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Amazon.co.jp ・本 (166ページ) / ISBN・EAN: 9784562047581
作品紹介・あらすじ
あの時のたった一枚の写真が忘れることのできない記憶となる――
被災した故郷、放射線の見えない恐怖、子どもたちの笑顔にシャッターを切りながら、
3人の気鋭のフォトジャーナリストは、ファインダーの向こうに何を見ていたのか。
東日本大震災を通じて、写真を撮る意味、残す意義を考える。
みんなの感想まとめ
テーマは、東日本大震災を通じてのフォトジャーナリズムの意義と、被災地での人々の思いです。3人のフォトジャーナリストがそれぞれの視点から、震災の記録を残すことの重要性や、写真が持つ力について深く考察して...
感想・レビュー・書評
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3人のフォトジャーナリストによる東日本大震災の記録…。安田菜津紀さん、佐藤慧さん、渋谷敦忘さんは、海外におられたが震災の報を知り帰国され、フォトジャーナリストとしてできることを模索しながらカメラを構える…。
安田菜津紀さんは、陸前高田市に入り小学校の入学式の写真を撮ったり、被災地に残された写真の修復作業を行ったり、被災した子供たちにむけて写真教室を開いたりと活動されています。そこにはまぶしいくらいの子供たちの笑顔があったけれど、その心の奥には大切な人を亡くした悲しみにも満ちていることを知ります。でも私はそこまででよかったんだと感じます。一時でも悲しみより素敵な笑顔いっぱい引き出せたのだから…。
佐藤慧さんは、陸前高田市に住んでおられたお母さまを震災で亡くします…。行方のわからないお母さまを探して、身元不明で安置されている遺体を確認していきます。見つかったのは震災から約1カ月後…遺体は傷んでいて目をそむけたくなるほどでしたが、そこには確かにお母さまの面影があって、思い出が走馬灯のように頭に浮かび、お母さまの死を受け入れることができました。被災地に咲く花が、なんとも悲しくそして健気で美しい…お母さまへの、いえ、震災で犠牲になったすべての方への供花にふさわしいと感じました。
渋谷敦忘さんは気仙沼から陸前高田、その後福島に向かい取材をしています。原発事故後の福島は他の被災地とは異なり、支援の手が行き届いていない現状がありました。そんな中でも地元の消防団は大切な家族を探すための活動を続けていました。そんな消防団のメンバーを撮った写真が掲載されており、見て心が熱くなりました。
震災から12年…まだ行方のわからない方もいます。他人事ではなく自分事として、何を備え、何をしたらいいか、立ち止まって考えるためにも当時の記録は必要ですよね!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
経験したことのない災害の時に、あるいは自分や知人の家族が行方不明の時に、カメラを構えるということがどんな意味を持つのか・・・。報道写真を撮るとき避けては通れない問いに、三者三様に向き合っている。
一度は静観しようとしても、撮ることが自分にできる一番のことだと思い至ればこそ、迷いを抱えながらもカメラを構える。その心の動きが手に取るように感じられた。
今日の光景は明日にはない、とカメラマンを叱咤する言葉が印象的。
報道写真の意義はなによりも「記録」して後々に残し、伝えることだ。言葉だけでは伝わらないものはいくらでもある。 -
想像をこえた出来事に直面した時、人はそれにどう向き合うか。
記録として残さねば、残したい。でも、目の前の困り果て、疲れ果てている人々を前に、悩む。カメラを向けることを。
それでも、悩みながら、自問自答しながらそれぞれのできることをやり通した、三者三様の選んだ道。
写真は撮っておいたほうがいい。それが忘れてはいけないものであればあるほど。そして、日常の何気ないものでも。その写真が、いつか人を慰め、勇気づけることもあるのだから。 -
3人のジャーナリストが写真と文章で記録した東日本大震災。
震災の現場で被災した人にカメラを向けること、報道すること、記録として残すこと、色んな思いが込められている。
被災地にいた人達の溢れんばかりの想いに涙が出た。被災した人の気持ちを、被災していない人間が共有することはきっとない。でも知って、考えて、自分にできることをやろう。 -
佐藤けいさんの話を伺う機会が高校3年の時にあった。その時のお話は「共感力」というお話。正直な話、その時にはあまりピンとこなくて、でも、けいさんが震災について、家族について、生と死について講演した後にぐったりした様子をすごく覚えていた。
