幸福論 (白水Uブックス1098) (白水Uブックス 1098)

  • 白水社
3.76
  • (10)
  • (9)
  • (11)
  • (2)
  • (1)
本棚登録 : 190
感想 : 16
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (305ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560720981

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 秋の夜長と無職期間のために借りた。
    幸福とは何か、考えたかったのかもしれない。
    哲学の本にしてはとても読みやすかった。
    以下、気になったところ。

    不機嫌な人には椅子を用意してあげること。よく観察すれば、少し刺さったピンを外してあげるだけで済むかもしれない。
    →それには冷静さが必要で、感情に呑まれないように気を付ける。

    苦しい時はまず体操をすること。意外と身体を動かすと、そちらに意識が向かって悩んでいることに意識が向かなくなる。
    →体操でも散歩でもいい。自分の悩みばかりに集中すると、良くない想像だけが膨らむもの。

    われわれの敵はいつでも想像上のものであり、想像力は恐怖を調合し、われわれに様々な恐怖を味合わせる。
    →一番の苦しみは自らが生み出していることに気づく。

    もしひとりの友人が苦しげであったら、もちろんあなたは彼をなだめて世の中別の視点から見るように勧めるだろう。きみはなぜ、自分自身にとってのかけがえのない友とならないのだろうか。
    →俯瞰的にとらえ、遠くから自分を眺めて客観視する。そして自分を自分で励ましてあげる姿勢をもつ。

    100年も前の人であるはずなのに、最近流行りの自己啓発本や、マインドフルネスの解説と同じことを書いてあることに驚きだった。
    何度か出てきたストア派の本も読みたくなった。

  • 23:35読了。明治大学文学部心理社会学科哲学専攻推薦図書より。幸福とはなにかを論じる本ではなく、幸福であろうとすることで不幸でなくなるという本だと思う。人生訓のようなものだが含蓄はある。岩波版の解説を読むに、新聞での連載らしい。天声人語のようなものだと思う。近代オリンピックを生んだ近代フランスの快活さのようなものが感じられた。

  • ちょっとだけ読んだけどシンプルに文体に惹かれへんで読めへんだー

  • よくわかる系のアランの幸福論を読んで、原本に当たりたくて読んだ。
    所々、分かりにくいところもあったけれど、全文読めたので満足。

  • 津田沼 丸善

  • 1.この本を一言で表すと?
    ・幸福についてまとめたエッセイ集

    2.よかった点を3〜5つ

    ・憐れみについて(p182)
     →人間が与えられるのは希望だけで、悲しみから何も生まれないということを知ることが大事

    ・解きほぐす(p215)
     →何もしないと悲観主義になり、努力しないと楽観主義になれない、というのは初めて聞いた考えで面白い。

    ・生活知(p257)
     →優雅さは身につけることができる。それが幸福につながる

    ・幸福たるべき義務(p284)
     →幸福は美しく、それが社会に与える影響まで考えているのは面白い。


    2.参考にならなかった所(つっこみ所)

    ・一番読みやすい幸福論と聞いていたが、それでも翻訳が悪かったり文脈が理解できなかったりで読みにくかった

    ・短編毎で、重複する内容がバラバラに存在するところは、まとめてほしかった。


    3.みんなで議論したいこと

    ・幸福になるために、まず何から始めるべきか?


    4.全体の感想・その他

    ・哲学的でなく、実生活に密接した内容で納得感があった。

    ・他の哲学的内容の幸福論も読んでみたい

  • ポジティブに生きていれば幸せになる。
    笑うから楽しい。 
    「王は退屈する」の
    なんにもしない人間は、なんにも好きにならない。
    は息を呑みました。まさしく、その通りと感じた。

  • なかなか進まなくて図書館でまさかの更新。
    NHKの「100分de名著」を読んではいたけど、実際に読むとかなり味わい深い。一度じゃ足りない。。
    久しぶりに「やっぱり手元に置きたい」と思える本との出会いでした。

  • ――――――――――――――――――――――――――――――
    希望というものは希望する理由を生み出し、良い前兆は本物を実現させるからである。

    すべてをよろこびとなすべし、ということだけにとどまらず、むしろ、よい希望は出来事を変化させるがゆえにすべてを本物のよろこびにする、ということである。69
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    往々にして、人は不機嫌を祭りあげる。言ってみれば、おれは不機嫌なんだと宣言する。こんなふうに人は自分の性格をつくるのだ。そして、ある日だれかに対して不機嫌になったということから、その人を好かなくなる。71

    しまいには、眠ったことにまで腹を立てるようになる。まるで自分自身の性格に対して監視を怠ったとでもいうように。72
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    機嫌というものは、上機嫌にせよ不機嫌にせよ、愛する人たちに対して向けられるものである。113

