- 本 ・本
- / ISBN・EAN: 9784575313239
感想・レビュー・書評
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事件のことをニュースで知ったとき、その異様な死体の状況が印象的で、後に犯人たちが捕まったときは、なぜ中学生の少年が、そんな危険な高校生たちと関係を持ってしまったのか、と思ったのを覚えています。
読み終えて思ったのは、居場所の無さと世界の狭さによって引き起こされた事件だったのかな、ということでした。そして自分が思春期の頃に抱えていたものと、彼らの鬱屈は同じものだったのかもしれないとも思います。
まずは居場所について。
被害者少年、犯人グループ、いずれにも共通していたのは、それぞれの家庭環境による「居場所の無さ」だったような気がします。そして居場所がないゆえに、夜の繁華街やゲームセンターに繰り出し、被害者少年と犯人グループは同じコミュニティに属することになった気がします。
彼らのコミュニティは、アニメやゲームを共通の趣味としていました。ここで問題なのは、アニメやゲームが趣味だった、ということではありません。そうした共通の趣味があるにも関わらず、彼らは趣味でしかつながらず、お互いの人間性からは目を反らしていたように感じたことです。
普通の関係性ならば、共通の趣味の話をしているうちに相手の人間性に興味を持ち、もっと仲良くなりたいと思ったり、逆に「この人とは合わないな」と距離を取ることもあると思います。それが正常な人間関係だと思います。しかし彼らは、相手の人間性に対し不審や不満を持っても、そのコミュニティから抜け出ようとはしませんでした。それは、なぜなのか。
ここが人間の難しいところだと感じました。家庭や学校に居場所が無く、趣味を媒介にした不完全で暴力的なコミュニティにいることでしか、人とつながれない。それに満足しているわけでは決して無いけれど、それでも誰かとつながっていたい。そんな人間の矛盾を、このノンフィクションから感じます。
そして、世界の狭さについて。
先ほどの居場所の話ともつながりますが、彼らの世界は自分たちのコミュニティと、それ以外という認識しか無かったのかな、という印象を受けました。そして何とか、彼らの世界に接続することはできなかったのか、と考えてしまいます。
主犯格の高校生は、事件前から暴力事件を起こし、保護観察処分を受けていました。また相当酒癖が悪く、川崎での事件の直前にも飲酒をしていたそうです。この飲酒さえ無ければ、少なくとも事件が起こることはなかったのでは、とも思います。
保護観察処分を受け、酒は飲まないと保護司とも約束していながら起こった事件。さらに、事件が起こるまでの経過を読んでいると、この事件は止められたのではないか、というポイントはいくつも見えてきます。そこには、保護司の人材不足や高齢化による監視の不足、スマホやSNSの発達による人間関係の不可視化と、様々な社会問題も見えてきます。
家庭、学校、行政、福祉、いずれも彼ら個人、そして彼らのコミュニティに真に繋がることができませんでした。この事件から何か学ぶことができるとすれば、そのあたりではないかと思います。
最終章の被害者遺族の慟哭は読んでいて辛かった……。近年、事件被害者やその遺族に関しての制度も整いつつあるとは思いますが、今回の場合は、被害者少年の父親が、事件の起こった川崎に滞在したときの滞在費も出ていなかった、と知ると、やはり根本的なものは、まだまだ欠けているのだと思わざるを得ません。
そして司法や警察制度の不十分。もちろん被害者やその遺族の心情に完璧に寄り添うことは、社会正義的、捜査の都合上不可能だとは思いますが、それでももっとどうにかできないのか、と思わざるを得ません。だからこそ、父親の最後の言葉は、社会通念上は許されないこととは思いつつも、許容してしまう自分がいるのも事実です。
今まで遠かった、被害者少年や犯人グループとの距離をこの本でようやく測ることができました。だからこそ、事件を止めるチャンスがゼロでなかったことが、心から残念に感じてしまいます。