その半年後、私の地元が九州北部大洪水の被害にあい、小学生の頃遊んでいた場所の被害を見て、うまく言えないけど、複雑な気持ちになった。そして、その時にけいさんのお父さんが撮影された病院からの写真のことを思い出した。その日からバイトして、お金をためて、岩手に行くことを決めた。その年の秋にはたまたま安田さんの講演会とその後の交流会に参加させていただく機会もあり、私はますます岩手に行く気持ちを強くした。
ようやっと、岩手の陸前高田に行けたのは今年の2月。もう震災からは2年になるような時だった。しかし、私たちからすると、もう。でも、現地の人からすると、まだ2年。岩手であるおばあちゃんに言われたのが「私は生きてちゃいかんのです。こうやって、みんなの足手まといになってしまう。生き延びちゃいかんかったのです。」という言葉だった。でも、そのおばあちゃんがいるから、その家族はそのおばあちゃんのために!っていう力で色々なことにチャレンジしてた。私も小学生の頃、突然死で弟を失い、その時は同じように何も役に立たない私が生きてて、みんなを笑顔にしてた弟が死ぬなんておかしい。なんで、私じゃないんだろう?って、めっちゃ思ったけど、おばあちゃんと家族の姿を見て、10年以上たった今、勇気を貰ったような気がした。1枚の写真から始まって、岩手で色々な出会いがあって、考えることも感じることも沢山あって、写真の力って凄いな〜と思った。この本を書いてらっしゃる3人の方はみなさん、違うことを感じて、この本を書いていて、でも、全部本気で全力で書いているから読む方もかなり大変…
1回読んだだけじゃ、この3人の気持ちに本当に触れることはできないんだろうなーって、読み終わった時に思った。渋谷さんとはお会いしたことないけど、人間の弱いところも含めて正直に全部書ける強さや自分にないかっこよさを感じた。この本を何度も読んで、また著者のみなさんにいつかもう1度お会いしたい。
また、けいさんのユニークな写真、なつきさんの笑顔の写真、大好きなので、写真展にも行きたいなぁー\(^o^)/ -
私は本当に被災地のこと、被災された人のことをわかっていなかったんだ、そう思わされた一冊でした。カメラを通して三人のジャーナリストが見つめた3.11。カメラを向けることへの悩み、自分にできることは…震災から時間がたった今だからこそたくさんの人に読んでもらいたいです。
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福島に弟が住んでいる
内陸なので津波の被害はなかった
小さかった甥が、
こちらに遊びに来たときにドライブした
車の窓を開けて走ったら
「窓を閉めなくていいの?」と言った
ああ、窓を開けて走ることができないんだ
あの日、あの時間、あの場所に、
たくさんの人の様々な時間があったのに -
震災の時、ぼくには力が無かった。
世界や日本という世間とぼくに距離があった。自分の底にある想いを知る力が無かった。アクションに繋がるあらゆるものが欠けていた、という事。
現実を受け止め生を燃やす、力が無かったのだ。
あれから三年以上が経ち、少しは大きくなれただろうか。
こうする
①人として、の事をする。
②社会の中での役割をこなす。
③ツールを磨く。 -
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三者とも誠実。だからこそ答えはここにない。ある種の分かりやすさは、危険ですらあることを再確認した。
シャッターを押すとはなんと重い行為なのか。そして、それは正しい。
・目の前で繰り広げられる「死」についてきちんと考えることの必要性を感じていた。
・がんばれ、とは言えない。負けるな、とも違う。かける言葉がどうにも見つからないまま、こう思い至った。結局のところ、君の悲しみはどこまでいっても君だけのものなのだ。でも、このまま君が歩くなら、僕も歩こう。君が疲れたなら、僕も一緒に休もう。今はただ自分の思うように精一杯生きてみたらいい。
・今日のご飯は贅沢ですねと調理班の女性に言うと、「ここの食事は毎日ごちそうです」と返ってきた。
・「財産も仕事も失ったけど家族が無事だった人は、家は残ったけど家族を失った人にどう声をかけたらいいかわからない。わからないけど、みんなお互いを気遣っているのはわかる。一緒に焚き火したり、寝食を共にしたりしているとね、一人じゃないって思えるもんだね」 -
フォトジャーナリストの3名が文章と写真で綴った「3.11」。
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2013年6月18日
装幀・フォーマット/生駒浩平 -
