1964年のジャイアント馬場

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  • 双葉社
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  • Amazon.co.jp ・本 (592ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784575307856

感想・レビュー・書評

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  • 自他共に認める猪木信者である僕。
    そして、そのアントニオ猪木のレーゾンデートルであるのが、"東洋の巨人"こと
    ジャイアント馬場。猪木本人だけでなく、猪木信者にとっても目の上のたんこぶ
    的な存在であり、まぎれもなく敵。しかし、嫌うにはあまりに雄大過ぎる存在。
    それが、ジャイアント馬場というプロレスラーであった。

    その昔、新日移籍直後のブルーザー・ブロディをこう形容した作家が居た。
    「強くて、デカくて、スピードもスタミナもある。つまり、全盛期の
    ジャイアント馬場である。」と。

    タイトルにもあるように、馬場の全盛期は1960年代。
    その頃の馬場を知らず、全日本プロレスが旗揚げされてからプロレスに入った
    我々は、ジャック・ブリスコやハーリー・レイスを破ってNWA王者になった
    馬場の姿がようやく鮮明な程度。だから、ジャイアント馬場というプロレスラー
    の印象は「巨体なのに上手い」だった気がする。

    この作品の中には、"馬場がブロディだった時代"の興味深いエピソードが溢れて
    いる。いや、言い換えよう。1964年のジャイアント馬場は、"ブロディも足下に
    及ばない大物"であったことが、まざまざと解る。ジャイアント馬場とは、
    「アメリカで認められたイチロー以前の世界標準な日本人」。この本を読み終え
    た今、猪木信者である僕が素直にそう思える。それだけで凄い気がする。

    そして、柳澤健の凄さも思い知った。
    馬場の本の中で「アントニオ猪木は既にジャイアント馬場を超えていた」と表現
    したり、伝説のセメントマッチと呼ばれる力道山vs木村政彦の試合に対し、
    「木村はリアルファイトで力道山に勝てる自信が無かった」と断言していたりする。
    こういう表現は何冊も読んできたプロレス関連書籍には無かったモノで、斬新さを
    感じると共に胸のすくような気持ちにさせてくれる。この人は何冊でもプロレスを
    書くべきだ、と心から思う。

    いちばん印象深かったのは、ジャイアント馬場が最も憧れたプロレスラー、
    バティ・ロジャースを、全盛期のアントニオ猪木のようなレスラーと表現したこと。
    あれだけ猪木を無視した馬場の一番好きなレスラー像とは、アントニオ猪木であっ
    たのかもしれない。それが事実だとするのなら、僕の人生もかなり幸福だ。

  • 天才アスリートにして一流のビジネスマンたる馬場の米国での成功、そして読後に残るのは天龍の凄さ!

  • 某森下駅近くのもつ焼き屋店主は子どもの頃、近所のプロレスの試合をガードを掻い潜ってタダ観した。そして警備員が黙認してくれた。と本書を店で読んでいたら教えてくれた

  • ジャイアント馬場。彼の印象は、ゆったりとした動きの十六文キック。晩年の馬場しか見ていないです。ようするに、社長のキックは避けてはいけない、なんて揶揄されていたころの馬場しか、自分は知りません。
    なので、どれほど尊敬されているのか、どれだけ強かったのか、どれだけ人気があったのか。全く知らないまま、レジェンドという額縁に入っているんだなと思ってました。
    いや、頭をカチ割られてしまえ。

    思うに、馬場と猪木という二大スターがいた日本のプロレスはとても幸せだったと思います。何かと対比できる二人。この二人がいるだけで、自然と作られるストーリー。どっちも光でどっちも闇。どっちもベビーでどっちもヒール。それは観客が勝手に作り上げるストーリー。

    やっぱり、ある時代のあるジャンルの寵児となる人は、見ておくべきだ。ジャイアント馬場を見ることができた幸せな人たちがいる。自分は見ることができなかったけど、まだ見ぬ人を見ることはできる。
    それは幸せなこと。
    ただ、こうやって書籍化されたもので知ることができるってのも、いいものです。

