[新訳]読書について 知力と精神力を高める読み方

  • PHP研究所
2.84
  • (6)
  • (14)
  • (34)
  • (19)
  • (10)
本棚登録 : 287
感想 : 49
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (159ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569804873

作品紹介・あらすじ

考える力を養うための知的読書法とは。書籍、雑誌、新聞、ネット…。情報が氾濫する現代社会をどう生きるか。血肉となる書物との付き合い方。わかりやすい新訳で読む古典の名著。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 新訳ショウペンハウエルの『読書について』ということで
    新訳で読書についてという名著を読めると思って
    買いましたが。。
    全く意図の違う内容でして、訳者の渡部昇一氏の完全な
    自作で、ショウペンハウエルの『読書について』は訳者
    の言いたいことや書きたいこととこじつけた一文程度が
    のせてあるだけ。。。
    また訳者の言いたいこともあまりにも陳腐でほとんど
    読むに値しないものになっているような気がします。
    これって詐欺じゃないかと思ってしまいます。
    これは本当にひどい内容であると思いました。

  • 第一部
    デカンショとは、デカルト、カント、ショウペンハウエルの略だ。
    デカンショ節は、学生時代に歌ったなぁ。
    デカルトは、宇宙を哲学の対象とした先駆者であり、ニュートンにつながる。
    カントは、認識論の集大成のようなところがある。
    ショウペンハウエルは、悲観哲学。
    大なる悲観は大なる楽観に一致する。
    「読書とは、自分で考える代わりに他の誰かにものを考えてもらうこと」
    ショウペンハウエルは、オランダ系の名前、祖父も祖母も、オランダで生まれた。
    オランダは、デカルトやスピノザがいた。
    ショウペンハウエルは、ロンドンで生まれた。9歳の時、フランスに。15歳の時は、ロンドン。
    「この世は夢が作られているのと同じ材料でできている」そして、ヨーロッパをまわる。
    17歳の時に、父親がうつ病で、自殺する。しかし、遺産を残したので好きな研究ができる。
    ショウペンハウエルは、「生に対する盲目的意志」が時間と空間を通じて、われわれに認識される。
    快楽を追求することが虚しいことだと悟る。
    ショウペンハウエルの哲学は認識論であり、カントを重んじる。
    『意思と表象としての世界』
    ヘーゲル哲学から、ショウペンハウエルの哲学に代わっていった。
    ショウペンハウエルは、ニーチェ、ベルグソン、フロイト、ユング、マーフィらに影響を与えた。
    第二部
    読書については、切り抜きだった。ふーむ。こんな手法もあるのだ。
    本を読めばバカになるという論調が、ショウペンハウエルにあったのだ。
    ちょっと、がっかりである。
    「読書中のわたしたちの頭の中は人の思考の遊び場であるに過ぎない」
    「紙の上に書かれた思考とは、決して砂の上の足あと以上のものではない」
    「私たち読者の側に関して言えば、非読書術が極めて重要である」
    「読者は印刷されたてのものばかり読みたがる。
    つとめて古典を読め。まぎれもない本物の古典を」
    「本物の文学と、うわべだけの文学が存在する」
    「思想は世界を動かす。それゆえ哲学は本来、正しく理解されれば、最強の実利的な力となる」
    ふーむ。ショウペンハウエルはいうだろう。「この本は悪書であり、読むべきではない」と


  • 読書については本来2巻本の一部であり、これはさらにその断片を切り取り、致知で著名な渡部昇一が、訳と自身の異論を含む解説をつけた形式。以前の本を読む本でもあったが、解説・解釈があっているかは確認すべきだが、それなりに納得はできる解釈。原著の内容よりも訳者のエピソードが面白い。読書後に自分で考える・書く・伝える・自分の意見を述べるといったアウトプットをしないと意味がない。渡部は本に、妻は自宅に金をかけ教養と快適な暮らしを生前から享受。子供に金を使う話や自身の哲学にお金を使う話は非常に感銘を受けた。

