- Amazon.co.jp ・本 (306ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560092712
作品紹介・あらすじ
過去と現在、故郷と異国の距離を埋める
過去と現在、故郷と異国の距離、土地と血の持つ意味……〈BBC国際短篇小説賞〉および〈O・ヘンリー賞〉受賞作を含む、ブルガリア出身の新鋭による鮮烈なデビュー短篇集。
「マケドニア」 脳梗塞で倒れた妻を介護する70代の主人公は、結婚前に10代の妻が受け取った恋文を偶然発見する。そこには1905年にオスマン・トルコ打倒を目指して義勇軍に加わった恋人の体験が綴られていた。
「西欧の東」 共産主義体制下のブルガリア、川によってセルビアと隔てられた国境の村に生まれた「ぼく」。対岸の村に住むヴェラへの恋心と、「西側」への憧れを募らせつつ成長する。ある日、姉が結婚を目前に国境警備隊に射殺され、家族の運命は大きく変わる……。
「ユキとの写真」 シカゴの空港で出会った日本人留学生ユキと結婚した語り手は、子供に恵まれず、祖国ブルガリアで不妊治療を受けることを決意する。祖父母の家がある北部の村に滞在中、ユキは「本物のジプシー」を見てみたいと口にする。
いずれもブルガリアの歴史や社会情勢を背景とする、長篇小説のようなスケールのある読後感を残す8つの物語。その1篇「ユキとの写真」は、現在映画化が進行中。なお、著者自身が翻訳したブルガリア語版は母国でベストセラーとなった。
感想・レビュー・書評
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こうしてみると、ブルガリアのことをあんまりというかほとんど知らなかったんだなあ。
侵略されてきた歴史。二度のバルカン戦争と二度の世界大戦。
表題作が面白かった。
1つの集落が、流れている川を国境として分けられてしまう。一方はブルガリア、もう一方はセルビア。一方にはブルガリア人の魂はあるがジーンズはない、もう一方にはジーンズがある。川を挟んで怒鳴り合って会話する親戚、友人、恋人たち。
悲しいことも多いけれど、時々ちょっとユーモラスで、ふとエドガル・ケレットの語り口を思い出す。
国に翻弄される人々の暮らし、恋愛、人生。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
八つの短篇。ブルガリア文学は初めて。ブルガリアの歴史や文化など背景を知っていれば、もっと楽しめたはず。
それでも、幻想的なものや、切ない物語など、多種多様で面白かった。
「西欧の東」、「ユキとの写真」がお気に入り。
「レーニン買います」「手紙」などは、少し時間をかけて、もっと味わいたいところ。 -
原題は "East of the West"という
シンプルに人を惑わせるような語彙だ。
東欧の作家には苦しい状況を反映したものが多いが、
彼は確かにそれが反映されたうえで、
もう一歩抽象化されたモチーフを扱っているように思う。
多様なパーソナリティ、複数のオリジン、
こういった複層的なあり方はありふれたものだ。
けれども、そのどれでも選べるということは稀である。
最悪の場合、複層的であるがために「おまえは何者でもない」とされることもある。
ここまでは現状認識の話だ。
ペンコフのモチーフは、その絶望を描いているのではなくて
何者かではなかった時の、そこに残る希望に賭け金を置いている。
あまり楽しい話はないかもしれない。
それでも読後感は息苦しくはない。
そのようにして受け入れてもよい、という人生への態度がここに描かれている。
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「減量のための食事法とか男女関係の相談には少しばかり飽きてきてな。デートの三つの必勝法、細身になるための三つのステップ。なあ孫よ、今じゃ世の中は何でも三つの簡単なステップになっているな」
もうレーニンは読んでないってことかい?と僕は尋ねた。(p.92)
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もちろん、詐欺商品だった。でも詐欺じゃないものなんてあるだろうか。僕は「今すぐ購入」をクリックして、注文を確定した。<b>共産主義のカモ一九四四さん、おめでとうございます</b>、と確認メッセージが出てきた。<b>あなたはレーニンを購入しました</b>。(p.102-103)
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久しぶりに海外の小説を読みました。ブルガリアが題材の作品ということで前から少し気になっていたものです。
いずれの作品も少しもの悲しさや諦めの雰囲気が感じられます。時代としては現代より少し前、共産主義体制崩壊前後のものが多いですが、その頃のブルガリアの空気感はこのようなものだったのかもしれません。
モデルがいるかのようなリアルな登場人物たちと、何よりこのブルガリアの空気感を感じられるのが面白かったです。 -
大好きな藤井光先生の訳ということで手に取った。
渇望と、物悲しさと、バルカンの景色が見事に調和した短編集。
舞台はブルガリア。
バルカンが持つ複雑かつ抑圧された歴史は、日本に生まれたものが理解するのは難しい。
囁くような語り口で、かの国が持つ悲しみ、苦しみ、そして美しさを描いている。
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ブルガリア人作家の短編集。
ブルガリアという国の歴史を知らずに
読んでしまったのがとても勿体なかったです。
歴史を語りつつ著者の圧倒的な文章力で
