プロ弁護士の処世術 (PHP新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569794723

作品紹介・あらすじ

この世は不確実である。だから人生は変えることができる。目標をもち、努力し、楽観的にふるまえば、貧乏でも、学歴がなくても、人脈がなくても道を開くことができるのだ-。夢を実現する働き方から、お金の稼ぎ方、健康維持法、人間関係や家庭問題などの合理的な解決法まで、キャリア豊富な国際派弁護士による仕事の現場で鍛え上げられた処世訓・全8章。

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    矢部正秋
    1943年生まれ。本業は国際取引、企業法務を専門とする弁護士。自動車会社に5年間勤めた後、東大大学院に社会人入学。弁護士登録後、ワシントン大学大学院へ留学(フルブライト奨学生)。傘下に5000人の弁護士を擁する国際弁護士ネットワークのアジア・太平洋地域代表理事、日本企業・外資系企業の取締役、監査役などを歴任。200社を超える多国籍企業を顧客としている。青年時代よりストア哲学と仏教に関心を持ち、仕事の傍ら40年余にわたり豊かな生き方の研究を続け成果を発表している


    「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助(一八九四 ─ 一九八九)、鉄鋼王アンドリュー・カーネギー(一八三五 ─ 一九一九)、および古代都市トロヤを発見したハインリッヒ・シュリーマン(一八二二 ─ 一八九〇)である。

    漆工芸界の巨匠松田権六(一八九六 ─ 一九八六)は、二十代の若さで衝撃的なデビューを果たし、大胆な構成と鮮烈な意匠で、近代 漆芸 の金字塔を打ち立てた。東京美術学校(現東京芸大)で教え、漆芸家として創作し、古美術を研究し、デザインもやる人だった。その作品は、たおやかさと繊細さを兼ね備えている。飛翔する鶴の足の先まで流れるような躍動感があり、木の幹にも木の葉一枚にも緊迫感がみなぎる。

    松田は、「非凡とは平凡の積み重ねである」といい、「私は天才ではないから、続けることによって成果を上げる」と努力の大切さを説いた。  彼は庭の植物を観察し、それをヒントにして、毎日必ず一つは新しい図案を考え出すことを日課とした。「一ヶ月で三十、一年で三百六十五と積み重ね、千案になれば必ずよいものがある」と常々語っていた。  ある日、弟子が一日に百図案を描いて松田に見せたら、「数の問題ではない。こつこつ努力した一案が大切なのだ」とひどく叱られたという。調子のよい時も悪い時も毎日一図案を描いて、何もしない日をつくらない。そのような地道な努力が大切なのである。(松田権六『うるしの話』岩波文庫)

    「一日休めば自分が知り、二日休めば師が知り、三日休めば世間が知る」という通り、芸の向上には毎日の修練が欠かせない。日課という方法に気づけば、目標は半ば達したようなものである。日々の歩みは遅々としていても、思いがけなく大きな成果をあげることができる。日々歩む者こそ最も遠くへ行くのである。

    好きなことが多ければ多いほど、楽観的に生きることができるし、幸福になれる、とラッセルは説く。イチゴが好きな人は、嫌いな人のもっていない一つの快楽をもっているのであり、それだけ人生は楽しいのである。フットボールを好きな人は、嫌いな人よりそれだけ人生の楽しみ方がうまいのである。  多くのことに興味をもてばもつほど人間は幸福になれるし、幸福な人間は悲しみにもよく耐えることができる。悲観主義者より楽観主義者のほうが、豊かな一生を送ることができる。

    楽観的に考えると、よい結果が生まれる。悲観的に考えると、人生はその通りになる。  楽観主義は、強力な磁石のようなものである。楽観的に考え、前向きに語る人物に、世間は魅力を感じるものである。確信に満ちた話し方、大きな声、快活な動作が人を引きつける。物事を楽観的に考えると、心が躍動し、知恵が湧いてくる。だが、悲観的に考えると、心が萎縮して知恵も出てこない。

    仕事は自分の快楽のためではなく、他人に「奉仕」して「報酬」を得るためのものである。だから、本来、おもしろいことではない。お金を稼ぐためには、人に頭を下げなければならない。それが社会の決まりである。

