人間にとって法とは何か (PHP新書)

著者 :
  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569630847

作品紹介・あらすじ

イスラム法では利子が禁止!?アメリカのリバタリアニズムは売春やドラッグの合法化を主張している!?時代や文化圏によって異なる法には、どのような根拠や正当性があるのか。本書は、近代法の本質を「言語ゲーム」の観点から読み解き、キリスト教、イスラム教、仏教など宗教法の成り立ちを探る。さらに「公」の概念をもとに日本の法秩序を問い直す。人類は法によっていかに幸福を実現できるのか。自由と公共性は両立できるか-。正しい法感覚を磨くための最良のテキスト。

感想・レビュー・書評

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  • とても示唆に富んだ本
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    道徳と倫理の違い
    ・道徳は普通の人間にとって実行可能
    ・倫理は、ごく一部の人にしかできないかもしれない、それでも要求する、少なくとも自分にはそれを課す。

    法の強制説vs法のルール説
    どちらが先か

    日本ではなかなか理解されにくい
    ”法律は個人を守るためにある”→欧米
    日本では、個人を虐めるためにあって、一生のうちなるべく法律のお世話になりたくないと考える人が多い。

    ユダヤ教の教典は”神が決めたこと”人間に変えられない。
    キリスト教は教典がない→イエスが反故にした。(心ならずも正しいことができない人こそ救われるべきだ-弱者の宗教)
    キリスト教はプロテスタントとカソリックの激しい対立と宗教戦争を経たので、宗教を超える論理「宗教的寛容」を自分たちでつくりだした。→法律と宗教を切り離した(イスラム国家との違い)

    日本で起こった特有の問題
    仏教と神道が混淆して、仏菩薩が権現となって氏神として神社に住まい、地域の秩序のお目付け役となる状態

    中国特有の構造
    法は統治の手段であり、支配者の人民に対する命令(支配者も等しく従う法共同体ではない)
    →法と政治がリンクし、必ずしも法律は人民を保護しない。人民からすれば法は少ないほうがいい。
    └日本人の感覚にも似る。

    ヨーロッパ特有の構造
    法律と宗教(法学者と教会)には為政者は手が出せない。

    ”多数決”と”全員一致”の深刻な意味の違い。

    明治国家は国家でありながら教会のようになり、イデオロギー操作を行って廃藩、富国強兵に強制的にシフトする必要があった。
    →現代まで脈々と浸透していき、しまいに誰も疑わなくなった。
    ある意味での公共性は根付いたが、法律や人権について偏った考え方を身につけさせることになった。
    国家への献身こそなくなったものの、会社への献身など自分の所属集団が生きる目標になるような人々を生み出した。
    明治国家の祟り?

    公衆は本物の公共性、政府はそのエージェントであるべき



  • 社会学の立場から「法」の基礎をわかりやすく解説している本です。

    とはいうものの、いわゆるポストモダン法学が問題にしているような、法の基礎についての考察を展開することが、本書のもくろみではありません。本書の議論の枠組みになっているのは、ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」の発想を借りつつ、著者自身の「言語的社会学」の観点から解釈された、アメリカの法哲学者ハートの法哲学の理解であるといってよいと思います。もっとも、こうした論点について掘り下げた説明はなく、むしろそうした議論の枠組みを前提に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教の宗教が、近代法の形成にそれぞれどのような関係をもってきたのかということについての歴史的な解説がなされています。

    そのほか、日本社会における法のありかたや、リバタリアニズム、国際法などの諸問題にも触れられていますが、いずれもかいなで程度にとりあげられているといった印象です。

  • 宮崎版新書ブックガイドから。同作からのピックアップ数が多過ぎて、もうどれくらい読んだことやら…って感じ。身についている感、殆ど無いけど。それはさておき、本書も味わい深かった。著者が書いている通り、最終章だけで独立したエッセンスを持っていると思うし、そこだけ読んでも、タイトルの意味には迫れるんじゃないか、って感じ。明治維新で一気に欧風化を目指したように見えるけど、その実、律令制をずっと引っ張っていて、さらには天皇をどう扱うかってことまで絡んでくるという日本の特殊性が、当然のごと、法にも如実に表れている訳ですわな。何となく分かった風。

