- Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569771069
作品紹介・あらすじ
"ならず者"の哲学者と"ふつう"を尊ぶ思想家。二十年にわたり論壇で異彩を放つ同世代の二人が、五年前に邂逅。「人間づきあい」「ものを書く理由」「善悪」「愛」「幸福」「未来と死」「哲学と人生」の7テーマで、殴り合いの往復書簡が始まった。そこで浮き彫りになった感受性と信念の明瞭な違い。「小浜さんの本を読むと、そのまともさにイライラします」「中島さんはワルぶってるけど、まともな常識人でしょ?」-どんなに言葉を尽くしても、人はわかりあえないものなのだ。そんな絶望的な存在だからこそ見えてくるものがある。
感想・レビュー・書評
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それはそうですよ。他人なのですから。
思考も趣味も違う他人と分かり合おうと想う事こそ
傲慢だと、私は想いますね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
中島×小浜のこの組み合わせに「何て俺得なんだろう」と独りごちたのは私だけではないと信じたい。
いやー、笑った。往復書簡集としては一番笑いました。中島爺さんと小浜爺さんが口汚く罵り合い、取っ組み合い殴り合いの言葉合戦をしているだけの本です。哲学をシマに争ってるとすれば、中島組長と小浜組長とのタイマンですか。若頭の頃にお世話になった親分も違えば、お互いのシマに対する考えや組のあり方についても意見も水と油の如しです。いずれにせよ、年季が入った争いですね。どっちが勝ってるともどっちが負けてるとも言えず、遮二無二なって、そうですねぇ、『〈対話〉のない社会』(中島)流に言えば、「お互いの背景を尊重しつつ裸になって真理を求めて探求し」争った結果と言うべきでしょうか、その結果が、『やっぱり、人はわかりあえない』。
んー。深いですね〜(小並感)。
やっぱり、中島さんはプロパーの立場を堅持しようとしながらどこまでも何と戦ってるか分かんないし、小浜さんは過激派とも取れるような攻撃的な姿勢を示しながらどこまでも考えがマトモ。
やっぱり、中島さんは小浜さんを殴るようでいていつも通り自分をも殴り出すし、小浜さんは中島さんを執拗に殴るようでいて中島さんの「プロパー攻撃」を繰り出されたらたまらないとビクビクしている。
やっぱり、カント主義vs功利主義、非常識vs普通、「哲学は役に立たない」「いや役に立つ」、「未来はない」「いやある」、と互いに物の見事に対立しながら、結局きたねぇ泥仕合跡地が7つ出来ただけという不毛さ。
こんな、手紙を出すごとに野球拳よろしく服を脱いでいく二人を眺めながら、しかも全くピチピチではない、ドギツイ加齢臭を放つ爛れた皮膚(しかも痣付き)を見させられげんなりしながら、思いましたよねー。
これって、哲学科の学部生がカンティアンの先生とどうしてもしてしまう、考え方・アプローチの違いによる、よくある対立じゃね?
って。
〈例1〉
学生「先生!カントの考え方はやっぱ変です!」
先生「あなたとはパラダイムが違うのです!そこを勉強なさい!」
〈例2〉
学生「カントって正直合わないというか(ry」
先生「じゃあ存在に関する議論でプラトンからしっかり順を追って(ry」
〈例3〉
学生「自由意思が分かりません!何で自由意思があると悪が問題になるんですか?」
先生「まず、自由意思という単語は誤りです。正しくは『自由意志』です。
それから、自由意志と悪の問題についてはアウグスティヌス以来スコラ哲学それからライプニッツが(ry」
カントの先生に、しかもストイックなカンティアンの先生と進路や論文について相談したり、主査のお願いをしたことがある哲学科の学生だったら思い当たる節があるのではないでしょうか。ちなみに、若干単純化しましたが、先に挙げたのは全て私の実体験です。
ま、そういうの、思い出しましたよねー。。。 -
分かり合えない、というと寂しい気もするけど、この人たちはある意味「分かり合ってる」と思う。互いに相手のことを分かっているが、受け入れないという意味で分かりあっていない。
でも、中川義道さんの方が子供だと思った。まあ、そんな人も好きだけど、彼の意見は集積体としてしか役に立たない。その考え方についてはスペシャリストだが、他の事は理解しようとしない。誰でも彼でもその傾向はあるけどね。彼を見る人は、彼の特徴を汲み取るだけで、彼を否定したりする必要はない。彼も自分の考えを人に押し付けるような事はしないだろうし、そこが素敵なところだよね。
そう思うのは自分の心の弱さと、それに付随する自己顕示欲のせいなんだろうな。「自己顕示欲」これについても、もっと広い視野でもって研究していかないといけないな..... -
あたしの大嫌いな哲学者・中島義道さんと、あたしの大尊敬する思想家の小浜逸郎さんの往復書簡。
そもそも、わかりあおうとする気のないお2人です。
中島さんはねぇ、嫌いなんだけれども、とっても興味を抱かせるお方なんですよね。
やっぱり、ある意味、好きなんだな。 -
ただの老人の喧嘩を読まされた気がする…。今までにこの二人の著書はいくつか読んだことがありました。
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面白かった。価値観の違ういい年したおっさんがあーだーこーだと言い合ってるんだけど、話が整然としているのでとても読みやすかった。
自分の考え方はこうですって述べてるだけで、それを他人に押し付けないやり方がいいのかな。 -
哲学に興味を持った動機はなんなのかを読了後にフト思う。小事にかまけていた若い頃には考えなかったが、人生の終わりに近づき「自分とは一体なんだったんだろうか」という漠然とした疑問が湧いてきたからだ。今のところ、中島義道のように「ぐれる」ほど強くもなく、小浜逸郎のように「普通主義(自分なりの命名は「マジョリティの本能主義」)」にもなりきれず・・・といったところだ。どうにもこうにも納得するまで、時間が足りない。世界観・人間観が違う人間がわかりあえるはずがない。
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中島さんと太宰が似ていると言うのは納得。
後半は難しくて挫折(>_<)
こういう風に殴りあいの喧嘩みたいな議論ができるのは、冷静な分析力と知識があってこそ。羨ましい。 -
この世ではすべての人が全人生のどこかである個人的な好みや利害に基づく対人的意思や行為が期せずして普遍的な精神作用としての倫理に重なる瞬間を経験しているはずである。
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なんだか難しい内容だった
2人の著書を読んでみたいと思った