    秀吉には、これに類するエピソードが多い。彼には地盤も人脈も家臣団もなかったので、信長の信頼を得るため、無理難題に耐え、仕え通した。明け方も夜中も問わず、骨身を惜しまず信長に尽くし、やがて太閤までのぼりつめた。

    「仕事の本質は秀吉の草履取りに 有り」とは、解剖学者の養老 孟 司 さんの言葉だが、いい得て実に妙である。時代は変わっても、仕事の本質が「秀吉の草履取り」にあることは、何ら変わらない。生きるにはお金が必要であり、お金を稼ぐには他人のために働かざるを得ない。「与えられた仕事」をこなして報酬をもらう、このシステムが変わらない限り、仕事とは「他人への奉仕」であるほかないのである。

    最近は、働く目的は「自分の成長」や「仕事の達成感」という人が多いそうだが、職場はやりがいのある仕事を探すところでもなければ、自分探しをするところでもない。みんなが雑巾がけや下働きを嫌ったら、会社は成り立たない。仕事がつまらないとか、自分のキャリアに役立たないとか、泥臭い仕事を嫌うのは、天に唾するのと同じである。どんなにおもしろくない仕事でも、給与の三倍は稼がないと会社は成り立たない。文句ばかりいって仕事を手抜きするようでは、上司の受けが悪くなるのは当たり前である。

     彼は字が上手だったので、ある日たまたま親方から請求書の作成を頼まれた。見ばえのよい請求書をつくると、悪筆の親方は非常に喜んだ。これが最初の小さなきっかけだった。カーネギーは計算も得意だったので、やがて親方から勘定書の作成も任せられた。親方は単式簿記を使っていたが、大きな商社では複式簿記を使っているのを知り、彼は同僚と塾に通って複式簿記を学んだ。  こうしてカーネギーは、現場作業からデスクワークへ変わるチャンスをつかんだのである。のちに彼は電報配達夫に転職し、電信技手に抜擢され、さらにその後、鉄道会社の秘書兼電信技師として引き抜かれ、運を開いた。

    「チャンスは、結局、人を介してやってくる。社会に出れば多くの人と接するのだから、必ずチャンスに出会う」そう彼はいう。彼だけでなく、道を開いた人は、「チャンスはみんなに開かれている、チャンスはどこにでもある」と感じている。

    われわれは、長い人生で少なくとも数千人の人に出会う。誰に出会うかは偶然であるが、今の仕事に全力投球し、創意工夫を加えれば、必ずチャンスに出会う。つらいから、おもしろくないからといって、仕事の手を抜いていたら、決してチャンスは回ってこない。仕事の意欲に欠ける部下は、もうそれだけで上司の信頼を得ることはできない。

    いくら頭がよく才能豊かな人でも、自分一人の力で成功した人など誰一人いない。みな、上司、先輩、取引先、顧客などの目上の人の「引き」があって道が開けたのである。職場での出会いは、人生で最も大切な出会いである。

    そういう私は二十代から三十代のはじめにかけて、きわめつきの不平不満家で、上司批判の先鋒だった。定年間近の上司が若手の企画を握りつぶし、指示はコロコロ変わり、仕事中にゴルフのスイングの話に興じているのが不愉快で、あからさまに批判した。そうこうして一年がたち二年がたったが、居酒屋で仲間と上司をこきおろしても、現実は何も変わらない。そのままだったら、私はどこにでもいる不平不満家で、チャンスにもツキに恵まれないまま一生を終わっただろう。

    思いついたことは何でもノートに書いておく。生煮えのアイディアや、実行できないアイディア、荒唐無稽なアイディアも気にしない。使いものになるアイディアは三十件の一件にも満たないが、二十九件のムダなアイディアがないと、よい発想は生まれず、思索は結晶しない。

    物事は、はじめのころはかすかなシグナルしか現さない。物事の意味は、時の経過とともに、少しずつはっきりしてくる。時がたち、考えが深まった後にはじめて、ムダだったとわかるのである。ムダなアイディアも洗練された考えに至るために必要である。一つのよいアイディアは、多くのムダな考えの積み重ねの上にはじめて生まれるものである。

