平気で冤罪をつくる人たち (PHP新書)

著者 :
  • PHP研究所
3.00
  • (2)
  • (1)
  • (4)
  • (3)
  • (1)
本棚登録 : 34
レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569776316

作品紹介・あらすじ

菅家利和さんの無実が確実になった足利事件。男性にとって決して他人事ではない痴漢冤罪。これらの悲劇はなぜ起こるのか。「起訴された刑事事件の有罪率-九九%」という驚くべき数字は、本当に妥当なものなのだろうか。実は日本の裁判官には、誤判を必然的に生んでしまうある心理傾向が存在する、と著者は指摘する。元裁判官だからこそ告発しうる冤罪の根源から、日本の司法の「建前」と「現実」の甚だしい乖離が見えてくる。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 足利事件
    事件概要が掴める。あらましから、無罪判決、締めで誤判の原因までを語る。DNA鑑定を「夢の科学技術」と思い込み捜査、裁判をしてしまったことが原因としてあげられている。

    思い込みは時として事実をもねじ曲げる。言葉は悪いが、解釈が真実になることが示されるいい例。

    痴漢冤罪
    もし当事者になったら名刺を渡して立ち去るのぎ良いと書かれる。水掛け論であるにも関わらず、原告被害女性の証言が「証拠」として採用されてしまうことの怖さを取り上げる。
    そして、裁判官の判断の間違いを指摘する。勾留するには(1)犯罪事実の疑いがあること。(2)住所不定であること。(3)罪証隠滅のおそれあるいは逃亡の可能性があること。このようなことが起こり痴漢有罪となってしまう。

  • 2010/5/23
    足利事件、痴漢冤罪事件を題材に、日本の司法に冤罪をつくる原因が内在しているとの主張を行っている本。裁判官であったという経歴を錦の御旗に、高所から断罪する筆者の姿勢には、日夜、地べたを這いずり回って治安維持に尽力する大多数の警察官、検察官や裁判官の職務への理解や共感、かつての自らの職務への誇りは微塵もない。

    そもそも、有罪率が99パーセントであることを「異常なこと」と捉え、それをも冤罪の原因と主張する筆者の論拠には甚だ違和感を覚える。確かに足利事件等の冤罪事件は許されることではないが、どのような司法制度にも冤罪はつきものであり、大まかに見れば、日本の司法制度は有効に機能しているのではないか。

    足利事件の概要を分かりやすくまとめている点は評価できるので星2つ。

  • [ 内容 ]
    菅家利和さんの無実が確実になった足利事件。
    男性にとって決して他人事ではない痴漢冤罪。
    これらの悲劇はなぜ起こるのか。
    「起訴された刑事事件の有罪率―九九%」という驚くべき数字は、本当に妥当なものなのだろうか。
    実は日本の裁判官には、誤判を必然的に生んでしまうある心理傾向が存在する、と著者は指摘する。
    元裁判官だからこそ告発しうる冤罪の根源から、日本の司法の「建前」と「現実」の甚だしい乖離が見えてくる。

    [ 目次 ]
    第1章 有罪率九九%の疑問
    第2章 足利事件に見る誤判の原因(足利事件の概要;DNA鑑定の光と影  ほか)
    第3章 痴漢冤罪の場合(典型事例で考える;水掛け論でも有罪 ほか)
    第4章 冤罪は必然的に起こる(告告人無罪推定の原則;裁判実務上の原則逆転 ほか)
    第5章 冤罪蔓延がもたらすもの(裁判所の暴走;国民の基本的人権が有名無実化  ほか)
    第6章 冤罪根絶のために(裁判腐敗の現実を知ってほしい;裁判所信仰を断ち切る   ほか)

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 菅家利和さんの無実が確実になった足利事件。男性にとって決して他人事ではない痴漢冤罪。これらの悲劇はなぜ起こるのか。「起訴された刑事事件の有罪率 ― 九九%」という驚くべき数字は、本当に妥当なものなのだろうか。実は日本の裁判官には、誤判を必然的に生んでしまうある心理傾向が存在する、と著者は指摘する。元裁判官だからこそ告発しうる冤罪の根源から、日本の司法の「建前」と「現実」の甚だしい乖離が見えてくる。
    (「BOOK」データベースより)

    「冤罪」というと、今だと菅家さんの足利事件が記憶に新しい。DNA型の再鑑定がやっと認められて、無罪判決を勝ち取った事件だ。マスコミからの情報だと、起訴当時のDNA型鑑定の方式が古く、現代のものと比較にならないくらい精度が低かったため、誤判が起きたのだという感じを受けたが、著者はそれは違うという。
    著者は大学の理学部化学科を卒業・同修士課程修了後に民間の研究所で働いていたが、独学で司法試験を受けて合格し、判事となった人物である。いわば、理系にも詳しい裁判官ということだ。よって、当時からDNA型鑑定についても他の裁判官よりは詳しく、その危うさにも気づいていた。そんな段階で最高裁がDNA型鑑定の証拠能力について、言及していることにも問題を投げかけている。

