「責任」はだれにあるのか (PHP新書)

著者 :
  • PHP研究所
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569646275

作品紹介・あらすじ

何か不祥事が起こるたびに責任追及の声が高まっている。政治家、企業、マスコミ、学校が悪い、と。だが、そもそも「責任」とは何か。正しい責任のとり方とは。人は責任をどこまで負えるのか。JR脱線事故やイラク人質の「自己責任」論争、「戦争責任」など公共的な問題から、男女、親子における個別の責任問題までを人間論的に考察。被害者-加害者というこじれた感情をどう克服するか。法や倫理では割り切れない「責任」の不条理性を浮かび上がらせる。「求められる責任」と「感じる責任」を真摯に追究した書。

感想・レビュー・書評

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  • 具体的な問題・事例に即して「責任」のありようを論じた第1部と、「責任」についての原理的な考察が展開されている第2部から成っています。

    第2部の原理論では、「責任」が問題となるような状況が立ち現われてくる理由が、うまく言い当てられているように感じました。著者は、カントの責任論が近代的人間像を前提にしていることを指摘し、そこでの「責任」が行為の前には理性的な意志が働いているはずだという虚構に基づいていると論じています。人間が自由な存在だと認めることは、この虚構を採用することにほかなりません。しかしこうした責任理解は、あることにかかわった人びとの事後の感情からはじめて責任概念が立ちあがるという現実的・具体的な状況を織り込んでいないと著者は批判します。

    われわれの実存は、未来を見積もるという意識構造をもっていると著者は考えます。「責任」という概念が成り立つのは、われわれの実存にとって未来がこのように「見積もり」として手許につねにたぐり寄せられて「ある」ことに基づいています。未来に対する「見積もり」は、いまだ確定しておらず、偶然的な事態が生じる可能性を否定することはできません。不定の未来、あるいは可能性や蓋然性としてしかありえない未来を、過去の条件から推測しつつあたかも「かくある」はずであるかのようにたぐり寄せて生きているというわれわれの実存のあり方を考慮するならば、あらかじめ客観的・普遍的な形で責任の範囲を確定することはできないと著者は述べます。そしてこうした理解に基づいて、われわれはただ、事が起きればことばによってある範囲確定をしなければならないという不条理なものだということをよく肝に銘じて、それを開かれた、共同的な生へ、よりよい生へ向かおうとする相互の配慮によって支えていかなければならないという主張が展開されています。

  • 「人は責任から逃げられない」

    所蔵情報
    https://keiai-media.opac.jp/opac/Holding_list/search?rgtn=072579

  • 小浜さんにしては、まあまあといったところか。

  • 結論的には、そんな凄いことは書いてないのだけど、なかなか突っ込みにくいところを、つついてくれる視点が素晴らしいですね。

  • [ 内容 ]
    何か不祥事が起こるたびに責任追及の声が高まっている。
    政治家、企業、マスコミ、学校が悪い、と。
    だが、そもそも「責任」とは何か。
    正しい責任のとり方とは。
    人は責任をどこまで負えるのか。
    JR脱線事故やイラク人質の「自己責任」論争、「戦争責任」など公共的な問題から、男女、親子における個別の責任問題までを人間論的に考察。
    被害者―加害者というこじれた感情をどう克服するか。
    法や倫理では割り切れない「責任」の不条理性を浮かび上がらせる。
    「求められる責任」と「感じる責任」を真摯に追究した書。

    [ 目次 ]
    なぜ「責任」を論じるのか
    第1部 責任はだれにあるのか―自由主義社会における「責任」(法的責任以前の責任とは 責任は免除されるのか 集団責任と自己責任 国家と国民の関係における責任)
    第2部 「責任」とは何か―その原理を探る(「責任」を論じることの難しさ 哲学は「責任」をどう考えてきたのか 責任の原理) 自由と責任の関係について―偶然性の承認

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    [ 参考となる書評 ]

  • 前半部は面白いが、後半部は難しい。
    責任論は意外と少ないので、面白い存在の本。

  • 正直いって合いませんでした。

  • おすすめ!!

    小浜氏の著書は個人的に好きです。

    大変バランスの取れた考え方をしています。

  • 社会にはびこる「責任」という文句。これに焦点を当て、多角的にみる。責任の所在を突き止めるには、状況により方法というか手段が異なることは自明である。しかしながら、その一般に言われる責任の所在は果たして妥当性を持っているのか、という問題がある。そんな思考の発展を支えてくれるような本である。自分で言っている意味がわからないのだが、この本が好きである。

  • 最近流行の自己責任論からJRの脱線事故など責任とはという観点が哲学的に述べられています。哲学が入ってくると苦手なもので・・・

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著者プロフィール

1947年、横浜市生まれ。
批評家、国士舘大学客員教授。
『日本の七大思想家』(幻冬舎)『13人の誤解された思想家』(PHP研究所)、『時の黙示』(學藝書林)、『大人への条件』(ちくま新書)、『日本語は哲学する言語である』(徳間書店)など著書多数。自身のブログ「ことばの闘い」においても、思想、哲学など幅広く批評活動を展開している。(https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo)

「2019年 『倫理の起源』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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