知識人の生態 (PHP新書 2)

著者 :
  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (197ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569553658

感想・レビュー・書評

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  • 「専門家とは何か?」昨今のコロナ騒動で知識人(所謂専門家)が毎日にようにTVを賑わし、大衆はその一言一句に右往左往し、政治家までもが専門家頼みで意思決定を行っている状況に最適の一冊。24年前の本だが古さはなく、ネット社会の進展により事態はさらに悪化しているようにも思える。
    全体を通じて専門家の生態を多面的な観点から批判しており、すべてが頷ける内容。思い返せば9年前には原発事故があり、その前には薬害エイズ事件もあったが、それらから国民は何を学んだのだろうか?その教訓は今回のコロナ騒動に生かされているのだろうか?という思いがしてくる。
    先日読んだ『新・学問論』の続編的な位置づけでもあり、内容的に被る所もあるのだが、専門家批判だらけの内容の中、4章では提案らしきものがある。それは、出発点である前提の根拠が薄弱である点において仮説演繹や仮説検証が「偽の合理性」であるのに対し、仮説形成の手続検討としてパースの記号論やソシュールの言語論を媒介としつつ、両者に欠如している意味論や価値論を解釈学を用いて付加し、「諸科学の総合化」を図るというものである。が、概要しか語られておらず、詳細は他著に譲るとのことなので、そっちを読むしかないのだが。
    少々疑問に思うのは、著者は「専門人と衆愚の連合体」という言い方で、オルテガ等を引用し専門家とセットで大衆批判も行っているわけだが、著者の重視する慣習や伝統はその大衆が生み出しているとも言えるわけで(著者は大衆と庶民を使い分けてはいるが)、その矛盾をどう克服したらよいのだろうか?という事である。著者はそこに限界を感じつつも、この矛盾に対峙しようとして言論活動をしてきたのかもしれないが。

  • 文章のとっつきづらさが玉に瑕。
    まあ、著者の経歴では
    致し方ないのかもしれませんが。

    これは出版当時よりも
    今のほうがなおさら、抱えている問題は
    悪化しているように思えてなりません。

    なぜかって?
    ここにさらにネットが加わってしまいましたからね。
    こうなるとその野放図具合はまします。

    彼らの精神病理学系統なんか
    さらに悪化していると思いますよ。
    何せあるSNSなんか批判一切消せますし。

    知識人は政治にかかわってはいけない。
    これは全うな意見だと思いますよ。
    何にも責任を負わずにいいたい放題。
    見ていて気持ちのいいものではありません。

  • 保守派のオッサンのお説教といえばそれまでだが、なかなか腹に落ちる中身もある。学者や批評家やジャーナリスト、著述家など(本書の発行時期にはまだ「ブロガー」はいない)といった、所謂「知識人」の陥る罠や狡猾さを、時代がかった筆致でバサバサと斬る。知識人そのものに向けての批評と、そうした知識人に迎合する社会への問題提起。著者自らが知識人である自覚の故の警鐘なのであろうか。

  • 本書では、知識人を三種類に分類しています。第一は、「インテレクチュアル」と呼ばれる人びとで、広く知識の全貌を捉えようとする姿勢を持っているとされます。第二は「インテリジェント」で、専門的知識を身につけた人びとを指します。そして第三は「インテリゲンチャ」で、革命を志向し、人民に革命への意識を注入しようとする人びとを意味しています。

    著者は、知識を特定の政治的立場のための道具にしたインテリゲンチャのみならず、自分の専門領域に閉じこもり、人間の知識全体への目配りを欠いたインテリジェントに対しても、厳しい批判を展開しています。とくに、みずからの閉鎖的で幼児的な精神のあり方に疑問を抱くことさえない大学人に対して、容赦ない批判を放っています。

    その上で、著者の考える真の知識人の姿が提示されています。真の知識人であるインテレクチュアルは、学問の細分化が進む現在にあって、伝統に向かって蓄えられた知恵を訊ねつつ、ますます多様化の相を深めつつある現実を秩序化するための基準を求め続ける者だというのが、著者の考えのようです。

    本書では、ポパーのピースミール社会工学の立場と著者自身の立場の違いについても触れられています。ポパーは、マルクス主義のような設計主義を退け、個別的な問題の解決を積み重ねていくことを重視しましたが、こうした立場には現実の全体性を把握しようとする志向が見られないことを、著者は批判しています。

  • (1996.12.19読了)(1996.11.02購入)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    知識人はなぜ既成権力の批判しかしないのか?知識人はなぜ大学やマスコミでの権威にかくも固執するのか?知識人はなぜ己の発言の過ちにかくも無責任でいられるのか?感情を強く単純に刺激する言説にしか反応できなくなった大衆と手を携えて、虚無主義の大海に落ちゆかんとする現代の知識人。本書で著者は、自らが知識人であることの意味を絶えず自問しながら、現代社会の権力者たちの実態に鋭く斬り込んでいく。出色の知識人論。