    松下幸之助も、「よい仕事をすればお金はついてくる」という。「金は天下の回りものやから、いいことをしていれば、自然に集まってくる。やることに間違いがなければ集まってくる」とも語っている。いくら儲けようと思っても、それに見合う商品やサービスを提供しなければ、お金は儲からない。逆によいものを提供すれば世の中のためになるから、結果としてお金は必ずついてくる。よい仕事をすることが目的であって、お金を儲けることが目的ではない。お金は仕事の潤滑油で、あくまで道具にすぎない。

    松下幸之助は、米相場に手を出して破産した父親を見ていたため、「土地を、値上がりを待って儲けるために買うのは非社会的である」と、不動産取引でさえ嫌った。土地や株など投機的なものには手を出さず、競輪や競馬などの賭け事もしなかった。「お金の値打ちがわかるためには、長い間苦労して貯めなければならない」「貧乏をしてはじめてお金の値打ちが心底からわかる」というのが信念だった。

     徳川家康(一五四三─一六一六)は、食事、運動、睡眠など生活の全般にわたって、健康オタクと思えるほど健康に配慮していた。今川義元が美食と太りすぎで馬にも乗れないのを間近に見て、戦国を生き抜くには健康が第一と考え、ひたすら養生した。(以下は篠田達明『戦国武将の死生観』新潮選書を参考とした)

    少年のころから毎日のように乗馬、鉄砲、弓、刀などの武術に励み、流れの速い安倍川で泳いだ。最も好んだのは鷹狩りで、七十歳をすぎても山野を駆けめぐった。鷹狩りのため朝早く起きるので朝食もおいしく、体も疲れるから夜はぐっすりと眠れる。これこそ薬にまさる最高の養生であると家康はいう。

     家康は、それまでは戦闘術にすぎなかった武術を健康法ととらえた、おそらく最初の武人である。戦乱に次ぐ戦乱の一生を送ったが、体の鍛練のためには時間を捻出した。運動の時間が取れないとこぼす現代人のよいお手本である。

    彼は美食を避けて、玄米に大豆味噌を中心にした簡素な食事を好み、食べ物には必ず火を通した。生水は飲まず、野菜や果物は 旬 のものしか食べなかった。もちろん煙草は吸わず、性病を恐れて遊女は決して近づけない。

    家康はまた薬マニアで、 薬研、 天秤、 薬 箪笥 など製薬道具ひと揃いをもち、自ら薬草を調合した。こうして七十五歳という長寿をまっとうした。今でいえば九十歳ほどだろうか。

    この「完全休養実験」の結果は、予想をはるかに超える衝撃的なものであった。わずか三週間の完全休養だけで、心臓循環器系の機能が一気に三十歳近くも老化したのである。骨密度の減少や、筋肉の萎縮など健康に与える影響は甚大だった。慢性の運動不足は、身体機能の著しい低下を引き起こしたのである。

    私たちは絶えず体を動かしていなければ、臓器も血液もホルモンも免疫も、たちまち機能が低下してしまう。人間は絶え間なく体を動かすことによってのみ、肉体を維持できるのである。

    考えてみれば、人は太古から食料と安全なねぐらを求めて一日中歩き回ったのである。縄文時代の女性は一日平均十七キロメートルを歩いていたというし、本多静六博士や 神 沢 杜 口( 後述 参照)も、八十歳をすぎて二十~三十キロは平気で歩いた。それに対し、現代人は決定的に運動不足である。「学生時代にラグビーで鍛えたから体には自信がある」などというのは、まったくの錯覚にすぎない。かつて鍛えた筋肉は体脂肪に変わり、骨密度は元気な妻にもおよばないだろう。昔取った 杵柄 は、今では無意味である。

    人間に完全なる休養は許されていない。一生を通じて活動することが、人間という動物の宿命である。働きすぎるのは愚かだが、心身を使わない無為の生活は人間をダメにする。人生には絶え間ない活動が必要である。運動は勉強より、はるかに大切な自己投資である。  運動は、人生で最も見返りの期待できる投資である。運動する時間がないという人は、やがて病気のために時間を失うことになる。(エドワード・スタンリー)