  • 人類は法によっていかに幸福を実現できるのか。自由と公共性は両立できるのか。正しい法感覚を磨くための最良のテキスト。

  • <blockquote>憲法は手紙のようなもので、その宛て先は政府です。 「政府殿。人民の名において、これこれのことを要求します。この憲法に従って行動しないと、政府とは認めませんよ。人民より」</blockquote>

    法とは「強制を伴ったルールである」。
    法は誰でも同じように扱うという点で公平であり、ゆえに正義である。

    <blockquote>管は民よりも一段高い、公である。民である個々人は。管を敬い、国家のために検診すべきである。――こういう考え方が、どれほどおかしいもおのか、よく理解したほうがよい。(P.176)
    </blockquote>
    戦後、大戦の軍部の暴走を踏まえ、自分の献身の対象、教会にあたるものが、公から私になっていった。自分の所属集団が生きるも九歩湯になるような人々を多量に生み出した。

    <blockquote>「羹に懲りて膾を吹く」ではないが、公、国家、官僚などに対して深い疑いの念が起こって、自分はなるべくそういうものと関わらないで、個人として安穏な一生を送って生きたい。と思ったわけです。(P.177)</blockquote>

    著者はこのような公に対する不信は明治国家の祟りがまだ続いているのではないかと考えている。

    空気が支配する日本は重要な会議ほど"形式化"し、意思決定がどこで行われたか「秘仏化」する。→本尊秘仏化の法則


    多数決と全員一意という似て異なるものが日本では混同されている。後者は反対意見が出ず討論、議論が出来ない。これは日本人が民主主義を理解していない証拠ではないか。

  • 難しいながら、なんだろうと考え続けることが出来る本。わかったようなわからんような気持になれる。

  • 法と宗教は密接に絡んでいるんですね。
    いや・・・日本では考えにくいけど。

  • 人間社会から自然に発生したであろう、法という概念。何であるか?と問われ、すぐには回答できそうにない。法が起こる歴史的過程で、宗教とのかかわりが密接である事を知る。ユダヤ教やイスラム教は、教義そのものが法律である。キリスト教は政治に上手に利用された感じがする。仏教では、教義は社会ルールとはならなかったようだ。中国社会では儒教で支配、日本では宗教は全く別物と言う感じがする。法感覚が他民族とずれているのかもしれない。寛容さ、順応性を持ち、場の「空気」により、支配を行っていた。リバタニアリズムは、民主主義における、経済的自由と人格的自由を基軸とする。自由とは?どこまで民営化するか、などの問題を含んでいる。国際法とは法ではない。

    講義ノートのようだ。平易な説明であり、分かりやすい。専門用語の使用は、控えめである。全体的な構成、話の流れも良くできていると思った。

  • NDC分類: 320.4.

  • 橋爪さんは社会学者であり法学者ではないが、実にまともな理解の上に法を捉えており、大変読みやすい。
    憲法についてもそうだ。つまりなぜ憲法に無関係に暮らすのが正しい態度なのかということを適切に答えられない人は意外と多いのではないか。
    大まかにではあるが、宗教的な観点から法を捉え直すことに関しても、有意義だった。ユダヤ教にはじまる契約の概念と、儒教的な法の在り方の違い、そして日本人の法意識がこれらとどう関わっているのか、認識を改めた点が多くあった。

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著者プロフィール

橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう):1948年生まれ。社会学者。大学院大学至善館教授。東京大学大学院社会学部究科博士課程単位取得退学。1989-2013年、東京工業大学で勤務。著書に『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『教養としての聖書』(光文社新書)、『死の講義』(ダイヤモンド社)、『中国 vs アメリカ』(河出新書)、『人間にとって教養とはなにか』(SB新書)、『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)など、共著に『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』『おどろきのウクライナ』(以上、講談社現代新書)、『中国共産党帝国とウイグル』(集英社新書)などがある。

「2023年 『核戦争、どうする日本?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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