結びついているのだということも。

    主人公の(と書きかけて躊躇するのだが)父親「三郎」と「平岡」の出会いが、そして三郎の記憶を追体験する「ぼく」の「三島」への想いが、台湾と日本の関係を象徴的に描いているように読んでしまうのは少し強引だろうけれど、否定も肯定も出来ない関係性が至る所に現れるのが呉明益の描く世界の特徴であるように思う。それは時に親と子の関係であり、恋人同士の関係であったりもするけれど、そこに過ぎてしまった時間の経過がもたらす郷愁に似た想いが加わり、関係性を幾重にも深くする。時にそれは機械に対して感じてしまう人間性のように一方的な想いに過ぎないようにも思えもするけれど、手元に残された遺物には確かに相互に通じ合っていた意思の痕跡が存在しているようにも思える。そんな心の落ち着きどころのなさ、曖昧な面持ちの人々を描くのが、呉明益はとても上手い。この作家に惹かれる理由はそこにある。

    『菩薩は現世の人々の祈りを大切にしていたが、それを叶えてやることはできず、ただ人々の願いを集めて祈ってやることしかできなかった。なぜなら、人々の願いは互いに対立し、矛盾することが多く、他人を傷つける可能性があったからだ。だからこそ、同時に二人の人間、二つの家族、二つの民族、二つの国家の願いを、一方を傷つけることなく叶えることは難しかった』―『第三章 夜よ、安らかに眠れ。この静かに眠る者たちのなかに、明日目覚めぬ者がいるであろう。フェルディナント・ホドラー《夜》の額縁の銘文』

    想像し得ないように思われる菩薩の視点を敢えて描くのに対して、「平岡」の半生は決して彼の視点から語られることがないというのが、台湾から描くとても真摯なあの戦争の在りようであると思ってしまうのはうがちすぎか。それでも台湾が経験したような価値観の揺さぶりを日本も経験していることの象徴としてここに「平岡」を登場させているのだとしたら、この作家の立ち位置の柔和さのようなものがよく現れているとも読める。環境問題に対してであれ、回顧主義に対してであれ、あるいは対日、対中関係に対してであれ、様々な想いを抱く人々がいることをこの作家は常に意識しているように感じる。そこまで意識がいくと、クッツェーの小説の題名にある「夷狄」という言葉の意味が重いしこりのようなものに変わってくる。人は常に他人にとってバーバリアンなのかも知れない、と。

    それにしても、台湾語を讃岐弁のような方言に移し替えるというのは、判り易いようでいて二重に読みの意識が喚起されるね。方言の持つニュアンスのようなものが原作にあるということと、それをそのまま日本語の方言で受け取ってしまっていいのか、ということと。天野さんだったらどんな風に訳したのかなあ、と少しだけ立ち止まって天を仰ぎたいような気にもなる。もちろん、天野健太郎氏亡き後もこうしてこの作家の翻訳が読めるのは本当に幸いなことなのだけれど。

  • 台湾の作家、超名作『自転車泥棒』の著者である、呉明益の長編第一作。

    呉の小説の特徴は、父親の不在・確執、戦争の記憶、動物への愛情、無機物に対する執着的描き方にあると感じる。『自転車泥棒』におけるオランウータンと人の繋がり、戦時における象の扱いなど、読むのがしんどくなるほど切ない。この小説でも亀についての記述が秀逸である。

    主人公であるフリーライターの「ぼく」が睡眠の異常に陥り、それが解決するまでの物語だが、章毎に主格がころころ変わる。父とおぼしき少年、観音菩薩(読んでいて?となる)、石ころという名の亀・・・。

    主人公は、父が台湾人少年工として従軍して渡った日本へ行き、睡眠の専門医の診察も受ける。

    その医師から、戦時中に少年、青春期を送った者の多くに睡眠の障害が見られることが語られる。戦時中に少年だった者の中には、父が世話になった「平岡君」もいる。

    戦争に関する記述が多く、重い。我々が生きていくのに大事な、必要な重さだ。

    あとがきで著者は『父に捧げる』、『一世代前の人々に捧げる』といった言葉を書き加えたいと思ったが、自分には資格がない、何よりも世界は依然として存在し続けていくのだ、と書いている。