そして、彼らの姿を知るうちにこれまで抱いていた事件のイメージと、実際の事件に対しての乖離も強く覚えました。マスコミの当時の過剰な報道は、事件の性格上仕方ないこととは思いますが、しっかりと事件のその後と、事件から真に考えるべきことを浮かび上がらせる責任を、果たしてほしいものだとも思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
丁寧な取材だと感じた。救われない環境、運、人が生まれて生きていくことの難しさを感じた。
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事件発生は2015年2月。まもなく5年を迎える。この本の発売も2017年12月。2年が経つ。
事件を知ろうとするには、少し遅すぎたかもしれない。それでも知ってよかった。
殺害現場である河川敷に供えられた大量の花束。いつの間にか設置された焼香台。大学ノートに書き残される慟哭。
「運が悪かった」実父の言葉は何故か説得力がある。
少年は不良ではあったが、人懐っこく素直であった。そんな人物像が浮かんでくる。
加害少年についても考える。主犯は発達障害、ADHD。酒が入ると狂暴になることはわかっていた。
アメリカに行ったりフィリピンに行ったり。母親に振り回された2人目の加害少年。
できることはあった。しかし、できないのが現実だった。
運命であったのかもしれない。
でも、現実は変えられる。もっと多くの人が問題を考えれば。 -
2015年に起きた、川崎中1男子生徒殺害事件の深層を石井光太さんが綿密な取材で掘り下げています。
43箇所もカッターで切りつけられ、その途中も全裸で冷たい冬の水の中を泳がされたり、岩に頭を打ち付けられたりして、無惨にも殺されてしまった上村遼太君。当時、愛くるしい笑顔の顔写真をニュースで見て、こんなに可愛らしい男の子がどうして…と思ったのを覚えています。
事件の経緯、犯人の未成年の3人や遼太君の生い立ち、事件がおきた川崎という土地柄など、様々な角度から事件が検証されていました。
詳しい内容は、実際本を手に取って読んでいただきたいのですが…
沢山の想いが読み進めるうちに溢れてきました。
一番強く思ったことは、家庭(親)が大事だということです。もちろん、いくら親が子を思い、育てた所で、子供が良くない方向に行くことは多々あると思います。うちだってそうです。ですが、家庭で子供の居場所があれば、この事件は起こらなかったと思うのです。
この事件にかかわらず、例えば、未成年だから、精神的な障害があるから、と、罪を軽くして良いなどと私は微塵も思いません。性善説も全く信じていません。根っからの根性悪は、更生なんてするわけがないと思っています。例え反省したところで、罪の重さは全く変わらないし、悪さをした人は、同じ仕打ちを受ける罰を与えられたら良いとすら思います。
遼太君のお父さんは、刑を終えて出たきたら犯人達に復讐したいと話しておられました。お気持ちはとてもわかります。ですが、実行犯以外にも罪深い人は沢山いるように思えました。
誰からも可愛がられるような遼太君が、こんなにも無惨な方法で、大した理由もなく痛みつけられ亡くなって逝ったこと。とても胸が締め付けられました。
辛い内容でしたが、親はきちんと子供を見て、育てなければいけないという、当たり前と思われていることの大切さを再認識しました。
多くの方に読んでもらいたい一冊でした。 -
書店で平積みになっているのをふと見かけ、確か、帯に宮部みゆきがコメントを寄せていて、気になっていた本。このたび図書館で借りて読了。主たる語り手である被害者の父親が、自分の現況と最も近いこともあり、どうしても重ね合わせながら読み進めることになる。何重の意味でも被害者になるってことは、法体制とかから考えても厳然たる事実なんだろうけど、やはり強い疑問を覚える。強い復讐心についても語られるけど、これもやはり、理性で抑えきれるものでは到底ないものと思える。『故人はそれを望まない』的なフレーズも頭に浮かんだけど、あくまで私個人の気持ちの問題であり、気をそらせるための詭弁にも思えたりして。とか何とか、こういう系のノンフは憤懣やるかたないことが多いけど、色々と考えさせられる。
