バカ親、バカ教師にもほどがある (PHP新書)

  • PHP研究所
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レビュー : 24
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569699462

感想・レビュー・書評

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  • 教師と親では見えているものが違う。
    全体的には常に頭を使うことの重要性を説いていると思いました。
    特に、素晴らしい先生の理論は常々感じていたりすることなので大いに納得できる話でした。

    適応指導教室。そのようなものがあるのも初めて知りました。

    自分の気持ち至上主義に陥った人は「公共心」を忘れてしまう。も納得。

    曖昧領域の言葉をなくそう→これも頭を使うことを放棄しかねないからだと思う。以前はビミョーとか、キモイ、渡河だったものが今は全てヤバい、カワイイ。に置き換わってると思う。あるいはエモいもそうかもしれないと思う。

    何を見ても聞いてもヤバいとか、カワイイとしか言えない人の何が嫌かと考えたら、まさにこの脳を使っていない感じが嫌だったのだと思う。

    国語力の低下を防ぐためにも、周りの子たちにはこういった微妙な言葉は使わないよう指導をしていこうと思う。

    フィンランドでは専門の教育が必要な生徒には少人数で専門の教員が指導を行う。みんな一緒が必ずしも良いわけではない。

    今の子供たちは夢を持つのが困難。
    これまでは目に見えやすいものが出来たり、製品が登場して次々と夢が現実になった。
    だが今は見えないものが現実になり、わかりやすい夢を抱くことが困難になっている。

    また、生きていくこともラクになっている。
    そのため、生きていくことは逆に難しくなってきている。生きるためにしていたことがしなくてよくなっているから。

    今の子供たちはそんな社会に生きている。しっかり大人は今の子供の現状を理解せねばならない。

    学校では情報を正確に処理する能力を鍛えることに重きが置かれてきた。

    子供に重大な影響を与えているものを本書ではテレビと述べている。
    公立中学校では年間800時間の授業が行われる。
    一方、テレビを見る時間は一日2~3時間。今でならスマホを触る時間と置き換えても良いかもしれない。
    1日2時間でもあっという間に年間800時間弱。授業時間に追いつく勢いだ。

    また、テレビもスマホも脳みそを使わずフリーズした状態になる。それに時間をかけることはリスクでしかない。

    大人は、自分の子供時代、学校の教育にさほど期待をしていなかったり、いじめや暴力などの問題が起こったり、相性が悪い教師に出会ったりしているにも関わらず、そういうことをすっかり忘れ、さも「理想の教育」があるかのような話をする。→これは特に肝に銘じておかなければならない。また、大人、あるいは親は全知全能の神でもない。ということも同時に。

    1.学校支援のための地域本部ぞ時期を全国の中学校区に設置し、学校を核にした地域社会の再生を図る。
    2.校長の兼業を可能にし、かつ市区町村議会議員に校長を兼務させることで、校長は地域社会の活性化に責任のある立場とする。
    3.全国の中学校区に専任のソーシャルワーカーを置き、教員だけに対処を押し付けていては解決できないトラブルの解消を目指す。

    2008年に出版された本ですが、いまでも十分参考になるものは多くある。というか、10年以上これが書かれてから時間が経っているが、どれだけ教育は変わったのだろう。
    センター試験は共通テストになり、タブレットや電子黒板もだいぶ市民権を得てきている。
    一方で、教科書が詰め込まれた重いカバンを生徒たちは持ち運びしているし、服装チェック、頭髪チェックも依然として残っている。

    スマホを一人一台持つようになり、さまざまな危険性も指摘されてきている。
    学校の先生がすべてを教えるのは難しいと思う。
    本書にもある通り、そういったことは地域本部組織を結成して、詳しい人に教えてもらうのも手だと思う。

    絶対的な「理想の教育」というのは難しい。
    ならば、少しでも理想に近づくために、多くの人がかかわり、協力することが今後より求められるだろう。

  • <u><b>みんなダメダメな中でどう生きるかが問題だ!</b></u>

    <span style="color:#cc9966;">わが子かわいさのあまり無理難題をつきつける「モンスターペアレント」。“いじめなんてない”と逆ギレする「モンスターティーチャー」。自分の気持ちだけを優先する大人たちの増殖が問題となっている。「先生がうちの子を起こして!」「キモイから担任を替えて!」「教師の私にたてつく気か!」…親と学校の壁はますます高くなるばかり。面倒な対話がなくても生きられる現代社会、このバラバラ状態は変わらないのか?民間出身の公立中学校長として奮闘した著者に、真に子どものためになる子育て・教育改革の道を聞く。</span>

