わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち

著者 :
  • PHP研究所
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569831428

作品紹介・あらすじ

離婚後にわが子と会えなくなり、孤独感にうちひしがれる父親たち――。自らも当事者になったノンフィクション作家が描き出す人間ドラマ。

感想・レビュー・書評

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  • 離婚で子供を失った18人のエピソード集。
    それぞれ問題がない訳ではないが、いずれも子に対する愛情のある父親。
    DV防止法が悪い方向に機能しているのと逆に調停や裁判が当事者の期待ほどに機能できていない。掠取はできるが奪回はできないのも根拠不明。民事不介入というが、警察や裁判でのより強制力のある制度が必要なのかもしれない。
    同著者の『子どもを連れて、逃げました。』と合わせて読む。

    『本で床は抜けるのか』の著者。

  •  自分にも関わりのある問題であるため、前のめりで興味が尽きず一気に読み終えた。自分の問題を差し引いたとしてもドラマ性が高く、言葉にするのは気が引けるが凄く面白い。

     痴漢冤罪のようにDV冤罪が悪用されており、客観的にDVを判断することなく措置がなされることが大問題だ。そして悪徳弁護士とDVシェルターの運営がグルになっていることも指摘されていて、もっと周知されるべき問題であった。

     そして子供を父親から引き離す母親、父親が歩み寄ろうとしても取り決めを反故にしてやろうと思っている相手には何を言っても無意味であることが他人事ながら身に染みる。そこに弁護士がグルで焚きつけてもおり、法治国家として由々しき問題だ。

     この世の地獄を垣間見るような内容であった。

  • 女性側の『子どもを連れて、逃げました』を読んで、こちらにも興味を抱いて読みました。
    こちらの方が読んでいてかなりしんどかったです。
    『連れて』の方は、男性の幼稚さが目立つと同時に女性の側にも首をかしげたくなるように感じる言動もあり、そういった意味では性別での偏りをそこまで歪ませずに読めた気がしました。

    が、こちらは「そもそも話が通じない相手」「でっち上げ、冤罪」がワンサカでてきて、読んでるだけで苛立ち昂りそうになり、休み休みでないと読めませんでした。
    嘘でも話を盛っても、女性が子どもや家庭、DVのことを何か言えば、男性側よりとかく信用されがちなのは、裁判所も警察もフィルターかかりすぎでは?と思ってしまうし、またそこを狡猾に利用する弁護士やシェルターがあるというのも、ホント、もうなんだか苛立つな…。
    何よりそれぞれの親や周囲の大人の顔色を伺いながら日々過ごさないといけない子どもが不憫でしかないです。

    自分に子どもがいないのと、これまで周囲に離婚や親権で大きく揉めた人がいなかったので「共同親権」は言葉の存在くらいしか知らなかったですが、この本を読んだことで民法766条の変更等とともに少し詳しく知りたいと思いました。

  • ふむ

  • どんな状況であっても、母親がDVを受けていたと言えば、父親はすぐに子ども会えなくなってしまうらしい。

  •  近年「痴漢冤罪」の議論が賑やかであるが、「DV冤罪」もまた根深いものがある。

     自身も離婚により子の親権を失った著者が、同様に子供を「奪われた」男親へのインタビューをまとめた書。
     男親からの証言であり、女性側からの聞き取りはない。それゆえに相当に偏って脚色された部分もあるだろう。ポジショントークの可能性を多分に飲み込んだ上で、それでも引き裂かれる子供の心を思うと、もう少しどうにかならないか、と願うこともある。
     もちろん父親側に子供を奪われ、愛する子供に会えない女性というのも少なからずいることだろう。時代劇や明治、大正、昭和初期頃までのドラマでも家督継承のため子供(特に男児)を奪われて追い出される女性というのは多く描かれてきた。現状の父親不遇はその反動なのかもしれない。

     本書の事例を見ると、母親から行政や警察へDV被害を訴えると、これは相当スピーディーに受理され、救済活動のNPOや人権派弁護士の庇護下に入る。父親へは接近禁止命令などが出され、学校や保育園へも「父親が来るかもしれないが拒否するように」と通知される。
     初動としてはそうした「無条件での訴えの受理」は緊急避難的にやむをえない、妥当な対応と言えるかもしれないが、裁判が始まり、事実関係を整理しようとしても母親の権利が強すぎて父親の言い分が全く通らない、というのはどうにもバランスを欠いているような印象がある。「DV加害者(とされる人)の弁護は引き受けない」という弁護士事務所も少なくないという。おそらく裁判での勝率が著しく悪いからだろう。誰だって負け戦はしたくない。商売なら尚更である。
     本書の父親側の証言が事実だとすれば、問題があるのはむしろ母親側であると思われる事例もある(不倫の末に家出した事例とか、宗教に入れあげて子供に祈祷を強要している事例とか、本書の本文では触れられていないが母親が子供を殺してしまう事例もあった)。それでも裁判所は、行政は、父親の味方をしない。

