明治維新で変わらなかった日本の核心 (PHP新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569837109

作品紹介・あらすじ

日本は明治維新で「近代」になったのではなかった! わが国の組織原理・行動原理を古代から明治までの通史的思考で明らかにする意欲作。

感想・レビュー・書評

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  • どちらかというと猪瀬さんが聞き手、
    やはり磯田さんのお話って、まるで当時の様子を見てきたかのように活きた歴史だし、現代のいろいろな状況に例えるのがとても面白いなあ。

    メモ。

    かつて日本の古代には律令制が布かれ、タテマエの部分では「公」というものが成立していた。
    しかし、「出挙」のあり方など徴税の仕組みが示すように、実態としては行政の能力が伴っていない部分も多かった。
    そしてその律令制という大陸からの借り物の間に合わせのシステムが崩れて、武士が力をつけていく。
    鎌倉時代は朝廷と鎌倉幕府との二重権力状態が続き、室町幕府は統治自体がグダグダになっていく。
    そのなかで、力の強い豪族がいて、幕府や天皇という最高位はあれども、基本的には実力や武力で奪い取っていく戦国時代になっていく。
    そこに信長、秀吉、家康という天下人が現れ、戦国時代が終わっていく。(猪瀬)

    「宗教卓越国家」から「経済卓越国家」への移行という問題意識も、本書で繰り返し語られました。
    それまであった宗教的な権力構造が戦国期を通して解体されていき、そのうえで、土地を耕し、経済活動を行うことによって未来へ安定した生活を築いていくことができるという思想を、徳川幕府がつくったということになる。
    そもそも江戸社会が生まれる背景には、中世の克服があったわけです。(猪瀬)

    一方で、古代から明治維新の後まで一貫して、実態があいまいな天皇という権威をいただくことで一定の秩序を維持してきた。
    勢力の均衡を保っていた。
    そして同じ身分のなかでの熾烈な競争を繰り返し、江戸時代のサラリーマン武士たちがつくった組織風土をしっかり護持し続けた。(猪瀬)

    たぶん日本の企業の発想の行き詰まりの一因は、江戸時代の武士組織を踏襲しすぎていることにある。
    組織に長くいる人間が高い権限や地位を与えられやすい。
    副業・兼業にも規制が大きい。
    組織に必要以上に忠誠心を求めることも武士社会です。
    セクショナリズムにもなりやすい。
    その手かせ足かせを外してやることが、今後の日本には必要なのではないかと思います。(磯田)

    こうして歴史的に見ると、日本の風土にはメリットとデメリットがある。
    それをきちんとみつめて、まじめに処方箋を書こうと考える。
    それが本当の日本人の教養というものであろうと思います。
    こういう対談を読んで下さる方の存在は大切で、危機になると、そういう頭脳が現れて、この国を変えてきたもの事実です。
    これからの世界を生きるには、個々人が自分の「史観」を持たなくてはならない。
    それには教科書では足りない。
    いまの世の仕組みが、なぜ、そうなっているかを考える通史の史観が必要です。
    この対談がその入口になることを願います。(磯田)

    最後、磯田さんに褒められちゃった気がする。(私)

  • ・紀尾井町は紀伊家と尾張家と井伊家の上屋敷があったことからその頭文字を取ってつけられた。(p20)

    ・家康は源氏(足利氏)の名門である吉良家に屈折した感情を持っていて、さらには息子の秀忠への将軍の引き継ぎを朝廷に願い出る役目(高家=公家)を吉良が担うことで、吉良に対する負い目を感じていたのでは?(p21-23)

    ・家康は天皇と将軍の関係性を「金と鉄」に見立て、金は役に立たないが敬われ、鉄は役に立つが敬われないものであり、相互が依存することで力を発揮すると考えたとされる。(p25-26)

    ・律令制度が崩壊した平安後期以降、特定の家がある技能や職務について「家業」や「家職」のように「請け負う」仕組み(官司請負制)が朝廷で用いられていて、それを徳川将軍は借用した。
     → 古代の天皇家は自らの権威を利用して無給で家職を命じ、命じられた家は天皇の権威づけがされた家職によって門弟から収益を得ていた。(p26-30)
     → 地方統治も中央から任命されて派遣される国司が担うが、徐々に地方土着の豪族である郡司がその役を代わりに担ったり、国司の代わりに派遣された遙任により統治されるなど、「請負」の仕組みによって中央集権ではなく地方集権がスタンダードになる。(p36-37)

