- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569837574
作品紹介・あらすじ
勇気を持つ人だけが、愛を実現できる――。ミリオンセラー『嫌われる勇気』著者が、愛に苦しんでいるあなたに贈る、待望の恋愛論。
感想・レビュー・書評
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アドラー研究の第一人者が解説する、愛の哲学。
良い意味で、他の自己啓発本にはない、リアリティ溢れる内容だった。無理なものは無理、バサッと切り捨てる感じが気持ち良い。
とはいえ、可能性があるものに対しては、とことんいかに問題を解決するかが描かれている。
アドラーやギリシャ哲学を元に書かれているだけあって、時たま意味が分からない内容があった。人間は元々は背中合わせで二人分として生まれてきて、途中から分離... 「はい??」ってなったけど、私が無宗教なだけなので、ここはご愛敬。
意外と面白い内容だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
愛とはただそこにあるものではなく、行動することによってしか存在しない。行動がなければそこに愛はない。
という考えを取り入れたい。
自分1人でいる時、私は相手のことを思っていない時間が長いように感じる。
相手に興味を持つ=相手を気にする=相手を愛する
ことであると肝に銘じ、不断の思いやりを持ちたい。 -
『嫌われる勇気』の著者である岸見一郎さんによる恋愛論。
愛は「誰を愛するか」という対象の問題ではなく、「どのように愛するか」という技術の問題であることをアドラーやフロムなどの言葉を引用しながら解説しています。
以下、印象に残った箇所の要約です。
第1章 なぜあなたの「恋愛」は幸せをもたらさないのか
・対人関係の中に入らない人は、自分に価値がないと思うから対人関係の中に入らないのではなく、対人関係の中に入らないために自分に価値がないと思うようにしている。
・恋愛をためらう人が勇気を持つためには自分には価値があると思い、そんな自分を好きになることが必要。
・なぜ、本当は出会いがあるのにないと思ってしまうのか。1つは恋愛がうまくいかないことで傷つきたくないから。もう1つは誰もが羨むような結婚をすることを友人と競っている人が、競争に勝つために現実に会う人を結婚の候補者から外してしまうから。
・多くの人は「愛することは簡単だが、愛するにふさわしい相手を見つけることは難しい」と考えている。しかしフロムはそうではなく、大切なのは相手を見つけることではなく、相手を「愛する能力」と言っている。
第2章 結婚と子育ての困難について
・二人の関係が付き合い始めたり、結婚したりした当時とまったく同じままであることはありえない。これは必ずしも二人の関係が悪くなるという意味ではなく、よくなることもある。
・知り合った当初から相手への思いがまったく変わらないという人がいれば、それは相手への思いが初めからまったくなかったのと同じ。
・二人の関係が変化する以上、結婚した後の未来を予測することは不可能であり、予測できないからこそ結婚には価値がある。
第3章 人を愛するとはどういうことなのか
・「あの人は嫌いだけど、あなたは好き」という人は愛する能力を持っているとはいえない。「あの人もあなたも好きだが、あなたのことがより好き」ということはできる。
・誰かを愛する前に他の人を排斥する必要はない。
・まず人を愛せなければ、つもりフロムのいう愛する能力がなければ、個々の人を愛することもできない。
・あなたのことも、他の人も愛することができるけれども(インパーソナル)、あなたを他の誰よりも愛する(パーソナル)というのが本来の愛の形であり、インパーソナルな愛がパーソナルの愛の基礎になければならない。
・運命の人は存在しない。運命の人がいるのではなく、この人が運命の人だと決めるのが本当。
・恋愛もすべての人に会ってから比較検討してこの人と付き合うとか、結婚しようと決めるのではない。偶然の出会いを必然、運命、縁であると思えるような出会いにまで高められるかどうかは自分次第。
・相手についての自分の印象が思い込みにすぎず、間違っていたことに気付くためには、二言三言話すだけで十分。
・愛は活動であり過程であるため「持つ」ことはできない。愛が人が「持つ」ものであると見なされるようになったとき、人は愛されようとする努力も、愛そうとする努力もしなくなる。
・フロム曰く「幼稚な愛は『愛されているから愛する』という原則にしたがう。未成熟な愛は『あなたが必要だから、あなたを愛する』と言い、成熟した愛は『あなたを愛しているから、あなたが必要だ』と言う」
・失恋が苦しいのは恋愛をギブアンドテイクで考えているから。相手が自分をどう思っていようとも、そのこととは関係なく相手を愛することができる人には失恋は存在しない。
・失恋の悩みは振られても諦めきれないことだが、相手が自分をどう思っていようとも愛せる人には、本来、失恋は存在しない。
・本当に有能な人は有能な教育者でもあるので、最初はすべて自分でしていた仕事でも、それを他の人ができるように教育しているはず。職場が自分がいなければ回らないのであれば、後進を育てていないという意味で、その人は有能ではない。失恋が辛いのは自分でなくてもよかったことを思い知らされるから。
