なぜ、働くのか: 生死を見据えた「仕事の思想」 (PHP文庫 た 51-3)
- PHP研究所 (2007年7月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (159ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569668635
作品紹介・あらすじ
もし、あなたが「明日、死ぬ」と宣告されたら、今日という一日を、どのように生きるだろうか?あなたは、二度と戻らぬこの一日を、精一杯に生き切っているだろうか?本書は、働くことの意味を、生死の深みにおいて深く静かに語った、著者渾身の講義録である。「使命とは、与えられた命を使うこと」など、これまでの仕事観や人生観を根底から覆す、すべての働く人々にとって、必読の一冊。
感想・レビュー・書評
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仕事には、現実に流されないための錨である思想が大切である。
思想をつけるためには、死生観、世界観、歴史観が必要である。
ということを、説いている本。
生きていく上で、働く上で、必要な考え方を教えてくれる本であり、
これから、自分に迷ったときは、この本を読み返そうと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
※2008.7.27amazon注文、7.29到着
2011.12.11売却済み -
あなたが、今、余命一ヵ月と宣告されたら、残された時間をどのように過ごすのでしょうか。一日一日を精一杯生きるのではないのでしょうか。我々は、実際にこれと同じ状況におかれているのです。一ヶ月か、数十年かの違いがあるだけなのです。あなたは、どのような覚悟でこの残された時間を使っているのでしょうか。と、この筆者は、読者に語りかけます。限りなく厳しく、限りなくやさしく、限りなく穏やかに、語りかけてきます。この問いに、我々はどう答えるのでしょうか。ぜひとも、この本を熟読され、この問いに耳を傾け、全身全霊傾で答えてください。
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昨今の「読みやすい」自己啓発本などとは違って、結構古めかしくて大仰なことを言っているようにも見えるのだが、それが逆にいい。
何があってもブレないための覚悟、それを支える思想として、死生観、世界観、歴史観を挙げている。死を意識して生きる。組織の中の自分ではなく、世界の中の自分をみる。宇宙の歴史のスケールの中に自分をみる。
世界をみる、歴史を知る、死を感じる、難しいことではあるが、意識していきたい。 -
2017.3.25
仕事の思想を身につけるための3つの原点。
「死生観」「世界観」「歴史観」。
「死生観」とは、「生死」という深みにおいて観ること。
「世界観」とは、「世界」という広さにおいて観ること。
「歴史観」とは、「歴史」という流れにおいて観ること。
しばしば哲学の価値は、何を述べたかではなく、何を問うたかによって決まるといわれる。この問いもまた、そのような価値ある問いだと言えるだろう。
観る、というとき、何を観るのか。それは仕事をする意味であり、また生きる意味でもある。この3つの観点から、生きること、仕事をすることについて、少し、考えてみたい。
「死生」観から考える。我々は誰しもが死ぬ。そのことに疑いはない。死ぬとはどういうことだろうか。それはこの命がなくなるということである。それは、この「私」がいなくなるということである。死をイメージしてみる。イメージしてみるとき、イメージしている「私」が存在している。死をイメージしているー私=死、である。故に私に死は理解できない。私がいるときそこには生があり、死がそこにあるとき、私はそこにいないからである。そういう意味ではやはり、死は眠ることに似ている。しかし眠っているときは確かに「私」はいないが、それに気がつくのは起きたときである。起きて初めて、眠っていたことに気がつくのである。起きて初めて眠っていた(私がいなくなっていた)ことに気がつくー二度と覚めない=死、である。
