- Amazon.co.jp ・本 (197ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569558561
作品紹介・あらすじ
経済学が資本主義を「飼い慣らす」ことを試みた二百年間は、ムダだったのではないか?金儲けという「狂気」が、我々を熾烈な競争に駆りたて、人間が生きるために貴重な多くのものを破壊する-結局、そんな「無理」の上にしか存在しえない「豊かさ」を、経済学は模索してきたのか?経済学者としての自省をこめて、アダム・スミス、マルクス、ケインズという三巨人の思想を再検証する著者が、前著『日本の反省』に続いて、さらに深く「豊かさ」の意味を問う、社会哲学の書。
感想・レビュー・書評
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愚かな過ち◆経済成長の幻想◆「豊かさ」の正体◆「見えざる手」の神話-アダム・スミスの命題◆資本主義の「狂気」-カール・マルクスの命題◆「福祉国家」の栄光と悲惨-ケインズの命題◆経済学を超えて◆人間とは何か
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アダム・スミス以降、経済学が証明した事は、「資本主義は代替の効かない優れた仕組みだが、完璧ではない」という事だけである。マル経もケインズ主義も、人の本性(=カネ儲け主義)の前では機能せず、結局資本主義だけが生き残ったのである。但し、日本のように既に「豊かさ」を得た国は、今後、「カネ儲け以外に価値を求める」と考えられ、そうなった時、果たして資本主義は機能するのか。そこに資本主義(=現在の経済学)の限界があるのではないか、と筆者は問う。
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筆者は、経済学の究極の問いは人間性への問いだ、と言う。人間は本来的に善いものと考えるか否か。しかし、人間は、善いものか悪いものか、神ならぬ人間には答えることはできない、学問は本当に大事なことには答えてくれない、とも。
スミス、マルクス、ケインズ。経済学の200と数十年。
歴史は、共同体の外側の制度だけ変わっても、そこに暮らす人間自身が成熟して善くならねば、世は善くならない、と示しているように見える。各人が各々、自分の利益を追求せよ、さすれば、全体として調和しつつ向上する。マルクスがそこに狂気を見て取る。しかし共産主義下、人々は昼間から酒をのみ働かず、共産党は資本家と同じ利益を独占した、という話。よく知らないけど。資本主義の狂気の緩和剤としての福祉国家においても目先の利益しか考えない大衆、それにおもねる政治家、財政破たん。
どのような仕方で共同体を運営するか、それだけを変えてもそこに暮らす人間が賢く、善くならなければ、何をやってもボロが出る。どうもそう言う風に見える。
人間をただ考察の対象としてに善いか悪いかどちらかに措定しておいて、外的制度を変えることで世の中を善くしようとする、のは無茶な気がする。人間は善くあろうとすることもできるし、悪くあることもできる、人間は変わる、静物ではない。
など考えてみれば、教育というのは大事さもわかってくる。 -
4569558569 197p 1997・11・4 1版1刷
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何を言いたいのかいまいちわかりづらい。
著名な経済学に疑問を呈していて、間違ってはいないと思うけどけど、
これくらいだったら私でも疑問に思っているということばかりだったので、
読んでもあまり得るものがなかった。 -
PHP研究所にしては少数派の価値観が記されています。
個人的には評価出来る一冊だと考えています。
マルクスの新しい評価や、現代社会の抱える問題点を丁寧に整理して説明されています。 -
日本はバブルがはじけてから景気が悪いて言われとるけど、著者によればすでに不景気からは脱してあると分析してある。新たな視点からの意見で、確かに納得できる部分(社会不安の低さとか諸外国との比較)はあった。
後は経済思想のお話 -
分類=経済学。97年10月。