本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
本 ・本 (192ページ) / ISBN・EAN: 9784569843186
作品紹介・あらすじ
世間からはじき出されないことを願う理論派・伊集院光と、最初から世間からはみ出している理論超越派・養老孟司。博覧強記でゲーム好きという共通点がある二人が、世間との折り合いのつけ方を探ります。
見た目が大きくて、子どものころから同級生との違いをひしひしと感じ、「世間からはじきだされることがこわかった」という伊集院さんは、不登校になった理由や落語の道に進んだわけを明かしつつ、「人間はそもそも群れの中で生きる動物。『他人に優しくなるほうが得』ということになるんじゃないかな」と語ります。
一方「自分ははじめから世間から外れていた」と語る養老さんは、「都市においては、意識で扱えないものは排除されます」という都市論・世間論を展開。さらに、たまには世間から外れて世の中をながめてもいいんじゃないか、と世間から抜け出す方法を提案します。
抱腹絶倒のトークから、世間とズレながら生きていくヒントが得られる一冊です
感想・レビュー・書評
-
養老孟司先生と、伊集院光さんの対談集。
養老先生はご自分を最初から「世間」からズレていると分析し、伊集院さんは「世間」からはじかれると怖い、とおっしゃる。
印象に残ったエピソードを。
養老先生が解剖を終えてお骨を持って遺族に返しに行ったときのこと。
白木の箱に収めた骨壺の中からガタガタガタッと音がした。
それで先生はまず「このお骨は泣いているのかな、笑っているのかな」と思ったそう。
「解剖学をやりながら「このお骨は笑ってる」という感覚って同居できるんですか?」と、伊集院さんがつっこむと、
「そこにはもうひとつ解釈があって、お骨が共振するということなんですね。音叉の論理ですよ。(略)大型トラックがそばの道路を通って、お骨が固有振動を起こした、と。」
先生によると「お骨が笑ってる」という感覚と、「このお骨はカルシウムでできている物質」という事実は両立するようになったという。「おたがいが排除しあうわけじゃないですからね」と。
私は、今まで、どっちかに決めなきゃいけない、と思い込んでいたフシがあったので、一気に肩の力が抜けたというか、腑に落ちたというか。
あと、養老先生は虫好きで有名ですが、ジョロウグモやザトウムシのような形の虫は大嫌いなのだそうです。
虫ならオールウェルカムかと思ってました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
よく養老孟司のYouTube動画をみているが、頭のいい人って押し付けがましい人が多い印象だが、この人はゆるくて、どこか楽天的な雰囲気があっていい 世間とズレてるからって気後れせず、かといってエラぶりもせずにいたいとおもう
-
養老先生の”クモは好きじゃない”っていう告白にびっくり
したのは私だけではなく伊集院さんもだった。
昆虫が好きだからって全部好きっていうのは
誤解だな。
途中に入るイラストがほんわか可愛い。
私が好きだったのは大学の非常階段を
養老先生が棺を担いでワタワタ降りるシーン。
その時はすごく大変な思いをされたのだろうけれど
こうやってイラストになると笑えてくる。 -
読み物としてとても面白かったです。
自分らしく生きていく上でのヒントがいっぱい書かれているように思いました。
-
養老先生。私の大好きな人。先の感想でも書いている方がいらっしゃったが、ゆるくて、楽観的で、威張らず、押しつけがましくなく、だけどどこかエッジが効いていて批判的でもあり、色んな角度から物事を見据え含蓄のある内容の濃いお話をいつもして下さる。そして温かいお人柄。私もそんな人間になりたいなー、本当に頭の良い人ってこんなだろうなー、と感じさせてくれる、そんなお方だ。
やはりファンだからか、養老先生の言葉に刺さる。
巻末の「おわりに」。
「世間と折り合えってしまえば、今度は自分の方が消える。長期にわたって、ゲリラ戦を展開するしかない。
世間とは何か。社会の正統であろう。正統とは、森本あんりによれば、「自己隠蔽性」
」を持つ。自分はこうだと明示的に示さない。それを言う必要がないのである。しかも言ってしまうと、「なんか違うよなあ」ということになる。でも明確な説明なしに「それが世間の常識だろ」とも言うのである。