・相手が自分を愛さないのなら、自分も相手を愛さないというのは愛ではなく一種の取引。愛は取引ではない。
・相手の心の中に自分がいなければ自分に価値があると思えないのだとしたら自分の価値は相手に依存していることになってしまう。相手が自分をどう思うかは自分の価値には関係ない。
・大切なのは「自分は一人でも生きられる。それでも二人でいた方が同じ経験を共有する喜びを持つことができる」と考えること。
・本当の意味で他者を愛する人にとっては相手から必要とされていると感じることすらも必要ではない。
・講義の時に学生に話すと大抵「無理」と一蹴されてしまうが、自分の好きな人が、自分ではない好きな人といて幸せであれば、そのことを喜べるのが愛。アドラーは「自分自身よりも愛するパートナーの幸福に、より関心があること」が大切だといっている。
第4章 幸福になるための「愛する技術」
・アドラー曰く「愛と結婚の問題は、完全な平等に基づく時にだけ、満足に解決できる」。
・アドラー曰く「それぞれのパートナーが自分よりも相手にこそより関心を持たなければならず、そのことが愛と結婚が成功する唯一の基礎である。そして相手により関心があれば二人は対等であるに違いない」
・人は仕事をするために生きているのではない。生きるために、さらにいえば幸福のために働くのである。
・喧嘩をした後に仲良くなるとか、喧嘩するほど仲がよいというのは、甘えでしかない。甘え続けていれば、ある日本当に関係が終わることになる可能性があることを知っておかなければならない。
・愛し合っていると思っていても、言葉に出さなければ何も伝わらない。付き合う前であればなおさら自分の思いを言葉にしなければならない。自分が好意を持っていることを何とかして相手に伝えたい場合、遠回しな変化球を投げようとは思わないでストレートの直球で伝えるしかない。
・よいコミュニケーションとは、上手に話ができるという意味ではない。大事なのは、この人の前では普通にしていてもよいと感じられること。
・状況によって態度を変える人は、不機嫌でいる時にまわりの人が腫れ物に触るように接するのを見て、不機嫌でいれば、まわりの人を支配できることを幼い頃に学んだのであり、今も機嫌によって人を支配できると思っている。
・自信を持つためには、自分の個性をまず自分が認め、それを受け入れることが出発点。
・一人で過ごすことができる、一人でいても不安にならない。そんな人だけが二人でいる時間を楽しむことができる。
・関係が長く続くことは目標ではなく結果。「今ここ」を二人が生き切ることができれば二人の関係はこれからも続いていく。
・この人と会うのは今日が初めてなのだと毎回思えるようになれば二人が過ごす時間は生きられる時間になる。今日は昨日の繰り返しではなく、明日は今日の延長ではない。
・フロム曰く「『尊敬』とは愛する人が私のためにではなく、その人自身のためにその人なりのやり方で成長していってほしいと願うこと」
・結婚する時に女性に対して「守る」とか「幸せにする」という男性がいるが、二人が力を合わせて幸福になる努力をするのであって、どちらかが相手を幸福にする、あるいは幸福にしてもらうという発想は、二人が対等であると考えているカップルからは決して出てこない。
・セックスは何のためにするかといえばコミュニケーションのため。この親密なコミュニケーションにおいては、二人の関係のあり方が、他のどの場面よりもはっきりと現れる。
・二人が普段からよい関係を築けていなければセックスにおいても満足を得ることはできない。セックスは狭義の性行為ではなく、例えば、一方が仕事から帰宅した際に「ただいま」といい、もう一方が「おかえり」というところから既に始まっている。親密なコミュニケーションは、その後の行為に先行するものとして意味があるのではなく、それ自体が既にセックスそのものであるといっていい。
・セックスをコミュニケーションと捉えれば、言葉による交わりこそ大事なのであり、身体的接触は二人が親密であると感じられるための補助的な手段でしかない。
・人を好きになることに理由がないように、嫌いになるのにも理由はない。相手が変わったわけではなく、以前は好ましいと思えていたその人の性格が、いつの頃からか耐え難くなる。 -
愛と結婚を扱う本は数多くある。どの文学も恋愛物語を扱っている。しかし、幸福な結婚を扱っている本に出合うことはほとんどない、というところからこの本は始まります。
人はなぜ、不幸な(あるいはシンデレラ・ストーリーのようなおとぎ話のような)恋愛物語を読むのでしょうか。
それは、「恋愛は困難だという理由で恋愛を避ける(恋愛できない/しない)自分を正当化させるためだ」と筆者は主張します。
しかし、人間は恋愛をしたいと思う(他者と関わり合いを持ちたい、孤独な状態から脱したいと思う)ものであるにもかかわらず、たびたび恋愛で失敗したとしてもその原因を自分自身のライフスタイル(思考回路や性格)によるものだとは考えず、自身を改めることがないために同じ失敗を繰り返すのだと筆者は言います。
フロムの『愛するということ』にもある通り(本書でもたびたび引用されていますが)、恋愛は交友関係や仕事上の人間関係と同様に対人関係の問題であり、その成否は「運」や「相性」ではなく「能力」と「技術」であること、そしてよりよい(恋愛)関係を構築するためには理論の習得と技術の習練が必要です。
