- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569843889
作品紹介・あらすじ
織田信長、狩野永徳にその才能を見出された宗達は、天正遣欧少年使節とともにヨーロッパへ。そこで出会ったもう一人の天才画家とは。
感想・レビュー・書評
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上巻は、肥前・有馬のキリシタン大名である大村純忠の家臣・原中務大輔純一の次男・原マルティノはセミナリオに入学を許されていた。原マルティノの語りで進んでいく本作は、1582年に伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、俵屋宗達ら共にローマ教皇に謁見するため長崎を出発する。宗達は、信長の密命を受け、遣欧使節団に加わる。
この下巻は、使節団がマカオ、ゴア、リスボン、そしてローマへと旅を進める中、そこで彼らが受けた衝撃や感動、希望と宗達が受けた衝撃、感動が語られている。
見せ場は、カラヴァッジョとの出会い。
グレゴリウス一三世、第二二六代ローマ教皇との謁見も終了し、旅の最後に訪れたミラノ市内のサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にあるダ・ヴィンチ作の『最後の晩餐』を見るためにマルティノと宗達は連れ立って教会を訪れる。そこで先輩を殴って工房を追われたという14歳の少年画工「カラヴァッジョ村のミケランジェロ」との出会いの場面が本作の奇跡である。宗達とカラヴァッジョはこの一度きりの出会いにおいて、国境を越えて、お互いを認め、ひかれ合う存在であること確かめる。
上巻のプロローグに「俵屋宗達の生涯は謎のヴェールに包まれている。安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて、京都で活躍して絵師—であることは、ほぼ間違いない。しかし、実は生没年すらはっきりしたことはわかっておらず、その実体は不明だ。おそらく1570年代の生まれであり、1640年前後に没していると思われるが、宗達の生没に関する史料は見出されていないので、『おそらく』を外せない。500年以上も昔のことであっても、はっきり生没年や業績がわかっていない歴史上の人物もいる。が、宗達の生涯は謎だらけなのだ。宗達は、のちの絵師たちに『琳派の祖』と崇められ、その作品は時代を超えて多くの芸術家に影響を与えてきた。が、現在、確認されている真筆は極端に少ない。『真筆』とされている作例が少ないので、研究者も限られた作例を検分する以外、研究する方法がない。それでも、だからこそ、追いかけて見たくなるのである。」というくだりがある。
本作の現代の主人公である京都国立博物館研究員・望月彩が宗達を追いかけたように、本作の著者、原田マハ先生も宗達の歴史を自由に想像し、こんな奇跡が有ればアートの歴史はさらに神秘的で興味深いものになるだろうといえ思いが伝わってくる段である。
そして、その思いは、ミラノで宗達とカラヴァッジョと出会う、とてつもないフィクションとなる。
ストーリーの中で「なにゆえ?なにゆえ、彼はそうまでしてここに来たのだ?何が彼をそうさせたのだ?その答えが—ここにあった。すべては、面白き絵を見るために。この国の素晴らしき絵師にまみえるために。そしていつか、もっとおもしろき絵を描くために。彼は、ここまで来なければならなかったのだ。」と、システィーナ礼拝堂天井壁画の「天地創造」を見たときにマルティノは、思ったのだが、本当は、信長の秘命であるローマの「洛中洛外図屏風」を描くことではなく、マルティノのこの考えが宗達の本当の気持ちであると著者が読者に暗に伝えているような気がした。
宗達の命がけの旅は、何をもって成し遂げられたと言うことができるのだろうか。と、考えたとき、物語の背景、登場人物の使命を明確に記さなければならない。表向きにの命があるのではあるが、真意はこのことであると確信した。
また、余談になるが、美術の知識がある作者ならではだと思う次のような描写がある。
「長崎を出てから二年半の歳月を熱帯の国々や船の上で過ごした体には、ヨーロッパのからりとした気候はいかにも心地よかった。石造りの建物はなきに入るとひんやりする。木と土で造られている日本の家屋とはまった違う。日本の家屋は夏の蒸し暑い時季にはふすまや障子を、取り外して風が通り抜けるようにできており、いってみれば『内』と「外』が繋がっている。しかしヨーロッパの家屋は『内』と『外』が完全に切り離されている。乾いて冷たい屋内だからこそ、布に油絵具で描かれた絵の数々はよく保たれているのだろうか」