我々は生まれた瞬間、死刑宣告を受けている。ただいつそれが執行されるかは誰も知らない。人生を登山に例えるなら、我々の人生は山頂を目指す目指さないに関わらず、崖に落ちることが決まっている。死を想う、ということは、ポジティブな側面だけではないだろう。どうせ死ぬんだから自分の命を好きなように、というニヒリストだっているのである。どうせ死ぬのだから生きる意味なんてないという人だっている。
死、とは、自分の人生を考える上で、最も強力な優先順位を決めるフィルターではないだろうか。死を思い、自分の命と、時間の有限性を自覚するとき、我々は命の価値と時間の価値を知る。そしてその与えられた資源を、貴重な資源を、何のために使うべきかを考える。私だったら、自分のためにこそ使う、という発想はあまり出てこない。なぜなら自分が死んだら、自分のために蓄えた全てがこの世から消滅するからである。どうせ消滅するものに対して全力を注ぐことはできない。故に、私の外側のためにこそ、この命を使いたいと考える。それでも私は死に、私の世界は終わるだろう。しかし私が終わってもなお、人類は存続するし、友達は、家族は、生きているのである。
しかしどうだろうか。我々はこの、人類の「歴史」を、信じることができるだろうか。私が死んでなお続く人類、しかしその人類もまた、永遠に続くわけではないだろう。どこかで絶える運命にある人類のために、何かをするというのは、無意味さを感じないだろうか。
しかし、もし自分が死ぬのだとして、だから人生は無意味だ、とする。だったら、どんな生き方をしてもいいだろうか。どうせ死ぬんだからどんな人生でもいいと言って、じゃ借金地獄ね、とか、じゃ断食ね、とか、じゃ拷問ね、とかなっても嫌である。故に、終わりがあるとしても、その終わりまで我々は幸せに生きていたいのである。
こう考えると私に必要なのは、終わるその日まで幸せであることと、自分が死んでもなお残る何か、である。仮に一人で幸せであっても、何も残せなければ、死による一切の虚無に耐えられない。私が死んでなお、私が生きてきたことによって残せた影響、人との繋がり、そういうものがあるからこそ、私は自分が死ぬことによってさえなくなるものではないものを胸に、死ねるのではないか。そしてその残すものは、少なからずの人類への貢献であってほしい。私がそうであるように、人類もまた、終わるその日までは幸せでありたい。私というちっぽけな命が残すものが、その人類の幸福にわずかにでも貢献できれば、と思う。仮に滅亡するとしても。
人類を含めたこの世界は、宇宙のビックバンから、気が遠くなるほどの時間を経て、現在に至る。生命の歴史は38億年前からであり、初めて生まれたのは単細胞である。これは人間の受精卵と同じである。人間の赤ちゃんは母のお腹の中で、38億年の歴史を10ヶ月に短縮して経験していく。この宇宙の成立、そして生命、生命から精神、精神から文明の流れを思うと、奇跡というほかはない。
奇跡、と思うのは、この選択以外の無数の選択の可能性を思うことができるからである。無論それは、選択ののちにこそ思うことができるものであるが。ただここには正直、あまり意味を見出せない。雨の一雫がまさにその場所に落ちる、別の場所ではなくその場所に落ちることに、意味を見出せるだろうか。神を信じるならそうだろう。しかし私は、それがそこに落ちた以上の意味は見出せない。
人類はこの「世界」に生きる人々である。私もまた、恵まれたものである。人類の暴挙を考えると、この地球に対してのやりたい放題、この生態系に対してのやりたい放題を考えると、人類の外側から見たら、人類さえいなくなれば助かる命だってたくさんあるだろう。人類はまさに、人類以外も含めた世界から観るならば、諸悪の根源ではないだろうか。しかし悪という価値観は、人間以外のものに魂を観ることによって生まれているものに過ぎない。もちろん、持続可能な開発は必要である。人間以外の動物や生態系は道具である、というような見方も、好きではない。人間は、人間以外の様々な資源や生物をどうみなし、どのような関係を取り持つべきか、考えなければならない。