    ・貨幣が民にまで普及する(物々交換から貨幣経済になる)のは中国からの宋銭が流入した平清盛の時代以降。(p40)

  •  日本社会には律令政治から脈々と受け継いだ権威構造が保存されていて、それが近代化のための資源をスムーズに準備した、というのが本筋。たとえばサラリーマン根性的なものは江戸時代にはすでに始まっていた。領地はまとまってなくてバラバラだし、年貢米も直接受け取るのではなくいったん大名や幕府の蔵に入ったあと切米(給料)という形でもらうと。武士社会の残滓は、長くいる人が得をするだとか、意思決定の主体があいまいだとか、兼業を許さないとか、いろんなところにあると。
     発見の多い本なのだが、対談なのでいまいち焦点が絞り切れていないのが惜しいところ。

  • 現代の日本社会が江戸時代の武士組織に由来したものであることを論じたものだが、中世に地方が役を果たせば職業を保護するかたちの下で発展し、江戸時代になると、検地をしてもらうことでの百姓が土地の所有権を持ち、自立して市場経済が発展していったという流れもおもしろい。

    騎馬民族征服説は今はほぼ否定されているが、応神・仁徳政権が強力な騎馬を持っていたことは確からしい。蘇我氏あたりが中心になって、大陸や朝鮮半島に学んで軍隊と官僚制をつくったと考えられる。

    8世紀に発行された貨幣の流通は畿内に限られ、11世紀の初めから150年間は貨幣が使われなくなったが、12世紀半ばに中国からの宋銭が大量に輸入されて以降、貨幣経済に移行した。鎌倉時代に中国からインディカ米が入り、谷間や湿地帯に栽培できるようになったことが、人口増加を牽引した。

    鎌倉時代の武士社会では、分割相続が一般的だった。御家人たちは、恩賞でもらったあちこちの土地に一族を派遣して全国に散らばり、血縁のネットワークで全国を統治していた。地方では領国内の安全を保障する代わりに、手下の武士に対しては軍役、農民には年貢、町人には地代といったそれぞれの職に応じた物やサービスを納めることを要求した。

    鎌倉幕府が設置した問注所という裁判機関が判決を出すと、強制執行できる力と権威があった。室町幕府になると守護が裁判を開いて裁定を執行するようになり、地域的なつながりを基盤とした属地的な社会になっていった。地域権力ができていき、自国を強大にするために、用水を掘ったり、各種の職人を招致した。役を果たせば職業を保護するかたちの下で民の力が上がり、産業の多角化が進み、人々の暮らしはよくなっていった。

    大陸から仏教が伝わり、多くの寺が建てられた平安時代までは、宗教が高度な知識と技術を独占し、天皇の権威が付け加えられたため、大きな権威を持つ宗教卓越国家だった。地域が力を付けると、必然的に宗教や権威は否定されていき、経済卓越国家になっていった。同業者組合に商売する権利を与える座を認め、上納金を得ていたのは、多くが宗教施設だった。戦国大名は座を解体することによって、役を取ることができるようにした。1650年頃には、各大名が検地を実施して寺領を大幅に減らし、数か所の寺や神社をひとつにまとめ、僧侶の人数も強制的に減らした。寺は、葬式と宗門人別改帳による戸籍管理の役割を果たすようになった。

    広大な平野の地域では、組織が縦型に編成されて中央集権的になりやすい。濃尾平野は東国の武士の伝統があり、都に近いため経済的に豊かで、交通の便もよく、中央集権的な気風が天下を取ることに有利に働いた。畿内は宗教の権威が強く残っていたため、地元の権力が育たず、強い大名が生まれなかった。

    室町時代までは経済政策はなかったが、江戸時代になると、用水路の開削や溜池の造成などの経済を好転させる政策を行うようになった。西日本の大名がいる領国では、農業投資が行われて豊かで人口も増えた。畿内は非領国だったが、資本が潤沢で、工業生産の土壌もあったため豊かだったが、結婚年齢が高く人口は増えなかった。天領の関八州ではきちんとした自治が行われず、人口も減り続けた。東北は領国だが大名があまり面倒を見なかったため、飢饉が来ると農民は飢え死にした。