    哲学者のニーチェが、「永劫回帰」のヒントを得たのは、スイスにあるシルス・マリアの湖畔を散歩していた時だった。哲学者のカントは、毎日二時間をかけて 菩提樹 の道を八往復した。哲学者の西田幾多郎 は、京都の若王子神社から銀閣寺までの 疏水 沿いの散策路を好んで散歩した。のちにこの小径は「哲学の道」と呼ばれるようになった。『森の生活』の著者ソローは、一日四時間歩くことで精気を養ったというが、これはもう散歩というより生活そのものである。外山滋比古さんは一日二時間の散歩を五十年以上続けている。皇居の周りを散歩するため定期券を買っているという。

    よく歩く人間は小さなことにとらわれず楽天的で、脳の血流もよくなるという。心身は思いがけないところで相関しているものである。

    貝原益軒は、養生のためには「心を静かにし、体を動かすのがよい」といっている。心は清明であることが好ましいが、体は常に動かさないと、たまった水が腐るように気力が停滞して病を得てしまうという。だから益軒は家事もいとわなかった。使用人を使うより、小さな用事も自分でやるほうが、健康にはるかによいという。

    学生時代は身長百七十七センチ、体重六十九キロで、理想的な体重だった。しかし、就職して二~三年で三キロ増え、結婚して四キロ増えて、七キロ増が定着してしまった。仕事が忙しいとつい大食をして、八十キロ近くまで増えてしまう。そうなると、腹や腿に脂肪がつき、動作が鈍くなり、血圧もあがり、頭の切れさえ鈍ってくる。あわててダイエットして七十六キロに戻す。こんなことのくり返しで四十年たってしまった。

    健康法の中で、「早起き健康法」が最もすぐれている。早寝早起きをすれば、「八つの健康習慣」をおのずと実践できる。朝の散歩をして日光に当たれば、おなかがすくので朝食は欠かさないし、早寝するために夜の仕事も自然と制限するようになる。

    私も二十代にはどう生きたらよいかわからず、閉塞感に打ちひしがれた。三十代、四十代には仕事が思い通りにいかず、焦燥感にさいなまれた。五十代にはバブル崩壊の余波で事務所の資金繰りに苦しんだ。仕事のストレスや対人関係の 軋轢 などで、心はいつも鬱屈していた。ネズミ講の残党を相手にしたり、流血騒ぎになりかねない労働争議を扱ったりし、怒りや不安にさいなまれて、眠れない夜を過ごした。

    「運動」は、悩みを晴らす最高の良薬である。感情を整え、悩みを緩和する。とくに、ウォーキングなどの有酸素運動はマイナス感情を解消する効果がある。ストレスを感じる時、体内ではカテコールアミンが分泌されているが、カテコールアミンは有酸素運動によって代謝され解消するから、運動の効果は生理的にも明らかである。

    哲学者アラン(一八六八│一九五一)は、悩むことに格別の意味があるとは考えなかった。体を動かさないから悩みが深いので、体を動かせば悩みは消え去ってしまうという。

    悩みがある時には理屈を考えたりしてはいけない。腕を上げたり、屈伸したりといった運動をやってみるのがよい。リラックスした肉体の中には恐怖は存在することができない。(『幸福論』アラン)

    散歩を好んだ哲学者は数多い。彼らは軽い運動でさえ不安を解消し、気分を鎮めるのを肌で知っていたのである。運動の習慣のない者は、知恵は多くとも悩みは深いものである。

    食事やおしゃべりを重視する文化圏では、自殺率が低いという。日本では自殺を図った人のうち、八割が誰にも悩みを相談しない。とくに男は悩みを打ち明けることをためらうが、弱音を吐くのは恥ずかしいことではない。理不尽や不条理な目にあえば、どんなに楽観的な人でも落ち込むのは当たり前である。むしろ、自分の弱さを認めることのできる人は、表面だけ強がっている人より芯の強い人である。

