- 双葉社 (2020年11月19日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (280ページ) / ISBN・EAN: 9784575243475
作品紹介・あらすじ
閉塞的な村から逃げだし、身寄りのない街で一人小説を書き続ける三島天は、ある日中学時代の友人のミナから連絡をもらう。中学の頃に書いた、大人になったお互いに向けての「手紙」を見つけたから、30才になった今開封しようというのだ――。他人との間で揺れる心と、誰しもの人生に宿るきらめきを描く、感動の成長物語。
みんなの感想まとめ
他人との関係や自分自身の成長を深く考えさせられる物語が展開されます。主人公の三島天は、閉塞的な村から逃げ出し、身寄りのない街で小説を書き続ける中、過去の友人からの連絡をきっかけに中学時代の思い出に向き...
感想・レビュー・書評
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理想ばっか語るヒモ男に愛想尽かして放りだすシーンが決まっていて凄い話の始まりを予感したんですが、30歳から中学生時代の話に飛ばされてからの展開が田舎の閉塞感に息が詰まりそうになりました。
3人の中学生のそれぞれのパートですれ違う思いに、憧れ、嫉妬、大人との距離感に村に伝わる伝統行儀を散りばめて青春を回顧するストーリーです。
ロックしてるなぁって感じるのは天の選んだ生き様なんですけど、中学の時から憧れを追いかけて今だに小説を書いてるところ。自分にないもの持った人には憧れを感じてしまう。
ミナと藤夫にも色々あって言えないでいた思いを3人が知ることができたって、そんなに美しいものじゃなかったけど受け止める事ができるぐらい大人になってたってところは終わった感ありました。
それと、移住して半年で東京に帰っちゃった五十嵐さん。そんな事情があったのかって全容を把握できたのは読者だけってとこが手軽な優越感に浸れました。 -
私も遠い昔、あの子になりたいと思った事がありますね^_^
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なんで自分はあの子じゃないのか
そんな嫉妬 羨望 後悔
悩みがあるのが自分だけだと思う
井の中の蛙状態ですが
その必死さが伝わり
とても愛おしく見えます
結果的に 30になった自分たちは
思い描いた自分とはかけ離れ
たいしたものにも
なれてないんですが
当時頑張った自分
それからの自分を
肯定的に 優しく見つめられる
そんな自分に なれているんです
それがとても清々しく
読んでいても嬉しい -
小さな村で、窮屈な中で過ごす子供たち。
いや、窮屈なのは小さな村で過ごす子供たちだけではなく、都会で暮らす大人もみんな、多かれ少なかれ、窮屈な日常を過ごしているはず。
どうしてわたしはあの子じゃないの
人を羨む気持ちを持つのも、きっと子供だけじゃない…
でも、結局は、誰もがずるい心を持って、誰かを羨んで生きていってるんだと思う。
親も選べないし、子供も思ったようには育たないし。
それでもみんな生きて行く。 -
今や彼方に去ったアオハルを懐かしく甘酸っぱくほろ苦く思い返せる年齢になって、とっても腑に落ちるし頷けるし共感も出来る作品でした♪
佐賀の辺鄙な山奥の過疎の村で三者三様の環境にあった三島天(テン)吉塚藤生(フジオ)小湊雛子(ミナ)の友達三人、中学時代と三十路になったそれぞれの独白スタイルで物語は展開して行く。
自己主張のかたまりのようなテン イケメン過ぎて自己嫌悪さえ覚えるフジオ 周囲に合わせ過ぎる性格のミオ の三人が大変上手く描けていてその気持ちのすれ違いや思い違いがイイ感じです!
決して抜きん出た秀でた者は一人も登場しないのも好感が持てます。
やはり魅力的なのは天然だけど男前なテンの役どころ、そして短期間で村移住に失敗した五十嵐も大事な一章が任されていて これがなかなか宜しい。
どんなに他人を羨んでみても比べてみてもつまりは自分は自分である と言う結論に何時何処でどんな風に気づくのか?の命題が随所で提起されていて今更ながらに もって瞑すべし!でありました。
舞台と言い方言と言い民族伝承芸能と言い 身近なのがとても親近感を覚える一作でもありました♪ -
好みやなぁ、この作品。
文体も表現も。
一文一文は短くシンプルでテンポが良くパワーがあるのに、設定や人物描写は繊細で洞察も深い。
甘酸っぱい青春物かと思いきや、田舎の閉塞感や、人間の嫌なところも盛り込みつつ、ミステリアスなテイストで飽きさせない。
誰にでも悩みがあり、結局は人は人。
この本に出会えて良かった。 -
どうしてわたしはあの子じゃないの
誰もが1度は思ったことがあるんじゃないかな。
子供ながらに閉鎖的だなと思う田舎で育ち、
天の父親まではいかないけど暴力的な父親を持ち、
早く大人になってここから出たい!
