- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569823546
作品紹介・あらすじ
やさしそうに見えるが、じつはやさしくないということがあまりにもたくさんある。▼表面的にはやさしい。でも実は残虐性をもっている。▼日頃はやさしい。しかし、問題が起きると逃げてしまう。▼「愛している」と強調する。しかし、その言葉の奥にあるのは、自己中心的な要求である――。▼本当のやさしさとは何か? 人がやさしくなれないのはどうしてなのか? やさしい人をどうやって見つければいいのか?▼・必要でない物と人を捨てる。▼・無理をしている自分に気づく。▼・仮面をつけて生きてきた過去を消化する。▼・見失った自分の本性を探す。▼本当のやさしさと出会い、幸せに生きるための道しるべとなる一冊。
感想・レビュー・書評
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優しい人は確かに世の中に溢れるほど存在している。だが、本当の優しさと偽りの優しさでは受ける印象においては全く違う。雲泥の差がある。本当の優しさだと真心を感じるが、偽りの優しさは裏で見返りを求められているような気がする。
心が満足していれば自然と人に優しくなれると言う部分を見て本当にその通りだと思った。
今の私はまだ100%主人のことを許せていない。許す努力は私なりにしているが、恨んでいるのもかもしれないと思っていた。
この本の中に"甘えている人は人を恨む"とあって、自分だと思った。自分は甘えているのだろうか…そこにピンと来なかった。
ならば、どうやって恨みをなくしていけるのかと問いを持って見た。
それに対する答えは、
①親しい人を作ること②自分を磨くことにエネルギーを使うこと、とあった。
ちょうど今、私は恨みの念を自分磨きに使っていることが正解だと思えた。
だが、親しい人作りはどうしたら良いかと考え中だ。今後良い人との出会いがあったならいいなと思うが、自分の本音を全て話せるような人を近くに得ることができたら最高だ。
今日一日が死への一歩と言うのも私は昔から考えていることだ。
だからこそ時間を大切にしていきたいと思う。そして自分のしたいことをして生きていきたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
とても素敵な一冊。
やさしい人になりたいと思う。
自我の確立した私でありたいと願う。
裏切られて、悔しさを手放さないより、
関係を切る方向に持って行ける人になりたい。
丁寧に生活し、1つひとつを大切にする。1つひとつを大切に終わらせる。
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以前、“思いやり”について、割と深く考えたことがある。
やさしさを表面的な行為を通じてしか理解しないまま、単に優しい人間になりたいと思ったところで、相手に本当にやさしいと受け取ってもらえる様な言葉や行為はでてこなかった。きっとそこには「やさしいとおもってもらいたい」という期待があった。
「やっている行為はやさしいようだけれど、心はやさしくない」
本にも出てくるこの現象は、よく陥りがちなものだと思う。
本を読みながら、ストーリーの場面場面で考えるのは、どういう気持ちで、どういう行為をしている人を、どう解釈できるか。そしてその観点で本当に「優しくなる」とはどういう事か。
きっと著者も、自分や他人の優しくない側面に、色々傷つきながらも模索し続けて、やっと見えてきたベクトルをこの本に落とし込んでいるんだろう。
人の劣等感、見返りや称賛を求める気持ち、ひねくれや妬み、親から子への虐待と心の傷の関係や、不幸と不安の関係、幸せ、相手の視点に立つこと、精神的な豊かさ。
色んな心の側面を「やさしさ」をキーワードに考える一冊。 -
「やさしさ」ってなんだろうと思ってときどき読み返してます。
この方の文章、独特です。
私は好きです。クセ強めでクセになる。 -
心理学者の加藤大諦が「やさしさ」について論じた本。
目次は
1.なぜやさしくなれないのか
2.やさしさへの道しるべ
3.本当のやさしさ・偽りのやさしさ
4.甘えの超克
5.自分と向き合う
6.やさしさは幸せの源
本書の主眼は「人の目を気にする生き方」をすると結局狡く生きることになり、「自分を認め、楽しむ生き方」をすると周りに目を向けられる「優しいひと」になれるというもの。
以下、いいなと思った言葉
・義務ですることは長くは続かない
・こうしたらこんな風に返ってくると思う「やさしい行為」は「愛の賄賂」である。見返りを求めないことこそ「やさしい心」
・恋人と喧嘩しても、事故に遭わないかと帰りの電車が気になる。それがやさしさである。
・それを言う動機を考える。それがやさしさ。
・やさしい人とは心が満足している人である。
・不満な人とは、自分の気持ちを汲み取ってもらいたいのに、相手から汲み取ってもらえない人。
・自分のいう事をその人が聞いてくれれば、その人はやさしくなる
・人に嫌われることをしながら、人から尊敬されようとする人がいる。
・「ヒナギクは、だれも草の中に埋もれている自分に目をとめるものがないことや、自分がまずしいつまらない花だという事は少しも気にしませんでした。それどころか、心から満足し、まっすぐにお日様の方を見上げながら、空で囀っているヒバリの歌に、うっとりと聞きほれていました」
・自分に満足するとは、今の自分の在り方を「これでいい」と思う人。「にもかかわらず」を考えられる人。
・今、自分がここにいられることが幸せなのである。幸せになろうと努力しているではない。
