特攻隊員の命の声が聞こえる: 戦争、人生、そしてわが祖国 (PHP文庫 こ 4-3)

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (201ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569576015

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  • ギリシャのサーモピレには、ひとつの石碑があるという。
    BC480年、スパルタ兵300人がこの地で20万のペルシャ軍と二日間戦い、全滅した名残である。
    石碑には、こう書かれている。
    「旅人よスパルタに行かば伝えてよ、汝らの命のままに我ら討ち死にせり」
    スパルタ人の尊厳は、今もこの石碑の中にあるといっていい。


    しかし、今時大戦末期にあっては、日本人の尊厳を失った上級士官がいたことも事実だ。
    「この富永も最後の一機で突っ込む決心である」と大言壮語しながら、戦況不利とみるや部下を放置し、フィリピンから台湾まで、われ先に遁走した富永恭次中将。

    ニューギニアの戦場では航空部隊七千人を置き去りにして敵前逃亡を演じた稲田正純少将。

    敗戦直後、知覧からの将軍自身による最後の特攻決断を鈴木大佐から迫られ「死ぬばかりが責任を果たすことにはならない」と唇を震わせた菅原道大中将と川島虎之輔少将など。

    しかし若い特攻兵と苦労を共にしている、現場に近い藤井中尉は、若い飛行生徒だけを特攻の地獄に送り込んでよいのかという思いから、特攻願いを出すも三度も上層部に却下されながらも、最後は沖縄で特攻死を遂げている。

    戦争の悲劇を訴える沖縄であっても、特攻隊には感謝している方が多いという。
    沖縄戦において、鉄の暴風といわれた米軍の間断ない艦砲射撃も、特攻突入の時だけは、砲撃は全て特攻に向けられる。
    避難民たちは、その隙を狙って洞窟から飛び出し、いのちの水を汲みに走ったという。
    「いまでも、特攻の人たちには感謝しています」と古老が語るのもそのような過去があったからだという。

    だが、多くの日本人は、特攻を戦争における醜悪な事象と認識し、戦後は遺族に報いることがなかったという。

    神風特攻隊のさきがけとなり、軍神とあがめられた敷島隊長、関行男中佐の母が、戦後貧窮のなかで行商をし、それもはかばかしくなり、学校の小使いさんになり、病に倒れ寂しく世を去った。
    住む家もない老母が、山裾の廃家を払い下げしてもらおうと嘆願したにもかかわらず、市も県もそれを無視したというから、関中佐のご母堂の無念は計り知れない。

    最後に本書で印象に残った一文を掲載する。

    平和という呪文を唱えてさえすれば、永遠に平和がづづくと思っているせいか、日本の教科書には戦争の記述が少ない。もし、平和を欲するならば、戦争をよく理解しなければならない。国連があって、安保条約があるから、もう日本に戦争は起こらないなどと本気で思っている人たちの反戦論や平和論には一抹の甘さがある。

  • 特攻隊員を見送った婦人が「立派でした、あん人たちは」と言った「逃げる事の出来ない状況」からの生と死と今に生かされている私達は深く静かに「自分」の生き方を探るべきでないか・・・と。(カワバタ)

  • (2013.08.31読了)(2008.10.04購入)
    【8月のテーマ・戦闘機を読む・その④】
    2008年12月に「今日われ生きてあり」を読み、そのついでに読んでしまうつもりだったのですが、「特攻基地知覧」高木俊朗著、を読んだら、特攻隊員といってもいろんな人たちがいたのだということがわかり、ちょっと思いとどまりました。
    神坂さんもいずれ特攻隊として国のために死ぬつもりだったのが、その前に天皇の戦争終結宣言があり、生き延びたということです。
    そのためもあり、同志の鎮魂のために「今日われ生きてあり」を書いたのでしょうから、彼らの死は決して無駄ではなかった、彼らは、親兄弟や愛する人を守るに出撃していった、ということを前面に出してきます。
    「今日われ生きてあり」を読んだときは、涙が溢れてきました。特攻隊員に逃げ道はありませんでした。行くしかなかったのです。
    この本は、「今日われ生きてあり」を出版後に行った講演や書き綴ったエッセイ、読者からの感想などをまとめたものです。
    「今日われ生きてあり」は、演劇にもなり、全国で公演されているとのことです。沖縄での講演でも、評判が良かったとのことです。
    戦争末期に、鹿児島の知覧から飛び立った特攻隊は、沖縄戦に来ていたアメリカの戦艦への爆撃に向かい、運よく沖縄まで辿りつけた特攻隊機はアメリカの戦艦に突っ込み、その間は、沖縄本土へのアメリカによる砲撃がやんだとのことです。
    沖縄の人は、そのことに感謝してくれた、とのことです。
    特攻隊を貶めようという人の中に、特攻機への燃料は、片道分しか積まれていなかった、というけれど、神坂さんは、満タンに積んでいた、と主張しています。
    飛行機そのものについての話は、ほとんどありませんし、特攻機による戦果にも触れていませんので、その辺を知りたい方は、別の本に当たってください。