都会に出て好きなことをたくさんするんだ!
と思っていた私も何度も思ったことがある。
ミナのお母さんが五十嵐とのやりとりで言っていたように、
いくら場所を変えても、わたしはわたしにしかなれない。
それがすごくしっくりと、私にはまった。
同時に、とっくに治っていた昔の傷に薄く薬が塗られたようだった。 -
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中学時代のことを思い出しました。
「家出する」と言って荷物まとめていたら
母が泣きながらとめたこと。
「わかってあげられなくて…」
とどまることにした私。
(「どうぞ」と言われたらどうなっていたことか…)
数年後母がその時のことを笑いながら話したので
まだ笑い話にできなかった私は
刃物のような言葉で母を傷つけたものです。
それ以来、母がこの話題に触れたことはありません。
今は「父が頑張って働いてくれたおかげで私たち母娘は
何不自由なく暮らせる、お酒がパワーになったんだな」と。
(自分も父のようなタイプだし)
大晦日の今日あらためて天国の父へ感謝の言葉を伝えたい。
この本の内容を知らずに、母に先にまわしました。
黙って返してくれた母も、きっとあの時のことを
思い出したに違いない、と思いました。 -
これは、大人が読んでも、子供が読んでも、心に刺さる箇所が多い本だと思います。
誰でも、自分以外の人間を、羨ましく思う気持ちはあると思います。その人みたいになりたいとか、その人に近づける様に努力しようとか、前向きな気持ちは、とても良いと思います。しかし、それと同時に、ねたみや、蔑みなど、ドロドロとした感情も持ってしまうこともあります。このモヤモヤとした、心に巣くう嫌な気持ちを、この本は、上手に文章にしています。とても上手い。誰もが持っている気持ちなので、グサグサと心に刺さります。子供の頃から、今までの、自分が傷ついた言葉、傷つけてしまった言葉の数々。この本を読んでいると、忘れたかったその時の光景が目に浮かび、心が苦しくなりました。
この本の登場人物、天のように、自分に正直に生き、相手に素直な言葉を言える人間。藤生のように、いざとなると、自分を守ることに動いてしまう人間。ミナのように、人に嫌われることが怖くて、当たり障りのない会話をし、本当の自分を出さない人間。私達は、この3人の性格を合わせ持っていると思います。大人になっても、人付き合いや、自分なりに生きることは、難しいもの。この本に巡り会えて良かったです。 -
これは私の好みの小説。人を羨んだり上から目線発言する人の機微などが面白い。
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タイトルの「どうしてわたしはあの子じゃないの」は、長年愕然と思っていた事なんですよね。
タイトルに共感し、読んでみました。
2003年と2019年と行ったり来たりしてストーリーが進んでいきます。
他人をうらやむ気持ち、よくわかる。(自分もそうだったからね。2003年の話は過去の自分を見ているようだった)
しかし、どんなに羨ましがられている子でも、悩みの一つや二つ持っているもんなんですよね。
見えている箇所がキラキラしていても、見えていないところもキラキラとは限らない。
(表のキラキラ度が高ければ高いほど、裏の闇は深かったりしているもんなんじゃないかな、と。勝手な判断ですが)
見えているところだけで人を判断してはいけないよなー、とつくづく思いました。
多分、羨んでいる子と自分と同じくらい良いことも悪い事も経験していると思う。そう思ったら、他人を羨む気持ちがなくなっていきました。
私は文中の下記のフレーズが心に沁みました。
”わたしが他の誰かになれないように、他の誰かもまたわたしにはなれない。それが良いことなのかどうかはわからないけれども。”(抜粋)
結局、誰かを羨んでも、その人にはなれないんですよね。だったら、自分の嫌なところ・いいところと共存することに覚悟を決め、自分なりの生きやすい方法を見つけて生きていった方が楽なのではないか、と思いました。 -
タイトルを見て「お、これはジェラシーを題材とした人間のドロドロとしたダークネスさを満開に描き散らしてる物語かしらん」と勝手な期待をして読み始めましたが、てんでそうじゃなかった。むしろ優しく温かい物語で、さくさくほわほわと読了できました。