・そもそも競うことがおかしい人と競っている
・自分に欠けているところ認めることで、やさしさが生まれる。
・好感を持たれる人は一段づつ昇る。威勢を張る人は一気に昇ろうとする。
・相手から取ろうとする。最後にはもともと自分の持っているものまで失う
・「これさえあれば、あとは何もいらない」というようなものをその人が持っているか。
・劣等感で悩む人は「自分の好きなことが無い」「周囲の人と張り合っている」
・自分の本当の気持ちを否定することはエネルギーを使う。「いいなー」とちゃんと言う事で助かることもある。
・なんで自分は元気がないのだろうと考えることで、元気になる道が見える
・やさしさの環境とは気を遣わなくていい環境
・心が満足していないときはなるべく人と会わない
・神経症的傾向の強い人は「その夢」を実現すれば、今抱えている問題が一挙に解決するとおもっている。
・夢は仲間から生まれる。皆と騒いでいるうちに戦う意欲が湧いてくる。
・心にゆとりがあると、自分の出来ることから始めようとする。
・やさしさを売り込む人は、大抵だます人だ。
(誇示されたやさしさは冷たさだ)
・自分一人でも生きていけて、初めて人を助けることができる。
・「悩める人を救う」という行動の動機は、だいたい自己不在や自己無価値観である。
・人は「恩」を着せる人からどんなにやさしくされても嬉しくない。
・「人類を愛することは簡単だけど、隣人を愛することは難しい」
・やさしい人は見えないところをきちんとしている
・自分の方が「この辛い気持ちを理解してくれ」と言ったときに、相手の気持ちを汲み取ることは出来なくなる
・甘えてる人は相手と「コミュニケーション」していない
・恨みとは相手に罪悪感を抱けという要求
・「人知らずして憤らず、亦君子ならずや」
・憎しみが、今、自分に与えられているモノに対する感謝を忘れさせる
・甘えているという事は、いつも相手に何かを期待している
・いったん恋人になると甘えが出る。そこで自分のすることすべてに称賛を求める。しかし期待した反応はなく傷つく。傷つき続けると相手が嫌いになる。そこでまた別の女性を求める。
・これ以上誉められようとするのは、ウナギを食っている傍からトンカツを食うようなものである。
・認められようとして無理をしない
・自信は周囲の同意を必要としない、自己陶酔は周囲の同意を必要とする
・リスが栗の実を好きだと理解したら、他の動物が「あそこにバナナ」があると言っても平気。逆に「そう好きでもないリンゴ」を食べてるときは周囲がどう思うか気になる
・人からの称賛よりも、自分の小さな喜びの体験を選択する
・何にも億劫になった時、「誰も助けてくれない」と気づくこと。捨てるものを探す。
・無理をやめる
・人から称賛を得ようとすればするほど、自分を信頼することができなくなる
・自分を頼りなく感じる人は、他人からの承認を求めるが、決して得られないという事に気づいていない
・あなたは寛大ではないのに寛大のフリをした。憎んでいるのに許したフリをした。
・執着性格者の人は凍傷を起こしている。治してくれる人ならだれでもいい。
・一つ一つのことを大切にすることである。一つ一つのことをきちんと終わらせることである。
・運命を乗り越えれば、その分だけ心は広くなる
・悔しいとか許せないという感情をうまくコントロールするのが自我である
・好かれたいという願望と認められたいという願望は矛盾することがある。(自慢話)
・心理的に健康な人は功名や成功より、陰徳を積む
・愛を知らないものは優越こそが唯一の喜びとなる
・生きる道はたくさんあるのに、これしかないと思ってしまうのは心理的成長の失敗と環境によるものである。
・人を判断するときに社会と心の2眼をもつ
・人が幸せになりたいという願いはそう強いものではない。
そんなに長くないながらも、濃厚でした。 -
行動はやさしいんだけど、どこか違和感がある。
それは本当はやさしくなくて、やさしさを見せつけているだけかもしれない。
好かれたくて、無理をしているのかもしれない。
偽りのやさしさは自信の無さを表している -
心から人に優しくできる人になるには時間がかかる。それは今まで生きてきた短い人生からも理解できる。
何故、人に優しくなれないのだろうと思うときには大抵周囲に嫉妬しているか、羨ましく感じている。そのことを跳ね除け感じさせないほどに心が満たされている人にはまずこの感情は起こらない。
本書でもそのことが触れられていた。心に入り込む余裕があるから、人を悪く思うのだと。自分に嘘をつかず、素直な気持ちでただまっすぐと思う方に心が向いている人にはまずその感情は起こらない。
私は人に優しくなるために、一番必要なことは自分が幸せになることだと思っている。方法は何だって良いのだろう。音楽を聞いたり、旅行をしたり、本を買ったり。
自分よりも他者に目がゆくのは、自分にはない何かがあるとか、より良い状況にあるように感じるからだろう。自分が幸せになっていない明確な証拠である。
幸せで満足していると感じなければ、不満を持ち他人に優しくなれないのは当然だろう。他者に優しくしたいなら、まず自分が幸せにならなければならない。他者に優しい人は自分が幸せになることを叶える、自分に優しい人である。 -
読みやすさが好き。
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噛み締めて読むべき文章。勇気がいるけども。
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自分が満たされていないと人に優しくできない。
不満ばかりで人を批判する人間になってしまう。