  • 日本人メジャーリーガーなど存在しなかった1960年代、ジャイアント馬場はたったひとりの「世界標準の男」だった-。劣等感と挫折を乗り越え、プロレスの本場を高下駄で闊歩した男の物語。

    破天荒なところのあるアントニオ猪木と違って、深謀遠慮の人といったイメージのあるジャイアント馬場。それがそのまま新日本プロレスと全日本プロレスの違いに投影されたともいえるのだけれど、馬場がそういうキャラになった経緯がよく描かれていた。また力道山やルー・テーズが登場する日米のプロレス史も詳述されている。
    (B)

  • ジャイアント馬場の数奇な運命を辿るうちに、彼の大らかで優しい人柄に魅了されていく。全盛期のアメリカンプロレスの最前線で活躍した馬場は紛れもない世界のトップアスリートだった。現役後半のユーモラスな動きのイメージか強いが、海外で確かな実績を残した馬場の真価に触れ、いかに大きな存在だったか気づかされる。あとがきを読み終わった後に現れる、馬場のあるシーンを捉えたスナップ写真。馬場の人生を辿る旅で誰よりも彼に魅了されたのは著者の柳澤氏だったことが伝わってくる、本書の全てが凝縮されたような写真だった。

  • 「1976年のアントニオ猪木」を著した柳澤氏による馬場本。1960~70年のプロレスを理解するには、猪木と馬場の両方を読み解かねばならぬ。著者はプロレス村の外の人。業界の内幕やビジネスとしての構造が、さらりと書かれている。
    それにしても、馬場のドロップキック、見たかったなぁ。

  • 24頁:二年目……一二勝一敗で二軍の最優秀投手になった。
    27頁:前年二軍ながら一二勝一敗で最優秀投手,この年も一三勝二敗という好成績を上げ,二年連続で二軍最優秀投手に選ばれている。
    37頁:三年連続二軍最優秀投手に選ばれた。
    ・この第一章「白球の青春」は,近著,広尾 晃『巨人軍の巨人 馬場正平』を読んで,巨人軍の馬場正平像を修正する必要がある。
    ・連載が元になっているためか,あるいは「品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけ」を対象としているためか,繰り返しが多い。また著者が気に入っているためか,立花隆がいう「上記の人だけが熱中できる低劣がゲーム」ということばに読者は三度も四度もつきあわされる。

  • プロレス中心のフリーライターが、ジャイアント馬場の実像を知りたいというリクエストに応えて書いた本。タイトルにある年は、馬場がアメリカで修行・遠征していた時代であり、そこに主題を置いた伝記となっている。

  • ジャイアント馬場評伝。

    その記述がどこまで真実かは知るよしがないが、私の
    持っているジャイアント馬場像とすりあわせながら読む
    のはとても楽しい作業だった。

    一番びっくりしたのは投手としても一流だったのでは
    ないかという件。確かに二軍で2年連続最優秀投手に輝き
    ながら一軍でまともにチャンスを与えられていないと
    いうのは、単に馬場に投手としての才能が無かったとは
    考えにくいな。

    プロレス選手として一流であり、ブッカーを兼任する
    プロモーターとしては才能が無く、ファンと触れ合える
    ようになって「ジャイアント馬場」から「馬場さん」に
    なっていったあたりはすんなりと入ってきた。当時
    半信半疑ながら週プロを毎週買っていた身としては少々
    複雑ではあったけれど。

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著者プロフィール

1960年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒。文藝春秋に入社し、「週刊文春」「Sports Graphic Number」編集部等に在籍。2003年に退社後、フリーとして活動を開始。デビュー作『1976年のアントニオ猪木』が話題を呼ぶ。他著に『1993年の女子プロレス』『1985年のクラッシュ・ギャルズ』『日本レスリングの物語』『1964年のジャイアント馬場』『1974年のサマークリスマス』『1984年のUWF』がある。

「2017年 『アリ対猪木』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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