    弁護士を長くやっていると、性善説など 戯言 にしか思えなくなる。

    組織には、いわば「善人」「悪人」「普通の人」が混在しているというのである。これは弁護士としての体験からも、大いに納得できる(ただし、私の経験からいうと「悪人」の割合はもう少し高いと思われる)。  組織が三十人だと一人の「悪人」がおり、七十人だと二人の「悪人」が、百人だと三人の「悪人」がいるだろう。一千人の組織だと三十人という大変な数になる。  もし、七十人の大部屋で仕事をしているなら、二人の「悪人」がいる可能性が高い。技術情報をもち出すかも知れないし、顧客名簿をライバルに漏らすかも知れない。ネットで怪文書をバラまき、会社を中傷 誹謗 するかも知れない。

    一流証券会社の社員がインサイダー取引をした時、会社側は「優秀な男で期待された男が何であんなことを……」とコメントしていた。しかし、これは逆で、優秀だから悪事に走るのである。おそらく、脳の「頭のよさ」と「悪賢さ」をつかさどる部位は同じだが、「頭のよさ」と「誠実さ」をつかさどる部位は、まったく違うのである。「頭のよい人」で倫理観に富んだ人が少ないのは、そのためである。 「悪人」は、しばしば有能で仕事もでき、上司の受けもよい。彼らも表面は普通の人だから、本性はわからない。だから、どんなに対策を講じようと、いつか必ず不祥事や犯罪が起きる。

    マキャベリのいうように、世を渡るには性悪説を基本とするのがよいので、性善説に惑わされると身が危うい。家から一歩外へ出たら、人の善意や良心は期待できない。とくに、近づいてくる人は、昔からの友人でも、一歩立ち止まって吟味するとよい。人を疑うのは恥ずべきことではなく、世渡りに必要なスキルである。「悪貨は良貨を駆逐する」というが、世間も同じで、悪人ははびこり、善人は隠れる。交際を広めるよりも、まず危ない人を避けることが肝要で、それさえできれば、人生のリスクは大幅に低減する。

    しかし、そうはいっても、人は他人の力を借りることなく生きてはいけない。衣食住さえ、他人を通じてしか入手できない。生きているのは、知人、友人、他人のおかげであり、家族、職場、近隣とのつき合いは、生きる上で死活的に重要である。幸運も不幸も、成功も災いも他人を介してやってくる。生きる上で最も重要なのは対人関係である。

    パナソニックの中村邦夫会長も、仕事時間と私生活をはっきり分けたという。役員に就任した時は、仕事は朝七時半から午後四時半と決めて実行した。無駄な会議は削り、日常連絡はメールですませ、宴会も厳選した。「自慢するような話ではありませんが、私は残業した覚えがあまりないんですよ」そう語っている。こうして時間を見つけては晴耕雨読に励んだ。(日本経済新聞二〇〇八年一月十三日『遠みち近みち』)

    電子部品メーカーTDKの元社長・素野福次郎さんも「ゆとりは自分でつくるものだ。予定をびっしり入れて、忙しがっているのは、どうかしているよ。雑事にかまけている人ほど仕事の要領は悪い」とばっさり切り捨てている。社長時代も仕事が終わればさっさと帰宅した。「用がなくても終業時間までいるような人間は元々社長の器ではない」のである。(日本経済新聞二〇〇九年八月十一日『春秋』)

     プロゴルファーのジャック・ニクラウスは、「世界ナンバーワンになった後も私の中では『家族』がいつも優先順位の一番目だった。その次にゴルフ。三番目がビジネス、最後に個人的な趣味や楽しみといった順番だ」という。  家族と過ごす一時が最高で、最善のリフレッシュにもなる。私はゴルファーである前に夫であり、父親だと思っている。愛し合い、信頼し合い、助け合う。強い 絆 で結ばれた家族が私の理想であり、それこそ真の心のオアシスなのだ。(日本経済新聞二〇〇六年二月二日および八日『私の履歴書』)