そして私のような恵まれた人間のいる一方で、全く恵まれない人たちがいる現実。子供の命の価値が全く平等ではないのに、その子供の死を嘆く母の悲しみは平等という世界。世界は不条理である。しかし不条理こそが常態であり、条理は人間の理想に過ぎない。しかしそれは幸福のための理想であり、求められるべきものである。恵まれたものであるからこそ、いつか人生の中で、恵まれない彼らに何かできればと思う。その日までは、今日この瞬間にも腹をすかして死んでいく子供たちに、何もできない罪悪感と、何もしようとしない己の卑怯さを、感じ続けようと思う。世界を思えば、持つ者である私は、持たざる者の存在を知りながら何もしないのは、何もしようとしないのは、やはり卑怯者である。生きてるだけで卑怯者である。
生きることの意味はなんだろうか。それはやはり、自らの幸福と、他者及び人類の幸福、だろう。故に仕事をするのである。仕事は与えることで報酬を得る営みだからである。仕事とは、深いところで、生きることと同じである。自らの幸福のみの人生は死んだら全て終わりで何も残らない。しかし他者に貢献するだけの自己犠牲はどこかで生きるのが辛くなる。故に、どちらも、である。あとはこの幸福のレベルを、時間軸と、空間軸でどこまで広げて考えていくか、というのが、世界と歴史を問うことである。座標ゼロには生死がある。
まぁ正直、世界と歴史はそんなに良くは分からない。私は自分の手の届く範囲の人々が幸せであることが最優先だし、人類の歴史よりも友達の将来の方が心配だけどな。 -
以下、実践したい。
・「人は、かならず死ぬ」との覚悟を定め、「いかに死ぬか」を求め、「思想」を深めていく。
・ 答えのない問いを、問い続ける力。 -
働くことを、思想・世界・歴史の観点から掘り下げた、まさに哲学的な分析。
明後日、直接の講義を聴くのが本当に楽しみです。 -
働くとはどういうことか、地に足をつけて考え抜いたであろう思想が読み取れる。ときどきはっとするような言葉が飛び出してくる。ただ、なぜ働くのかという疑問には応えてくれない。
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2012/6/26
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概観だけで終わっているが、そこから自分をゆっくり見つめ直すきっかけを作ってくれる。
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「経営」を「最大の収益を上げること」ではなく、「人間としての成長を指させること」としたときに、経営者やマネージャーには人間が「生きること」「働くこと」対して、深い覚悟と思想がなくてはいけない。
そのために3つの観点から人生を洞察することが必要
①生死観から見る(大病、戦争、投獄)→書物を読んで想像する
②歴史観から見る→宇宙の成り立ち
③世界観から見る→「もし世界が100人の村~」で想像する
経営とはスポーツと違って難しい。記録は一生残るが、業績はその先の会社のあり方と常にチェックされる。
「知性」とは目の前の問題を解く力ではなく、「問い続ける力」 -
心の奥底から静かに「やる気」になれる本。
【本の中の好きな言葉】
メメント・モリ(死を想え)
ノブリス・オブリージュ
→高貴な人間が持つ義務(昔の意味)
→使命感を持って生きる人間の高貴さ(作者の解釈)
→高貴な使命感を持っている人間の義務(井上の解釈) -
2008年06月01日 00:29 記載:
「自分は、明日、死ぬ」と思い定め、今日を生き切る。
「想像力」の極みで、死と対峙する。
果たしてそのことの意味が私にわかるだろうか。
すぐに読めるしモチベーションが上がります^^ -
田坂宏志『なぜ働くのか』PHP文庫 読了。
日々、死に近づいてるこの命を何のために使うか。この大切な、かけがえのない人生を何に使うか。 これを問い続けること。そして使命を感じ、持つこと。使命感を持って生きる人間の高貴を持って生きる。 1人でも多くの若い人に読んでほしい本。 -
