- Amazon.co.jp ・本 (394ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569761381
作品紹介・あらすじ
天皇のルーツは外来農耕民族、本居宣長が確立した天皇の「絶対性」など、専門家があえて触れない日本史のタブーがいま明らかになる!
感想・レビュー・書評
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天皇家の存続を願ってやまない私である。何しろロイヤル外交は大切だ。外国からの元首が、何年おきに変る首相に会うのが嬉しいか、2千年も続いた王室の長に会うのが光栄か、答えは書くまでもない。
王室が存続する国へ日本から渡航する場合、ビザが要らないのはロイヤル外交の成果だろう。
しかし! 一つネックになるのが天皇陵の発掘が許されない件。この問題、歴史オタクとして慨嘆に堪えない。とんでもない考古学的的発見があること必至なのだが……。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
知りたいことがたくさんある。
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20160302読了
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2014.12.12
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戦後教育の影響からか宗教や神話や天皇陛下などについて無知でしたが、いろいろな国に旅行をすればするほど、宗教と文化と国は一体不可分であることに気づきました。
一方で、海外のことを知ろうとしている自分が、実は日本のことをよくわかっていないことを痛感し、最近改めて勉強しています。
そんななかで、この本を読みましたが、『ケガレ』や『怨霊』という視点から日本史を分析するという考え方は、非常に新鮮、かつ、納得感がありました。 -
逆説の日本史シリーズで私が愛読している井沢氏が、「学校で教えてくれない日本史シリーズ」というタイトルで解説していて、これがシリーズ二冊目です。
この本のテーマは、日本においてなぜ天皇家が滅ぼされること無く今に至っているのか、というものです。日本にも武家政権が長く続いて、天皇家を凌駕した時代がありましたが、その時の権力者は結果として天皇家を滅ぼすことなく、上手に共存してきました。
井沢氏によれば、日本人(後からやって来た人達)の持つ独特の考え方にあるようです。その考え方を理解することで、日本にだけ見られるような特徴を私なりに理解することができました。
この本は日本人が日本の歴史を外国人に話す上で、その原点というべきもの(穢れ思想・怨霊思想・日本宗教の特殊性等)が解説されていますので、私には大変ためになった本でした。
以下は気になったポイントです。
・常にやられ放しだった農耕民族も、やがて遊牧民族に対して有効な対抗手段を持つようになる。それが「城」(p31)
・古事記が書かれた当時の日本には、まだ平仮名・片仮名も無かったので、漢字の読みを利用して日本語を記録した、いわゆる「当て字」である。漢字は使っているけれど、あれは歴とした日本語(p39)
・部落差別は、根源は支配階級になった農耕民族による、下層階級である狩猟民族に対する文化的差別である。九州・四国・関西あたりに稲作文化を持ち込んだ外来民族の長が「天皇」だと考えられる(p49)
・西暦240年代に記録された「邪馬台国」はその時代の発音に即して読むべき、当時の発音は「やまどこく」となる(p62)
・日本人は、もともとファーストネームを呼ぶのは極めて失礼なことだという感覚を持つ民族である(p65)
・古墳タイプの陵墓を持つとされる約50人の天皇のうち、確実とされるのは、なんと3つ。天智天皇稜、天武・持統合葬稜、応神天皇稜(p99)
・エジプトで、遺体をミイラにして、ピラミッドまで建てたのは死者の復活を信じて望んだから。日本は文字も装飾も一切ないお墓に遺体を葬った。死後の復活を恐れたから(p107)
・多くの人を救うための教えだと主張した大乗仏教では、修行よりも信仰に重きが置かれた。もっとも重視された仏が、阿弥陀仏で、その最も重要な誓いが「本願:私を念仏するものは必ず救ってあげる」であった(p115)
・家康は、君主に背くことを絶対悪と説く朱子学を武士の基本教養とし、他の学問を学ぶことをきつく禁じた。精神から縛ることが、クーデターの発生を防止する最も確実な方法と考えた(p121)
・為政者である天皇家も、その権力を奪おうとする藤原氏も、ともに穢れを嫌う思想を持っていたので、相手を殺したり血を流すことを嫌った。なので彼らは武力を手放し、武力で無い方法で権力を争った(p133)