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カメラで撮影する、という行為では、
目の前の人の怪我は治せないし、
空腹は満たせないし、
身体を温めて上げることも出来ない。
それでも、ファインダーを通じて切り取った事実を
誰かに伝えることは出来る。
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無力感と使命感の狭間で、生々しく揺れ動いているように見えた。
自分に取っての正義が問われる時間だったのだろう。
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2012年49冊目。
3人のフォトジャーナリストの視点から綴られた3.11。
そのうちお二方は縁あってお話させていただいたこともあるのだけれど、
あの親近感のある笑顔の裏の葛藤をこの本で垣間見た気がする。
「写真で何ができるのか」
そんな不安の中でも、「これが自分にできること」と歩みを止めない姿に勇気をもらう。
迷い続けながらも、自分にできることを、それぞれが探さなくては。 -
とあるきっかけで情熱大陸の断片をYouTubeで観て、安田さんの作品に触れたいと思った。よくよく考えてみると多くの友人を通じて彼女のことは話に聞いていた。
3・11、この日の境に未だ続いている大震災の爪痕を前に、何もできなかった、何もしてこなかった自分がここにいる。当時は健康に普通に暮らしているのが何よりの支援になるという言葉を信じて、日々を何気なく過ごしていた。今ではすごく後悔しているし、何が起きていたのかテレビやTwitterの情報でしか知り得ていない苛立ちが今回安田さんに関心を持ったきっかけと重なり読んでみたのが、この一冊。
実際に現場に足を運んだ彼女/彼らの写真を見てレポートを読むと、様々な葛藤の中で取材を続けたことがよくわかる。カメラマンとして今起こっていることを伝えなければならない、でもなぜ?自問自答しながら、日々作業に追われる様子に触れることで、彼女らも迷いながらそれでも何か自分にできることを探しに行ったことがわかった。
「(略)頭では知っていても、何もしないのであれば何も学んでいないも同然ではないか。」原発問題に対する自戒を込めて渋谷さんが書いた一言。実行を伴わない考えや知識は意味がない。最近悶々と考えながら、それでも将来やりたいことに対して見出した微かな自分なりの答え。同じことを一線で活躍したジャーナリストが感じていたことに親しみを覚え、いつの日か彼の問いに対する答えを出したいと思った。 -
(2012.05.28読了)(2012.05.25借入)
【東日本大震災関連・その84】
三人の写真家による東日本大震災被災地のルポです。写真はあまり掲載されておらず、ルポが中心です。
3月11日には、三人とも海外で取材中で、東日本大震災の被害の大きさに驚いて帰国したようです。
安田さんは、フィリピンルのソン島。佐藤さんは、アフリカのザンビア共和国。渋谷さんは、アフリカのウガンダです。
佐藤さんは、ご両親が岩手県の陸前高田市に住んでいたため、ルポというよりは、自分自身の手記というところです。東日本大震災で、母親を亡くしています。
被災地に入り、最初に見た風景を写真に収めたところが、母親の遺体が後で見つかったあたりだった、ということです。偶然ではありますが、何か因縁を感じてしまうのも人間です。
安田さんは、佐藤さんに呼ばれて、陸前高田に入り、主に学校の入学式の写真を撮ったり、小学校で写真教室を開いたり、写真洗浄のボランティアなどを行っています。写真の役割について考えています。
渋谷さんは、気仙沼に入り、その後、陸前高田の佐藤さんと合流し、のちに福島に向かい原発地帯近傍を取材しています。
【目次】
・安田菜津紀
写せなかった〝沈黙〟
思い出はここから始まる
忘れたくないから
未来へのシャッター音
心の支えができるまで
・佐藤慧
壊滅
母を探して
命のかけら
・渋谷敦志
アフリカから被災地へ
陸前高田市
やよい人共同生活プロジェクト
遺体安置所での出会い
福島へ
東京電力福島第一原発
一枚の記録が一人の記憶へ
あとがき
●写真の中だけでも(36頁)
男性は数時間かけて、写真の山一つ一つに目を通していった。この日も写真は見つからず、やがて静かに引き上げていった。遠ざかっていく小さな背中を、私はただずっと見つめることしかできなかった。「せめて写真の中だけでも会いたい」この言葉がこの日から頭を離れなくなった。
●家族写真は(52頁)
「家族写真って撮りたくなかったんだよね。欠けている家族がいるってこと、実感しちゃうからさ」。
