自由のジレンマを解く グローバル時代に守るべき価値とは何か (PHP新書)

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  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569829678

作品紹介・あらすじ

自己責任論が主流になる社会で、福祉はなぜ正当化されるのか。この時代の「自由」の本質とは。マルクスやセンの理論を問い直す。

感想・レビュー・書評

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  • 「自由」をめぐる錯綜した問題を解きほぐし、新自由主義と排外主義、リベラリズムとリバタリアニズムとコミュニタリアニズムの相克を乗り越える道を探る試みです。

    本書の最後に提示されている「培地/ウイルス」のモデルは、多くの示唆を投げかけているように感じました。私自身は現代の政治哲学ではローティのプラグマティズムにもっとも共感を抱いているので、「培地」の厚生に寄与するウイルスの自由な創意を活かすという考え方そのものは、受け入れやすいように感じています。

    ただ、そこに至るまでの議論の道筋が、どうもクリアには見えてこないように感じています。著者は、「ウイルス」を行動原理ないし考え方とする一方、「培地」を「生身の個人」としています。これは、個々の文化における価値観が当該文化において抑圧されているはずの人びとの意識にも入り込んでしまっているというケースがしばしば見られ、文化的価値の相対主義の主張が、そうした抑圧構造の維持にむしろ手を貸すことになってきたということへの反省に基づいています。その上で著者は、マルクスの疎外論を援用しながら「生身の個人」という概念を設定し、この「生身の個人」の厚生を最大化する行動原理を求める自由を確保することをめざしています。しかしこうした著者の議論は、「生身の個人」の幸福をアプリオリな原理とみなしているのではないかという批判を招くのではないかということが気になってしまいます。

    他方で著者は、「生身の個人」の幸福をあらかじめ計算によって確定することができるという設計主義的な発想を退けようと、カントの「統制的原理」の概念を持ち出しているのですが、こうなってしまうともはやプラグマティズムの主張とは相容れず、むしろハーバーマスのアプリオリズムに著しく接近してしまっています。それが著者の本当の主張なのか見極め難く、なかなか本書の中核にあるはずの考え方が明瞭な像を結んでくれないもどかしさを覚えます。

  • ◆10/30オンライン企画「経済乱世を生きる」で紹介されています。
    https://www.youtube.com/watch?v=CAwIOji3lf4
    本の詳細
    https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-82967-8

  • ・ウェブ雑誌「シノドス」での連載を、編集したうえで書籍化したもの。
    ・あとがき等はない。

    【簡易目次】
    第1章 責任のとり方が変わった日本社会 025
    第2章 「武士道」の限界 063
    第3章 リベラル派vs.コミュニタリアン 095
    第4章 リバタリアンはハイエクを越えよ 128
    第5章 自由と理性 167
    第6章 マルクスによる自由論の「美しい」解決 187
    第7章 「獲得による普遍化」という解決――センのアプローチをどう読むか 219
    第8章 疎外のない社会への展望 245


    【目次】
    まえがき [003-014]
    目次 [015-023]

    第1章 責任のとり方が変わった日本社会 025
    責任のあり方が変わった
    二種類の責任概念と「自己責任」論
    イラク日本人拘束事件での「自己責任」論の奇妙なねじれ
    与えられた役割を果たすのが日本社会の「責任」
    なぜ自己責任が強調されるようになったのか
    自己決定は善か悪か、「補償」か「詰め腹」か
    「道徳的に劣っている」と理解する日本型「自己責任」論
    日本社会には「無意識の後ろめたさ」がわだかまっている
    イラク日本人拘束事件での「自己責任」論の「悪いとこどり」
    「ジョブ型責任」と「メンバーシップ型責任」
    人間関係のシステムの二大原理
    固定的人間関係による解決
    流動的人間関係の解決
    流動的人間関係のシステムで固定的人間関係の振る舞いをすると
    再び「マグリブ商人 vs. ジェノア商人」
    「集団のメンバーとしての責任」の根拠
    「自己決定の裏の責任」の根拠
    フィットする責任概念が変わった

    第2章 「武士道」の限界 063
    「社会関係資本」の構築の前提になるもの
    南イタリアで支配的だったのは「固定的人間関係」
    損をしてでも他人の足をひっぱる性質を持つ日本人
    流動的人間関係の中では最悪の結果をもたらす
    「内集団ひいき」をもたらす心理
    固定的人間関係であてはまる内集団ひいき
    内集団ひいきが完全協力を引き出すとき
    対内道徳と対外道徳が正反対
    人間関係システムが人間行動を規定している
    武士道 vs. 商人道

