雲は答えなかった 高級官僚 その生と死 (PHP文庫)

著者 :
  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (308ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569761558

作品紹介・あらすじ

『そして父になる』で世界の「コレエダ」となった映画監督が、若き日のドキュメンタリーをもとに自ら筆をとった傑作ノンフィクション!

感想・レビュー・書評

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  • 厚生省、環境庁で福祉行政、公害行政の職務を歴任し、53歳で自ら命を絶った山内豊德さんという方を描いたノンフィクション。

    仕事というものに誠実に向き合いということがどれだけ困難なことか、ということを考えさせられた。

    山内さんが携わった福祉や公害といった政策は、施策の対象である生活困窮者や障碍者、公害の被害者といった人たちに向き合うだけではなく、産業界や政治・行政との複雑な利害関係の上に成り立っている。

    山内さん自身は、福祉や公害被害者救済について、それぞれの現場の状況に真摯に向き合う姿勢を持ち続けながらも、中央官庁の中でそれらを予算や法令、産業界の利害関係といった様々な条件付けの中でどう成り立たせるかということに長年取り組んできたことが、この本で描かれた職歴を辿っていくことでわかる。

    どれか一方の現実に向き合うだけでなく、それら全ての現実に向き合いながら、政策担当者としてそれをまとまりの付く形に何とか作り上げようとしてきたのだろう。

    たとえば福祉の理想を現場の職員の目だけから見れば、ひとつの理想像が描ける。行政の側から法律・予算上の条件を無理なく収めるための理想という観点から見ても、また別の理想像が描ける。産業界の立場からしても同様だろう。

    しかし、それらの異なる理想が調整をとりながらひとつの社会のあり方として成り立った姿というのが、山内さんの求めた姿であり、それは決して福祉至上主義でも行政の建前論でもない。

    山内さん自身が、福祉の現場に対しても、人格や思慮といった徳義だけで語られがちなケースワーカーの職能に、技術という観点を取り込むべきであるといったことを論じるなど、従来型の現場に閉じ込められた理想論ではなく、より広い社会の中で受け入れられる姿を求めていたということが、印象的である。

    この道は、あらゆる道の中でもっとも険しいものだろう。自分の立場を明確にして、その視点からのあるべき姿を追求するのとは異なり、常に周りに犠牲と妥協を求めながらも、新しい理想の形に収れんさせていかなければいけないからだ。

    この本の中に描かれれている山内さんの姿は、そのような相矛盾する現実それぞれに向き合うという意味で、どこまでも誠実な態度をとり続けていたように感じた。

    中央官庁の立場で生きていくこと、退職して福祉や公害の専門家として生きていくこと、そのいずれも選ばず、この複雑な状況そのものに向き合い続け、結果としてそこに殉じることになった山内さんの姿を見ると、その道がどれほど険しいものだったのかということが深く感じられた。

    自分自身が生きていく上で、その姿を記憶の中に留めておきたいと思う方であった。

  • 図らずも、初是枝作品が、映画でなくこれになってしまった。

    NHKクローズアップ現代の対談見てから一気にエンジンかかり、調べればいくつものご著書が!原点とも言える作品、なんて発見しちゃったら読まずにいられない!
    朝日新聞のコラムも目にして、”公共圏を豊かに”のフレーズにその関心が集約されている予感もあり、もう是枝沼にハマることは決定した、というところです。

    込み上げる激しい感情は今回なかったものの、静かな熱さにはやはり涙するばかり。誠実な人は誠実な人を引き寄せるんだなと、まさに出会いは鏡、詩を愛する山内氏と文学部出身の監督との共鳴とも言える洗練された文章と詩の味わいも加わって。

    もうこれは、一介のノンフィクションではなく、エッセンシャルな作品です。

    最後のエピローグ、亡くなって数年後の奥様の言葉が、シンプルに、純度高く、心に沁みた。

    「生は生としてそこにゴロっと転がっている」監督のそのスタンス、映画、追いかけます!

  • 20141028読了。
    映画監督、是枝裕和の初著作。水俣病に関わった官僚の死を取材し、ドキュメンタリー番組として放送されたものにさらに取材を重ねてまとめられたノンフィクション。
    日本の高度成長の負の遺産、水俣病。自分がその病気と政府の対応について全く知らなかったことがまず衝撃。「水俣病」という名前は知識として知ってはいたが、経済成長を優先させるために被害者への補償やを切り捨てる政府の対応。そのひどさや、政治家・官僚と呼ばれる人たちの保身、「臭いものには蓋」主義に震えるほどの怒りを感じる一方で、冷徹な官僚になれなかった山内さんのもがき苦しむ姿が辛すぎる。死へ向かっていく姿と支える奥さんの姿は涙なくして読めなかった。
    口下手な一方で、詩で自分を表現する。なんて不器用な生き方だったのだろうか。

  • 90年12月、環境庁のあるエリート官僚が水俣病訴訟の最中に自殺した。

    山内豊徳は東京大学時代に小説を何度も応募して落選し、一方当選して文壇にデビューしたのが大江健三郎だった。彼の青春時代の大きな挫折である。一方彼は、国家上級公務員試験に2番で合格、出世コースに乗る。しかし彼は厚生省という、あまり人の行きたがらない処に入る。

