家の本 (エクス・リブリス)

  • 白水社 (2022年9月30日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784560090770

作品紹介・あらすじ

家はいつだって見守っている。「私」が過ごしてきた家々が語る、「私」の人生の光と影。アントニオ・タブッキ、ジュンパ・ラヒリ激賞の偉才が紡ぐ、愛おしくて哀切な言葉の旅。

感想・レビュー・書評

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  • 庭に亀がいた生家、恋焦がれた人妻の家、初めて一人暮らしをした家、夜通し飲み明かした友人の家、妻と娘の三人で暮らし始めた家。家という空間に封じ込められた時間をランダムに取りだし、「私」の人生をモザイク状に浮かび上がらせる断章形式の長篇小説。


    この小説のなかで「家」に括られるものは幅広い。車、銀行口座、電話ボックスから、結婚指輪に腫瘍まで、「家」という概念に置き換えて捉え直される。単なるエピソードの羅列ではなく、「家」という空間を詩的に再構築しようと試みる文章に惹き込まれた。
    本書はまるでジョルジュ・ペレックの『さまざまな空間』を小説化したみたいだ。「家のなかをからにすることは、壁を家に返却すること、壁の骨組みを住居に明け渡すことだ。家で暮らすことは、もともとの構造を拒絶し、家を空間に変貌させる営みでもある」。
    人間と家とは絶対的な他者である。人間は空間の支配者として振る舞うが、概念としての家には支配されている。だが、この世には家と一体化した亀のような生き物もいる。亀はシンボリックな存在として繰り返し描かれる。
    記憶の時系列はシャッフルされ、それぞれのエピソードも詳細を説明してはくれないため、「私」の人生がひとまとまりの〈物語〉として像を結ぶことはない。特に姉との関係は謎めいていて、亡くなったのかと思ったがそうではないらしい。最後には作者が「私」をテクストの向こう側へ切り離す。この小説が永遠に「私」の家になるのだろう。

  • 物質的な家でありそれが持つ空間であり断片であり、それらの記憶
    紙の蛇、ダニの星空、脳内の電子レンジ、コンマは絵を吊す釘、、、
    僅か数ページから迸る言葉たち
    読後の妙に目に焼き付く光景
    作者の美しい言葉を紡ぐ才能と、訳者の素晴らしさに感嘆

  • ふむ

  • なんとか賞受賞みたいな宣伝がついてる本は要注意だ。けして賞が悪いんじゃない。賞という下駄を履かせたら、「いい作品」「知名度ある作品」という認識に胡坐をかく人間が湧いてくる、それを見抜けず鵜呑みにする、そこがダメなんだ。まあ、この作品は賞すら取ってないんですけどね。正直自分にはこっそり机のにしまって一人でニヤニヤしている分にはちょうど良い作品としか感じとれなかったよ。変な生々しさは感じ取れたけど、それはもっと短く鋭く表現するべきであって、こんな一冊だらだら書き連ねていいもんじゃないだろう。

  • ①文体★★★★★
    ②読後余韻★★★★★

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著者プロフィール

1975年ローマ生まれ。小説家、詩人。2002年、中篇「教皇が死んだら」で小説家としてデビュー。「もし罪だと思うのなら」(2007年刊行)でモンデッロ賞、「すべての約束」(2010年刊行)でバグッタ賞を受賞。アントニオ・タブッキから「イタリアの文学作品にこれほど興奮し、これほどのめりこんだのは、久しくなかったことだ」と高く評価され、以来、深い親交を結んだ。2013年発表の「私がわかりますか」は、前年に没したタブッキとの交流を描いた作品。2021年に発表された本書『家の本』は、イタリアを代表するふたつの文学賞、ストレーガ賞とカンピエッロ賞双方のファイナリストに選出され話題を呼んだ。現在はライター・イン・レジデンス(大学内在住作家)として、ヒューストンのライス大学でクリエイティブ・ライティングを講じている。

「2022年 『家の本』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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