    第3章 リベラル派vs.コミュニタリアン 095
    ロールズ流社会契約論による福祉の位置づけ
    リベラル派社会契約のリアリティがなくなった
    「国家間バトルロワイヤル」というグローバル市場観
    国際競争に勝とうとすると国の独自性がなくなる
    「文楽」と「君が代」の矛盾はもはや成り立たない
    コミュニタリアン思想に依拠した「第三の道」
    コミュニティ路線が極右排外主義を生んだ
    コミュニタリアンのリベラルとの妥協
    アメリカのコミュニティだから成り立った妥協
    コミュニティの独自性尊重でいいのか
    極右の解決はスッキリしているが破滅への道
    「国家かコミュニティか」という問題は間違い

    第4章 リバタリアンはハイエクを越えよ 128
    左翼リバタリアンは課税を正当化するが
    確定不能な責任補償という位置づけ
    ほんとうに「自己決定」なんかしているのか
    「積極的自由」と「消極的自由」
    人身御供は自由の抑圧とは言えないのか
    ハイエクが重視するのは「偉大な社会」の普遍的ルール
    誰にも命令されないのにみんなイヤイヤ残業するケース
    ミルの「慣習による専制」
    複数のナッシュ均衡の悪いほうにはまる
    独裁者の強権支配も、各自の最適行動によって維持される
    不況に陥って失業するのも同じ図式
    事前的ルールをも変える自由が求められる
    慣習や流行を「望んで」受け入れる人はどこまで自由か?

    第5章 自由と理性 167
    バーリンの「積極的自由」批判
    理性を主人公にする「自由」が抑圧をもたらす
    理性だけが「自分」ではない
    リバタリアンの「合理的個人像」は矛盾している?
    固定的人間関係での「伝統」という解決
    私有財産権の「範囲」をあてがう解決

    第6章 マルクスによる自由論の「美しい」解決 187
    「生身の個人」をそのまま容認できるか
    マルクスに共通する二項対立概念
    「疎外論」を捨てて「唯物史観」になっただって?
    「唯物史観」も疎外論の一つ
    疎外はなぜ起こるのか
    前近代ではヒトがヒトを支配する
    近代市場経済のシステムでは「モノ」が支配する
    資本主義によって「特殊」は「普遍」となる
    二十世紀ではマルクスの展望は成り立たなかった
    マルクスの展望の復活か

    第7章 「獲得による普遍化」という解決――センのアプローチをどう読むか 219
    アイデンティティ喪失という解決
    「ニーティ」の正義と「ニヤーヤ」の正義
    コミュニティの一員としてのアイデンティティの強調がもたらす地獄
    「アイデンティティの複数性」という解決
    事業的解決がセンのイメージ
    ロールズをこっそり頭の奥に置いている
    カントの「統整的理念」と「構成的理念」
    「当事者決定/基準国家」に対応する「ニヤーヤ/統整的理念」
    「個」と「全体」の総合の復権

    第8章 疎外のない社会への展望 245
    大塚久雄の確信犯的改ざん
    善玉ヨーマン農民 vs. 悪玉国王・領主・大商人・高利貸し
    自立したプロテスタントが勝利する物語
    大塚批判の時代
    大塚批判がネトウヨにつながった
    「生身の個人」を「培地」、行動原理を「ウイルス」だと考えてみる
    「培地」の目的と「ウイルス」の目的が異なる場合もある
    「培地/ウイルス」モデルで唯物史観を解説する
    「培地」にとっての自由
    なぜ自殺は止めた方がいいのか
    「ウイルス」にとっての自由
    新しい観念を創造する自由
    淘汰の結果を受け入れるのが「責任」
    観念はあまねく広がることを目指す
    疎外のない社会の展望

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著者プロフィール

1964年、石川県生まれ。立命館大学経済学部教授。専門は理論経済学。神戸大学大学院経済学研究科博士課程修了。論文「商人道! 」で第3回河上肇賞奨励賞を受賞。著書『この経済政策が民主主義を救う』(大月書店)、『ケインズの逆襲 ハイエクの慧眼』(PHP新書)、『新しい左翼入門』(講談社現代新書)、編著に『「反緊縮!」宣言』、共著に『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』(以上、亜紀書房)など多数。

「2022年 『コロナショック・ドクトリン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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