- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569845616
作品紹介・あらすじ
「武士道論」の大半は明治期以降の軍人が喧伝したもの。血まみれの現場を生き抜いた武士たちが形成した真の「戦闘者の心得」とは?
感想・レビュー・書評
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巻頭の武田信玄の仕打ちの逸話に始まる実際に戦闘を行っていた時代の武士道はとても興味深かったが、それが司馬遼太郎批判に繋がるのはよくわからない。
その後折口信夫、柳田國男の民俗学の話になり、話題は武士道から離れる。
最後の章で全体をまとめているが、ささやかな市井の幸福と武士のあり方を1つの線でつなぐのはやや無理があるように感じる。 -
10年ぶりくらいに著者の本を読んだが、やはり彼の武士道論は素晴らしい。武士は命を懸けて戦うからこそ事実確認から入ることを重んじていた。甲陽軍鑑に書かれた脇差心。武士ならば立派な武士になろうというのが武士道の起源。葉隠に書かれた死に狂いするなかにこそ忠孝は存在するという鍋島直茂の言葉。軍隊がなぜ掃除をするかといえば戦闘者は見る存在であり、相手の油断や隙を見つけなければならない、そのためには隅々まで神経が行き届いていなければいけない。優しくできるのは強さという前提があってこそ。朝倉宗滴の犬ともいへの言葉の真意は何をしても勝てばいいということではなく、どんな卑怯な相手にでも負けてしまっては何も言えない、嘘や卑怯は最終的には自分を滅ぼしてしまうかもしれない、そういう厳しい現場を生きていることを自覚せよであること。すでに死んだ自分になるための自分の死にざまを思い描く観念修行で、それが死ぬことと見つけたり。潔さとは散り急ぐことが美しいのではなくタイミングがぴったり合っていることが美しいということ。文武の文は詩歌管弦の分野であること、知情意の情に関わるところで、相手の心情を察し深く思いやる能力があるかないか、もののあわれを知る心があるか。
司馬遼太郎の進歩主義、近代的合理主義は、もちろん武士も合理性を持ち合わせていたがもっと大切にしていたものがあり、それを否定する武士道に相反する思想である。 -
平易な言葉で武士道を説く。
後世の思い込みを指摘し、いま、
あらためて再評価する姿勢が興味深い。