フェルメールと天才科学者:17世紀オランダの「光と視覚」の革命

  • 原書房
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (440ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784562056347

作品紹介・あらすじ

フェルメールの『地理学者』『天文学者』のモデルとされる顕微鏡科学者レーウェンフック。長年謎だった二人の運命的な関係を新たに解明し、光学の発展と科学革命が17世紀オランダにもたらした「見る」概念の大転換点を解説。

感想・レビュー・書評

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  • 福岡伸一さんが日経新聞の裏一面にレーウェンフックとフェルメールの繋がりについてコラムを書かれて、それ以降、作品背景以外にも興味がある
    本作は、前述のコラムを超えるものは無かった

  • 本は面白い!

    でも、著書のタイトルの翻訳が、、、
    レーウェンフックを天才科学者としたのは何故?
    リインベンションを革命とし、光とかいう中途半端な言葉を混ぜ込み、肝心のeye of beholderのニュアンスは失われてく

    この「タイトルの語彙と感度を低くして、フェルメールという名前に反応して買う人達、というレベルのとこで受裾野広げよう」
    という方針が透けて見えるタイトルの態度が不愉快。
    Amazonの検索にひっかかりやすくするため?

    あと、帯もめちゃくちゃ
    中身と全然違う

    これも、まぁ、当然なんだけども、販促に寄り過ぎてて、中身と逸れてるのは、バカにされてる気分になる

    こういうのが、最終的には、めぐりめぐって、本もネットニュースで代替できそう、という感覚を肯定させて首を締めるんじゃないかと思うんだけどなぁ、、、

    ネットとはレベルが違うなぁ、と思わせるタイトルが必要なんじゃないかな


    まぁ、つまり、出版社のやり方が気にくわない、という意味です

    あと、気になったのは、引用元がどれもない
    これは原著の時点でなかったのか?

    参考文献、引用元がないことは、かなりこの本の価値をさげる
    気になる引用がいっぱいあるのに、なんの本なのやら

    タイトルや帯の態度からして、出版社が省略したんじゃないかと邪推したくなる


    ということで、気になるところは基本的に日本での流通に関するところで、翻訳は読みやすいし、中身も良い
    17世期、ベーコンにはじまり、ケプラー、ガリレオと、経験論的な方法論と望遠鏡とが、視ることの再発明をしてたとき、フェルメールやレーウェンフックが代表する形で、カメラオブスクラや顕微鏡も視覚の再発明をしたのだ

    • puchic0506さん
      原注については、巻末に出版社のサイトにある旨が記されていましたよ。
      http://www.harashobo.co.jp/files/%E...
      原注については、巻末に出版社のサイトにある旨が記されていましたよ。
      http://www.harashobo.co.jp/files/%E3%80%8C%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%A8%E5%A4%A9%E6%89%8D%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%80%8D%E5%8E%9F%E6%B3%A8.pdf

      原注が多過ぎる場合はこうするケースが多いみたいです。
      2021/03/21
  • <画家は芸術の科学を学ぶべし。科学の芸術も学ぶべし>というレオナルド・ダ・ヴィンチが遺した言葉は、以前にも増して真実味を帯びてきた。この時代、芸術の科学と自然科学には共通点があるとされていて、以前にも増して真実味を帯びてきた。この時代、芸術の科学と自然科学には共通点があるとされていて、実際に重なり合う部分も多く、画家たちも自然哲学者たちも両分野に大きな違いがあるとは考えていなかった。事実、自然哲学者たちは画家としての鍛錬を積んでいて、その鍛錬の結果を自身の科学研究に活用していた。(中略)ガリレオは月の表面には凹凸があって、アリストテレスの説に従っていた多くの天文学者のたちが信じていたように真っ平らではないと看破していたのだった。そう判断できたのは、若いころに絵画を学び、その過程で遠近法の理論を把握していたからだった。ガリレオは、平面でも局面でも光の射す角度で影の大きさやかたちが変わることを理解していて、湾曲した表面に落ちる山の影をどのように描けばいいのか心得ていた。だから月の斑点は山の影だとわかったのだ。(pp.27-28)

     遠近法理論の登場により、絵画の捉え方は劇的に変化した。それ以前の絵画は、二次元である画面上に、三次元の題材を線やら色やらを駆使して何となく表現したものだとされていた。アルベルティの言葉を借りると、遠近法の原理の確立以降の絵画は“眼に見える世界の一部を窓越しに見たもの”と考えられるようになった。(p.116)

