- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569654300
作品紹介・あらすじ
本を速く読みたい!-それは忙しい現代人の切実な願いである。だが、速読は本当に効果があるのか?10冊の本を闇雲に読むよりも、1冊を丹念に読んだほうが、人生にとってはるかに有益である-著者は、情報が氾濫する時代だからこそ、スロー・リーディングを提唱する。夏目漱石『こころ』や三島由紀夫『金閣寺』から自作の『葬送』まで、古今の名作を題材に、本の活きた知識を体得する実践的な手法の数々を紹介。
感想・レビュー・書評
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「本をゆっくり読む覚悟」
平野先生が芥川賞を受賞したのは自分が大学生のころであったと記憶している。ミーハー根性で読んだは良いが、講師から感想を問われ、「よく分からなかったっす」と答えたものだった。そんな読書ならあまり意味がない。
自分もいくつかの速読法に挑戦し挫折してきたが、京大出身で三島の再来といわれた俊英の平野先生も同じだったとは。
そんな平野先生が唱えるのが「スローリーディング」本をゆっくりと深く読むというメソッドである。
優れた作品(主に小説を想定してます)にはおそらく「主題」が隠されていて、それを読み解く営為だと、自分は考えている。個人的には分かりやすさと豊穣さは反比例すると思う。
昔「希望の国のエクソダス」を読んだときに、構造的になにかメッセージがありそうだったのに読み取れないもどかしさを感じたものであった。やはり本はゆっくりよまないといかんな。
一方で本を早く読みたいという誘惑は強いのも事実だ。きっと定量的に比較、管理ができること、それを元にマウントが取れることが今の時代とマッチしているのかもしれないなあと思った。
してみれば「ブクログ」はスローリーディングをする上で便利なツールである。アウトプット前提で読むと読解は深まるし、あまり本に書き込みをしたくない自分としては読書メモが取れるのはありがたい。
ただ反面、速読の誘惑に絡め取られる危険性も孕んでもいる。自分は年52冊を目標としているが、後半薄い本ばかり読んでしまい本末転倒だった。何のための読書だ。
「分かっている人たち」の深い読み解きも非常に興味深く面白いのだが、それすら「早わかり」≒「速読」に陥る危険はある。
ゆっくり読むには覚悟が要るのだなと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【感想】
本を数十倍のスピードで読む「速読術」の指南書がたくさん溢れかえっている。一語ずつ精読するのではなくブロック単位で読む、本全体の構造をざっと把握する、映像のように文章を焼き付け、一度読んだ部分は決して振り返らない……。
私も速読術を試したことはあるが、正直上手くいかずに止めた。そもそも時間を惜しむように読書をしておらず、むしろ「読書のためにたっぷり時間を使いたい」タイプだ。
本書の筆者である平野氏も、こうしたコスパ重視の読書を嫌う。「速読なんて意味が無い」「世に出回っている速読本のほとんどが、自己啓発書のような見せかけだけの本だ」と断じ、代わりに5年後、10年後まで残るような「スロー・リーディング」の実践を説いている。
速読vs遅読というテーマの根本には、「質と量のどちらが重要か?」といった問いがある。
この問いは簡単に白黒つけられるものではない。例えばスポーツの練習であれば、目標を明確にして効果的な方法を実践することで、効率よく上達することができる。しかし、バットを握ったこともない初心者は「効率的」という段階にすら立てないため、「基礎練をとにかくこなせ」という練習を取り入れるのもおかしくない。読書も同じで、スピードに徹するあまり適当に読み飛ばしてしまうのは論外だが、少なくとも「色んな本を速いペースでたくさん読みなさい」というのは、方法としては正しいだろう。
要はバランスなのだが、本書はどちらに重きを置いているか。これは本文中で明確に「読書を楽しむための方法論」とうたっている。つまり、知識をインプットする目的ではなく、書き手の心理に立ち、内容を精査しながら表現を味わい尽くす目的である。