    女優の八千草薫さんは二十六歳で、四十五歳の映画監督・谷口千吉さんと結婚した。親子ほどの年の差があった。谷口さんは「芸術の黒沢(明)、娯楽の谷口」と並び称された監督で、三度目の結婚であった。二人に子供はなかったが、おしどり夫婦として知られた。  谷口さんは監督を引退してからも八千草さんを支え続けた。妻の送迎のために、六十八歳で運転免許を取得した。、朝は妻を撮影所に送り、登山好きだったので昼は山岳喫茶で過ごし、夕方には再び妻を迎えに行く生活を八十五歳まで続けた。結婚五十年目に谷口さんは亡くなったが、八千草さんは「まさか五十年を迎えられるとは思っていなかった……」と涙ぐみ、五十年を記念して夫に宛てた手紙を納棺したという。(MSN産経ニュース二〇〇七年十一月二十八日)

    女優の沢村貞子さんと映画評論家の大橋恭彦さんも、おしどり夫婦として知られていた。二十二年間の同棲の末、六十歳の時に正式に結婚し、その後二十六年間生活をともにした。夫の収入が少なかったから妻が家計を支えたが、妻は徹底して夫を立てた。夫が駄目という仕事は断り、CMには出なかった。夫の前では決して台本を開かず、食事の支度のため、泊まりがけのロケは断った。映画史に残る大作への出演を誘われた時も、夫のために断った。脚本家の山田太一さんから「仕事第一じゃないんですか」と聞かれた時も、「主人第一です」と答えたという。

    アインシュタインは暗記がダメで、小学校では教師の質問にもまっとうに答えられず、仲間から「のろま」「怠け者の犬」とのけ者扱いにされた。教師はアインシュタインを知能遅れと疑い、退学をすすめた。

    チャールズ・ダーウィンは、大学で医学を学んだが、外科手術が怖くて二年で大学を中退してしまった。その後ケンブリッジ大学の神学部に入学したが、狩猟、酒、乗馬にうつつを抜かしたので、周囲は彼を「平均以下の知能」と見ていた。

    万能の天才といわれたレオナルド・ダ・ヴィンチは、読み書きや計算が苦手で、今でいえば完全な落ちこぼれだった。フィレンツェ、ミラノ、ヴェネツィア、ローマなど、何度となく転居をくり返したが、現地の言葉に不自由し、コミュニケーションがよく取れなかった。語学はまったくダメだったし、暗算もできなかったという。(正高信男『天才はなぜ生まれるか』ちくま新書)

    落ちこぼれの天才たちも、しかし、好きなことには熱中した。アインシュタインは他の科目はダメでも、数学と物理学に熱中したし、ダーウィンは博物学に没頭した。彼らは興味のないことはからきしダメだったが、好きなことにはとことん打ち込んで 倦むことがなかった。  好きでたまらないことを掘り当てたことが、「落ちこぼれの天才」たちの成功の鍵だった。好きなことを見つけなかったら、彼らは平凡な市井の民で終わり、歴史に名を残すこともなかったのである。

    健康のためには定期的に運動をし、朝型生活をして体調を維持し、食事のバランスを取り、熟睡を楽しめるよう工夫しなければならない。  温かな家庭を築くためには、夫婦の会話の時間を増し、子供と遊ぶ十分な時間を取り、一年に一度は家族旅行をし、家族の誕生会などハレの日を演出することも必要だろう。  そのためには家族と仕事の意味を考え、働きすぎないように仕事を設計し、残業を最小限にとどめ、そのように社内を変えていく努力も必要である。時には転職さえ考えなければならない。このように、幸福を設計するということは、人生を設計することと同義である。

    幸福は常に日々のささやかな生活の中にある。足下に幸福を見いださないと、いつまでも幸せになれない。「今は仕事を優先しているが、退職したら妻とゆっくり海外旅行を楽しもう」などというのは、よくある間違いである。今を楽しまないで、いつ楽しめるだろうか? 今日こそ人生のすべてなのである。

    興味のある花に出会えば綿密に観察し、花の構造を知ると深い快感を味わう。ルソーは、植物観察を年寄りじみた楽しみといっているが、むしろ、洗練された楽しみである。ケバケバしたものより、身近な静謐なものこそ、くり返し楽しむことができるのだから。