    父の自殺、母との相性が悪い、母や妹の小説の方が売れた、この辺りは彼の哲学を読む上での前提。
    「読書とは自分で考える代わりに他の誰かにものを考えてもらう事」「大量に、また一日中読書する人は自分で考える能力を次第に失っていく。自分の思考への従事から離れて読書に移るとき安堵感を得られるのはそのため。」文章を書いたりアウトプットすることは自分で考えながらやらないとできない。読書ばかりしていても、それについて自分で考える・書く・伝える・自分の意見を述べるといったアウトプットをしないと意味がない。論語なら、学びて思わざれば則ちくらし思いて学ばざれば則ちあやうしの前半部分。
    「反芻することによってのみ、人は読んだものを身につけることができる」これは哲学書的な一読で理解しづらいものだけではという感じ。訳者も異論を出し、全ての本でやる必要はないと説く。訳者は雑読・多読により取捨選択できるようになるとともに時期を空けて年を取ってから再読することで感じ方や得られるものが違うというスタンス。これは正しいと思う。
    「読書に費やすことのできる限られた時間を、あらゆる時代と民族に偉大な、他の人間からはるかに傑出した精神の生み出した作品、評価のゆるがないこれらの作品にあてよ」いわゆる古典や名作と呼ばれるものだが、こればかりでは正直読書が嫌になる経験も。色々読むほうが結局続く気がする。
    「良書を読むための条件は、悪書を読まないことである」訳者も否定的で、自分の母や娘が書いているような通俗的小説などを悪書といっているのかもしれないが、そもそも良書を見分けるための力は多読から生まれるものだと説く。また、哲学等については、身の程を知るべきであって、分かりもしないうちに分かった気になっても意味がない。分からないこともあるという方が本当だろう。
    渡部は、ベストセラーはなるべく読むようにしているらしい。少なくともその時代の何かを反映していると思うから。時代を見るために、過去のベストセラーに関心があるとのこと。詩も意外に年をとっても読めるらしい。自分なりの解釈がしやすいからかも。
    「頒布は習得の母と言われる。とにかく重要な書物は間を置かず二度読むべき。結末を知ることで冒頭を正しく理解できる」ある意味その通り。間を空けて読むのもあり。
    渡部は、アメリカで客員教授をしていた一年で現地の通俗小説ばかり読むようにしたらしい。現地の人と同じぐらいに楽しめるようになりたいと思い始めたとのこと。中でも「エリザベス・アルプトン」が役に立ったと。子供が不良になり、親が金をかけてくれたらと言われる話だが、ここから、「子供というのは、必要なときに金を使ってならなければ駄目だ」と感じたらしい。そこで、渡部は、借金してでもと覚悟し3人の子供を望まれた音楽の道に勧めたらしい。弦楽器で留学もさせたらしい。貯めていたらちょっとした資産家になったかもしれないが、子供が年をとってからお金をもらっても意味がない。旅行など散財するくらいしか使い道がない。渡部は本に金をかけ、妻は自宅に金をかけるというスタンスらしい。教養と快適な暮らしを生前から享受できる。
    子供に金を使う話や自身の哲学にお金を使う話は非常に感銘を受けた。特に、子供の話はこの通りにしなければと感じた。野村監督の座右の銘を思い出す。「金を残すは三流、名を残すは二流、人を残すは一流」。「財を残すは下、仕事・業を残すは中、人を残すは上」という後藤新平。
    史記もよいがだらだら長いので十八史略がコンパクトでいいらしい。また、何が古典として残るかについて、アーノルドベネット曰く、少数の熱狂的な読者を持った作家のみが残るということであった。大衆小説の流行作家の本が消えていくことを思うと説得力がある。渡部曰く「自分にとっての古典とは、自分が繰り返し読む本」。
    ショウペンハウエルの悲観の哲学。人間の根底にあるのは「生に対する盲目的意思」であり、人間は満足することなくこれに動かされ、終わることなき苦悩となる。この哲学が悲観と言われる所以。仏教にも影響を受けており、苦悩から逃れる方法として、解脱のようなことを説く。1つは、生に対する盲目的意思を捨てる。例えば、童貞・未婚・粗食など。もう1つは芸術に触れること。一時的ではあるが、芸術的な直観はあらゆる制約から脱して事物を直観的に感ずる。

  • これで一冊の本になるのかと、驚愕するほどのクオリティの低さ

  • タイトルに惹かれて拝読。前半はショウペンハウエルという人の背景と予備知識。後半が翻訳なのかと思いきや抜粋で、解説書というより訳者の持論を述べましたという感じ。しかも「そうだそうだ!!」と言いながら時々「今時のものは…」「ゲームなんかSNSなんか…」的な展開するので印象が悪くなりがちです。ショウペンハウエルが古典礼賛傾向があるのは理解できるけど、つまりは良書を読む、そういう技術を身につけよということであって、訳者が誰とどう論争して言い負かしたとか、自分はこうだった!なのに!等訳者自身を引き合いに出すのは正直辟易でどうでもいい。。。そのせいで頭のかたさというか古くささというか、そういうものが垣間見えるので、さぞ前の本なのかと思いきやこの本自体は10年も経ってない!?訳者が私には合いませんでした。
    純粋にショウペンハウエルの言葉だけをとってみれば読書というのは毒も有する薬のようなものと思え、読書好きからみると読書に対する批判的な視点というのは面白かったです。何事も一辺倒ではなくバランスなのは読書にも言え、ただひたすら読むだけではバカなのだと。当たり前のようだけど、難しいです。
    ショウペンハウエルに興味をもつことのとっかかりとしてはいいと思いますが、文中でも書かれている通りで、原著もしくはきちんと全編翻訳されたものを読んだ方が良いということですね。

