心に雹の降りしきる (双葉文庫)

著者 :
  • 双葉社
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感想 : 20
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  • Amazon.co.jp ・本 (488ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784575516715

感想・レビュー・書評

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  •  どんな小説でも、ひとりの人間からすべては始まる。その人間は語られるにせよ、隠されるにせよ、一つの人生を持ち、今この瞬間を生きている。本作では都築寅太郎という刑事が、その役を割り当てられる。続いて彼に関わる者たちの人生、そしてさらにもっと多くの人々の人生が小説と言う世界の中に存在を展開してゆく。ヒーローがヒーローらしく映画のように格好良く、人々の思い描くピーク値ばかりで構成された理想の人間であればあるほど、書く方も、読む側も、さぞかし楽しく、心地よい物語を楽しんでゆけるに違いない。

     しかし、腐って捨てられた人生の、その後始末も自分でつけ切らずに、くすぶった日々を過ごす、とても褒められた存在ではない主人公であることを最初のページから示してくるこの作品に立ち会うとき、読者はどう思うだろう。誰もが戸惑いを覚えるほど、感情移入できにくい主人公を提示されて、あなたどう感じるだろう? 思うに、作者は、どれだけ書きにくいことを書いているのだろう、ということだ。そんなマイナスな感情で何枚ものページをめくらねばならぬ立場の読者から見ても、この作品を書く側の立場は相当のストレスだろうと想像せざるを得ない。

     なのに、なぜこのような小説があるのだろうか? このままではきっと終わらないだろう。彼は、この小説の中で立ち直らねばならないだろう。どうやって這い上がってゆくことができるのだろうか。それとも、ある種のノワールのように悲劇のドラマの中で救いなき結末を迎える宿命にあるのだろうか? ぼくらはいろいろなことを考えるほど、面食らうのだ。こんなマイナスからスタートする主人公は、実にやり切れない。自分を嘲笑し、悪意を自ら悪意をしか向けないデカダンな刑事なんて、ただひたすら生きにくいだけなのだから。

     香納諒一作品には、既に人生から大敗を宣言されたような同種の主人公が登用されることが、実は決して珍しくない。なぜこのような負からのスタートを主人公に負わせているのかは、香納作品に親しんだ方ならわかっている。新しい読者にも読み進むうちにきっとわかって頂ける。香納ハードボイルドとは、実は事件や悪党たちをいぶし出しつつ、自分を救い出すための極度に狭い路を発見してゆく、苦しくも熱い旅程表なのである。謎解きミステリだけで終わらせてはなるまい、と意図された作者の意地によって固くこねられた、一筋縄では行かない一つ一つの謎と闘いのそれぞれの里程標。それが香納ミステリの醍醐味なのである。

     幾重にも用意された人間関係。そのいずれにも、容赦ない愛憎・損得・強弱を生み出し、複雑に絡まり合った美と醜のドラマを紡ぎ出してゆく精緻な創作へのこだわり。本書は、香納作品中でも秀逸のミステリとして評価も高く、心を熱くさせるページに満ちている。

     本書でも、醜いエゴに満ちた刑事の一人称による捨て鉢な描写が読者の心に罅割れを起こそうとするが、彼の捨ててきた過去の重みや、現在の自己嫌悪によって覆われていること、しかし真実は彼の弱さのうちに覆い隠されていることがどこか見て取れる。重要な点である。ある母子との出会いによって、また彼の捜査上に生じた犠牲者の死と悲しみによって、都築寅太郎というはみ出しデカの芯の部分は、犯罪への闘志、そして正義や情愛への復権の気迫を表面に浮上させてゆく。自分をばかり見つめて来た、それまでの投げやりな日々が、人の不幸と出会い、それを憎むことで化学変化を起こし、いつしか誰かのために自己犠牲をも非としない苦闘の道を選択せざるを得なくなってゆく。

     事件と捜査とが、このダーティ・ヒーローの本来の仕事であるならば、いくつもの救いの選択肢はその渦中に見つけ出せるはずである。同時に、絶望への近道も、どこにも陥穽のように暗い口を開けて待っており、そこに失墜してゆく愚かな生き様は、多くの事件の裏側にいつも皮肉な切り口を見せつけてくる。人間は基本的に強くも弱くもなり得る。人間は、その生き方の選択で、堕ちもすれば、救い出されもする。そんな岐路に満ちた物語の迷宮のなか、主人公の救いの可能性に、読者もともに立ち会ってみては如何だろうか? 本書は迷路のようないくつもの謎を解きつつ、主人公の捨て身の闘いとその先に見えるものを味わって、捨て難いカタルシスを生み出してゆくという、いかにもこの作者らしいヒューマンな傑作なのである。

     主人公のみならず、感情移入したくなる魅力的な男女が実は何人も登場する。この一冊を通じて、こうしたキャラクターにも、是非出会って頂きたい。主人公の一人語りの救いのなさに、そして彼の人生の逆転劇にも、期待して頂きたい。本書は主人公への応援劇であるとともに、全読者へのエールともなる一冊であることを請け合いたい。そういう本はそうはないと思うので。 