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相当な話題になった事件なので被害者の遼太君の顔は覚えていました。
川崎の河川敷で全裸の遼太君がこと切れており、その体には切り付けられた跡が43箇所有ったという事件です。
誤解を恐れず言えば、殺人を犯してしまう事自体は理解出来るというか、想像の範囲内です。そうでなければ色々な映画やドラマや本で、動機を考えつく事すらできないですから。一般的に想像する動機として、金銭的な欲望、性的な欲望、保身、衝動的な怒り、そして復讐。
この事件で理解し難いのは、殺すほどの動機が無いという事です。サイコパスだったりするなら異邦人的な訳の分からなさで「そうか、こいつは理解できないくらいの異常者だから理解不能なんだ」という事で終わるのですが、この犯人である少年3人はこれだけ残忍な事をしているのに、その後何も策を講じる事も無くそのまま放置して、服を燃やして証拠隠滅図るも、遺体はそのままという杜撰さ。3人も関わっているのにこの無能さは、殺人をしたという事自体が彼らにとって必然ではなかったという事なんでしょう。覚悟が有ったらもっと何とかしようとしますから。
彼らは刑期を終えてもまたなんらかの事件を起こしそうな気がします。自分の心の中を見つめ直しても何も出て来ないのではないでしょうか。それくらいすっからかんな人間に感じます。
ちなみにこの本を書く事によって、加害者だけではなく被害者家族も問題ありと判定されそうな内容です。第三者なので冷静に読んでいますが、彼の弟妹が読んだとしたら居たたまれないだろうなと思いました。
しっかりとしたルポタージュです。それだけに情報の取捨選択難しかったろうと思います。 -
船戸結愛ちゃん虐待死事件に怒りがおさまらなかった。
同じ怒りを感じたのが、2015年の上村遼太くん殺害事件だった。
本書の著者・石井光太氏の本は以前読んだことがあった。
ギリギリの取材を重ねて書くジャーナリストである。
上村くん事件の本は他にもあるようだが、著者への信頼から本書を購入した。
2015年2月20日未明、上村遼太くんは3人の少年によって43回も刺され、2回川を泳がされ殺害された。凍える身体と朦朧とした意識の中で、多摩川の河川敷を23.5メートルも這って生きようとした。
この事件の背景を知りたかった。
加害者はどういう生い立ちなのか。上村くんはなぜ殺されたのか。殺害までの経緯を知りたかった。
この事件は、社会からこぼれてしまった少年が、その喪失感を埋めるように、同じような生い立ちの年下の少年を殺したものだった。「社会からこぼれる」といっても、その発端は家庭にある。上村くんの両親も離婚し、母親は新しい恋人をマンションに引き込んでいた。加害者である少年Aは体罰といじめ、少年Bは離婚と貧困といじめ、少年Cは放任の中で育っていた。4人とも家庭環境が悪すぎる。
しかし、人を殺す理由にはなるはずもない。上村くんが殺される理由にもなるわけがない。
加害者の3人は悲しいほどコミュニケーション不在であった。信頼できる人がいない。信頼ということが分からない。人間は人の間でしか生きられない。人間関係の中でしか自分を保てない。その空虚を埋めるには、弱い者の上に君臨するしかないのだ。まるで、弱肉強食の畜生のように。
船戸結愛ちゃん虐待死事件の構図も同じように思えてならない。逮捕時、父親は無職であった。 -
記憶に生々しく残ってる事件。マスコミからの受身の報道では伺いしれない闇。
事件当日の惨殺から家族、逮捕、犯人、遺族と分けて書いてるので分かり易い、しかし、どの事件でもうやむやになる公的な支援機関の無責任、人権弁護士の主張する加害者のみの人権。辛い現実を突きつけられた作品。 -
記憶に新しい惨虐な事件の犯人が少年達だったので、ことの経緯を知りたくて手に取りました。
背景を知らないと加害側の一方的な惨殺と捉えていましたが、事情は複雑で読後の自分の感情も複雑でした。
小説でも残忍な行為の背景に幼少期の虐待が描かれるケースが多いと感じています。それは、このような現実を再発させたくない著者が多いのかもしれないと思いました。
著者プロフィール
石井光太の作品