私は彼女たちみたいにほろ苦くも甘酸っぱい青春を送ってこなかったけれど、何か人とものを比べて落ち込んだ時や、心の中に妬み嫉みがジッと湧いてきた時にそっと寄り添ってくれる一冊だと思いました。歪曲した気持ちで手に取った本だけれど、少し心洗われた感じがして良かったです。あざざます。 -
それぞれの人物の思いが、中学生の頃や若い頃の自分自身と重なる部分も多く、また人物の心理描写、「言葉にしたくてもできないモヤモヤ」が、大変繊細に言語化されていて、胸に残りました。
読み進むにつれあの頃の自分を思い出してチクチクと胸が痛む思いもしたし、独りよがりな自分を懐かしく思ったり愛おしくもなるような感覚になりました。
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隣の芝が青く現状を妬んでいるが成長したい人にオススメです。
誰もが一度位は他人を羨む。思春期なら尚さらである。
そんな田舎の中学生三人が30歳になって再会する。
もう個性が確立して来た三人が青春時代を回想する。
筆者は個性を尊重した作風が多く、またそれが読み手には最大の共感を与えてくれる。
余談だが、舞台は耳中郡肘差村である。また農協の時田翼の再出演も嬉しくなった。ついでに、モッツアレラゆたかがいたら最高だった。笑 -
必死にその土地の中になじむことだけ考えている両親。そんな両親に抑圧されて育った子の、必死の戦い。
思い描くものを得られないもどかしさ。
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周囲のしきたり、伝統を子どもたち世代に受け継がせることで、村を存続させようとするオトナ世代。
けれど、そんな閉塞的な環境で、窒息しそうになり、この地を出ていくことを考えて生きている天という女の子。
都会から転校してきたかわいくて人気者のミナ。けれどミナの想い人・藤生は、天のことが好き。
中学生だった3人は、それぞれ別の道を歩んでいく。
やがて30歳になった3人は、あるきっかけで故郷で会うことになったが…
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青春小説なのかな、ということはタイトルからなんとなく想像がつきましたが、はじめの章が30歳の天からはじまったので、ちょっとびっくりしました。
さらに、主人公は天1人かと思いきや、天、ミナ、藤生、そしてもう1人の視点で書かれた章があり、やや混乱しました。
わたしも田舎で育ったので、天ほど抑圧はされていませんでしたが“伝統だから”と押しつけられる行事には、うんざりしていた時期もあり、「ここを出て、自分のやりたいことをやっていきたい」という天の気持ちは、なんとなくわかりました。
しかし、天、ミナ、藤生の3人が3人とも、とことん自分のことしか考えていない人物たちで、特にミナと藤生は相手のことを考えているように見せかけて実はそうではない人物だったので、頭ではわかるけれども気持ちがついていかない感じもありました。
自分にないものばかりを相手に求め続けている人たちを端からみると、こんなにも虚しく感じるのだなあと思いました。
全体的に空気感が重苦しく、ところどころ濃い闇に包まれているような感覚がありました。
ラストには少し光が見えはしたし、話も理解はできたけれど、読み終えたあともしばらくは気持ちがどんよりしていました。 -
天が真っ直ぐで好きだった。田舎の閉鎖的な環境の中で偏った価値観の中で押しつぶされそうでも自分軸を持っていておかしい事はおかしいって言えるの良い。
ミナもフジオもそんな天に魅力を感じていて天は天で2人の事を羨ましく思う部分があって。天は今の環境から抜け出す事ばかり考えててフジオは天を好きだが気付かれてなく、ミナはフジオを好きで苦しくってって。そんな思いが交差してある事件が起こるのだが読んでいて思春期ならでは特有の空気感が伝わってきた。最後はそれぞれ過去と相手にも自分と対峙できて爽快感があり面白かった。私は自分と対峙できているのだろか。自分は自分にしかなれないから嫌な所も含めてこれが自分だと腹をくくって自分の人生を作って生きたいです。 -
「どうしてわたしはあの子じゃないの」
題名の通りそんな嫉妬や羨望の叫びが抑えきれず苦しむ姿が描かれている小説。