    「教師が駄目だ」とか「親が駄目だ」とかいう議論にはほどほど飽きた。だからと言って、「大人はみんな汚ない!」なんていう奴には失笑するしかない。じゃぁ、子供は全員純真無垢なのかってね。まぁ、子供たちが純真無垢でないことは、子供たちの責任ではないとは思うけれど。
    お互いがグループ化してクレームの付けあい。「だから近頃の親は…」「だから近頃の教師は…」「だから最近の子供は…」こんな罪のなすり付けあいになんの意味があるんだろうかということを日々思っていたけれど、この本を読んで、確信した。教師にだって、親にだって、子供にだってイイ奴も悪い奴もいる。グループそのものを批判することなど、意味がない。
    「本当の子供達の味方は誰か?」とオビに書いてあるけど、いたって簡単。その答えは、「親」とか「教師」とか「大人」とか「子供たち」とかそういうグループ化されたそのものじゃなくて、そのグループの中にいる名前を持った一人一人の個人だよ。きっと。

  • 全て実話みたいや。親だけでなく、教師の質も問われるよね〜。

  • [ 内容 ]
    わが子かわいさのあまり無理難題をつきつける「モンスターペアレント」。
    “いじめなんてない”と逆ギレする「モンスターティーチャー」。
    自分の気持ちだけを優先する大人たちの増殖が問題となっている。
    「先生がうちの子を起こして!」「キモイから担任を替えて!」「教師の私にたてつく気か!」…親と学校の壁はますます高くなるばかり。
    面倒な対話がなくても生きられる現代社会、このバラバラ状態は変わらないのか?
    民間出身の公立中学校長として奮闘した著者に、真に子どものためになる子育て・教育改革の道を聞く。

    [ 目次 ]
    第1章 バカ親の壁(バカ親、登場―居心地のよさを求めて(うちの子のためにサッカー部をつくれ! うちの子にスリッパを貸して! ほか) バカ親、ゴネる―「消費者様」の行き着く先(先生がうちの子を起こして! あの子を登校停止にしろ! ほか) バカ親、こだわる―「自分の気持ち至上主義」の弊害(あの親と同じ学級にするな! キモイから担任を替えて! ほか))
    第2章 バカ教師の壁(私のクラスにいじめがあると言うの! アイツは校長にたてつくおかしなヤツ! ほか)
    第3章 親と子の壁(「成熟社会」とは何か 成熟社会に必要な「チカラ」 ほか)

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    [ 参考となる書評 ]

  • 藤原和博と名前を聞いてピンと来なくても、民間から初めて公立の校長になった、最近なら「夜スペ」をしている和田中学校の校長先生、と聞けば、ああ、あの人、と思うでしょう。

    この本は藤原校長と聞き手である作家・川端裕人さんとの対話形式で、具体的なバカ事例(バカという言葉は軽々しく使うべきものではないのですが)を挙げて、話を進めています。

    まずは現代社会がどのような社会か、そこから確認してみましょう。

    親と教師とのコミュニケーションが難しくなっている背景のひとつとして、日本が「成長社会」から「成熟社会」へと変化した影響を考えてみます。

    高度経済成長時代は「成長社会」。『ALWAYS 三丁目の夕日』の世界のように、みんなが似通った夢を持ち、みんなが同じ未来へのベクトルを共有できていました。「昨日よりも今日、今日よりも明日は豊かになることができるはずだ」という信念のもと、仕事も勉強も家事もみんな頑張ることで、ある種の連帯感を持つことができていたのです。(みんな一緒に頑張れば、明るい未来が待っている)という希望を共有できる時代だったから、親も教師もみんな同じ土俵で会話をすることができたのです。

    しかし、現代のような「成熟社会」に入ると、社会の様相は一変します。経済全体が底上げされて、大人から子供まで誰もが自由に物を欲し、選び、行動する時代になったのです。

    「成長社会」では、家族が集まり、一緒にテレビを見たり(そういえば「一家団らん」という言葉も死語化しつつありますね…)、一緒に車でお出かけしたりしたものです。

    ところが、現代のような「成熟社会」では、みんなの行動がバラバラになります。ある日の休日、父親はたまには家族一緒にテレビで野球を見たいと思っていても、野球には興味がないからと、母親は買い物へ出かけ、娘は自室のテレビで借りてきたDVDを見て、弟はPSPでゲームをする、といった具合に。物が溢れる時代にあってはもはや、ひとりひとりの好みがバラバラになってしまうのも無理からぬことかもしれません。

    つまり、「みんないっしょの集団行動」を求める学校文化と、「みんなバラバラの個別行動」が許容される家庭文化とが、相容れなくなったわけです。「集団主義」と「個性主義」とがぶつかり合い、教師も親も共通のコミュニケーションの交わせる土俵を探しあぐねているというのです。

    そんな中でいわゆる「モンスターペアレント」が登場してくるのは、成熟社会のひとつの象徴といえるでしょう。集団と個性という利害の対立する者同士にとっては、「みんな一緒に」という共通解は得難いと考えられます。そこで親と教師の双方が納得できる【納得解】を探していく必要があるのです。