イタリア旅行の記憶は、私の中では一番である。バチカン宮殿前広場中央のサンピエトロ大聖堂の計算されて建てられている石柱の美しさ、システィーナ礼拝堂の祭壇の背後の「最後の審判」、天井壁画の「天地創造」をみた時の感動、バチカンから見るパリの家々屋根の風景、今もはっきりと覚えている。これらは全て、遺産である。宗達が見たこの時代から継承されてきたものである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自分自身でさえ旅をして天地創造等を見たときには驚いたものですが、彼らが西洋の地に踏み入れ名画を見たときに驚きと言ったらかなりの衝撃だったでしょうよ。新たな芸術に触れ、二つがあった奇跡、読んでいて胸一杯になりました。
どの時代にも楽しい人はいるでしょう、宗達もそんな人だったかもね。絵を描くことは生きること、熱意も伝わったなあ。驚きと緊張と楽しい物語でした。 -
感謝したい、一冊。
風に乗り時折轟く雷鳴に脅かされながら眩しさを増す少年達と大海原へ。
良かったなぁ。
随所で絵画の息づかいをその場で感じているような感覚に陥りながら絵師としての心意気、絵が結ぶ心、沸き起こる“友”への想いに心も目頭もじんわり熱くなる。
同じ時代に生きた人物を想像で結びつけることで物語って生き生きと魅力を増すんだな…と、感じた時間でもあった。
マハさんの手によって、一人の絵師の人生に光があてられ、彼の絵師としての想いに触れることができた、そこに今そっと感謝の気持ちを添えたい。 -
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こんにちは。
ほんとうにタイミングぴったりでびっくりです(笑)
本の好みが似ていて、本の探し方(アンテナ)も似ているのかなぁと思ってます...こんにちは。
ほんとうにタイミングぴったりでびっくりです(笑)
本の好みが似ていて、本の探し方(アンテナ)も似ているのかなぁと思ってます。
私も同じシーンで感動しました。
登場人物が心震わせる場面を描くのがうまいですよね。2019/12/04 -
まことさん
こんにちは。
いいね!有難う御座います。
「取次屋栄三」は、栄三郎の人柄が一番の読みどころです。
取次屋栄三は、2010...まことさん
こんにちは。
いいね!有難う御座います。
「取次屋栄三」は、栄三郎の人柄が一番の読みどころです。
取次屋栄三は、2010年10月~2019年08月までで20冊書かれています。
これだけ長く続くのは、それだけ売れているのだと思います。
いい本を見つけたと思っています。
しかし、貸出期限が迫っているので2作目を読むのは、少し先になると思います。
やま
2019/12/05 -
やまさん♪こんにちは(*^^*)
こちらこそ、ありがとうございます。
20冊も続きのある、お気に入り本をみつけられたとは、続きがたくさん...やまさん♪こんにちは(*^^*)
こちらこそ、ありがとうございます。
20冊も続きのある、お気に入り本をみつけられたとは、続きがたくさんあって、楽しみですね!
今『うちの旦那が甘ちゃんで』読み始めました。2019/12/05
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美術という切り口から、室町後期~江戸初期、天正遣欧使節を描いている点で新しかった。惜しむらくは、歴史物としてさらりとしすぎていた。安土桃山という濃密で国際色豊かな空気感をもっと感じたかった。壮大な旅も旅行とかわりなく感じた。登場人物も俵屋宗達でない誰かでも変わらないと思えた。人物像が浮き彫りになってはいなかったように思う。原田マハさんはすごく好きな作家さんだが、現代物であったなら、すっきりと読めたのかもしれない。
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1582年、天正遣欧使節団一行がローマに向けて出港しました。
これは歴史的事実です。
下巻の最初に語られていたのは、出港から一年九か月後に
インドのゴアに到着したということ。
え?!そんなに時間をかけて、まだインド??