結局のところ、読書という作業をどう人生に結びつけるかによって、本の読み方は変わってくる。
当たり前だが、読んだ内容が頭に残らなければ意味が無い。また、頭に残った情報を自分の血肉にしなければ意味がない。速読もスロー・リーディングも、どちらもこのスタンスに立っている。使い方が違うだけだ。速読では「文章の大部分は無駄書きなのだから、エッセンスだけを抽出して読むべし」とし、スロー・リーディングでは、「テクストの裏にある筆者の意図を解き明かすぐらい慎重に読むべし」としている。
どちらが良いかは、あなたの日々の過ごし方次第だ。しかし、長い人生を考えれば、やはりゆっくりと味わいながら読むほうが、結果的に得をするのは間違いないだろう。
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【まとめ】
1 速読は何も残らない
一冊の本を、価値あるものにするかどうかは、読み方次第である。一冊の本にできるだけ時間をかけ、ゆっくり読むことを「スロー・リーディング」と呼ぶ。
速読のあとに残るのは、単に読んだという事実だけだ。スロー・リーディングとは、それゆえ、得をする読書、損をしないための読書と言い換えてもいいかもしれない。
読書を今よりも楽しいものにしたいと思うなら、書き手の仕掛けや工夫を見落とさないというところから始める必要がある。
私たちは、情報の恒常的な過剰供給社会の中で、本当に読書を楽しむために、「量」の読書から「質」の読書へ、網羅型の読書から、選択的な読書へと発想を転換してゆかなければならない。
速読とは、「明日のための読書」である。翌日の会議のために速読術で大量の資料を読みこなし、今日の話題のために、慌ただしい朝の時間に新聞をざっと斜め読みする。それに対して、スロー・リーディングは、「5年後、10年後のための読書」である。
2 誤読を恐れるな
「誤読」にも、単に言葉の意味を勘違いしているだとか、論理を把握できていないといった「貧しい誤読」と、スロー・リーディングを通じて、熟考した末、「作者の意図」以上に興味深い内容を探り当てる「豊かな誤読」との二種類がある。
本を読む喜びの一つは、他者と出会うことである。自分と異なる意見に耳を傾け、自分の考えをより柔軟にする。そのためには、一方で自由な「誤読」を楽しみつつ、他方で「作者の意図」を考えるという作業を、同時に行わなければならない。これは、スロー・リーディングの極意とも言えるだろう。
誤読要素(どうして作者はこういうふうに書いたのだろう)に当たったときに大切なのは、立ち止まって、「どうして?」と考えてみることだ。作者は一体、何を言おうとしているのだろうか?そしてその主張は、どんなところから来ているのだろうか?それを探るのは、常に、奥へ奥へと言葉の森を分け入っていくイメージである。
1冊の本をじっくりと時間をかけて読めば、実は、10冊分、20冊分の本を読んだのと同じ手応えが得られる。実際に、その本が生まれるには、10冊、20冊分の本の存在が欠かせなかったからであり、私たちは、スロリーディングを通じて、それらの存在へと開かれることとなるのである。
自分にとって本当に大切な本を、5年後、10年後、折に触れて読み返してみよう。その印象の変化を通じて、私たちは自分自身の成長のあとを実感するだろう。
3 読むときの方法論
・人に話すことを想定して読む。
・テクストに対して、常に「なぜ」と考えてみる
・違和感に注目する
・書かれた時代背景や5W1Hを考える。
・形容詞・形容動詞、副詞等は、それ自体というよりも、なぜ他の修飾語ではダメだったのかを考えてみる。そのときは、対義語を考えてみるとよい。
・逆説の接続詞に着目する。
・筆者の主張にマークをつける。
・「こう書いたほうがいいんじゃないか」と、作者に意見してみる。
・嫌になったら休憩を取る
・誤読を恐れない。自分なりの解釈を思い切り楽しむ。