    さて、DNA型鑑定の精度の低さが冤罪を生み出したのでなければ、何がこの冤罪を生み出したのか。当時のDNA型鑑定プラス血液型が一致する可能性は1000分の1.2だそうだ。10万人に120人という計算である。これは果たして菅家さんを有罪にするためのハードルを越えるだけの証拠能力を持つのだろうか。日本には成人男子が何人ほどいるだろう。本書の中ではおよそ3000万人と仮定している(1億2000万人の半分が男だとして、そこから子供と老人を除くとそれくらいだろうということで)。そうすると、このDNA型プラス血液型に一致する男性は日本国内に3万6000人いる計算になるのである。菅家さんはその中の一人に過ぎない。これは果たして「有罪」と断ずるに足りる証拠だろうか。

    裁判官も人間だ。起訴された刑事事件の有罪率が99%だという先入観が当然に頭の中にはあるだろう。そうすると、検察側の提出してきた証拠能力に対する信頼度も違ってくる。
    検察側も人間だ。起訴した刑事事件の有罪率が99%だという先入観が当然に頭の中にはあるだろう。起訴さえできれば有罪になる可能性は高い。となると、それなりの証拠だけ揃えて起訴してしまえという気持ちは芽生えないだろうか。

    本書では足利事件と、痴漢冤罪事件に特に言及している。足利事件については、科学技術の進歩により無罪となったのではなく、当初から冤罪が生まれるべくして生まれたのだという。そして、痴漢冤罪事件においては、本来認められるべきではない勾留が認められ、警察官に付いていったが最後、長期間(約23日間)拘束されるという結末が必然的に決まっており、「話せばわかるだろう」が通じないということを述べている。「チカンです!」と腕を掴まれたら決して駅員に付いていってはいけない、警察官に付いていってはいけない、ということだ。では、どうすべきか。それは本書を読んでいただきたい(決して、振り切って逃げろというわけではない)。

    現在の裁判制度の中で、冤罪は生まれるべくして生まれている。それが本書の主張であり、それを無くすためには国民の監視が必要だということ。
    さて、本書に書いていることが真実なんだろうか。当然、こういう疑問が生まれてくる。恐らく真実のように思える。しかし、マスコミの報道を鵜呑みにしてはいけないのと同じく、一冊の本に書かれていることを鵜呑みにするのも危険である。何が真実なのだろうかと疑問を持つことは大事だという思いがある。本書に書かれていることも念頭に置きながら、現代の裁判における問題について学んでみたいと思う。

    そう言えば、もう一つ「冤罪」といえば、高知のスクールバスの運転手の事件を思い出す。スクールバスと白バイとの衝突事件だ。「高知白バイ事件」。この事件も、すっきりとしない。

    法律と己の良心のみに従い、人を裁く裁判官は存在しているのだろうか。

  • 元裁判官による、司法制度の問題、特に冤罪に対して警鐘を鳴らしている。

    足利事件の冤罪と、痴漢冤罪の二つを例に挙げて、冤罪が生じるプロセスをわかりやすく説明されている。

    冤罪というよりも、足利事件について概要をわかりやすく知りたい人向けという感じがしました。

  • 元裁判官による、現在の司法の在り方を問う新書だ。
    大部分を、有罪確定し服役した後に無罪判決が下された足利事件について割いている。
    マスコミでは捜査を誤ったとして警察、検事を批判する論調が強いが、著者は裁判官にも責任があったと指摘する。
    「グレーは無実ではなくとも無罪である」という、有罪を確定するためのハードルがいかに高いか、そのハードルを軽んじる風潮が現在の司法にはある、という話は興味深い。
    ただ、こういう新書の著者って、どうして「自分だけが正しい、あとはみんな駄目」というスタンスなんだろう。
    なんか好きになれない。

  • 裁判所も国家権力であることをお忘れなく

全8件中 1 - 8件を表示

著者プロフィール

同朋大学大学院人間福祉研究科・社会福祉学部准教授。臨床心理士。
名古屋大学大学院文学研究科博士前期課程(心理学専攻)修了(文学修士、1982)。愛知県児童相談所に勤務(1983〜1999)。1999年より同朋大学社会福祉学部専任教員。家族援助論、児童福祉臨床研究などを担当。児童家庭相談、特に児童虐待防止ケースマネジメントを研究。
主な著書等:『児童虐待へのブリーフセラピー』(共著 金剛出版 2003)、『新生児医療現場の生命倫理』(共著 メディカ出版 2004)、「サインズ・オブ・セイフティ・アプローチ入門」(共著 そだちと臨床vol.2 明石書店 2007)。訳書として、『安全のサインを求めて』(ターネル、エドワーズ著 共監訳 金剛出版 2004)、『児童虐待を認めない親への対応』(ターネル、エセックス著 共監訳 明石書店 2008)

「2008年 『子ども虐待防止のための家族支援ガイド』 で使われていた紹介文から引用しています。」

井上薫の作品

ツイートする