アメリカが日本に「昭和憲法」を与えた真相

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (283ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569813844

作品紹介・あらすじ

占領下で制定されたGHQ憲法が、60年以上ものあいだ改正されなかったのはなぜか。新証言、新史料をもとに「隠された歴史」に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 2014/03/06:読了
    ドラッカーとキッシンジャーの2つのインタビューがベース。
    ドラッカーは変える必要は無い、日本は日本のまま。
    キッシンジャーは変えることは日本の意思だが、納得できる説明をすべきということ

  • 憲法を変えるのは自由だ。日本が独立した時、憲法をどうしようが、それは日本に自由だ 国会議員はほとんど全員が、憲法改正に賛成、軍事力の放棄にも反対はしなかった 天皇制を存続させ利用しようとした ドラッカー:日本の高等教育は危機に瀕している。生徒の教師に対する尊敬が損なわれた。これは危険だ。本当に危険だ 

  • (以下、要約メモ)

    日本の憲法は簡単には変えられない。変えることが難しいように作ったから。

    アメリカやフランスは憲法改正の発議について複数の方法があり、国民投票についてもアメリカの場合は必要としておらず、フランスの場合は必ずしも必要としていない。

    最も重要な問題は、アメリカ軍によって作られた昭和憲法のもとで、軍事や外交と真剣に関わることをしなかった日本の政治家たちが、日本を動かすことができなくなってしまったこと。

    日本の現在のシステムの基本になっている憲法を与えるとともに、その憲法を変えることを難しくしたのはアメリカだが、平和主義の理想を貫く憲法の背後に潜んでいるのは、戦勝国による“報復”。

    日本と同じように第二次世界大戦に敗れたドイツに対して戦勝国は「報復」という言葉を直接的に使った。ドイツ固有の領土であった東部プロシアがポーランドとして分割された。

    昭和憲法はアメリカが太平洋戦争に勝ち、敗者である日本を徹底的に押さえつけるために作り、日本に与えたもの。日本はこの憲法の元でアメリカの軍事力の庇護を受け、経済活動に邁進してきた。

    日本人は、まずアメリカが、太平洋戦争をまったく自分たちに都合のよい形で日本国民のアタマに詰め込んだことを知らなければならない。日本にとって大東亜戦争は、近代国家として生きるために資源や市場を求めての経済戦争であった。だがアメリカはこれを全面的に否定し、他民族を圧迫するための侵略戦争であると決めつけた。

    昭和憲法の前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあるが、世界の現実を見れば、他国の公正と信義を盲目的に信頼できないことは誰の目にも明らか。

    世界の人々は日本が第二次大戦という悲惨な戦争を経験した結果、平和を愛することで意見が一致していると考えている。
    だが今なお日本人の半分が昭和憲法を支持している背景には、この憲法が国益、つまり日本にとって得なものであるという現実的な考えが存在している。

    アメリカ軍は、間接的に日本を統治しようとしたが、新しい政府を作るためには、憲法が必要であった。昭和憲法は、アメリカとアメリカ軍が望むような新しい日本をつくるための道具に他ならなかった。この事実を日本人はうやむやにしている。

    アメリカ軍が日本を軍事的に占領するという大前提があって、戦争を放棄するという条項になった。

    自衛力は日本国民が望むように持つことができるという解釈があり、そうした解釈が憲法第九条を変えなくてもよいという意見につながっている。

    日本人は「国の守りはアメリカに任せておけばよい」という考えでこの憲法を70年近く維持してきた。そんなことが永遠に続くのだろうか。

    アメリカ人の中には依然として日本に対する根強い警戒心と恐れがある。1941年の真珠湾攻撃に対する恐怖心がいまも残っている。

    ドイツは占領そのものについては日本よりも酷い目にあった。ソビエト兵は暴虐の限りを尽くした。

    アメリカ占領軍は、日本人に民主主義の基本から教えようとしたが、ドイツ人に対してこの考えを押し付ける気概はまったくなかった。

    敗戦後のドイツが大きな軍事力を持たないのは、NATOに組み入れられている結果で、ヨーロッパ共同体の一員としての立場があるから。

    アメリカのドイツにおける基本的な占領政策は、ソビエトからの侵略に備えることが基本で、ドイツ人が再びヒットラーの時代に戻ることを懸念したり警戒したりすることはまったくなかった。この点、アメリカの日本に対する態度とは違っていた。