●ネットのニュース(59頁)
画面の中は騒然としていた。大津波、仙台空港壊滅、海岸線の電車は車両ごと行方不明。理解できない事態が進行している。数時間後、衛星(原文は「衛生」となっていますが、変換ミスでしょう)を通じてテレビの画面にも現地の様子が流れ始めた。圧倒的な津波が人の住み処をまるでミニチュア模型のように押し流し、街が津波とともに移動していく。それは常軌を逸した光景だった。
●陸前高田は(58頁)
北の大船渡、南の気仙沼の情報が出ているのに、なぜ陸前高田の情報が出てこないのか。考えられる状況はふたつ、たいした被害が出ていないか、被害が甚大過ぎて誰も報告できないか、そのどちらかだろう。
●震災の経験(104頁)
この震災を通じて経験したことは、これからも生や死、命について考えるための糧となっていくことだろう。撮った写真、連ねた言葉は、何度も何度も心の内で反芻され、「なぜ?」という疑問に答えるための力となっていく。
●フォトジャーナリストに(111頁)
阪神・淡路大震災があった1995年当時、大阪に住んでいた僕はフォトジャーナリストを目指す大学1年生だった。高校2年生の時にベトナム戦争を記録した一ノ瀬泰造さんや石川文洋さんらの著書に出会ったのがきっかけでフォトジャーナリストになることを決めた。
●写真を撮る(160頁)
大きな震災を経て価値観や職業観も含めて生き方が根底から揺さぶられる日々の中で芽生えてきたのは、人間を撮ることでどこかで人間を肯定したい、人間を信頼したいという強い思いかもしれない。
☆関連図書(既読)
「東北関東大震災全記録 復刊アサヒグラフ」週刊朝日臨時増刊、朝日新聞出版、2011.03.23
「東日本大震災」サンデー毎日緊急増刊、毎日新聞社、2011.03.24
「東日本大震災100人の証言」AERA緊急増刊、朝日新聞出版、2011.04.02
「巨大津波が襲った 3・11大震災」河北新報、河北新報社、2011.04.08
「TSUNAMI 3・11-東日本大震災記録写真集-」豊田直巳編、第三書館、2011.06.30
「3・11東日本大震災奇跡の生還」上部一馬著、コスモトゥーワン、2011.07.01
「被災地の本当の話をしよう」戸羽太著、ワニブックスPLUS新書、2011.08.25
「生きる。-東日本大震災-」工藤幸男著、日本文芸社、2011.09.20
(2012年5月29日・記) -
若手フォトジャーナリストたちの3.11。
東日本大震災の記録であるけれど、フォトジャーナリズムと向き合おうとする人たちの手記という色合いが強い。
(震災や被災者を軽く扱うわけでは決してないけれど)
安田菜津紀は非当事者の立場を正面から引き受ける。
佐藤慧はカメラマンのアイデンティティを手放さずに岩手出身の遺族になる。
渋谷敦志は阪神を知るけれどやはり非当事者で途方にくれる。
同じものを見て、似たような経験をして、一見同じ問いを発しているように見えるけれど、三者三様の足掻きかた。
この本は、「未来に語り継ぐ戦争」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4002708268で安田菜津紀があまりにも真摯で素敵だったので、この人目当てに読んだ。
やっぱりすごかった。どこまで誠実なんだ。
多分この人は「何を書く(撮る)か」だけじゃなくて、「何を書かない(写さない)か」まで選び取ってる。
自分が生まれ育った風景や自分の血縁者じゃないという意味での非当事者として、ホームではない場に踏み込んでいくのは、その場が辛いものであればなおさら勇気がいる。
居心地の悪さに耐えて、いていいのか迷って、それでもなお関わろうとしている。
自分が当事者じゃない場面にあえて立つ、非当事者の負い目を引き受ける覚悟がある。 -
この3人の写真家に共通することは、このような災害時に写真を撮る意味はあるのかを真剣に考えていることだ。
写真は、後世に伝えるためには必要なものだが、被害に遭われた方の心情はどのようなものだろうか。
写真を撮ることより必要なこともある。それを前提にして、写真というものを通して被災地を支援しようとしている姿に涙があふれる。今は家族の写真に向き合えないとおっしゃっている被災者の方がいつか穏やかな心で、家族との幸せな思い出を振り返ることができるよう、できることを探して行こうと思いました。 -
息苦しくて、何回もとまった。一瞬の間でたくさんの方が亡くなる現実を直視できる自信がなくて、恐い。でもいろんな人が、いろんな思いを抱えて、自分をなだめながら、何ができるのか探してる。正解とかない。
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