    バートランド・ラッセルも、身近なものへ興味をもつことが大切だと説いた。彼は青春時代に人生を憎み、自殺の思いにとらわれたが、数学への興味が彼をかろうじて救った。この経験から彼は幸福について考え、「多くの趣味をもてばそれだけ幸福である」と考えた。

    田舎の道を散歩する場合を考えてみたまえ。ある者は小鳥に興味をもつし、他の者は畑の野菜に関心をもつだろう。ある者はさらに畑の地質に、他の者は農業に関心をもつだろう。こうしていろいろな趣味をもつならば、世の中はそれだけ興味深いものになる。

    散策、小旅行、家族との団欒、読書、古くからの友人との談笑、趣味への没頭など、お金をかけなくても、幸せは身近に見いだすことができる。生活の随所に楽しみや喜びを見いだすことこそ、洗練された現実的な楽しみ方である。

    こうして五十代のはじめに、彼女は自分を賭けるものに出会ったのである。その後二十年、彼女は桜、ボタン、椿などの花の絵を描き続け、毎年個展を開き大勢の人を楽しませている。新作の準備の時は胃が痛むほど苦しむそうだが、それが生きている証と感じている。  このように小さい時に慣れ親しんだものの影響は圧倒的である。生きがいを見つける鍵は、少年(少女)時代の自分自身の中にある。ラジコンつくり、昆虫採集、天体観測、読書、釣りなど、食事も忘れて熱中したことのなかに、生きがいの手がかりがある。

    ラッセルのいうように、「科学、文学、絵画、哲学などの研究に打ち込めば、幸福な生活を送ることができる」。科学の探究、芸術の創作、学問の研究などは生きがいとするにふさわしい。ガリレオの天体の観察、モンテーニュの『随想録』の執筆、ファーブルの虫の研究、ダーウィンの進化論の研究などはそのよい例である。この世は多彩で奥深く汲めども尽きない存在なのだから、情熱を注ぎ込めば必ず生きがいを見つけることができる。

  • 【目次】(「BOOK」データベースより)
    第1章 道をどう開くかー処世の三原則/第2章 働き方の工夫と作法ー仕事のヒント/第3章 お金で誤らないためにーお金と人生/第4章 体にいいことを増やすー健康への投資/第5章 心の問題をためないー悩みに立ち向かう/第6章 人間関係に原則をもつーつき合いの心得/第7章 温かい家庭についてー家族の形/第8章 人生で最も価値のあることー幸福の風景

  • タイトル通りと言ってしまえばそれまでなのかも知れないが、著者が弁護士だからできるようなことがいっぱい。普通のビジネスパーソンが、本書に書かれているようなことができるのか?と言う観点から読むと、疑問が残るようなものが多い。そのせいか、ところどころ内容として納得する部分もあったが、全体的に腹に落ちてこないままで終わってしまった。

  • ・心の持ち方次第で人生は変わる
    ・日課で着実に進む
    ・十品目摂取法(肉、魚、卵、牛乳、大豆、海藻、イモ、果物、油、緑黄色野菜)
    ・悩みがあること自体、人生の彩りである 松下幸之助

  •  書いてあることは難しくはない。しかし、それを実践・継続することは、難しいと感じた。タイトルに弁護士とある
    だけに、例示が企業と弁護士という例が多い。

  • 矢部さんの本にはいつも共感できる。生きる指針になる本。再読したい。

  • 1/6読了。仕事で悩んだ時の心構え。解消法。前作プロ弁護士の思考術は仕事に対する考え方、思考法。どちらもいろんな修羅場を乗り越えた経験をもとに書かれてるので参考にしたくなる。

  • この世は不確実である。だから人生は変えることができる。目標をもち、努力し、楽観的にふるまえば、貧乏でも、学歴がなくても、人脈がなくても道を開くことができるのだ―。夢を実現する働き方から、お金の稼ぎ方、健康維持法、人間関係や家庭問題などの合理的な解決法まで、キャリア豊富な国際派弁護士による仕事の現場で鍛え上げられた処世訓・全8章。

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著者プロフィール

弁護士

「2018年 『プロ弁護士の「勝つ技法」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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