    【目次】
    第一章 特攻隊員の命の声が聞こえる
     歴史に刻む特攻隊員への思い
     読者からの手紙
    第二章 『今日われ生きてあり』断章
     特攻誄
     魂よ還れ 草むす知覧特攻基地
     青春の墓標
     敗戦五十年目の暑い夏に
     戦場には美と醜と勇と怯があった
     わたしの〝戦後〟は終わらない
     描かれた〝十五年戦争〟
     雲と波の日附
    第三章 戦争、人生、そしてわが祖国
     戦争、人生、そしてわが祖国
     薄っぺらな国家
    あとがき
    解説にかえて  伊藤桂一

    ●敗戦(13頁)
    名古屋の小牧飛行基地にいましてね。そこで、八月十五日の二、三日前でしたか、暗号を焼くように命じられたのを覚えています。その暗号書を引き裂き、引きちぎって燃える火の中に放り込んでね……。
    ●出撃(22頁)
    出撃はしたものの、機関故障で帰ってきて、五度までも出撃を命じられた先輩のS飛行兵のことを、私はよく知っている。魂を引き裂かれるような思いで、みんな出撃していった。
    泥酔して出撃を取り消してくれるような生やさしい環境ではない。生やさしい同志愛ではない。
    ●学徒の日記(41頁)
    俺たちの苦しみと死が、俺たちの父や母や弟妹たち、愛する人たちの幸福のために、たとへわづかでも役立つものなら……
    ●国体を(96頁)
    国民を守るための国家が、国民を殺してまで国体を守ろうとした、あの十五年戦争の昏い幕切れの、理不尽な戦いに斃れた、いまは物言うすべもないあの若者たちの無念を、祈りをこめて、写経するように書こう。
    ●特攻作戦(142頁)
    特攻作戦は、指揮官の無能、堕落を示した〝統率の外道〟で、戦術的に見ても、全く作戦の体を成していないものでしたが、連合国に与えた衝撃は、大きかったといいます。
    (神坂さんは、一方的に指導層を非難するのではなく、バランス感覚の優れた人と言えそうです)

    ☆関連図書(既読)
    「特攻基地知覧」高木俊朗著、角川文庫、1973.07.30
    「今日われ生きてあり」神坂次郎著、新潮文庫、1993.07.25
    「海軍航空隊始末記」源田實著、文春文庫、1996.12.10
    「非情の空」高城肇著、中公文庫、1992.09.10
    「大空の決戦」羽切松雄著、文春文庫、2000.12.10
    (2013年9月1日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    太平洋戦争末期、敵艦に体当たり突撃をして散っていった特別攻撃隊の若者たち。わが命と引きかえに祖国を守ろうとしたかれらの死とは、いったい何だったのか。戦争という絶望的な境涯のなかで、いのちの尊厳をみごとに結晶させた特攻隊員…。飛行兵としての体験をもつ著者が、緻密な取材をもとに特攻の若者たちの至情と行動をあきらかにしつつ、戦争と人生、祖国について綴った鎮魂の書。

  • 特攻隊員の日記などが紹介されていて、その時彼らがどんなことを思い、考えていたのかが強烈に伝わってきた。重い内容だが勉強になる。

  • これからの若い人達には必ず読んで貰いたい本。そして何を思うかはそれぞれでいいと思うが、日本の歴史の事実、戦争の事実をしっかり確認してほしい。僕自身もいっぱい知りたいと思います。

  • 江田島の教育参考館で涙した記憶が蘇る。俺とほぼ同年代の若干18〜22才の若者が、確実なる死を目の前にして書いた遺書の中に、「遺言無し」と一言だけ書かれていたものがあった。彼が言いたかったことはその一言で伝わってくる。

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