- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569691336
作品紹介・あらすじ
目先で見るのと、長い眼で見るのとはどこが違うか。一面的ではなく、多面的に見ると、何が見えてくるのか。枝葉末節で見るのと、根本的に見るのでは、結果としてなにが変わるのか――。昭和という時代を生きた多くの指導者たちが、なぜ著者を人生の師と仰ぎ、その言葉を自らの指針としたのか。そのエッセンスが盛り込まれたのが、本書「活眼・活学」です。著者の論講のなかから、物の見方、考え方についての優れたものを選りすぐり、まとめあげた名著が、特別クロス表紙仕様の新装版として復刊。肉眼では見えないことが、世の中にはたくさんありますが、それを見抜く「心眼」をどう養い、自らの行動に活かしていくか。どのような書物からどう学び、自らの人生にどう活かしていくか。そうした人生の根本の学びが本書には具体的に語られています。なにか大切なことを置き捨てて、次の時代へと進みつつあるいまの日本、日本人への警世の書でもあります。
感想・レビュー・書評
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雑誌の論講を抜粋したものなので筋の通った一つの論文というわけではいかないが、安岡正篤さんの哲学あふれる良書でした。
以下、琴線に触れた言葉
・よい師友をもち、読書する
・見識と胆織をもつ
・ものの考え方三原則
・同じ立場で真剣に考える
・天命と運命を知り、それを尽くす
・矛盾や対立を超え、進歩向上させる(中庸)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
安岡正篤氏が、昭和36年から昭和59年の間に「師と友」に連載した記事をまとめ、1985年に刊行されたものの新装版。
言葉使いをみなければ、ごく最近書かれたものではないかと間違うくらい、現代の問題と重なるところがある。
一番最初の「肉眼と心眼」のところにある「顕在エネルギーと潜在エネルギー」は、野村監督のいうところの「有形、無形の力」に通じるところがあるなぁと思った。
これからじっくり読み進めていきたい。
(3.31追記)
運命、天命、知名、立命
先天的に賦与された「天命」と、いかようにも変えることのできる「運命」、これを知る「知名」、知ってそれを完全に発揮していく「立命」。
命は我より作(な)すもの・・・袁了凡の悟り
無心であればそこに神の慧智が発し、ものの道理、因果の関係、命数などが明らかに観ぜられ、自分が自分の運命の主になってそれを使いこなしていける。
孟子「求むればこれを得。我に在るものを求むればなり」
「万物我に備わる」
「これを求むるに道あり。これを得るに命あり」
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現代人はものを知ることしか知らぬものが多い。
真の知とはもの自体から発する光でなければならず、自我の深層から、潜在意識から発生する自覚でなければならない。これを悟るという。
すなわち「活きた人格と人格との接触、触発」であり、「全生命を打ち込んで学問する、身体で学問すると、人間が学問、叡智そのものになってくる。
これからは知識ではなく悟道の文明を! -
少しずつ読み返すと初心に戻れるような本。
昔の本だが、物や情報に溢れた今こそ読むといい。 -
名将野村克也も勧められて読んだという本。先日読んだ大村はまの著書同様、「本に叱られた」という感覚である。大人になると自分を戒めてくれる人が少なくなるが、氏の書を通して、「〜な人は駄目である。」なんて言われた日には、「…ごめんなさい!」と感じること請け合いだ。
特に、「日用心法」の章は、今後の自分の指針にしたい。 -
裏の政治家 安岡正篤(やすおか まさひろ)氏による人間形成を説いた本。仏教や論語などの古文、孟子や老子などの古人を引用し、平素から心がけるべきことを述べている。なるほどと感じた事もあるし、あまり響かない言葉もあった。印象的な箇所を記す。
「外国人と付き合うとよくわかりますが、外国の知識階級は非常にクラッシックというもの、古典というものを大切にいたします。この古典的教養というものがあって、初めて新思想も新文明もあるのであります」
「大切なことは読書をすること、良い書を読むことであります。読書も、つまらない時間つぶし、気晴らしというような読書では駄目、我々の人間味というもの、我々の内面生活というもの、つまり我々の表、社会生活というものから隠れておる潜在面、即ち精神生活というものに得るところのある人間的教養の書物というものをできるだけ豊かに持つということであります」
「家庭にラジオとテレビと面白そうな新聞・雑誌を幾種も揃えてごらんなさい。子供はほとんど勉強できないでしょう。暇さえあればラジオとテレビにかじりつき、雑誌を操るでありましょう。大体、そういうことで毎日を暮らしていたら馬鹿になってしまいます。自分の思考力だの判断力だの批判力だのというものが全然なくなってしまいます」
「政党政治は非常に注意を要する。国あることを知らず、ただ党あるを知り、その党よりも実は己の利を図るばかりというように、政党が堕落してオランダも衰退してしまった。だからどうしても、己より党、党より国家という精神に燃えた政党員を作らなければ、到底、政党政治というものも国民のために危ういということを通説に論じておる」
「志ある者は進を己に求むべきで、人に求めてはならない。その進を己に求むということは、道業学術の精にほかならず、進を人に求むとは富貴利達の栄に過ぎぬ」
「元来世間の人々は、長編論文なんていうものによって人生を渡るものではない。大抵は片言隻句、即ちごく短い、しかし無限の味わいのある真理・教えによって、生きる力を得るのであって、論理的知識を駆使して長々と書き記された論文・論説などは、専門家の知識・技術の研究には役に立つけれども、人生の案内にはならない」
「このごろの世相でも、少年や青年男女が、いやに早くませてしまって、人間臭く、俗悪になっているのは、決して文明文化ではなく、人間の動物的退化現象にほかならない」
「苦難は人を強くするが、安楽はすべてただ弱くするばかりである。副作用の無い安楽は、雄々しく堪えた苦難に伴う休息所である。およそ正当な苦難は、自ら必要な喜悦をもそれ自身に内蔵するものである。(ヒルティ)」 -
大器晩成
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◼︎2015/11/27読了
◼︎あらすじ
陽明学者・安岡正篤氏の講演録。
陽明学だけでなく、日欧の様々な文献に通じた碩学が経営者などに対して講演を行なったものを本書にまとめたものと思われる。
◼︎コメント
含蓄ある言葉が多い。様々な文献を読んで思索していることがわかる。
ソ連時代のことなど、背景や時代が異なっているため、その観点でも面白い。 -
学問とは、活きていなければならない。
つまり、仕事や生活が変化をもたらすものでなくてはならない。
机上だけで行うのは、知識の習得だけであって本当の学問ではない。
本物の学問は、見識・胆識となって仕事や生活が変わっていくものだ。
つまり活学だ。
活学を学ぶことを念頭におき、一燈照隅となりたいと思う。 -
あの占いおばさんのイメージから何となく胡散臭い存在となってしまった安岡正篤だが、大川周明などとは違い戦後を長く生きた分だけ俗臭あるのは仕方がない。しかし、一つ一つの言葉の風韻に、やはり戦後にあって「東洋」を語ることの出来る数少ない人士だったことがしっかりと伝わる。戦後日本の社会経済にこのような骨格がまだ残っていたのかと隔世の感一入。