・小説の読み方に正解はない。作者の意図を理解しようとするアプローチ、自分なりの解釈を試みようとするアプローチ、つねにこの二本立てで本を読む。 -
速読やフォトリーディングの効用が説かれる中で、あえて流れと逆流しているかのようなスロー・リーディングの勧め。
著者は、芥川賞受賞者の作家ということで、納得しました。
速読が効果的なのはビジネス書。小説を速読することは、私にはとても無理だからです。
文章に誇りを持つプロの作家として、読み飛ばしのようなイメージのある速読に物申したいのでしょう。
現代の読者は、速読コンプレックスに陥っていると言います。
「書き手はみんな、自分の本をスロー・リーディングしてもらう前提で書いている」
「かつての人間たちは、みんなスロー・リーダーであり、スロー・リスナーだった」
心血を注いで書き上げた文章を読み飛ばすな、という作者の主張がまっすぐ向かってきます。
言っていることは正論ですが、かなり舌鋒鋭いため、たじたじになります。
たとえば
「速読家の知識は単なる脂肪である。」
「それは何の役にも立たず、ムダに頭の回転を鈍くしているだけの贅肉である。」など。
そこまで言わなくても、と思いますが、それほどプライドを持って書く側にとっては腹に据えかねる風潮なのでしょう。
忙しい日々の中で、効率的に本を読むのは大切ですが、スロー・リーディングはきちんと読書の時間を設けて楽しむもの。
それぞれの読書環境が、少し違うように思います。
速読法を学んでいない自分としては、たしかに巷にあふれる速読法の本は気になります。
ただ、それは小説には向かない読み方だと重々承知しているため、習得しようという気持ちには至っていません。
急いで読んだところで、頭に入らず、結局また読み返さないとダメになってしまうからです。
著者の作品は未読ですが、難解なのだそう。
そうした本は、誰も速読はしないと思いますが。
だからといって、スロー・リーディングはゆっくりならばいいというわけではなく、一定の速度が必要だと説きます。
音読も書き写しもスロー・リーディングには適さず、ゆっくりと読み返すのが最適なのだそうです。
言葉を変え、表現を変えて著者が説くのは、「量より質」ということ。
たしかに多読よりも、少しの本を読み込んで深く理解する方が自分の実になっていきます。
自分のものとすることで、血になり肉となっていく本の情報。
たしかにスピーディな速読では、読後に内容についてあれこれ考える時間も省略されている気がします。
読書は浅く広くではなく、狭く深く。
なかなか激しい文章も見られますが、その主義主張には納得できます。
読み込めず、頭にはいらない時はもちろんのこと、一度読んだ本は再読しての内容確認を心がけようと思いました。
ちなみに、この本に登場したリリーディング(読み直すこと)という言葉を、読書ブログ名に使っています。
ロラン・バルトも大江健三郎もリリーディング推奨派だそうです。 -
1量から質への転換、基礎編
2誤読のすすめ、魅力的なスローリーディングテクニック編
3古今のテクストを読む、スローリーディング実践編
本があふれたため、速読するようになったが、速読は良くないと説く。贅肉である。先人達は量、多読を薦めているが、速読は勧めていない。速読は自己啓発本の中に可能なものもある。速い仕事は良くないことが多い。
記憶の領域、メモリーは、意外と少ない。長期記憶に置こうする。そしてじっくり考える味わうことが必要なのだ。
辞書に当たるとは、今は言わないのか?分からない言葉は辞書を引いて確認する。なぜという疑問を持てと言う、より奥に=深く読めという。人に説明する事を前提に読めという、複数の本と比較せよと言う、わが身に置き換えてみよと言う、これらは、内容をよく理解して考えながら、自分の経験(読書も含めて)に照らし合わせて、本の内容を自分のものにせよと言うことではないのか?著者は出来た方法を示す&皆もやれ、それが必要だ。出来そうな感じがする。このあたりの言い回しの巧みさ。
齋藤 、松岡とは違った方向から読んでいるが、主張は同じと見た。
3実践編
こころ
違和感に注目。友情を考えることがテーマと思えた。友情と愛情、先生の死によって美化されるからではないか?
