- Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569649580
作品紹介・あらすじ
どうしたら相手に気に入られるかばかりを考えて、期待に応えようとしてしまう人、他人から好意を受けると気が引けてしまい、居心地が悪いという人、ささいなことで不機嫌になって、原因が自分でもわからないという人、自分で自分を好きになれない人――そんなあなたは、幼い頃「甘えの欲求」が満たされなかったために、心の中にある依存心を抑圧してしまっているのかも知れない……。▼本書では、誰もが持ちうる「依存心」の存在を解き明かし、心の冷たい人と別れ、自立した大人になる道を説く。▼「あなたがしがみついている『良い自分』は本物ではない」「好かれるということは、何もしてあげなくても、相手は自分に満足しているということ」「大事なのは本気で自分にやさしくなろうとすること」――あなたを苦しめているものと向き合うことで、人を愛し、愛される人間になれる。本当の自分を取り戻し、幸せになるためのメッセージがつまった本。
感想・レビュー・書評
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最初は凄く掻き乱されたような不快な気分になったし読むのもやめよと思ったけど、全部読んでみたら凄く優しい本だった。
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子供の頃の経験が、今の自分を作っているので思い出して見る機会になると思います。私の場合、母親が支配的であったように思います。こうあるべき、こうしたほうがいい、違う、と言われた記憶が蘇ってきます。他人に好かれるためには要求に答えることで、そうしないと誰からも好かれないので頑張るしかないと思っていました。他人の評価ばかりを気にして自分らしさを出すことはありませんでした。それは自分を大切にできていないことだと気付きました。自分に優しくできなければ人にやさしくできるはずありません。
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大人になってもず~っと心の中に「幼児性」が息を潜めていて、時折なにかの拍子にダダをこねて暴れ出す。「千と千尋の神隠し」に登場する大きな赤ちゃん「坊」みたいな、僕の中にも棲んでいる「大きな子供」の存在である。
この「大きな子供」という概念に初めて出会ったのは「成長マインドセット」という本だった。その後、心理学や仏教の知識を広げるにつれ、モヤモヤしたり、イライラしてたり、沸騰に達して怒ったりした後に自問すると、この「坊」の後ろ姿や暴れた痕跡、気配を感じられるようになってきた。
人生の長さだけ居座り続けている大きな子供。
だけに駄々をこねるとやっかいなのだ。
この「大きな子供」の存在感の大きさと、それがどれだけやっかいであるかを知りさえすれば、なだめる方法もあれやこれやと考え、試す努力を支払うようになる。
この本はその試行錯誤(あるいは「大きな子供」との付き合い方)の大変さを思い知ることができる。一読では僕にはカオスにしか思えない。いまのところ、マインドフルネスのスキルを高めて「坊」に注がれているネガティブなエネルギーを中断し、手放そうと試みるくらいしか思いつかないが、加藤諦三さんの本をもっと読んで理解を深めたいと思った。 -
借り本。心当たりがある話ばかりで、そうだったのかもね、と思いながら読んだ。偏った見方かなとも思うところもあったけど。あまり突き詰めない方が良い時もあったりするしね。
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安かったので購入。
第一章までは「なんだよこの本」という感じでしたが、第二章以降は進展していくほど面白くなりました。
進むほど身に覚えがありすぎて心が痛かった。
自分に正直になる。口で言うなら簡単だが、実現は困難だ。
よく「自分が思っているよりも他人は何も気にしてはいない」というが、実際頭に言い聞かせるのは容易いのだが、心の底で自覚しているかと問われれば自信はない。
自分に自信を持つこと。開放的になること。恥ずかしがり屋は最悪である。
「一人だと気が楽」と思う人は、他人に気を遣いすぎて疲れているのではないか。
他人に嫌われないようにいいように振舞おうとするが、それは相手も疲れさせ、互いに気まずい関係になるだけである。 -
一家に1冊必要!
自分の心の整理が出来て、初めて他の人と関わる準備ができるとは知らなかった。 -
淡々と正論が綴られている。
ズバッと斬られる感じ。
耳が痛い。
でも納得できることばかり。
以下メモ
あなたは、あなたを理解せず弄んだりする人を憎んではいない。
反対に、あなたに暖かさは与えてくれるような人を憎んでいたりする。
心の弱い人は、憎むべき人を憎まず、その、冷たい人々に心理的に依存している。
心の冷たい嘘だらけの人の好意を得ようと必死になる。そして、心の温かい人を奴隷のように扱う。
子供のころの甘えの欲求が満たされていない人、生真面目な人がそう。対人関係に安心感がないから生真面目になる。
お互いに親しくなった結果に性的な関係をもつのではなく、お互いの男性性、女性性を示そうとして関係をもつ。元々心に溝がある神経症者は性的関係を通して親しい関係を確立しようとする。つまり、結果ではなく手段。性は心の障壁を乗り越える手段。お互いの心の壁を乗り越える手段が性の達成。この企てに失敗をする男女が多い。心の溝から目を逸らそうとして、性の達成をしようとする。目を逸らせても、事実としてお互いの心には深い溝がある。同性との関係もそうだし異性との友情の間でもそういうことが言える。努力をするが、大方失敗しる。あるいは、もはや努力が続けられないほど消耗する。それが無気力。
達成感を感じるようなら、それはタスクになっているもの。
自然に、神経症的現代人に求められているものは、それぞれの人生で自分の努力の方向を修正できること。次々に物事を達成するときに、人生うまくいっていると感じるよりも、
人々と親密になれているときに、自分の人生うまくいっていると感じられ、気持ちが落ち着くようであれば成功。全てが達成の対象になれてるのはだめ。
自分の自然な感情となんとか接触しようとすること。
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人間の心理的依存がどこから来るのかについて書かれた本。
人は誰しもが甘えたい欲求を持って生まれ、幼少期に支配的な親の元で育った子供はその欲求を十分に発散できないまま成長するため、精神的に未熟な大人になるという。
基本的には、「こういう人は、ここが問題で、こうした体験に起因する」という指摘が主旨で、特に解決策が提示されるわけではない。
その為、ある種救いがない内容ではあるが、本質は突いていると感じた。特に「抑圧された感情は他の対象に投影される」というのは真理だと思う。
自分に当て嵌まるところがなかったからこそ、興味深く感じたのかとしれないが、良書。 -
今まで100冊弱の本を読んだが、読み始めから終わるまで、ここまで興味を持続して(集中して)読んだ本は初めてだ。
おそらく、ここに書かれている生きづらさの根本的な理由というのが、自分に当てはまるものだったからだと思う。
特に衝撃的だったのは、今までの両親と自分との関係性の見方が一変してしまったことである。
自分は、両親といるとき本当の自分を抑圧していたことがわかった。正確に言えば、両親の言動によって、抑圧されていたことがわかった。
その抑圧が少なからず生きづらさの1つの要因となっていたことに気づかされた。
なにかこう、野球の硬式ボールでデットボールを食らったときのような衝撃を覚える本であった。