    ☆関連図書(既読)
    「歴史感覚」西部邁著、PHP研究所、1994.06.10

  • 内容はすごく面白いですが、いつも通りの西部さんで難しい言葉がたくさん。微妙なニュアンスの違いを大事にしたい、言葉を知ってる人だから仕方ないかも。

  • 知識人にはどういうった種類があるのか。知識人は社会に対してどうあるべきなのか。解釈学的遡及や循環の話はとても興味深かかった。

  • [ 内容 ]
    知識人はなぜ既成権力の批判しかしないのか?
    知識人はなぜ大学やマスコミでの権威にかくも固執するのか?
    知識人はなぜ己の発言の過ちにかくも無責任でいられるのか?
    感情を強く単純に刺激する言説にしか反応できなくなった大衆と手を携えて、虚無主義の大海に落ちゆかんとする現代の知識人。
    本書で著者は、自らが知識人であることの意味を絶えず自問しながら、現代社会の権力者たちの実態に鋭く斬り込んでいく。
    出色の知識人論。

    [ 目次 ]
    第1章 知識人の生態学
    第2章 知識人の社会学
    第3章 知識人の精神病理学
    第4章 知識人の認識論
    第5章 知識人の政治学
    第6章 知識人の観念型
    第7章 知識人の知恵

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 「あまり好きではないのだけれど」という但し書き付きでとある方から薦めていただいた一冊。そこにはこのような記述があるのだそうです。

    "古来、知識人とは、『村はずれの狂人』であった。村が平穏なときは、村人は知識人を狂人として無視している。しかし、村に問題が勃発したとき、「もしかしたら村はずれの狂人に聞けば問題を解決してくれるかも?」と思い、狂人を訪ねる。
    狂人は問題が起こったときだけ機能する。
    これが古来求められてきた知識人の機能だが、近年になって真の知識人は全て餓死してしまった。
    ちなみに、近年の知識人は、体の一部、即ち大脳を中心とする部分を他人に売ることを生業としている。このことにおいて売春婦と何ら変りはない。"

    私は今、日本の「知識人」の多くに恥ずかしさを感じています(いわゆる「知的産業」に身を置く私自身への自戒も込めて)。以下、その方にあてたメールの返信より一部抜粋。

    ***
    東京に限らないとは思いますが、構造上特に、あの街には「いわゆる知識層」が集まる仕掛けになっていますので、そういう知の売春婦たちが本当に多く、またそれをネタにしておこぼれを懐にしまう輩も多くたわむれ、大変居心地の悪さを感じます。
    本当の知識人は、この時代に、毎回たいして変わらぬ内容の「知見」とやらを、同じ読者層に向けて言葉や表現を変えてそれらしく着飾らせて流通に乗せる、そんなことに満足していきてなんていませんよ。時代の抱える切実な課題に胸を痛め、発する言葉に躊躇する、あるいはその知識をどのように活かせばいいかと日々切磋琢磨しているはずです。同じ読者に同じことをいって「人々の意識が変われば世界が変わる」といって慰め合ったりしている場合ではないと思うのです。2010年はそれでよかった。新しい年の時代の流れは、きっとそれをはねつけると思います。

    「時代を切り開こう」。そのように豪語して仲間うちで群れる彼らのことを、私は本当に空しく感じ始めています。彼らは、「平凡な大衆が早く自分たちのレベルにまで意識をあげてきて欲しい」と、図々しくも哀れんでいるのです。本当に何が必要か、つきつめて考えていったら、大変な事務作業を人に押し付けてフォーラムやイベントのことばかり考えてなんていられないと思う。もちろんそれには意味があるし、それらを担う人たちは十分に必要とされていますが、少なくとも、人々に対し影響を与えたいというメッセージを発し、そのために行動していると自負しているならば、自分を喜ばせることのために知識を使うなんていうままごとの段階から早く抜け出していただきたい。日本に生まれた私たちには他に出来ることがあるのですから。(最近の「やっぱり世界を変えるのは日本人だよね」といって「日本すごい!」と盛り上がっているtwitter上の日本人同士の会話をみると、本当に自分たちを慰めたくて仕方がないのかしら、と思ってしまいます。「自称意識の高く知的で洗練された」日本人が、世界を変えられるなんて、私には到底思えない)

    ”政治指導者も知識人も運動家も、みんな大きな勘違いしてきた歴史があったのではないか。”

    少ない知識と憶測しか持ち得ていない私ですが、生理的な感覚としてこのご指摘はたいへん的確であるように思います。

    では、こういった問題意識を元に、今アプローチすべきはどこなのだろう。誰との会話が必要なのか。そのために必要な言葉は何か。

    知識人にはほど遠い私ですが、問題意識を抱えてしまったものとして、これは向き合わざるを得ない課題であり、今はその解とそのために必要な一歩を探り当てようとしているところです。

    2011年1月20日

    追記:
    本当の知識人は、どんなに卑しいものにも、まるで自らの先生であるように光を当ててくださる。そして、惜しみなくその知識をご提供くださる。売春婦になってしまった知識人は、貼付けたレッテルの向こう側にある知の泉には、決して触れることが出来ないでしょう。

  • 090626

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著者プロフィール

西部邁(にしべ・すすむ)
評論家。横浜国立大学助教授、東京大学教授、放送大学客員教授、鈴鹿国際大学客員教授、秀明大学学頭を歴任。雑誌「表現者」顧問。1983年『経済倫理学序説』で吉野作造賞、84年『気まぐれな戯れ』でサントリー学芸賞、92年評論活動により正論大賞、2010年『サンチョ・キホーテの旅』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『ソシオ・エコノミクス』『大衆への反逆』『知性の構造』『友情』『ケインズ』など著書多数。

「2012年 『西部邁の経済思想入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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