高瀬舟
感情の踊り場とは何なのか?不自然さは読後感じた。足るを知る、とは思わなかった。
橋
誤読の例、勝手な解釈はいかほどのものか?
伊豆の踊り子
知らなかったことばかり。主語が無いのが、実体がなくてよい、あやふや消える。
蛇とピアス
他の作品との比較してしまうことはある。論理的に説明できるのはすごい。
21
「速読の後に残るのは、単に読んだという事実だけだ。スロー・リーディングとは、それゆえ、得をする読書、損をしないための読書と言い換えてもいいかもしれない。」
32
相手の発言をスマートな論じ方、伝える力の池上さんのようなトークの内容と思った。
74
読者が本を選ぶように、本もまた読者を選ぶのである。 -
本書の主旨は、「闇雲に活字を追うだけの貧しい読書から、味わい、考え、深く感じる豊かな読書へ」です。
たんに読むことから離れ、ちょっとした工夫次第で読書は何倍にも楽しくなる。その基本がスロー・リーディングの実践である。決して速読を行うのではなく、読み直すこと、構造の全体を視野に入れて読むこと。それによって、速読コンプレックスから解放されて、スロー・リーディングができるようになる。
気になった点は以下です。
・一冊の本を、価値あるものにするかどうかは、読み方次第である。
・スロー・リーディングは、得をする読書、損をしないための読書と言い換えてもいいかもしれない。
・何より、楽しい読書にするためには、書き手の仕掛けや工夫を見落とさないことである。
・「量」の読書から「質」の読書へ、網羅型の読書から、選択的な読書へと発想を転換してゆかねばならない。
・読者は、読み終わったときにこそ本当に始まる。自分なりに考え、感じた事をどう生活に生かしていくのかが、読書という体験がそこで意味をもってくる。
・私たちが、読書を含めて、日常生活に使用している一時記憶の容量は、かなり小さいことが知られている。
・小説は、速読可能か。それは、小説には様々なノイズがあるから、むずかしい。
・人は誰もがすぐに「おかしい」と気がつくようなことを、そんなにも長い時間、考え続けられないものだ。「おかしい」と感じるのは、読者として、自分の理解力が足りないからではあるまいか。そう疑ってみて、ではどこが理解できていないのだろうと改めて本を読み返す
・私たちには、限られた時間で、手っ取りばやく片付けらえたものは、内容的に粗雑なのではないかという疑いが常にある。
・速読の恐ろしさは、全体として、70%は理解したといても、その曖昧な30%の部分に決定的な間違いが入っている可能性がある。
・第一、理解曖昧な箇所が、正確にすぐにわかるとも限らない。読み返すとこには、結局文脈にそって、スロー・リーディングをするしかないのである。
・文章のうまい、へたの違いは、助詞、助動詞の使い方にかかっている。文章がうまくなりたいと思う人は、スロー・リーディングしながら、特に好きな作家の助詞や助動詞の使い方に注意することをお勧めする。
・知識を深めるためには、面倒くさがらずに、辞書を引く習慣を身につけよう
・作品の一語一句のレベルから作品全体に至るまで、「こう読んでもらいたい」という「作者の意図」が必ずある。
・大切なのは、わからない箇所があったら、立ち止まって、「どうして?」と考えてみることだ。
・ある作家のある一つの作品の背後には、さらに途方もなく広大な言葉の世界が広がっている。引用をだどって別の作家の作品を読み続けていき、また戻ってその作品を読み返すと、最初に読んだときよりも、はるかによく、その内容がわかるようになっている。
・一冊の本を隅から隅まで味わい尽くすためには、ひたすら、黙読すべし。
・スロー・リーディングをするときも、気になる箇所に線を引いたり、印をつけたりする習慣をつけておくと、内容の理解が一段と深まる。
・内容を頭の中で整理し、理解を定着させるためには、論理構造を視覚的にイメージするというのも、一つの手段である。
・読書には時期がある。本とジャストミートするためには、時を待たなければならないことがしばしばある。
・本は「再読」することに価値がある。読むたびに、新しい発見をし、新しい自分を発見する。そうした付き合いができれば、本は人生のかけがいのない一部となるだろう。
目次は次の通り
本はどう読めばいいのか?
