- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784575302271
作品紹介・あらすじ
これは冤罪だ。わが使命は「真実の告白」。
感想・レビュー・書評
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いま、”凛の会”事件の証拠捏造事件で当時の特捜検事が起訴され、その上司らも身柄をとられて取り調べられている。 まさか検察官が、証拠に手を加えることなどがあるとは信じられない、との論調が元検察官らなどにあり、私も同様に驚愕した。 しかし、本書によれば、袴田事件はもとよりそれ以前にも司直(もっとも警察だが)による証拠捏造が疑われ、それを理由に最高裁が原審を破棄した事例があったという。 また、「「科学捜査の勝利」と書き立てるマスメディア」、「不祥事を挽回せんと無理な捜査をする警察」など最近の冤罪事件と同じ構造であったとの内容で、結局それはこの国の国民の刑事司法に対する無知・無理解によるものとしか思われない(その法教育が誰の手によりいかなる方法で為されるべきかはともかく)。 つまるところ、裁かれるのは熊本元判事補であると同時にわれわれ国民なのだろう。 なお、やや誤記や誤字が目立つのが気にはなる。 とくに、「東京地裁に即時抗告」のくだりは(図らずも重大な問題を提起しているようにも思われるが、)いただけない。
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冤罪の可能性濃厚な、1966年に静岡県内で発生した強盗殺人放火事件。
未だ再審を争っている袴田事件の被告とされた男性の無罪を確信しな
がら、死刑の判決文を書かざるを得なかった元裁判官を中心に、事件
と裁判の経緯を追うノンフィクションである。
「上手な冤罪の作り方」が書かれていると言ったら語弊がある。しかし、
本書に書かれている静岡県警の捜査や取り調べの様子を読んでいると、
どうしてもそう思ってしまう。
「まず容疑者ありき」で物事が進んでいく様は、冤罪が絶えない日本の
警察権力のモデルケースとして非常に参考になる。
長時間の取り調べや脅し・暴力は勿論、既に公判に入っているのに犯行
時に容疑者が着用していた服が新たに発見される。しかも、事件発生直
後に既に捜索をしている場所からだ。
退職した刑事自らが「静岡は冤罪のデパート」と言うほどなのだから、
こんなことは日常茶飯事だったのだろうか。
「私はやっていません」
公判に臨んだ右陪席裁判官は容疑者のその一言で無実を確信し、警察調書・
検察調書の矛盾を指摘し、多くの供述調書を証拠として採用するのを却下
する。
しかし、3人の裁判官のうち「シロ」を確信するのはひとりだけ。容疑者
の無実を確信しながら、死刑の判決文を書かねばならなかった人は、
苦肉の策として警察の取り調べが人権を無視したあり得べからざるもの
であったとの付言を盛り込むことで高裁での判決に望みをかける。
公判が自分の手を離れてのちも、死刑囚となった被告への罪悪感に
蝕まれる。「自分は殺人者だ」。人を死刑に処すとの判決に名を連ねた
ことの重みはいかばかりか。
袴田事件は現在、第二次再審請求が行われている。無実を訴えながらも
死刑囚として収監されている人は、拘禁反応による影響で弁護団とも
コミュニケーションが取れない状態だと言う。1日も早く冤罪であったと、
釈放されることを祈る。
本書は良書であるのだが、最終章で本事件を題材にした映画の誕生過程を
記していることで提灯本になってしまっているのが少々残念か。