・荘園とは、藤原氏が考え出した「脱税システム」。墾田永年私財法によって土地が所有できても(貴族・有力寺社・天皇家)、作物には税金が課せられていたが、荘園になると免税となった(p137,202)
・律令制度では太政官の下に政務を担当する機構「八省:中務・式部・冶部・民部・兵部・刑部・大蔵・宮内」があったが、穢れ仕事(兵部・刑部)の卿(かみ)になる高級貴族がいなくなった(p146)
・困った藤原氏は、都の治安だけは何とかしようとして、刑部省の代わりに「検非違使」をつくった、これには下級官僚でもなれた(p148)
・仏教の教えである「無常」とは、あまりにも無残だという意味の「無情」ではなく、変わらないものは世の中にはない、というもの(p159)
・平忠盛に与えられたのは、卑しい罪人を裁く穢れた役職として忌み嫌われていたポスト(刑部卿)であった(p170)
・藤原氏が関白に君臨していた時代に、何とかして権力を天皇家に取り戻したいと思った白河天皇は、退位して上皇という立場から政治を執り行うという画期的な方法を思いついた。これが院政(p172)
・なぜ自衛隊を軍隊と言わないのか、憲法9条に固執するのか、その理由の根源にあるものは平安時代に武士を生み出した「穢れ思想」にある(p186)
・御曹司というのは源氏の呼び方、平家は「公達(きんだち)」という(p198)
・源頼朝は、後白河法皇と1185年に会談して、武士にも土地所有の権利を認めさせて、地頭を任命する権利(日本国惣地頭)を得た。との時に警察権(日本国惣追捕使=後の守護)も得た(p205,206)
・征夷大将軍はそれほど位の高いものではないが、メリットは、都の上皇や朝廷にお伺いをたてることなく、鎌倉で自由に徴兵権・徴税権を行使できて、幕府がほとんど独立国のような統治を行えること、後白河法皇は、征夷大将軍の代わりに「右近衛大将」という職を与えた、位は高いが都に常駐する必要があり、徴兵・徴税権は無い(p210)
・幕末の人は、源頼朝が日本国惣追捕使に任命されて、警察権・刑罰権を手に入れたときを、大政委任と考えた。なので幕府政治は、1185-1867年となる(p213)
・日本でも武士同士の権力争いの場合は「根絶やし」が採用されているが、天皇家はされなかった(p216)
・鎌倉時代は現行の法律と比べても遜色のない平等な相続であったが、これが鎌倉幕府を崩壊させる最大の原因となった(p224)
・長男は領地は子供たちに均等に分配されるが、地位(御家人の立場)だけは継いだ(p225)
・神道はすべてを受け入れることで、相手の宗教を自分色に染めてしまう強さがある(p277)
・本地垂迹説にもとづき、日本の神々にはそれぞれ「本地」とされる仏様が定められた。天照大神は、大日如来、八幡様と熊野権現は、阿弥陀如来、愛宕権現は地蔵菩薩、スサノオノ尊は薬師如来、大国主命は大黒様とされた。平安以降、日本のお寺と神社は一体化した(p336)
・熊野権現が阿弥陀如来ということは、熊野の山が阿弥陀様の世界、つまり極楽浄土と考えたので、上皇たちはこぞって熊野詣をした(p336)
・廃仏毀釈は、新政府や朝廷の関係の深いところ、および鹿児島県で行われた(p341)
・日本が幕末の危機を乗り越えられたのは、めぼしい人物の中で外国人と手を結んで日本を裏切った人間がいなかったこと(p364)
・言葉を学ぶということは、文化を学ぶということ。人は外国の文化に触れて初めて自分たちの国の文化の特徴を知ることが出来る。このことを、日本語・朝鮮語・中国語を話せた聖徳太子は理解していた(p379)
・憲法17条の、1条と17条は、表現の仕方は違うが、ともに「物事は話し合って決めなさい、そしてみんなで決めたことには従いなさい」である(p381)
2014年10月5日作成 -
始めの方は前著と重複する内容が多く、わざわざもう一冊出す必要あったのか?と思う程だったが、読み終わってみると、前著よりも良作だった。日本の歴史家批判が控えめになってるからだと思われる。
神道だけでなく仏教の解説が詳しく、勉強になった。
数ある仏様の中で阿弥陀如来が特別な理由、それは「我を念仏するものは必ず極楽に往生す」という誓い(本願)を立てているから。他力。大乗仏教。
日蓮宗は、仏様でなく『妙法蓮華経』という経文を信じなさいという教え。
日本に入ってきたのは大乗仏教、神仏習合を経て朱子学が加わり、明治には神仏分離の上、国家神道へ。 -
誰もが学校で日本史を習うけど、総花的でかつ表面的な事象を暗記することに重点を置きます。
受験日本史の宿命と言えばそれまでですが、自国の歴史を暗記するだけというのは、寂しい限りです。
強引な展開もあるかも知れませんが、著者はグイグイと新しい視点を提供してくれます。
歴史を部分ではなく、線として理解度し易い一冊だと思います。