  • 七年前に行方不明となった少女の遺留品が発見された。生存が絶望視される中で、少女の父親、井狩治夫の執念が実った格好だ。だが、井狩の自宅に呼び出された県警捜査一課の都筑は、情報をもたらした興信所調査員、梅崎を紹介された瞬間、確信する。ガセだ。報奨金目当てだ。つまり、こいつは自分と同類だ、と。都筑はかつて似たような手口で井狩から報奨金を騙しとった過去があった。やむを得ず手を結んだ二人だが、数日後、梅崎が死体で発見される。いったい梅崎はなにを掴んでいたのか?都筑はその死までの足取りを追うが…。

  • 七年前に三歳で失踪した娘の生存を信じる父親に請われたバツイチの都筑刑事が、フリーマーケットで見つかった遺留品を追い、監禁され、DV被害者の母娘を自宅に匿う。本書なのか前に読んだ本の内容なのか読んでいる最中にわからなくなるくらい物語の広がりが強い。悪徳警官な都筑にも心があり、犯人や結末にもしんみりした。

  • ラストは、ハラハラした!幾つかの事件がどう繋がるか興味をそそられたが…まーこんなもんだろう。
    でも、これがハードボイルドという本なんだろうけど、少し何かが足りないような気がした…

  • 一時期からのハードボイルドで珍しくなくなった、あえて主人公にダメダメな人物を据えるタイプの警官小説。愛のない家庭に育った主人公は、そうではない家庭を築こうと焦るあまり、愛情が執着となって妻に逃げられたことから自堕落な生活を送っているという設定。だから如何にも悪ぶった言動の裏の優しさ(や正義感)を、例えば子供に見抜かれたりする。例によって入り組んだプロットは読み応えがあるし、無様なアクションを繰り返して真相に迫る主人公は熱い。ただ女性を前にした主人公の言動は無様を通り越して、正直気持ちが悪い。

  • やさぐれた刑事が担当する少女失踪事件。7年の月日が経ち、その間に母親は病死。行方知れずの少女が生きているわけがないと誰もが思っているけれど、父親だけは決してあきらめない。誠実なふりをするのだけは得意な刑事は父親に話を合わせている。そんな折、父親が出す報奨金目当てに動いていたイカサマ興信所調査員が死亡し、事故か事件か、やさぐれ刑事も本腰を入れざるを得なくなる。

    子どもを失うということ。それがこんなにも人を動かせなくするし、時に狂気に走らせる。約480頁、とっとと読み進めないと、想定以上に事件にさまざまな形で絡む人が多く、誰が誰やらわからなくなる場面も。しかし久々に触れたハードボイルド。主人公から時に部下並みの扱いを受ける上司とのコンビが絶妙で、もう少しやさぐれ感の抜けたところでシリーズ化してくれてもいいんじゃないかなと思います。

    自分の格好悪さを認めようとしない主人公。そこにちょっと可愛げもあって憎めない。人間臭いところが好きです。

  • 2018/1/18 Amazonより届く。

  • このミスベスト10、2012年版9位。上から目線で申し訳ないですが、すごくレベルの高い小説と思う。基本となる複数の事件を含む小説世界の設計がとてもしっかりしてるし、それを、表に出していく順番が良く考えられてる。登場人物の心理面にも深く踏み込んでるし、ありえない設定に現実感を与えている。ただ、作者は複雑な世界をキッチリ矛盾無く構築できてるんだけど。複雑すぎて読者の自分がついていけない。同種の立場の人物が3人までは記憶できるんだけど、4人以上でてくると小説では無理。まあ、自分が40歳台ならまだ記憶力的にいけたかもしれないけど、今では警官以外の男性が4人以上出てくると誰が誰だったかわかんなくなっちゃう。ドラマだったら顔みりゃ別人とかわかるかも知れないけど小説ではちょっと。そいで、前半は細かい描写が多すぎてとても退屈。中半から俄然盛り上げってぐいぐい行くけどやっぱり事件多すぎてしんどい。事件を半分にして、恋愛色をもうちょっと濃くした方が娯楽小説的には良かったんでは。まあ、好みの問題だけど、自分的にはちょっとでもストレス感じるのはあんまり好きじゃない。小説には娯楽性を求めてます。

  • 時に職業倫理から逸脱する行動を取るアウトローの刑事が活躍するハードボイルドの王道的ストーリー。過去の未解決事件や家族関係への自戒から自虐的な面を見せながらも、捜査員としての優秀な能力を知る上司の支援もあり、ほぼ独力で事件を解決する。最後はややハッピーエンド過ぎる嫌いがありますが、王道らしくていいかな。

  • ずしっとくるボリュームの、硬質なストーリーでした。投げやりになりきれない、どこか不器用な主人公が魅力的でした。読後感がとても良いです。

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著者プロフィール

1963年、横浜市出身。早稲田大学卒業後、出版社に勤務。91年「ハミングで二番まで」で第13回小説推理新人賞を受賞。翌年『時よ夜の海に瞑れ』(祥伝社)で長篇デビュー。99年『幻の女』(角川書店)で第52回日本推理作家協会賞を受賞。主にハードボイルド、ミステリー、警察小説のジャンルで旺盛な執筆活動をおこない、その実力を高く評価される。

「2023年 『孤独なき地 K・S・P 〈新装版〉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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