    王の前に出た場合、廷臣は不機嫌を隠しているのではない。気に入られようという激しい欲望のために不機嫌は消え失せてしまうのだ。ひとつの運動は他の運動を排除する。

    社交的な女が、突然の来客を迎えるために怒りを中断したからといって、けっして私は、「なんたる偽善家だ」などとは言わない。そうとは言わずに、「怒りを静めるなんと完璧な療法だろう」と言う。114
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    けっして意志の意志の力でしなやかになろうなどとつとめてはならない。自分の意志で自分で自分に差し向けたのでは、すべての悪い癖を引き出すだけで、自分ののどをしめつけるのがおちだ。自分のことを考えるな。遠くを見よ。162
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    自分のもっている希望しか、ひとにはやれない。183
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    生き方というものは、一般にあまりに知られなさすぎる。しかし、私の考えでは、幸福の秘訣のひとつは自分自身の不機嫌に対して無関心でいることだと思う。相手にしないでいれば、不機嫌などというものは、犬が犬小屋に帰って行くように動物的な生命のなかにおちこんでしまうものだ。208
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    ただあなたが、自分の気持を顔色に出して、彼に彼の義務を思い出させるだけだ。人間には、自分以外にはほとんど敵はいない。210
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    期待に欺かれると思えば、ほんとに期待は欺く。この点に注意することだ。自分でお天気や嵐をつくり出すのだ。まず自分の内部に。それから自分の周囲、人間の世界に。絶望というものは、希望もそうだが、雲行きの変わるのよりもはやく、人から人へと移ってゆくものだからだ。もし私が信頼すれば彼は正直である。あらかじめ非難すれば、彼は私のものを盗む。彼らはみんな、こちらの出方しだいである。214
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    人間の状態というものは、不屈の楽観主義を規則中の規則として採用しないと、やがてもっとも憂鬱な悲観主義が真実になるようにできている。217
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    彼らのよろこびは、やがてことごとく眠ってしまう。一種の痴呆状態、ほとんど無感覚な状態になってしまう。内部の感情は外部の運動を必要とするのだ。238

    ただひとりでいるかぎり、人は自分であることはできない。おろかなモラリストたちは、愛するとはわれを忘れることだなどと言う。単純すぎる見方だ。人は自分から離れるほど、ますます自分自身となる。239
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    レストランに入る。隣の客だの、メニューだの、ボーイだのに敵意ある視線を投げつける。万時休す。不機嫌がひとりの顔から他の者の顔へと走る。すべてがあなたの周囲で衝突する。たぶんガラスでも割れたのだろう。そして、その晩ボーイが自分の妻君をなぐるだろう。248

    なんという騒がしさだ。なんという不正。なんという暴力。血が流れる。裁判官にでも来てもらわねばなるまい。こんな大騒ぎも、たったひとりの御者が慎重にふるまうだけで、手のちょっとした動かし方ひとつで、避けることもできたのだ。だから、よい御者であれ。249
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    だれでも、生きることを求めているのであって、死ぬことを求めているのではない。そして、生きている人たち、つまり、自分は満足していると言い、自分は満足していることを示す人たちを求めているのだ。281

    さあ、雨降りのときこそ、晴ればれとした顔が見たいものだ。だから、悪い天気の日には、いい顔をすること。283
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    子供はいっさを挙げて遊びにうちこむ。自分のために人が遊んでくれることなど待っていない。284
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    実際には、上機嫌などというものはありはしない。正確にいえば、気分というものは、いつでも不機嫌なのだ。

    実際に力を発揮するのは語調であって、言葉は鼻歌ほどにも意味がない。287
    ――――――――――――――――――――――――――――――

  • 仕事で悩んでいたとき先輩が貸してくれた一冊。
    改めて仕事について、自分について、人生について考えられた。

全16件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1868-1951。本名Emile Auguste Chartier。ノルマンディーに生れ、ミシュレのリセ時代に哲学者J・ラニョーの講義を通して、スピノザ、プラトン、デカルト、カント、ヘーゲル等を学ぶ。エコール・ノルマル卒業後、ルーアン、アンリ4世校などのリセで65歳まで教育に携る。ルーアン時代に「ラ・デペーシュ・ド・ルーアン」紙に「日曜日のプロポ」を書きはじめたのが、彼のプロポ(語録)形式の初めである。アランの人と著書については、アンドレ・モーロワの『アラン』(佐貫健訳、みすず書房、1964)に詳しい。邦訳されたものとして、『定義集』(森有正訳、1988)、『デカルト』(桑原武夫・野田又夫訳、1971)『プロポ』1・2(山崎庸一郎訳、2000、2003)『アラン 芸術について』(山崎庸一郎編訳、2004)『小さな哲学史』(橋本由美子訳、2008、いずれもみすず書房)などがある。

「2019年 『定義集 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

アランの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×