    彼はそこで数年間、大きな生き甲斐を感じる仕事に出会う。

    「福祉のしごとを考える」(中央法規出版)の文章を読むと、生活保護行政への考え方は極めてまともだ。昨今の生活保護パッシングのことを考えると、「幹部候補生の役人にこういう考えの人もいるのか」と驚きさえ覚える。

    私は答えてやった。「教えてあげよう、それはね、お前の新しい感情のためなのだ。お前に起こった新しい絶望、そしてそれは何故起こったのか、お前は知るまい。今日の敗北がお前をそんなに苦しめるのを」
    雲は答えなかった。私は淋しい気持ちで続けた。
    「そして絶望は消えるときがある。しかし敗北はどうにもならない。敗北によって変えられた生活はどうにもならないのだ。お前はまだいいさ、そんなとき、お前自身が消えてしまうのだから。しかし人間はいつまでも生きている。敗北に痛めつけられても耐えていなければならない。絶望にもよろこびにもどんなに苦しんでも人間は生きている。それがどんなにあわれなことか。少なくとも私にとってはまるで気が狂いそうなのだが」(262p)

    1953年16歳のときの創作断片である。彼は自分の作った詩や作文を、小学生の時から死の直前まで自ら整理し、おそらく何度も読み返していた。優しきエリート官僚は、学生時代から何度となく読み返されたであろうこの断片を、90年の国の水俣病和解勧告拒否という現実の前に、新たに読み返し、そして極限の敗北感を感じていたに違いない。

    この著作は2001年に「官僚はなぜ死を選んだのか 理想と現実の間で」という題で一度文庫化されている。同僚たちが、企業や反対運動の狭間でバランス感覚だけで立ち回っていたのに対して、あと少しで事務次官に届きそうな山内は「しかし」、そういう風に器用に動けてはいない。是枝裕和は云う。「(折衷案を見つけるのが行政の仕事だとしたら)行政の判断は、金と政治力をバックに圧力をかけてくる側に、常に有利にならないだろうか」(144p)

    最初の単行本は1992年「しかし…ある福祉高級官僚 死への軌跡」と題して刊行された。「しかし」というのは、山内が15歳の時に書いた詩から採っている。

    「しかし」とは、現実社会に対して異を唱える抗議の言葉であり、青年期特有の潔癖さを示す言葉であり、理想主義を象徴する言葉である。山内の人生はまさにこの詩の通り、常に逆接の人生であった。(259p)

    ここに、是枝裕和は自分自身をも見る。実際、「そして、父になる」の主人公のエリート社員は、その性格の優しさを最後には露呈し、敗北宣言をして、「しかしね、パパはここから始めたいんだ」と言って終わるのである。

    この著作の元になった著者の映像処女作フジテレビドキュメンタリー「しかし…福祉切り捨ての時代に」(91年3月12日)は、まさに「その作家の全てが込められていた」のではないか。映画監督是枝裕和の原点がここにある。DVDを探したが、残念ながら見つからなかった。

    今年度のベスト3の一冊になりうる本だった。
    2014年10月14日読了

  • 本書は昔、フジ系列のnonfixという深夜のドキュメンタリー番組で放送された内容を書籍化したもの。

    初めて是枝さんが作った(28歳の新米ディレクター)ドキュメンタリー「しかし・・福祉切り捨ての時代に」。
    福祉行政を歩んだ高級官僚の自殺と生活保護が受けられず焼身自殺した元ホステス。2人の人生を交差させつつ戦後日本が歩んだ福祉行政と福祉切り捨ての時代様相に迫った内容だ。

    私事だが、大学1年のとき講義でこのドキュメンタリーを見た。

    いまでも覚えている。

    官僚=悪、市民=善という善悪二項対立で作るのでなく、あくまで2人の人生の歩みに迫った内容だった。
    2人の生と死が福祉を媒介にして交差していく。
    いたずらに社会正義を振りかざすこともなく、スキャンダルに描くわけでもなく、取材対象者に真摯に迫る手法と内容に感動した。

    本書の記述は自殺した山内豊徳という一人の官僚とその家族に重点を置いている。特に山内夫婦のあり様が事細かに描かれている。どのように出会い、苦しみ、別れたか。夫婦の歩みにぐっと迫る様が映像という媒体と違って夫婦の物語を紡いでいる。一遍の小説を読んでいるようだった。



    余談だが。
    この本を読んで、なぜ是枝さんはここまで山内個人の生と死を、そして夫婦の歩みを細やかに記述できたのか。ドキュメンタリーを見た時点でそう思った。よくここまで奥さんに取材できたなあ、と。

    これには訳がある。
    是枝さんはある対談でこのドキュメンタリーについてこんなことを話していた。
    全ての取材が終わり、ドキュメンタリーもつくり終え、本も執筆したことを山内の奥さんに報告しに行った。