     《眠る女》の構図を決める際に、フェルメールは凸面鏡をつかったのかもしれない。それとも両凹レンズをつかったのかもしれない。椅子に座るメイドを両凸レンズを通してみると、空間が歪んで見えただろう。手前においてあるものに比べて、メイドは小さく見えたことだろう。彼女の向かい側には誰も座ってはいないが、見る側はそこに全体的に見て不釣り合いな大きさの男性の姿を創造する。レンズ越しに見ると、テーブルの天板は傾いて見えたころだろう。これもまた端が湾曲している凸レンズのせいで歪んで見えるからだ。(p.140)

     フェルメールはレンズ越しに新たな世界を見いだした。そしてその新たな世界をカンヴァス上に再現したいと願った。しかし彼は光学機器をつかって見た光景をそのまま描き写すだけではなく、自分自身の画家としての本能を頼りにして自由に手を加えてみようとも思った。さまざまな光学に対する関心が芽生えつつあったこの時代のネーデルラントにあって、画家たちはレンズと鏡がもたらす新たな可能性に色めき立っていた。(p.141)

     顕微鏡がさらけだしたのは“さまざまな色を帯び、まばゆいばかりの光に満ちた”まったく予想だにしなかった、初めて見る世界だった。その質感といい色調といい形状といい、まったく新しいものを見せつけ、そして光の効果というものを初めて白日の下にさらしたのだった。結局のところ、顕微鏡をつかって観察する場合は、自然界はこれまでとはまったくちがって見えるということを受け入れる心構えが求められるということだ。(p.173)

     ファン・ホーホストラーテンはこうも説いている。「画家たるもの、自然の本質を充分に把握したうえで、眼を欺く手段を徹底的に理解することも求められる」“人間の眼に見える自然”は“自然本来の姿”とはちがうものだと考えられていたのだ。ネーデルラント黄金時代の画家たちの多くは写実主義的手法を高めていったが、その手法はある意味“錯視的表現”とも言うべきもので、視覚の仕組みを理解していた画家たちはさまざまな手をつかって見るものの眼を欺く絵を描いた。(p.192)

     ベーコンは、科学の本質とは自然の“隠された特殊な形態”および肉眼では観察できない構造と、物体の“本当の性質”を究明することだと考えていた。ここで顕微鏡の出番となり、のちに大きな力を発揮することになる。ベーコンは、中世のスコラ哲学の問題点のひとつは、もっぱらに祈願による観察のみに頼り、「考察はほとんど視覚とともに終始して、見えないものはほんのわずかしか、あるいはまったく観察されない」ところにあると指摘している。そして、これから自然を究明しようとするものは肉眼の限界を超えなければならないと主張した。(p.258)

    ファン・レーウェンフックは計測にもことのほか優れた才能を発揮していた。微生物を見た人間は彼以前にはいなかったので、どれほど小さい物なのか表現する方法を見つけなければならなかったし、大きさの数値化もしなければならなかった。そこで砂粒や穀物の種子、髪の毛といった、どこにでもある小さなものと比較することを思いついた。彼は真鍮の物差しと髪の毛を一緒に顕微鏡で見せて、髪の毛の太さがどれほどのものなのかを示した。そして髪の毛を基準にして微小な観察対象の大きさを判断した。(p.307)

    これまで見えなかった世界の発見は、一部の人々の信仰を揺るがした。動物の複雑で入り組んだ部分は人間の肉眼で確認できないのに、どうして神は相当な労力を費やして創ったのだろうか?そんな疑問の声が上がったのだ。しかし神の存在を信じる人間の大部分は、顕微鏡が見せてくれるものは自分たちの信仰の正しさを証明してくれるものと捉えた―最下等の生き物であるシラミであっても、神は眼を疑うほど精微な美を与えた。(中略)眼に見えない世界が見えるようになったおかげで、神への畏敬の念はより深まったのだ。(p.404)

    フェルメールもファン・レーウェンフックと同じ“実験的手法”を用いていた。遺産管財人としてフェルメールの作品を査定したファン・レーウェンフックは、そのことに気づいていたはずだ。フェルメールも同じような場面と同じような構図を何度も繰り返し描いた。このやり方そのものが実験的で、空の同じところを夜な夜な見つめ、天空の変化する部分と変化しない部分を記録する天文学者とも、視神経や精子、さまざまな水溶液のなかの微小動物を何度のも何度も観察したファン・レーウェンフックとも似たものだった。フェルメールは、ひとりきりで家事をこなしている女性を14回も描いた。作中に地図を9回描いた。(p.410)

    同じ画材や題材や構図を幾度となくあがくことで、フェルメールは光の加減で絵の情感と色の見え方がどのようにちがってくるのかを調べていた。そのおかげで、異なる光の条件下でものの見え方がよくわかり、同じ画材であっても多種多様な光と影のなかではちがって見える様子を描き分ける技に磨きがかかった。(p.411)

    ファン・レーウェンフックは、自分が見ていると“思っている”ものは、自分が、“信じたい”ものと関係があり、信じているモノが見えることがあることをわかっていた。だから“見たいもの”ではなく、そこにあるものを見る腕を磨かなければならなかった。(p.416)