    …という前提のもと、この本は色んな事例を挙げて、藤原校長ならこういう納得解を出す、という構成になっています。

    「サッカーの得意な息子の転校先には、サッカー部がなかった。息子のためにサッカー部を作れ!」だとか、「うちの子は、朝起きられない。私も朝が弱い。だから担任が責任を持って、起こしに来い!」だとか、「卒業アルバムにうちの子が写っている写真が他の子と比べて少ない。不公平だ。アルバム代を返せ!」だとか。

    教師サイドでも、「私はベテラン教師ですよ。私のクラスに限って、いじめなんかあるはずがないでしょう!?」といった感じで。

    僕は普通のサラリーマン(鬱で休職しているから、普通ではないかもしれませんが)で、未婚で子供もいませんから、教師という立場も、親という立場も、想像の域を出ません。出ませんが、これではコミュニケーションの土俵に上がることなんてできませんよ、一方的過ぎて。でも実際にこんな問題が出てきているんですよね…。

    ところで、著者の藤原校長は、モンスターペアレントという言葉を使わずに「バカ親」と言っています、本のタイトルにもあるように。一見、失礼に聞こえるのですが、これがなかなか納得させられるのです。

    「ちなみに、校長としての私は「モンスターペアレント」という言葉を使わない。保護者会などでは、遠慮なく「バカ親」と呼ばせてもらっている。ただし、次のような文脈のなかでである。

    ---保護者の方に申し上げます。学校を支援して、いくらでも、子ども思いの「親ばか」をやっていただいてかまいません。ですが、居心地論で子どものワガママに同調して、文句を言うだけの「バカ親」にはご遠慮願います。---

    みんな、笑って納得してくれる。」

    これは本文の引用なのですが、ユーモアを交えて、上手く学校と親との橋渡しをしているように感じられます。この辺りが、民間出の先生たる力量でしょうか。

    話は逸れますが、世間で騒いでいるような、否、むしろマスコミがやたらと取り上げているような「バカ親」「バカ教師」なんて、そうそういないと思うのですが。実際のところはどうなのでしょう。まあ、それを言ってしまうと、この本、身も蓋もなくなってしまいますが。でも日本人って、あまり揉め事を起こさずに、物事をうやむやにするのが得意な(笑)民族じゃなかったかしら。そんなに日本人って変わったのかなあ。素朴な疑問。

    いずれにしても、間違いなくいえること、それは、子供は大人(親、教師)を見て育つということです。善くも悪くも、子供は学ぶ(=真似る)ことで成長していくわけです。親や教師を含め、大人たちひとりひとりが子供にとっての範とならなければならないでしょう。僕自身も含めて、大人は常に子供から見られているんだという意識を持っておくべきでしょう。

    この藤原校長の本は、なるほど、そういう考え方もあるなというアイディアに溢れています。独身の僕が読んでも、なかなか得心するところが多々ある本です。一読の価値、ありです。藤原和博著、川端裕人(聞き手)『バカ親、バカ教師にもほどがある 子ども化する大人たち』(PHP新書)。是非、読んでみてください。

  • 東京都の民間人初の公立中学校長らしく、ちゃんと一歩引いた目で教育の現場を見ている感じがしたが、バカ親の事例は多いのに、バカ教師の事例が少ないのはやはりどこかに遠慮しているのだろうか?それともバカ親の方が圧倒的に多いのか?
    少なくとも某元教師の著書よりはいい。

  • あの和田中学校の校長先生の著書です。
    コミュニケーションが下手になった大人たちが巻き起こした社会現象が、子どもたちに影響を及ぼしています。
    大人たちよ、大人になろう。

  • 著名な藤原和博さんと、一保護者代表の川端裕人さんの対談本。
    教師と保護者間のメールの活用や、子どもの携帯電話利用についてなど参考になりました。

    でも、保護者と教育者の対話がずらずら続くという形式なので、保護者には目新しいことも多いかもしれませんが、教育関係者には既知の考えが多いかもしれません。

  • 藤原さんの思考の深さ、
    PTAや学生の質問、クレームなどに対する切り返しが凄いです。
    今回は対談形式でしたが、
    藤原さんの著書も読みたいと思いました。

著者プロフィール

川端 裕人(かわばた ひろと)
1964年、兵庫県明石市生まれの小説家、ノンフィクション作家。東京大学教養学部卒業後日本テレビに入社し、記者として科学技術庁、気象庁を担当。
1995年『クジラを捕って、考えた』を執筆し、ノンフィクション作家としてデビュー。1997年日本テレビを退社後、1998年『夏のロケット』で第15回サントリーミステリー大賞優秀作品賞を受賞し、小説家デビュー。
その後も小説とノンフィクション二つのジャンルで活躍を続け、2000年『動物園にできること』で第31回大宅壮一ノンフィクション賞候補、2004年『せちやん 星を聴く人』で第25回吉川英治文学新人賞候補。2018年『我々はなぜ我々だけなのか』で科学ジャーナリスト賞、講談社科学出版賞をそれぞれ受賞した。

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