    そのとき奥さんはこういった。


    「なぜ初めて会ったあなたの取材を受けたのだと思いますか?」。


    是枝さんは分からず「どうしてですか?」と訊いた。

    すると奥さんはこう答えた。

    「初めて家に取材に来て、亡くなったご主人について話を聞かせてほしいとモジモジしながら喋っていたあなたの姿が、自殺した主人にそっくりだったんです」。


    是枝裕和という若きディレクターが一人の官僚をドキュメンタリーの題材として選んだのではなく、山内豊徳という人間の生と死が是枝裕和という表現者を選び取った。そうでないと作れないドキュメンタリーで、そうでないと書けない本である。

  • 山内豊徳氏という高級官僚の生と死を通して、職業と家族と自分との問題を考えさせられる。

    俺は彼のように純粋に、「力に負けずにあくまでも正しい者の味方をする」こともできないし、また彼のように不器用に、「現実にしごと(彼の場合は行政)を適合させていくことができない」こともないし、さらには彼のようにすべての人に誠実に対応しようとするあまり、「決断を遅らせたり、その発言を歯切れの悪いものにする」こともない。

    しかし、そういう彼の特徴として書かれている部分は俺の中にも少なくない。そしてそれは、個人としては尊敬に値するものだ。

    彼の死は、家族にとっては悲しい出来事だったろう。しかし彼自身にとってはどうだったのだろう。死の瞬間、一度は死ではなく失踪を試み、そして翻って自宅に戻り、午後から出社すると偽って自室で死に向かった時に彼の心象風景はどのようなものだったのだろう。もしかしたら、彼にとっては家族よりも公共性が重要であったようにも思えることから、官僚としてできるだけのことはやった、やった結果として、ある必然の死だったとすれば、それは、あながち「悪い結果」ではなかったのかもしれない。

    そう考える時、「彼のような不器用さでは社会には通用しないのだ」という感想は、少々的をはずしていることになる。「彼のような不器用さがあってこそ社会の中で自分たりえるのだ」と。

    しかし、そのことと、自分にとっての幸せとはまた異なる。何とも、答えのない海に放り出されたような気分だ。

    【追記】あとがきを読んで

    筆者によるあとがきに、こうある。

    「山内豊徳という人間は~中略~やはり加害者側の人間であったと言わざるを得ないし、又同時に時代の被害者でもあった~中略~彼はそのふたつのベクトルに引き裂かれながらアイデンティティの二重性を生きた~中略~多くの人はこの内なる加害者性と向き合うことが辛くて、目をそらしているに過ぎない。」

    この内なる加害者性こそ、俺が「先生」と呼ばれる職から逃げ、そして今の民間の業務においてすら「一歩踏み込めない」原因になっているものだと思う。

    しかし、内なる加害者性に挑んだ山内氏。彼を突き動かした「数や力では無く正義に味方する」という態度。そういう強さを目指して、やってみようと思う。

  • 酷いコトと承知で書くならば、「良い官僚は、死に追い遣られた官僚」と言うコトか、、、

    PHP研究所のPR
    http://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-76155-8

  • 【読書その73】厚生省の大先輩である山内豊徳氏を知ったのは、大学時代。父の本棚に山内氏の著書「福祉の国のアリス」を見つけて手に取った時である。その本は厚労省に入り、福祉をやりたいという自分の気持ちを大いに奮い立たせるものだった。
    その後、この文庫「雲は答えなかった」というタイトルに変更される前の「しかし・・ある福祉高級官僚 死への軌跡」を手に取った。そのときの自分の想いと現実に阻まれて死を選んだ山内氏の衝撃は今でも覚えている。
    あれから約10年。自分も来月で社会人10年目。家族を持って、この本を読んで感じるものも明らかに変わった。自分の想いと現実との狭間、レベルは違えど役人であれば必ず経験するはず。今後自分も色々な場面で経験するだろうが自分に嘘をつかずやっていきたい。

  • あとがきがすごいの。

  • 重たい読後感で、何ともすっきり整理できない。福島との相似を思わずにはいられないが、それだけではない。個人の生き方と社会の関係。。。

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著者プロフィール

著者)是枝裕和 Hirokazu KORE-EDA
映画監督。1962 年東京生まれ。87 年早稲田大学第一文学部卒業後、テレビマンユニオン に参加し、主にドキュメンタリー番組を演出。14 年に独立し、制作者集団「分福」を立ち 上げる。主な監督作品に、『誰も知らない』(04/カンヌ国際映画祭最優秀男優賞)、『そ して父になる』(13/カンヌ国際映画祭審査員賞)、『万引き家族』(18/カンヌ国際映画 祭パルムドール、第 91 回アカデミー賞外国語映画賞ノミネート)、『真実』(19/ヴェネ チア国際映画祭オープニング作品)。次回作では、主演にソン・ガンホ、カン・ドンウォ ン、ぺ・ドゥナを迎えて韓国映画『ブローカー(仮)』を 21 年撮影予定。

「2020年 『真実 La Vérité シナリオ対訳 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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