    何かを見ようとするとき、人間は知らず知らずのうちに“こんなものが見えるのではないか、こんなふうに見えるのではないか”と考えてしまう。そうした予測や思いこみは視覚を混乱させかねない。そのことを身をもって学んでいたファン・レーウェンフックは、そうした先入観で顕微鏡観察を邪魔されないようにするには、さまざまに条件を変えて同じ観察を繰り返さなければならないと説いた。(中略)フェルメールはカメラ・オブスクラをつかって資格を磨き、力量に劣る画家には見えない自然に光の効果を見つけた。彼は影はさまざまな色でできていることを、光の当たり具合で色は変わって見えることを、そして椅子の鋲をかすめる光を見つけた。思いこみや期待感をもってものを見ると、視覚が邪魔されて細かいところが見えなくなることを、フェルメールもわかっていた。たとえば≪真珠の耳飾りの少女≫では、少女の鼻筋には輪郭となる線がまったく描かれていないその色も色調も、そのうしろにある頬とまったく同じだ。一方、鼻の右側と鼻孔はほとんど影になっている。それでも鼻の輪郭と形状はちゃんとわかる。それは鼻とはこんなかたちで、影はこんなふうにできるものだという、見る側の予備知識と解釈でそう見えるのだ。(p.418)

  • ===qte===
    フェルメールと天才科学者 ローラ・J・スナイダー著
    顕微鏡発明者との関係探る

    2019/4/27付日本経済新聞 朝刊

     著者の歴史学者スナイダーさんとニューヨークでお会いしたのは、4年ほど前のこと。私はソーホー地区のギャラリーでリクリエイト・フェルメール展を開催しようとしていた。天才画家フェルメールの全作品をデジタル技術で原色原寸大に再生し、一堂に展示する文化イベントだった。日本で好評を博し、米国でも紹介したのだ。
     時間軸に沿って一挙にフェルメール作品を見ると、彼がいかに科学者的なマインドを持って対象を客体視し、いかに正確な遠近法を実現しようと研究に邁進(まいしん)していたのかが手に取るようにわかる。つまりフェルメールはある意味でサイエンティストだった。こんなことを実現できたのは彼が生きた17世紀という時代に秘密があった。
     17世紀、フェルメールが生きたオランダの小都市デルフトは経済、文化、そして人々の世界的交差点だった。当時のオランダはスペインから独立を果たし、自由の機運に満ちあふれていた。東インド会社が設立され進取の気質が称揚されていた。科学の世界でもパラダイムシフトが起きていた。中世の宗教的世界観のくびきから知が解放され、新しい「目」がもたらされた。望遠鏡が宇宙の法則を探り、顕微鏡がミクロな小宇宙の扉を開いた。
     フェルメールが生まれたのは1632年。日本でいえば江戸時代幕開けの頃、この同じ年、同じデルフトにもうひとりの天才が生まれた。それが本書のヒーロー、アントニ・レーウェンフックである。彼には教育も学歴もなかったが、持ち前の好奇心からアマチュアの科学者となり、独自の高性能顕微鏡を発明、細胞、微生物、精子など生物学史上画期的な発見をなした。そのすぐそばにフェルメールがいた。ふたりは知り合いだったに違いない、と著者も推測する。
     光の科学、レンズの作用、遠近法を得るために使われた装置カメラ・オブスキュラなどはレーウェンフックがフェルメールにもたらした可能性がある。当時、科学と芸術は極めて近い場所にあった。本書は歴史学の視点から理系(科学)と文系(人文知)に橋をかける好著である。私たちは自分を文系・理系と限定せず、自在に知の往還をすべきである。それが教養の本質である。
    《評》生物学者
    福岡 伸一

    原題=Eye of the Beholder
    (黒木章人訳、原書房・3800円)
    ▼著者は米国の歴史家・哲学者・作家で、元国際哲学史学会会長。
    ===unqte===

  • 新しい技術を作り出すこと、それを応用して科学と芸術を革新すること。おそらく、それを情報でやっているのが現代なのだろうなあ。

  • フェルメールの作品にはカメラオブスクラという道具が関係あるんだとな。個人的にかなり興味深く読んだのはレーウェンフックという何でも顕微鏡で覗いていろんな発見をしたけど今まで聞いたことなかった科学者の話。

  • ゾクゾクしそう、、、

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    フェルメールの『地理学者』『天文学者』のモデルとされる顕微鏡科学者レーウェンフック。長年謎だった二人の運命的な関係を新たに解明し、光学の発展と科学革命が17世紀オランダにもたらした「見る」概念の大転換点を解説。
    http://www.harashobo.co.jp/book/b433086.html

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