弓と禅

制作 : 稲富 栄次郎  上田 武 
  • 福村出版
3.98
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本棚登録 : 553
レビュー : 46
  • Amazon.co.jp ・本 (165ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784571300271

感想・レビュー・書評

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  • 弓道も禅も奥が深い。

  • 我思う故に我ありvs全てをあるがままに受け入れよ(たぶんちょっと違う…)西洋の住人である著者が弓を通じて禅の世界にアプローチしていく記録なんだけど「考える主体である私」と禅の「その考えるお前を捨てていけ」的な考え方ががっぷり四つで組み合っていてものすごくスリリングな本でした。お、おもしろかったー…

  • 昭和初期に東北帝国大学の講師として来日したドイツ人の筆者が、弓道の達人に師事し、その教えの難解さに苦しみながら、5年の歳月を経て、ついに段位を得るにいたる、体験記である。

    師範は一貫して、「自分」が的を射るのではなく、「それ」が射るのだと繰り返す。
    「それ」とは、我々の中でごく当たり前になっているが、本質的には不可解極まり無い、自然の力の表出であるという。
    そして、自分自身から離れたとき、つまり真に無心、無我になれたとき、自ずから「それ」は現れるのだという。
    決して、自ら的を射ようと意図してはいけない。

    筆者は、長くその教えの意味を理解できずに苦しんでいたが、ある日師範が、的が全く見えない闇夜の道場で、的のど真ん中を居抜き、立て続けにその矢を縦に割るようにもう一本の矢を命中させる、という離れ技を見て、その教えの正しさを、感覚でもって悟るのだ。
    その日から、筆者は、人が変わったように、的を見ず、矢の行方を気にせず、ただ無心に矢を射続ける。
    そしてある日、「それ」をもって矢を放つことに、ついに成功する。
    (その違いを一瞬で見抜く師範の眼力にも驚嘆する。)
    そのとき筆者は、自分と自分をとりまく一切の物が一体になったような、不可解な感覚を口にする。それを聞いた師範は、筆者がその境地を得たことを確認する。

    あらゆる日本の武道や芸術の根底には、それら個別の技術を通して、こういった境地に達することが目的にあるという。
    確かに、こうした、作為が消えたときに、良い結果が出るということは、日常的にも体験できることだと思う。
    それを突き詰めたのが日本文化だとするならば、我々の祖先が何百年も前にそこに気付き、追求していたことは、本当に驚くべきことだと思う。

  • 元弓道部なので、思い出しながら現場の状況は分かる。当時はただ的に当てることだけを意識して弓を引いていたため、弓を通してこのような大悟する深い教えがあることを知り驚いた。ただ日本語訳が古く難解であるためもう一度よく読んでみる必要がある。今もこのような境涯を教えてくれる師は日本にいるのだろうか。

  • ドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲルが弓道を通じてその極意を体認していく記録。
    若い頃、神秘主義に傾倒した著者が、日本に教授として赴任する事が決まり、禅に取り組みたいものの日本人からその困難さを指摘され、変わりに弓道に取り組む事となる。果たして当代一流の弓道家である阿波研造氏より手ほどきを受け、その境地に至る。

    哲学者らしくロジックで弓道を分析しようとする著者に、言語を絶する弓道奥義に至る道を提示する阿波研造氏。なかなかうまくかみ合わず、師に匙を投げかけられるものの、ついにオイゲン・ヘリゲル氏が体認していくあたりは感動もの。

    呼吸・立禅・無我・・・これほどまでに中身の濃い悟りのプロセスを表現されたものはそうない。

    最終章:諸芸の名人境では不動智神妙録や葉隠を挙げつつ、武士道の根底に流れる禅的な「無心」「無我」の姿をまとめている。

  • 日本の弓術よりやや詳しく書いてある。
    ヘリゲル先生の歩みが良くわかります。

  • 型を追うことがどれだけ大変か、
    そのことを通してどんなことを掴んでいけるのか、
    著者の体験を通して、まったく新しい自分になっていける勇気を得る。

    自分と相手と天が一体となり、
    存在・本質・ものごとが見通せるようになる。
    芸道は悟りへの入り口だと思う。日々の仕事もそうありたい。

  • 最初に読んだときはちんぷんかんぷんだったけど数年後読み返したとき少し分かった気がした。また読み返したい。

  • 再読中の「茶道を深める/岡本浩一」の参考文献。あと三回くらいは読まないと真髄はわからなさそう。。。

  • オイゲン・ヘリゲルさんはドイツの哲学者で、大正から昭和にかけて仙台に滞在し6年間東北帝國大学で教鞭をとられたそうです。
    私はダンス系サイトからこの本を知ったのですが、最近ブームらしい。
    スティーブ・ジョブズさんの愛読書だったとか、この9月に武田鉄矢さんがラジオで紹介していたりとか。
    私は読み終わってから検索してそれらの事実を知ったのですが、実際に本を読むより武田鉄矢さんの解説を読んだ方がわかりやすいかも。
    https://www.youtube.com/watch?v=jWAEsF95vmwhttps://www.youtube.com/watch?v=0CCGEuF2Y6U
    ぜんぶで1時間ぐらいです。

    昭和55年に出版された本でありながら、古い字で書かれています。
    私は旧字大好きなので、それは楽しいのですが、表外読みや難しい単語も多々あり、辞書を片手に読みました。
    クリスマスイヴだっていうのに、なんでこんなことを…。

    でもそうまでして読みたい、とても面白い本でした。
    ヘリゲルさんは日本に来る前から哲学博士で、帰国してからも大学教授をされたのですが、若い頃から神秘説を研究していました。
    しかし文書ではどうしても外面からしか立ち向かうことができず、「次第に幻滅を感じ勇氣がくじけて、只眞に出離した者のみが、”出離”ということの意味を理解することが出來、又自己自身を完全に離れて空しくなつた蝉脱者のみが”神以上の神”と”一體になる事”の準備が出來ているのであろうという洞察に達したのである。即ち私は神秘説への道は、自分自ら經驗して悩み抜く事以外になく、又有り得ない事を、そして若しこの前提がないならば、神秘説についてのあらゆる言説は単なるあげつらいに過ぎない事を洞察したのであつた。」ところに、日本の大学講師の話がきて、それによって佛教と同時にまたその沈潜の實践と神秘説とに交渉を持ち始める見込が立った故に大變よろこんで迎えました。

    彼は禪を学ぶために、日本の武道を学ぶのがよいであろう、ということで阿波研造師範に弓道を習います。
    この本はその体験談が中心になっています。
    それがすごく面白い!

    まあ、私は今のところそういった日本の藝道を学ぶ余裕はないので(すごく憧れるのですが)、習い事としては非常に参考になりました。
    まずこの本を読むこと自体、上に書いたように苦労したのですが、呼吸のしかたとか、出来不出来で感情をふりまわされないこと、力をぬくことなど、自分の習い事に共通しています。
    そして次のことが大事。
    「(剣の)達人は再び初心者の如く捉われない。彼は、稽古のはじめに當つて喪つた無頓着状態を、その終りにおいて不壊の特性として再獲得したのである。初心者と違つて併し彼は、慎み深く、落ちついており、謙遜であつて、勿體振る氣は毛頭ない。初心位と名人位との兩段階の間には、撓まぬ練磨の全く長い多事多端の歳月が在る。禪の影響を受けてその技倆は精神的となつて了つている。そしてその修行者自身は、内面的克服の段階を次々に通つて行く中に、次第に自由となり、すつかり變つて了うのである。」

    とういわけで、切磋琢磨。

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