     一方でどう言い繕ってもこれはこの父親の言い分は通らないだろうというインタビューもある。
     怒声も含めた暴力で妻子を支配してきた父親、徹夜で残業飲み会、朝帰りどころか数日帰ってこない「モーレツ社員」、いざ離婚を切り出されてから家族を、子供を愛していると言ったって、覆水は盆に帰らない(そもそもこの故事成句自体が離婚にまつわる話だったか。ここで離婚を切り出されるのは女性の方だが)。匿名とはいえよく公開前提で応じたなあという感もある。
     なぜ結婚してしまったのか。いやそんなの言われても困るでしょう。一般に交際期間は婚姻期間よりも短い。しかも交際期間中はお互いが自分をよく見せるために猫をかぶるでしょう。あるいはあばたもえくぼ、恋は盲目。悪癖やすれ違いも結婚すれば、子供が生まれればきっと直る、人はなぜかそう錯覚する。それを完全に回避するなら、最初から結婚しない、性交しない、これしかない。現代の若者の非婚率、非性交渉率にそうした要因も少なからず影響しているだろう。悲しむくらいならば愛などいらぬとサウザー様もいうてはる。

     本件の根深さには弁護士や支援組織の存在もある。弁護士からすれば訴訟は飯の種だし、先述の通り女性側につけばかなりの確率で勝利できる。支援組織も「救済」した母親の数が成績になり、補助金等に関わるので積極的に「救済」しようとする。子ども自身が父親を選びたがっても(そもそも選ばなければならないこと自体も悲しいことであるが)、それを許さない。
     もちろん父親が本当にDVなどを行っていてもともと子供からも嫌悪されていたというのならば仕方がないが、強制的に母親の庇護下に置かれた場合、子供は母親に頼らなければ生きていけないので、思っていないことでも口にする。周囲の人間や調査官に対して「パパは嫌い。会いたくない」などと言わされる。逆に会いたいなどといえば怒られる。嫌い嫌いと言わされているうちにいつしか本当に嫌いになってしまう。これは趣味を否定され続けて諦めざるを得なくなるなんてこともあるので離婚案件に限らないのだが、それでも肉親に対して嫌悪を
    強要されるのは大変な苦痛だろう。
     そうした「離婚指南」を弁護士や支援組織が行っていると本書では触れている。幸いにも誤解が解けて家族を再会できた事例も紹介されているが、こうした連中が本来別れずに済んだ家庭をいくつ壊してきたのだろう。

     本書の事例の多くは「母親が子供を連れて出て行った」ものであるが、「先に母親が出て行き、その後子供を連れていった」という事例もある。まず一人で出て行ったあと、DV等で訴え、受理されれば警察同伴で「合法的に連れ去って」いく。抵抗すれば余計に立場は悪くなる。手も足も出ない。本書では裁判や「子供を連れ去られた父親の支援組織」などで戦う父親も多い。それでも高すぎる壁に断念し、再会を諦める者、自らの命を絶つ者までいる。

     本書の内容とは離れるが、司法や警察含む行政はいつでも女性の味方かというと、強姦被害に関しては全くそうでもないらしい。レイプに遭ってもまともに対応してもらえない、それどころか更なる屈辱を味わうセカンドレイプも少なくない。「気の緩みが合ったのでは」「合意がなければ応じるわけがない」などと取り合ってもらえず、PTSDで仕事や学業を断念せざるを得ず、しかし加害者はのうのうと日々を暮らしている、そんなアンバランスはそこかしこにある。
     強姦等の要件を見直す改正案が今国会で審議されている。それでいくらかでも改善されるだろうか。
     ネットではあまり評判の芳しくない親子断絶防止法案であるが、本書で挙げられた「子供の意に沿わない親子断絶」の防止に役立つなら、一縷の望みはかけたい所である。

  • 図書館で借りた本。
    子どもを巻き込む離婚問題。どちらか一方だけが悪いということは無く、何も悪くない子どもが一番傷つく。いがみ合って一緒にいるよりも、別れて子どもと頑張るシングルマザーの姿は崇高なものだと思っていました。今回は父親側からの意見なので、新たな視点で読み終えることができた。以前、子どもに聞いたことがある。もしも父母のどちらかを選ぶような場面に遭遇した場合、どちらについていくかと。子どもは少し迷ってから「お父さん」と言った。経済力が大きな理由だけど、その裏には父と一緒にいれば、母は必ず自分を探して会いに来てくれる(逆だと父とは一生会えなくなる可能性がある)という意図が隠されてたことを知り、驚いたことがある。そのぐらいに子どもにとっては父も母も選べないのだと痛感したことを思い出した。

  • 367.4

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著者プロフィール

フリーライター。1970年(昭和45年)大阪生まれ。旅・現場・実感にこだわった作品を発表し続けてきた。近年取り組んでいるテーマは、日本が抱える国境離島の問題と防衛のあり方、さまざまな親子のかたちと共同親権、入管法改正案や移民の是非など。こうした賛否の分かれる国内の政治的な課題について、イデオロギーに追随しない、まっすぐで公平な取材・執筆にこだわっている。旧日本領のその後を訪ね歩いたルポ『僕の見た「大日本帝国」』(2005年、情報センター出版局)、書斎の床が本で埋まった体験を出発点に本と人の共存を考えた『本で床は抜けるのか』(2015年、本の雑誌社)、爆発的な経済成長を遂げた中国を四半世紀ぶりに回った『中国の「爆速」成長を歩く』(2020年、イースト・プレス)など話題作多数。

「2023年 『誰も国境を知らない 令和版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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