新たな考え方をもらった。
一番の驚きは、「明日、死ぬ」と思って生きている人がいることだ。
実際、死の縁に立たないと死の実感なんてわかないが、体験した人の話から想像することは可能だ。
想像力を働かせその状態に共感する。
余命数ヵ月と宣告されたら絶望しか生まないものだと思っていたが、逆に一日一日を大切に生ききるという選択もあるわけだ。
そういう意味では、やれることは今日のうちにやる。
悔いを残さず全てに感謝し、全力で一日を生きられそうだ。
だって「明日、死ぬ」んだもの。 -
二十数年の私の人生において、何人か心から尊敬できる、目の色の違う人間に出会ってきた。私から見た彼等は何か生き急いでいるような、どこか違う時間の中で生きているように感じられた。使命、覚悟。この本を読み一つの答えを得た気がする。きっと彼等はそんなものを心に刻み生きていたのだろう。生死の深みの中で己の人生を考える、そんなことを教えてくれる、考えさせてくれる本。
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「働くことは、収入を得ることのみではない。」
そう、思ってます。働くことで、自分自身も成長したいし、その仕事をすることが社会や人に夢とか希望とかを与えるものであって欲しい。少なくとも、その仕事は自分の価値観に照らし合わせても誰かを助け、自分がやるべきだと思えるものであって欲しい。さらに、その仕事を通してしか知り合うことのなかったお客さんや、仲間が自分自身の財産となり、「自身の経験値」と「人のつながり」と「実現できた誰かの夢」と「対価としての報酬」、それらのどれか1つだけじゃなく、全てを同時に得ることができるのが仕事であるべきじゃないかなと、そう、思ってます。
そういう意味で、この本の中に出てくる10のキーワードは、非常に深い、と感じました。
「思想」…現実に流されないための錨
「成長」…決して失われることのない報酬
「目標」…成長していくための最高の方法
「顧客」…こころの姿勢を映し出す鏡
「共感」…相手の真実を感じ取る力量
「格闘」…人間力を磨くための唯一の道
「地位」…部下の人生に責任を持つ覚悟
「友人」…頂上での再会を約束した人々
「仲間」…仕事が残すもうひとつの作品
「未来」…後生を待ちて今日の務めを果たすとき
投獄、戦争、大病、、命を賭けて、全力で死地に赴き、何かを掴んで帰ってきた人たちにしか見えない景色がある。死を宣告された人から見たら、世の中の全ての景色が輝いて見えたりするらしい。
働くことに、使命感を感じていますか?生きる喜びを感じて、毎日に全力を傾けていますか?
自分の人生が30日しかない人と、30年ある人と、今を生きるスタンスとして変えるべき何かがありますか?
今、隣にいてくれる人が、明日も一緒にいてくれる。
その可能性はつねに、100%にはならない。
そんなこの世界で生きていて、あなたは周りに振り回されて、やりたいことや、やるべきことがわからずに、「アクシデント」が起こるまでは日々をただ過ごしていくのですか?
そういったことを考えさせられた本でした。
それと、なぜ、自分は成長したいと思うんだろう。
その疑問に対する答えが「決して失われることのない報酬が得られるから」なら、若いうちに成長するのは確かにいい選択なのかもしれないですね。
そんなことでも確信を持てると、もっともっと成長したいって思えたりもして。
やっぱり、本って、言葉って、世界を変える力があるなと思いました。
「今日一日、全力で過ごした。なんの後悔もない。」
毎日そう言って、ぐっすり眠りたいです。 -
仕事で迷ったときに読み返す本。
1時間もあれば読み終えられるので。
死生観と歴史観という大局のなかで仕事をとらえてます。 -
文庫本にして、この内容。
「働く」ということを切り口に、「生きる」ことの「死ぬ」ことを極限にまで見つめていく。
自分はたまたま医師としての道を閉ざし、いち零細企業の経営者になりつつあるのだが、この本は経営者としていかにあるべきかを教えてくれている。
もちろん、ああしろ、こうしろとか説明してくれているわけではなく、何を思い、考えながら生きていくべきかを説いている。