同じ人物に対して抱く感情として、好きと嫌いは両立する。その人の魅力すら自分の状態次第で煩わしさや苛立ちへ変わる。その揺らぎが、別の誰かを通して自分を見つめ、また別の角度で他者を照らすことで、天とミナ、藤生の三人の間を循環していく。
天視点ではあまり魅力的に見えない天も、他の視点から見ると輝いて見える。これはミナにも藤生にも共通して感じられたこと。誰もが自分の欠点や不足に意識を向けがちなのだろう。褒め言葉は積極的に伝えたいし、貰ったら素直に受け取りたいと改めて感じさせてくれる。
それにしても、なぜ嫉妬の心は、こんなにも抱く側と向けられる側の双方に苦しみをもたらすのだろう。
羨望の視線は、瞬時に相手の背景や努力を無視してしまうからか。
我慢の積み重ねや仕方なく身につけた処世術すらなかったことのように扱ってしまう。その人の美点を見つけ出し褒めたつもりでも理解を阻んでしまう。はたまた羨望や妬みとは自分がなりたいものを他者に投影する行為でもあるからか。自分の不足がくっきりと浮かび上がる瞬間、自分と理想像との距離を直視する苦しみが溢れ出す。しかしこの苦しみは「自分もそうなりたい」という純粋な願いの裏返しでもあり、正しく受け止めることで自分を育てる問いへと変わり得るのだと信じたい。
三人の姿を追っているうちに、結局のところすべては個人の性質との相性なのだと感じるにいたった。嫉妬心との向き合い方すらも。人それぞれ肌に合うものは違うのだから、その人にとっての心地いい落とし所を探すのが人生だと思う。
誰かに羨望を向ける時は、それは暗に自分の中に合っていない何かがあることを示している。
その現状に満足していない箇所をなくすべく努力するか、それが難しければ受け入れる訓練をする。そうして自分と折り合いをつけることで、羨望も焦燥も、ただ自分を知る手段のひとつへなっていく。努力を否定したり、受け入れを諦めと混同しがちだけれど、どちらを選ぶにせよ自分の意思でできることが大切だと思った。
この物語の中で一番成長したのはミナだろう。八方美人で流動的。みんなに「いい子」と思われるように振る舞うミナ。そうすればその場は穏やかに収まるし角も立たない。しかしその無難さは、自分を透明にしてしまう。誰も傷つけない代わりに、誰の記憶にも残らない。ミナはそういう生き方しか選べなかった。「誰かの特別になる」ためには、いい子でいることを手放す必要があると分かっていても、その一歩を踏み出すのは怖かった。離婚を切り出されたとき、胸がぎゅっと縮むような吐き気を覚えながらも、納得せざるを得ない自分がいることに気づいた。これまで自分が築いてきた人間関係は形をなぞるだけのものだったと突きつけられた瞬間だった。それをきっかけに、疎遠になった天とかつて好きだった藤生と向き合う場を自ら設けたことは、外から見れば小さな行動でも、ミナにとっては自分の意思で切れかかった糸を手繰り寄せた大きな一歩であった。
それから苦い初恋となってしまった藤生。「俺は天の味方」という言葉を、自らの意思と都合で歪めてしまった彼は、天との間に取り返しのつかない亀裂を生んだ。手の届くところに天を置きたくて全方向に嘘をつき、都合のいい形にねじ曲げようとした結果、仲のいい友達という関係すら失った。だがその言葉は本心からのものだった。天が欲しくてたまらなかったものを、藤生は一瞬だけでも与えることができた。その一方で、二人の望む行動の認識が違ったことで、藤生の本心は結果的に裏切りに見えてしまった。幼さゆえに取り返しのつかない過ちを犯したことに気づいた時、彼の初恋そのものが間違いだったかのように胸を砕かれたに違いない。
藤生の、ミシンで縫い止めるような愛は、天とは相性が悪かった。端からほつれる布を強引に縫いつけようとしても、糸は針から抜け、布に穴を開けるだけだった。その歪んだ愛し方を通して、藤生は恋情を恐れるようになった。
しかし最後に天に「階段を下るのが怖い」と打ち明けられたことで、藤生はようやく初恋に終止符を打つことができた。
二人が緩やかに変化していく一方で、天はどこにいても変わらない。それこそが彼女の美点だ。その変わらなさは、彼女がようやく「自分が心地よいと思える場所」に気づけた証でもあるのだろう。と同時に彼女は村を出てからずっと、幸せな生活を送っていたのだなと気づく。焦燥はありつつも天は、小説で稼ぐ人になりたいという夢の中にいて、それを追い続ける時間に思うがまま身を置くことができている。それは、かつて村で許されなかったことでもあるのだから。
著者プロフィール
寺地はるなの作品