    戦争から生き残った遺伝子を持った者の責任は僕にもある。

  • 急にやってくる眠りに誘われる形で、父の歩んできた道をたどることになる主人公。

    日本統治下の台湾から、少年工員として日本へ。そして玉音放送を経ての戦後の台湾引き上げから商場での暮らし、家族とのすれ違い。

    亀や菩薩様等、別の視点からも語られる父の物語。
    これが呉明益の最初の長編かあと感じさせる様々なモチーフ。

    平岡君が「あのひと」らしいことが解説に書いてあってちょっとびっくり。

  •  台北で暮らすフリーライターの「ぼく」は、数十年に一度と言われる竹の開花を見るために陽明山に登るが、その日から睡眠のリズムに異常が起きていることに気づく。睡眠の異常に悩む「ぼく」の意識は、やがて太平洋戦争末期に神奈川県の高座海軍工廠に少年工として十三歳で渡り、日本軍の戦闘機製造に従事した父・三郎の人生を追憶していく。戦後の三郎は、海軍工廠で働いた影響から難聴を患いながらも、台北に建設された中華商場で修理工として寡黙に生活を送っていた。中華商場での思い出やそこでの父の姿を振り返りながら「ぼく」は睡眠の異常の原因を探るために日本へ行くことを決意し、沈黙の下に埋もれた三郎の過去を掘り起こしていく。三郎が暮らした海軍工廠の宿舎には、勤労動員された平岡君(三島由紀夫)もいて、三郎たちにギリシア神話や自作の物語を話して聞かせるなど兄のように慕われていたが、やがて彼らは玉音放送を聴くことになるのだった――。

     戦時末期に高座海軍工廠で働いたことがある元台湾人少年工の父親と、その息子の物語。息子は、失踪した父の行方を気にしながらメディアの仕事をしていたが、突如として睡眠障害に襲われるようになる。彼が眠りの中で目にしていたのは、戦時下から続く父の記憶をたどる夢だった。
     高座海軍工廠といえば、と考えていたら案の定若き三島由紀夫が出てきた(平岡君)。この作品での「平岡君」は、台湾人少年工にも隔てなく接するよき先輩、よい先生のような存在だったと描かれる。
     植民地台湾における戦争の緒記憶、支配者としての日本人に対するまなざし、日本語を学び日本に渡った父=三郎たち世代の「その後」など、一冊の本の中に、台湾人男性の近現代史が万華鏡のようなスタイルで語られていく。松井石根が南京に仏像に送り、その「返礼」として、南京から仏像が送られてきたのだという。覚王山日泰寺というところにあるらしい。

  • 2022年 26冊目

    吳明益さんの作品を読むのは3冊目。
    『歩道橋の魔術師』に始まり『自転車泥棒』と本作です。日本語に翻訳されているのはあと一冊あるけれどそちらは未読。

    3冊目にしてだいぶ独特な世界観に慣れて来たけれど、どうにも得意な感じでは無くて吳明益さんの作品は読みにくい。内容をちゃんと理解するにはそれなりに時間をかけてゆっくり読みたいところです。

    吳明益さんの本には必ず現れる彼のアイディンティティの源のような中華商城。昨年の台湾の金鐘ドラマ『天橋上的魔術師』をしっかり観たおかげで、イメージもしやすくて良かったな。

  • 呉明益さんの最初の長篇小説。『複眼人』や『自転車泥棒』へと広がっていくまさにその原点。

    ひとつの時代が終わりを告げ、まるでぶつ切りにされた心と、それでも続いていく世界。三郎と亀の石ころがシンクロするようでせつない。竹の開花と死、再生、あるいは生き残りの挿話に、さらに胸が締めつけられる。先人から受け継いだ何か、混ざり合うことなどできないようで実はすでに混ざり合っているものを想像すると、知らない過去にまで触れられそうに思えてくるから不思議だ。

  • 「眠り」の文章化として優れている。夢という要素もあり、非常に謎めいていて、死にも近い眠り。文学、絵画(ホドラーの「夜」に言及)、音楽、様々に表現されてきたが、本書もその一端を担う。夢の展開の脈絡のなさが「夢」らしい。父親と自分の2世代、台湾と日本の戦争の記憶をつなぐ。
    また、カメの石ころ、この運命が非常に気になって読み進めた。この作家は動物の扱いが巧み。

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著者プロフィール

1971年台北生まれ、小説家、エッセイスト。輔仁大学マスメディア学部卒業、国立中央大学中国文学部で博士号取得後、現在、国立東華大学華語文学部教授。90年代初頭から創作を行い、短篇小説集『本日公休』(97年)で作家デビュー。2007年、初の長篇小説『睡眠的航線』(本書)を発表し、『亜州週刊』年間十大小説に選出された。以降、80年代の台北の中華商場を舞台とした短篇小説集『歩道橋の魔術師』(白水社)やSF長篇小説『複眼人』(KADOKAWA)、激動の台湾百年史を一台の自転車をめぐる記憶に凝縮した長篇小説『自転車泥棒』(文藝春秋)など、歴史とファンタジーを融合させたユニークな作品を次々と発表している。国内では全国学生文学賞、聯合報文学小説新人賞、梁実秋文学賞、中央日報文学賞、台北文学賞、台湾文学長篇小説賞、台北国際ブックフェア大賞などを相次いで受賞、海外では『複眼人』がフランスの島嶼文学賞を獲得、『自転車泥棒』が国際ブッカー賞の候補にノミネートされるなど、その作品は世界的に評価され、日本語、英語、フランス語、チェコ語、トルコ語など、数ヶ国語に翻訳されている。

「2021年 『眠りの航路』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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