そういう鵺みたいなものを相手にして、長年過ごしてきた。だから伊集院さんを見ると「頑張ってね」と応援したくなる。人生の半分は自然が相手で、残りの半分は世間が相手である。もっぱら世間しか相手にしない人は多い。でもそれは不幸を生む。私はそう思っている。」
大共感。世間に振り回されたくなくて養老先生は大学をお辞めになられたのだろう。そして半分世間、半分自然、と私から見ればちょうどバランスの良い人生を送っておられる。大学という秩序を辞める勇気と自信。多くの人は(自分も含め)その自信が無いのです。伊集院さんもですね。
伊集院さんは過去のトラウマから少しずつ解放されているようですが、ちょっと頭でっかちでしょうか。話が屁理屈に聞こえてきて少し疲れてしまいました。狩野英孝氏がなんでウケるのか。彼は五感に働きかけるからですよ。彼自身は無意識なんでしょうけどね。自然にやってる。あんまり考えないで直感でやってる。そこが視聴者の五感に働きかけてウケる。見ていて疲れないし、間の抜けた(狩野さん申し訳ない)天然ボケ、予定調和をずらしてくる辺りに皆がずっこけ癒されるんです。伊集院さんも頭ばっかり使ってないで、もう少し五感を使って躰で感じる、を大事にするといいのかなあ。話に遊びがない。隙が無くて息苦しい。真面目なお方なんだと思います。最近自転車やウォーキング等で躰に刺激を与えているらしいので頭と躰のバランスを取り始めているご様子。もう少し武装を解いてリラックスして頂けると伊集院さんの話に幅が出るように思う。Don’t think!Feel!
養老先生の「思い詰めてしまったら猫をみてください」これも良いですねー。
「人間の世界にいると、ああしなきゃ、こうしなきゃ、となるけど、猫の顔を見てると「本当にそうなのかなあ。あれでも十分生きてるよなあ。」となって、思い詰めてるのが溶けちゃいます。」「あいつは自分の都合で生きてるから」
犬と違って世の中には組み込まれず、世の中の顔色を窺わずに飄々としている、養老先生の羨望の眼差しを集めている猫。ああいう風に生きるのは私も憧れる。養老先生みたいに世の中の風はどこ吹く風、飄々としている人物に私もなりたい。
-
子どもの頃から体がデカいことで「ズレ」を自覚、不登校、高校中退と、世間の常識から外れた<伊集院光>さんと、東大卒の医学博士で昆虫好きの<養老孟司>さんが「世間とのズレ」をテーマにした対談集。 AIに仕事を取られる時代に、世間とどう折り合っていくのか・・・ 世間とのズレが仕事の動機付けとなり、世間に受け入れられようと苦心惨憺する、伊集院さんの心意気に打たれた養老先生曰く「思い詰めないことです」「猫を見てください。その辺にひっくり返ってゴロンと寝てるでしょ。思い詰めているのが、溶けちゃいますよ」・・・と。
-
期待が大きかっただけに、肩透かしをくらったような読後感。
世間とは何か、その中で生きる違和感は何か、そこでどうサバイバルするのか。
以前読んだ鴻上尚史さんの本を思い出した。
とにかく伊集院さんは考える人で、理屈を見つける人で、素直な人。養老先生のマイペースさも心地よい。
遺骨が鳴って、これは悲しんでいるのかな、笑っているのかな、という話は面白かった。
二人のファンには楽しめるのでは。 -
効率重視で生きづらい世の中だけれど、わたしたちはともすれば世間の枠からはみ出しがちになるのだけれど、なんとかかんとか帳尻合わせてうまく生きてゆくことがだいじ、そんなヒントが詰まった本。
-
伊集院光と養老孟司の二人による対談集です。二人は、どちらも世間からズレていると自認しており、そのズレをどのように受け入れ、生きていくかについて語り合います。
間とズレてしまう理由や、ズレを受け入れるための方法など、さまざまなテーマについて議論されています。例えば、伊集院は、世間とズレてしまう理由として、自分の興味や関心が世間の常識と異なることや、自分の価値観が世間の価値観と異なることを挙げています。また、養老は、ズレを受け入れるための方法として、世間の常識にこだわらず、自分の感覚を大切にすることを説いています。
伊集院光と養老孟司は、どちらも知性とユーモアあふれる人です。二人の対話は、時に笑いを誘い、時に考えさせてくれます。
世間とズレてしまうことに悩んでいる人にとって、共感と勇気を与えてくれるものです。
著者プロフィール
養老孟司の作品