恋愛がうまくゆかないのはどのようなときか、そもそも「人を愛する」とはどういうことか、目指すべき理想の関係性はどのようなものか、そしてよりよい関係を築くための具体的な方法(技術)とは。
これらのことが丁寧に解説されており、「○○をすれば彼女(彼氏)ができる/うまくゆく/自分に振り向かせることができる」というようなハウ・ツーではない、本質的な「人との接し方」を学ぶことが出来る本だと思います。
ただ、ちょっと説教臭い印象もありますし、アドラー心理学やフロムの著書を読んだことがある方にとってはすでに知っていることを整理しただけ、という本かもしれません。 -
2018024
アドラーの視点から、恋愛を考察。恋は技術であり能力である。
恋愛や結婚が上手くいかない理由は、相手にではなく自分に関心があるから。自分に問題があるのではなく、相手や自分の外に問題があると考えるから。相手と対等の関係に立って考えることが大切。
自分ではなく、自分たちと言う共同体としての意識が大切。。恋や恋愛も一段、上から見ることで客観的に考えられるようになりたい。けど主観的に考える方が、楽しい気もします。 -
本書は、愛と幸福にまつわる様々な問題に、明確な回答を提示しようとするものである。
「あなたの愛は、なぜ幸福をもたらさないのか」
この究極の問いに対して、心理学者や哲学者が示してきた見解が紹介される。
そもそも、人が"愛"について悩むとき、その関心の大部分は"どうすれば愛されるのか"という点にある。
どうすればあの人から愛されることができるのか。
どうすれば失った愛を取り戻せるのか。
愛されたい、愛して欲しい、愛情を獲得したい…。
本書は、愛に対するこのような受動的な態度を否定する。
愛にまつわる悩み事を解消するためには、受け身の姿勢でいてはならない。
愛について大切なのは、"愛する"という能力であり、技術であり、それはどこまでも能動的なものであるのだ、と。
このように断ぜられれば、感情的に反発したくなるのが自然だろう。
自分がどれだけ人を愛そうとしても、相手からの愛が得られなければ意味がないではないか。
そうであれば、"愛される"ことが一番の関心事になるのは当然ではないか。
しかし本書は、このように"愛される"ことに関心を向けるのは、"愛する勇気"を持てないからだと言う。
自分の気持ちを受け入れるかどうかは相手が決めることであり、それを自分がどうこうすることはできない。
気持ちを伝える場合、拒絶される可能性を排除することはできない。
しかし、だからといって、傷つくことを恐れて告白をためらってはいけない。
傷つく可能性があっても、その可能性を受け入れて、勇気を持って恋愛という対人関係に踏み出すべきである、と。
そして、このような勇気を持つためには、自分に価値があると思えることが必要である、と言う。
自分には価値があると思い、そんな自分を好きになることが必要である。
それは、「自分の価値は自分で肯定せよ」という、とても厳しいメッセージである。
"愛される"ことを求める人は、他者に愛されれば、自分の価値を肯定できると考えているのだろう。
そんな人にとって、「自分の価値は自分で肯定しなさい」というメッセージは、突き放されたように感じられるだろう。
しかし、自己肯定ができなければ、幸福な恋愛関係を築くことはできない。
どれだけ厳しく、どれだけ困難であっても、自分の価値を自分で肯定できるような成熟した人間に成長することにしか、幸福に至る道はない。
そうであれば、幸福な恋愛関係を構築するために我々にできることは、"自分を成熟させるために努力する"ということに尽きるのだろう。
本書の最後の段落は、次のように結ばれる。
「ですから、今は愛する人がいるのであれば、先のことを思って不安にならず、日々よい関係を築く努力をしましょう。そのような努力をすることが生きる喜びになるのですから。」
相手に何かを求めるのではなく、自分自身が努力し成長することが重要である。
言葉にすれば"当たり前"に聞こえることを、改めて強く訴えかける。
本書はそんな一冊であった。 -
「相手を愛する」とは、「相手の関心に関心を持つ」ということであり、この他者に向けられる関心こそ「共同体感覚」である。
「自分は一人でも生きられる。それでも2人でいた方が、同じ経験を共有する喜びを持つことができる」
→相手から愛されなくても自分は存在できる。相手の存在は、自分の存在を強めてくれるもの。
何もかもわかり合うことは不可能だからこそ、「他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じる」=「相手の立場に身を置く」
→「共感」の大切さ
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すごく読みやすかった。
中でも心に残っているのは、話し合いをするときに、前提として知っておかなければならないのは、相手を理解することと、相手の考えに賛成する事は全く別のことだと言う事。
相手のことを理解しようとして、話を聞く場合と、共感する気も全くなく、相手の立場に寄り添う気持ちがない中で、自分の考えを伝える場合では相手の捉え方が大きく異なると思う。
理解することと、賛成する事は全く別のこと。
これは子どもたちにも伝えていきたいと思った。