周囲に流されない、自分らしい読書を
第1部 量から質への転換を スロー・リーディング 基礎編
スロー・リーディングとは何か?
「量」の読書から「質」の読書へ
仕事・試験・面接にも役立つ
速読家の知識は単なる脂肪である
コミュニケーションとしての読書
速読本は、「自己啓発本」だった
なぜ小説は速読できないのか
モンテスキューとぶどう酒
「速い仕事」はどこか信用できない
新聞もスロー・リーディング
第2部 魅力的な「誤読」のすすめ スローリーティング テクニック編
「理解率70%」の罠
助詞、助動詞に注意する
「辞書癖」をつける
作者の意図は必ずある
創造的な誤読
「なぜ」という疑問を持つ
前のページに戻って確認する
より「先に」ではなく、より「奥に」
「遅読」こそ「知読」
声に出して読まない
書き写しは効率が悪い
人に説明することを前提に読む
複数の本を比較する
傍線と印の読書
「我が身」に置き換えてみる
再読にこそ価値がある
第3部 古今のテクストを読む スロー・リーティング 実践編
夏目漱石 「こころ」
森鴎外 「高瀬舟」
カフカ 「橋」
三島由紀夫 「金閣寺」
川端康成 「伊豆の踊子」
金原ひとみ 「蛇にピアス」
平野啓一郎 「葬送」
フーコー 「性の歴史Ⅰ知への意志」
おわりに -
平野啓一郎先生の初期の作品である「葬送」を読み始めたところだった。
しかし、これが私レベルではとてつもなく難解で、読み進めるのが難しくなった。
そこで、同じ平野啓一郎先生のこの新書を読んでみた。
お恥ずかしながら、新書を読むのは初めての経験だった。
この本はとても良かった。
国語の先生などが解説するより、よりリアルに受け入れることができた。
特に気に入ったのがカフカの「橋」を引用し、解説した部分で、声を上げて笑ってしまった。
読み方がとても面白い!
あぁ、こんな風に読むのか!
作家ならではの着眼点で、とてもとても興味深く読み進められた。
スローリーディングの本なのに、こちらはとても引き込まれ、あっという間に読んでしまった。
これではダメだと、再読中(笑) -
読了。購
速読ばかりに注目が行きがちだけれども
ゆっくり読んだっていいじゃないの?その方が実は実になる読書術だよ
と言う内容。大事なのは記憶に残る読書であると言うこと。
その為には速読では無理。本をあっちこっちと行ったり来たりして
何度も読み返してみないとならない。
読書は2回目以降に新たな発見もあるから繰り返し読まないともったいないというのにとても共感。
どちらかというと、出来たら隅から隅まで読みたい派なもので。
遅読で「えーまだ読み終わらないの?」って言われるのが嫌だったけど
読むのが遅いのは悪いことではないのである。
できるだけ沢山読みたい気持ちはあるけれども、読んですぐ忘れちゃうのは
やっぱりもったいない。 -
これは良書。この本自体をスローリーディングするべき。硬質で清らかな文体は惚れ惚れする。小説よりもある意味文章が生かされているような。決して教条的ではないので、実用性は乏しいが、平野啓一郎の小説に対する姿勢がもっとも興味を引かれる。
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自分の読み方がいかに浅かったに気がつく一冊となった。
最後の方では、名作を解説しながら読み方を教えてくれる。
文字を追っているだけ、
ただ読んだだけ、
本を持っているだけの読書にサヨナラをしたい。
-
一冊一冊を味わい尽くして読む方法を教えてくれる本。
小説の読み方は、参考になった。今までの読み方では、味わいつくせていなかったと思った。
読んだ小説を、もう一度読み直してみようと思った
『なぜ?』と考えながら、著者と会話しながら読むことの大切さを学んだ。
速読にあき、一冊の本から多くのことを学びたい人にオススメである。