  • なかなか面白かったです。
    個人的には、ショウペンハウエルの言っていることはかなり納得して、理解できたのですが、解説の人があまり合いませんでした。

  • 「読書とは、自分で考える代わりに他のだれかにものを教えてもらうことである」
    この言葉は誰しもが重く受け止めるべきものである。自分自身についても、つねにこれを意識していきたい。

    「反芻することによってのみ、人は読んだものを身につけることができる」これはその通りだと思う。何度も咀嚼しなければ、身につかないことを20年生きて生きてようやくわかりつつある。

    「読書に費やすことのできる限られた時間をもっぱらあらゆる時代と民族の偉大な、ほかの学問からはるかに傑出した精神の生み出した作品に当てよ。評価のゆるがないこれらの作品だけが、真にわたしたちを育て、教え導いてくれる。」
    「本物の文学と、うわべだけの文学が存在する。本物は時代を越えて残る文学へと成長する。本物の文学は真摯に、静かに、そしてことのほかゆっくりとわが道を行く。うわべだけの文学は、あたふたと駆けてゆく。」
    古典に触れよ、とはよく言われるが、よく考えたら実に意義深い言葉である。100年以上の時代の風雪に耐え、現代にまで生き残るその英知に真摯に向き合っていきたい。そう諭してくれる。

    「<反復は習得の母>といわれる。とにかく重要な書物はいずれも、間をおかずに二度読むべきである。二度目にはテーマを文脈に沿ってよりよく把握できるし、結末を知ることによってはじめて冒頭部分を正しく理解できる」
    全体と部分は連関している。ゲシュタルトの要諦である。これを習得した人はぐんぐん成長できる。大きく啓発を受け、古典の偉大さな、先人の知恵を学ぶことができた。

  • 新訳とついているが、訳した本ではない。ややこしいが、この本は『読書について』の要約で、一つの言葉について、渡部さんが(これはこうゆうことだ、これはそう思う)などの解説や意見を書いている。

    それでもこの本はが価値があると思うのは、ショペンハウエルの生涯や、基本的な考え方が書かれており、初心者や、ショペンハウエルの感覚がわからない人に掴みやすい。

    も一つ、渡部さんの意見として書かれていることに(これは、そうとも限らない)や具体例が、哲学を触れるにあたって盲目的に囚われないストッパーになっている。

    もちろん原著の方が読み応えがあるが、こういった本も改めて噛み砕くのにいいと思う。

  • 後半の名言集のようなところを斜め読みした程度だが、
    『多読によって悪書を見抜けるようになる』『90%は読まなくても良い本だ』のようなことを述べている言葉に勇気づけられた
    平均以上に読書をする人は一度目を通して損はない、と思う

  • 上智大学名誉教授、渡辺昇一による書。
    「渡辺昇一・編訳」とあるので、ショウペンハウエルの「読書について」の訳本かとおもったら、見事に渡辺昇一の本だった。
    第一部はショウペンハウエルの障害と哲学についてを30ページで概要するという荒技。そして、第二部はショウペンハウエルの「読書について」の新訳引用と解説。
    しかし、解説と言っても、純粋にショウペンハウエルの言葉を解説するのではなく、渡辺昇一がどう思うか/考えているかなど、時にはショウペンハウエルを批判しながらの面白い構成になっている。

    内容の「読書について」なのだが、ショウペンハウエルと渡辺昇一の二人の読書観を味わうことができるので、楽しい。

    読書について、批判的な部分や、読書における工夫など様々あるが、しかし、これは「読書」のみならず、原題では「メディア」と置き換えてしまってもよいと思う。
    そういう視点でもって以下の言葉をみてもらいたい。

    「読書する人は、自分で考える能力をしだいに失っていく」
    「多くの学者が読書して馬鹿になってしまった」

    メディアに対するリテラシーを鋭く指摘した本だともいえる。

    ----------------
    【内容紹介(amazonより)】
    書籍、雑誌、新聞、ネット……。現代社会はまさに情報が氾濫している。ショウペンハウエルが憂いた、良書を見つけるのが極めて難しい時代である。
    「読書する人は、自分で考える能力をしだいに失ってゆく」
    「非読書術」まで説いた、ショウペンハウエルの真意はどこにあるのか。
    稀代の読書家であり、現代の碩学が、ショウペンハウエルの人生と考え方からその真意を解説し、自らが身につけてきた「知的読書法」を紹介する。
    本書は、考える力を養うための、書物との付き合い方である。
    若人よ、恐れるな。本は頭脳となり、生きる指針となる。

    【内容(「BOOK」データベースより)】
    考える力を養うための知的読書法とは。書籍、雑誌、新聞、ネット…。情報が氾濫する現代社会をどう生きるか。血肉となる書物との付き合い方。わかりやすい新訳で読む古典の名著。
    ----------------

全49件中 1 - 10件を表示

ショウペンハウエルの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×