    平和主義の理想を掲げた憲法は、文章だけから言えば崇高だが、実際には、占領政策を支障なく遂行するためのものであった。

    日本が憲法を変えなかったのは、新しいことを嫌う保守的な国民性が大きな原因になっているが、同時にアメリカ占領軍が憲法を変えられないように厳しい縛りを加えているからである。

    日本国憲法の場合、修正ないし改正の発議ができるのは国会に限られているが、アメリカでは連邦議会だけではなく、州議会の2/3の提案によっても憲法改正の発議を行うことができる。承認されるには州議会の3/4の同意が必要だが、国民投票はない。

    キッシンジャー
    「日本が憲法を変えればアメリカ国内で疑問を持つ人もいるだろう。そういった問題にどう対処するかが日本にとって重要になってくる。
    日本は今後、外交問題に積極的に関与しなくてはならなくなる。アメリカに頼りきりというわけにはいかなくなるだろう。日本の外交的な発言に人々は耳をかさなければならなくなり、日本は影響力を持つようになるだろう。」

    1945/7のポツダム会議での議題は3つ。
    ・降伏したドイツをどうするか
    ・日本の制圧後、天皇制をどうするか
    ・アメリカが開発した原子爆弾をどう扱うか

    会期途中でのチャーチル首相の失脚、4月に亡くなったルーズベルト大統領の後を継いだトルーマン副大統領の力の弱さ。ボツダム会議で力を発揮したのはスターリン。

    昭和憲法作成時、日本人の関心の95%が天皇の地位についてで、第九条を含む他の問題への関心は5%ぐらいだった。

    昭和憲法は、明治憲法73条に基づき、「天皇の提案によって明治憲法を修正できる」という条項に基づいて誕生した。明治憲法と昭和憲法の間には法律的にみて継続性が成立している。昭和憲法は、明治憲法の修正と言うことができる。

    アメリカ陸軍の主力部隊、第八軍は占領軍としてフィリピンから戦闘隊形のまま佐世保に上陸し、日本を占領し、日本を動かすことになった。日本を動かしていたのはそういった戦闘集団。

    バターンクラブ…マッカーサー総司令部の中で、フィリピンで日本軍の捕虜となり厳しい扱いを受けた軍人たちの秘密組織めいた集まり。捕虜になったときの仕打ちを恨み、日本に報復することを誓っていた。マッカーサーの幕僚のほぼ全員。

    キャノン機関…ジャック・キャノン中佐が中心となっていたマッカーサーの秘密諜報機関。

    バターン半島での「死の行進」…捕虜たちは炎天下を100キロ以上歩かされた。数千人が死亡したといわれている。

    1945年10月、マッカーサー司令部は東京のすべての新聞の検閲を開始。占領政策に反対する記事を排除。その措置についても報道できなかったため国民は気付かず。日の丸掲揚と君が代斉唱も禁止に。

    天皇と憲法第九条は密接に関わっていた。マッカーサーは幣原首相にこう言った。「天皇制の存続は日本にとって良いことだ。だが天皇制を存続させる最も確実な方法はただ一つ、新しい憲法の中で戦争を放棄することと、軍隊を持たないことを明言することだ」。

    ソビエトは天皇制に反対していた。戦後のアメリカによる日本支配は避けられないとみて、自分たちはポーランドをはじめ東ヨーロッパを獲得しようと考えていた。
    ソビエトはアメリカにこう言った。「日本で勝手なことをするのを認める。だが自分たちも東欧で同じことをする権利がある」。だから天皇制に口を挟まなかった。