    江戸時代の百姓は、検地をしてもらうことで所有権を確定でき、その土地を売買することもできた(田中圭一「百姓の江戸時代」)。将軍や大名が法の支配をして、農民の人権や財産権が保障されたため、市場経済が発展した。百姓は、強い家意識を持つようになり、仏壇や墓地も持つようになった。戸籍簿にあたる宗門人別帳に載せされなかったが、百姓も名字は持ち、墓石に彫り込んでいた。

    江戸時代に世襲権を持つ武士の割合は5%くらいだった。幕末から明治維新にかけて活躍した下級武士は、ほとんどが徒士と呼ばれる人たちで、馬には乗れないし、主君から給付・安堵された所領である知行も持たなかった。世襲では算盤御選で能力を問われ、使用人がいないので、身の回りのこともすべて自分でやったため、精神的にも肉体的にも鍛えられていた。

    明治維新は下級武士が権威を奪い取ったもので、江戸時代の権威主義はそのまま続いた。現在の官僚の人事制度や戦後の日本的経営の組織感は、江戸時代に求められる。現代の企業の行き詰まりの一因は、組織に長くいる者が高い権限や地位を与えられ、組織に強い忠誠心が求められ、セクショナリズムになりやすいなど、江戸時代の武士組織を踏襲しすぎていることにある。

  • 2018.6.23
    天皇の権威・古代からの官僚など
    猪瀬らしい
    2021.6.12再読
    組織の原理(統治の仕組み)を考える
    江戸時代における高家の血筋と天皇家の権威
    (比較するのも非礼だが)を象徴的に書くが
    古代天皇の権威の拡大する構造が目から鱗!

  • 江戸時代に対する誤解がだいぶあったとわかる本。まぁ、何となくそうだとは思ってはいたのだが、改めて根拠も含め纏めて本として読むと、納得感がある。磯田さんが後書きで歴史で一番大切なのは「通史」と書いているのだが、それは自分も大人になってから特に実感しているので、本書もそれに見合った内容であったと思う。

  • やはり頭のいい人の対談は面白い。そしてメディア慣れしている人たちだから、面白い対談をしてくれる。歴史おもろー


     二宮金次郎の話が多かったけど、勉強になることが書かれていた。「譲」の精神は大事だ。
     経済をたらいの水だと喩えて、たらいの水を自分のほうへかき集めても、すぐに逆方向に逃げるように遠ざかって行ってしまう。でも、たらいの水を外に押し出せば、今度は自分のほうに波となって帰ってくる。お金の流れをこのように例えるの、非常に良いなぁと思った。


     あと、基本的に江戸時代のステレオタイプなイメージを払しょくするような話が色々出てきて興味深かった。貧しい農民と裕福な武士という固定観念を払しょくするのによいね。

  • 対談の契機はなんだったのだろう。
    学校で教わらない近現代史(とその土壌)の現時点での知見の集約的な。すらすら読める。

    局所的なバーデンバーデンが出ていておどろいた。

  • ハンコは、江戸時代の農民もみんな持っていて、読み書きはもちろん、企業家であり、農地の所有権も移動も自由にできた。なんか時代劇のイメージなのか悪代官の圧政に苦しめられていたように思っていたので、新鮮だった。磯田道史の本をしばらく追いかけてみたい。

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著者プロフィール

猪瀬直樹

一九四六年長野県生まれ。作家。八七年『ミカドの肖像』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。九六年『日本国の研究』で文藝春秋読者賞受賞。東京大学客員教授、東京工業大学特任教授を歴任。二〇〇二年、小泉首相より道路公団民営化委員に任命される。〇七年、東京都副知事に任命される。一二年、東京都知事に就任。一三年、辞任。一五年、大阪府・市特別顧問就任。主な著書に『天皇の影法師』『黒船の世紀』『ペルソナ 三島由紀夫伝』『民警』のほか、『日本の近代 猪瀬直樹著作集』(全一二巻、電子版全一六巻)がある。近著に『日本国・不安の研究』など。

「2021年 『昭和23年冬の暗号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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