当時は風を待ちながらの航海で、
良い風が吹くまで、季節をまたぐ寄港をしていたようです。
ローマへの果てしない道のりに頭がくらくらしました。
そして、天正遣欧使節が渡航していた時期に
カラヴァッジョがミラノで修行をしていたというのも事実。
同い歳くらいの少年が日本からローマ教皇謁見に来たことを
カラヴァッジョは、きっと知っていたことでしょう。
さらに、謎の多い俵屋宗達。
当時、使節団と同い年ぐらいだったということも推測されます。
原田マハさんは、これらの素材をもとに
奇跡の出会いと 固く結ばれた友情で色付けをして
言葉で独自の絵画を描き上げたかったのではないでしょうか。
トスカーナ大公邸に現れたまぼろし。
システィーナ礼拝堂に突如 吹いた風と閃く光。
物質的な見地から読んでいると不思議に思われる描写です。
でも、物語という絵画の中で光っている部分だと思うと なるほどです。
少し残念なのは、エピローグで現実に引き戻されて
梯子をはずされたように感じたことです。
そもそも、望月彩のくだりは必要なのでしょうか。
こういう事実と推測の上にこんな物語を作ってみましたが、
いかがでしょう?
で、よかったのでは? -
下巻は、何と言ってもローマ教皇との謁見シーンがクライマックス。
グレゴリウス十三世が涙ぐみながら発した労いの言葉、「そなたたちの来訪を、どれほどマチワビタだろうか天正……よくぞ……よくぞ来てくれた……」で、使節団一行の長旅の苦労が全て報われた。そして、「洛中洛外図屏風」も教皇の心を揺さぶり、宗達も面目躍如。よかったよかった。
残念ながら、その後話は失速していく。宗達とカラヴァッジョがダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵の下で出会うエピソード、取って付けたようでちょっとな(このエピソード、必要だったのかな)。カラヴァッジョの名を宗達がつけたというのも、もはややり過ぎ感が…。
一行がジェノヴァから日本に向けて出航するところまでで作品が終わっちゃってるのも不満。帰国後の宗達の成長した姿、少なくとも「風神雷神図屏風」の創作シーンは描いて欲しかったし、使節団4人のその後の数奇な運命についてももう少し言及して欲しかったな(我が儘な読者ですみません)。
こうなったら、柳広司の「風神雷神」も読むっきゃないな! -
「クアトロ・ラガッツィ」は天正少年遣欧使節について知りたければこれを先ず読めというほどの重厚な傑作です。なので、これを読んでいると本作は安手のジュブナイルにしか思えませんでした。4人は知性高く武士の子として秩序だった行動をしていましたし、個々に目的があってローマに行ったわけではありません。ところで、活版印刷習得のために乗船した日本人はどうしたのでしょう?また、信長のミッションだったローマの鳥瞰図はいつの間に描き上げたのでしょう?気になりました。
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下巻はちょっと期待したほどではなかった。京の扇屋の息子が恵まれた画才の縁であの天正遣欧少年使節に随行してヴァチカンを目指すくだりの上巻では登場人物がみな生き生きと書かれていてワクワク出来た。しかし当巻では目的地を目指し遂行する過程が主になりドキドキ感が薄くなってしまった。宗達とカラバッジョの運命的な遭遇も少し無理ヤッコ感がありますね。日本の風神雷神とかの国のユピテル アイオレスを終盤のテーマにする着想もやや強引な感じが残りました。ともあれぼんやりイメージだった遣欧少年使節を再認識する機会になりました♪