    憲法草案第九条には共産党を除くすべての国会議員が賛成。

    第二次世界大戦が終わろうとしている頃のソビエトは、アメリカやイギリスに対して強い影響力を持ち、日本に対する領土的な野心を隠そうとしなかった。原爆が投下されるや 、すでに戦う力もなかった日本に戦いを仕掛け、濡れてに粟をつかむように樺太や北方領土を手に入れた 。ロシアはいまなお日本から何かをとろうと狙っていると見てよい。

    フィリピンの戦場からやって来たアメリカ軍人たちが作った日本の憲法は 、アメリカ軍の憲法だった。マッカーサー司令部の担当者たちが指摘しているように、日本の人々は憲法を大歓迎した。新聞が褒め称えたからだろうが、日本人はそれがマッカーサー司令部の検閲の影響だと気がついてはいなかっただろう。
    日本のマスコミは、もともと歴史的な視点から報道する能力に欠けている。占領時代だけではない。戦争中も、そして現在も、日本のマスコミ報道はきわめて現象的で、しかも感情的。

    日本周辺の安全は、アメリカ第七艦隊と第五空軍によって維持されている。

    朝鮮戦争によってアジア情勢が急変したため、平和条約調印への動きが進み、1951年9月8日、サンフランシスコで盛大な調印式が行われ、同時にソビエトを敵とする日米安全保障条約が締結。

    日米安全保障条約は1960年、岸首相のもとで改定が行われ、日本の立場を大きく変えることに成功した。岸首相による条約の改定は日本にとって歴史的な大事業だったが、マスコミをはじめ日本の世論は声高に条約の廃止を求めていた。学生たちが大掛かりな反対運動を続け、デモで女子学生の死亡事故が起きたりしたことから、岸首相の歴史的業績は無視されてしまった。

    日本人は戦争に敗れた後、アメリカの統治政策によって完全に西欧化したと信じている。いっぽう中国は共産主義という一党独裁の専制体制を取り続けている。日本人のほとんどは、占領政策の延長というアメリカのやり方に反感を持ったとしても、中国のもとに馳せ参じることなど到底できないと考えている。しかしアメリカの指導者は、中国が台頭しているのを見て、日本が中国という、アメリカからすればわけの分からない勢力に乗り換えてしまうのではないかという強い疑いを持っている。
    よほどの日本びいきですら、この点について日本人の考え方を理解していない。結局アメリカの人々にとって日本は、基本的に異質の国なのである。

    アメリカの影響力と軍事力は急速に後退しつつある。日本がアメリカから独立しようがしまいが、独自の力であらゆる国際情勢に対応しなければならないときがきている。

    いまやアメリカは在日米軍を朝鮮半島台湾に出動させることができなくなってきている。経費の問題だけでなく、アメリカの若者をアジアの紛争で犠牲にしたくないという考えが強くなっている。

    いま新しい国際社会に危険をもたらそうとしているのは中国の軍事力。
    アメリカは太平洋戦争後、日本が二度と戦争を起こさないように、憲法第九条と日米安保条約を与え、軍事能力を奪ったが、いまやその近隣諸国の一つである中国が、軍事力で日本を侵略しようとしている。
    中国はいまや尖閣諸島だけでなく、沖縄も自分の領土であると主張している。だがアメリカはもはや正面から中国と戦うことができない。
    この状況を放置すれば、やがて中国の軍事力がアジアを席巻することになるだろう。アメリカの力が衰退し、日本を守ることができないのであれば、日本が自らを守るために、憲法第九条と日米安保条約を変更するのは、歴史的必然と言うこともできる。日本は自力で尖閣諸島という領土を守らなければならない。尖閣諸島の問題は、アメリカの時代が終わったことを明確に示している。

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著者プロフィール

1935年、愛知県生まれ。東京大学英文科卒業。59年、NHKに入局。外信部、ニューヨーク支局長、ワシントン支局長、米国総局長を歴任後、ハーバード大学客員教授に就任。現在はハドソン研究所客員研究員として日米関係の将来に関する調査、研究の責任者を務める。著書に、『アメリカは中国を破産させる』(悟空出版)、『米中時代の終焉』(PHP研究所)、『習近平の核攻撃』(かや書房)など多数。

「2022年 『破れたアメリカの「核の傘」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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