人間模様を描き出しています。
「綺麗な文章だなぁ。」というのが
第一印象でした。
「マケドニア」「西欧の東」「夜の地平線」が
個人的に良かったです。
「西欧の東」の西側諸国にあこがれる青年は
外国と言えばアメリカ、だった数十年前の
日本を思い出しました。
「ユキとの写真」は日本とブルガリアで
映画化だそうですが、ネットで探しても
情報が出てこないですねぇ。。 -
数行読んで面白そうと思い、読み進むうちにブルガリア文学だと知った。ブルガリアの社会情勢が濃く描かれていて、共産主義の盛衰とか、アイデンティティーが奪われるとか、子羊の皮で楽器を作るとか、実感したことのないものに溢れていた。短編集のうちの一つにブルガリア人と日本人のカップルが登場し、しかもその作品が映画化されると知った。これまでブルガリアの歴史や文化を意識したことはなかったけれど、これをきっかけに興味を持つようになった。わたしが海外文学を好きな理由は、まさにそこにある。つまり、世界が広がるってことだ。
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藤井訳に外れなし。ブルガリア出身の作家による英語文学。子供の時ではなく留学で渡米したというから英語は作家にとって完全に第二外国語だろうが、それによるぎこちなさはまったく感じられない。ラヒリのイタリア語とは全然違う。翻訳を読んでいるとはいえ、藤井さんは原文がゴツゴツしているものを滑らかに訳しなおす人ではないだろう。
最後の「デヴシルメ」では作家の出自と故郷への思いが滲む。戦争やイスラム支配の歴史を抱えるブルガリアから「自由の国アメリカ」に移ってきたものの、灰色な生活を送り、ミハイルがマイケルという英語名で呼ばれる寂寥感を抱え、ブルガリアへの郷愁やまず、しかし「振り向くと塩の柱になる」(聖書のロトの妻)から前を向こうと努力している。 -
東欧というのは不思議な場所で、西洋からは東洋を、そして東洋からは西洋を感じさせる場所だろう。異なる文化の狭間で、人々は時に争いに蹂躙され、支配層の交代に翻弄された。受け継いできた伝統にしがみつく者もいれば、新しい時代の風に焦がれる者もいる。急激な変化に適応できずに沈んでゆく者もいれば、身体の内奥に故国を抱えながら新天地でどうにかやっていく者もいる。
著者はブルガリア出身の英語作家である。
訳者あとがきによれば、ブルガリア人の実に8人に1人が国外で生活しているというが、そうした人々の1人として、若くして渡米し、現在も作家としてまた大学教員としてテキサス州に住む。
けれどもそのルーツは彼の中から消え去ってはいない。心の一部は故郷に残し、身体のどこかに古巣を宿している。そんなことを思わせる短編集である。
舞台は時にブルガリア、時にアメリカだが、いずれも異なる世界の間で翻弄される人々の悲喜劇を描く。
収録作は8編。
冒頭の「マケドニア」は、脳梗塞で倒れた妻を介護するブルガリアの老人の話。ある時、彼は妻が結婚前に受け取った恋文を見つけてしまう。元恋人は20世紀初頭、マケドニアを巡るトルコとブルガリアの争いに身を投じていた。手紙を読み進めるにつれ、ブルガリアの歴史と家族の歴史が交錯する。
表題作の「西欧の東」は収録作中で最も鮮烈に悲劇的な物語ではなかろうか。物語は1970年、セルビアとの国境近くの村で幕を開ける。元は1つの村だったが、敗戦後、川を挟んでこちら側はブルガリア側、向こう側はセルビア側に引き裂かれてしまった。村人たちは両国から5年ごとに再会の集いを開く許可を得る。向こう側には西の文物が入ってくる。こちら側の若者にはそれが魅力だった。旧交を温める楽しい集いだった集会は、やがて、思わぬ悲劇を巻き起こす。
3編目の「レーニン買います」は、渡米して大学で学ぶ(著者を思わせる)若者と、ガチガチの共産主義者である郷里の祖父とのするどくもおかしいやり取りを描く。差し挟まれる幼少時の想い出が美しく少し切ない。
「手紙」は、祖母とともに住む女の子マリアの話。袋小路のような貧しさがやるせない。
「ユキとの写真」では、シカゴで日本人女性ユキと結婚した若者が、不妊治療のためブルガリアを訪れる。写真好きのユキは、村にジプシーがいることを知り、一緒に写真を撮りたいと言い出すが、ことは思わぬ展開に。
「十字架泥棒」の主人公は、驚異的な記憶力を持つ少年ラド。父親は少年をよい学校に入れ、安穏な暮らしを手に入れようと目論むが、よい学校に入るには実はコネが必要で・・・。これも貧富の差がやるせない話。
最後の2編はどこか神話的な香りが漂う。
「夜の地平線」は、バグパイプ作りの家に生まれ、父親から男の子の名を与えられた女の子の話。バグパイプを作るのは男でなければならないためである。1980年代、トルコ系ムスリム住民には、ブルガリアの名前に改名するよう強制された時代があり、これを背景に織り込んでいる。両親を失った末、父から聞かされた物語に救いを(あるいは破滅を)求める女の子の姿が哀しい。
最後の1編「デヴシルメ」が私は最も好きだった。「デヴシルメ」とは、14世紀、オスマン帝国の徴兵制である。主人公ミハイルは、妻子と共にアメリカに渡ってきたが、妻は金持ちの医者に心を移し、家族はばらばらになってしまっていた。娘と過ごせる週末の夜、ミハイルは彼の曾祖母の話を聞かせてやる。世界一の美女であった曾祖母はスルタンの元に連行される途中、その役割を負ったアリー・イブラヒムと恋に落ちる。アメリカの現在とブルガリアの神話的物語が絡み合い、怒涛のラストになだれ込む。
本作は著者自身によるブルガリ語訳も本国で出版されているとのこと。英語版は比較的平易な英文で綴られているというが、ブルガリア語だとまた別の味わいも加わるのだろうか。ブルガリア語はまったく不案内なので、確かめる術はないのだが。