何度も読み返してはボロボロになるまで読み続けたい一冊だった。 -
日常生活に忙しくなって、ふと原理原則を忘れそうになったとき、正しい場所に立ち戻してくれる。背筋の伸びる一冊。
田坂広志、好きです。 -
良書。書いてある言葉は重く、深いものばかりですが、1時間もかからずに読み終わります。若い学生にすすめる、というより、ある程度キャリアを積んだ30 代以降が読むといいように思います。
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田坂先生の本を最近、集中して読み始めた。なかなか深いことを言っていてためになる。最近の一番のお気に入りは、資本主義の未来について書かれた本かな。
田坂広志著「なぜ働くのか~生死を見据えた仕事の思想」PHP文庫(2007)
* 仕事の思想を見につけるには3つの原点から見つめることが必要である。①「死生観」とは生死という深みにおいてみることです。②「世界観」とは世界という広さにおいてみることです。③「歴史観」とは歴史という流れにおいてみることです。
* 人間誰しも、人生最後の場面に向かって歩んでいる。若き日に死生観と見につける。人は必ず死ぬとの覚悟を定め、いかに死ぬかを求め、思想を深めていく。
* 恵まれた境遇に生まれついた人間は、それを幸運と思うだけであってはならない。そうした幸運な境遇に生まれついたことへの「感謝」がなくてはならない。そしてその感謝の念は「使命」を自覚することによって、表されなければならない。
* 真の「知性」を我々は身につけることが大切である。生涯かけて問い続けても答えなど得られぬ問いをそれでも問い続ける力。世にあふれる安易な答えに流されることなく、精神の深みにおいて答えを求め続ける力。その魂の力こそが「真の知性」である。 -
深い。鋭い。
自然とこれらの言葉を発したい。 -
非常に参考になったし、考えさせられました。
題名の答えは書いていませんが、問い続ける思想の大事さを気付かせてくれました。
やはり思いは大事ですね。
こう言った本は、大同小異で基本の思想は時代が変わっても、絶対に変わりませんね。
また、この著者から大事な考え方と言葉を教えてもらいました。 -
内定先の推薦図書リストに入っていたので読んでみた。
なぜ働くのかというタイトルだけど、
仕事というよりも「生きること」について考えさせられた。
死生観、世界観、歴史観というキーワード。
「なぜ私は健康な体で生まれたのか」
「なぜ私は平和な国に生まれたのか」
「なぜ私は今の時代に生まれたのか」
こんなことを考えると、やっぱり社会のために何かしなければっていう
使命感を感じる。これが、社会に出たときに流されないための錨。
そんな大きな事は出来ないけれど、日々の仕事を一生懸命しよう。
社会人になる前に読めてよかった。 -
なぜ、働くのか
答えの無い「生涯の問い」である。
仕事に夢中になってガムシャラに働いている時にふと浮かぶ疑問。
これでいいのだろうか?
そんな現実に錨をおろすのが「思想」であり、それは深い「覚悟」に裏づけされたものでなければならない。
では、いかにして深い「覚悟」と「思想」を身に着けることができるのか。
それは3つの原点「死生観」「世界観」「歴史観」から仕事をみつめることであり、その具体的な内容が本書の肝である。
死を近しく考えることで生が輝く、と説かれるのは初めてではありませんが本書は特に迫力を感じました。
大きい活字と広い行間の中が、読み手に想像を促し言葉の重みを増します。
今日一日を生き切る。無意識にそう過ごせるようになりたい。 -
仕事に対するキーワードを10個ならべ、それそれに素晴らしい定義をされておられます。
そして、そのうちの最初の1つの説明だけでこの本は構成されています。
素晴らしいので、あと9冊分の説明がほしいと思います。
この人であれば、書いているのではないでしょうか?探してみます。
いかんせ、先輩のお勧めの人・本だったので、手にとりましたが、
まだまだ奥が深そうです。 -
読む時期・立場が変われば印象も変わるであろう。
2009 8/31現在においては 星1つ