- 本 ・本 (170ページ)
- / ISBN・EAN: 9784575714173
感想・レビュー・書評
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オーストラリアの屠殺場で働いたことがあったので、屠殺関連の小説を調べてこの本にたどり着いた。
オーストラリアの屠殺場では、ナイフを使う事はなかったが、ナイフを巧みに使って、肉を削ぐ姿やこまめにナイフを研いでいる姿はよく目にしていた。
屠殺場には様々な工程があり、いくつかの工程を担当した。トラックに詰め込まれた生きている羊が、エスカレーターのような機械で、1匹ずつ工場内に運ばれてくる。羊が工場内に入る手前で、電気ショッ
クさせて1度気絶させる。これを失敗すると、次の工程担当が苦労する。羊の頸動脈を切り、後脚1本を引っ掛けて宙吊りのまま血を抜いて、首を切断する。
それからナイフや機械で皮を剥いだ後、余分な脂身を削いでいく。これまでの工程に約40人ほどを要する。
引用
われわれは「屠殺」と呼んでも、自分たちが牛や豚を殺しているとは思っていなかった。たしかに牛を叩き、喉を刺し、面皮を剥き、脚を取り、皮を剥き、内臓を出してはいる。しかしそれは牛や豚を枝肉にするための作業をしているのであって、単に殺すのとはまったく異なる行為なのである。
「屠殺は、屠殺である」(『新潮』二〇〇一年八月号)というエッセイでも書いたことだが、小説「生活の設計」には「死」という文字がほとんど出てこない。まして、解体されつつある牛や豚を指して「死体」と呼んだことは一度もない。「命」や「いのち」にいたっては、ただの一度も登場しないはずである。自分の目の前には、生きている牛や豚が枝肉になるまでの全過程がパノラマとして展開されている。しかし、ここが命と死の境目だと指差せる瞬間はないと思っていたからだ。
こう書かれていることについては、私もほぼ同じ気持ちでいた。仕事を始めて約1週間は、「いのち」をいただいているということに深く考えたり感謝の気持ちもあったのだが、目の前の仕事で一杯一杯なのと、慣れにより何も感じなくなったのは事実。
引用
今では建物は銀色の外壁に覆われて、トラックから牛や豚を降ろすところさえ外から見られないようになっている。会社の敷地に入っても、糞尿の臭いもしなければ牛や豚の啼き声も聞こえず、これはこれでなかなか恐ろしいことである。もっとも、そうした遮敵を当て込んで、会社の周辺には矢継ぎ早に最新式の高層マンションが建設さ
ときとき総務部に、高層マンションの住人から、洗濯物に臭いがついたと苦情の電話がかかるというが、ことさら隠すから余計につけあがるのだ。「いのち」などという目に見えないものについてあれこれ語るよりも、牛豚の臭いや啼き声といった、現実に外にはみ出してしまうものをはみ出させたままにしておくことのほうがよほど大切ではないかと、私は思っている。
非常に同感。
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一昔前の大宮と場に勤務した佐川光晴さんの体験記。と畜場作業員としては異色の経歴であった佐川さんがなぜと畜場作業員になったのか、そしてそこでどのように「働いていく」ことを自身の気持ちの中に落ち着かせていったのかということが感じられる作品でした。
牛を屠るというタイトルから想像するほど、血なまぐさい風景が展開されるわけではなく、むしろ淡々と語られる中に、現実感が迫ってくるようでとても興味深かったです。 -
「ここはおめえみたいな奴の来る所じゃねえっ!」怒鳴られた初日から10年間、著者は牛の解体の職に従事することになります。「職業を選ぶ」「働き続ける」とは、自分の人生にとってどういうことなのか――。
どうも僕はこういうなんというか、他の人があんまり見向きもしないようなテーマを扱った本のほうに興味が行くようで。
著者は北海道大学を卒業後、出版社に勤めるも、上司とそりが合わずに、ケンカして会社を辞め、転職活動の末に食肉製造の会社に転職し、そこで働いていたときのことを書いたものです。僕も一時期、スーパーの精肉部門でアルバイトしていたことがありますので、少し分野は違うかとは思いますが、本の中に描かれている彼の技術は目を見張るものがありました。
家畜を屠殺して、私たちのところに届けられるおいしいおいしい「お肉」になるまでには日の当たることのない裏側であって、僕らは決して見ないものがイラスト入りで克明に描かれているので、興味のある方はぜひ一読をお勧めします。
この本の中で作者の解体のスキルがどんどんとあがっていって、しまいには先輩の職人を追い抜いていくのですが、それがまたすごいなぁなんて読みながら思っていました。出来ればもう一回読み直して、
「仕事とは?」
「働くとは?」
という疑問にもう一度しっかりと向き合ってみたいと思います。 -
#牛を屠る
#佐川光晴
#双葉文庫
#読了
小説かと思ったら実体験に基づくノンフィクションでした。佐川さん自身が現場で働いていた、という。豊かな食生活の裏でこんな現場があることを私たちは見なくていいのだろうか。生きるとは働くとはを考えさせられます。 -
表紙のイラストのイメージ通りに骨太で力強い。屠殺の是非よりも職業人、プロとしての誇りを感じる文章。この光景が今だって全国で繰り広げられている。
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ーー働くことの意味、そして輝かしさを描いた作品だ(p.162 巻末対談より)
ーー天職を探すのが先決と思っているよりは、わからないままでも飛び込めば、ブレイクスルーできる地点に辿り着く。(p.164 同上)
就活の時に読んでみてはどうでしょうか。
散々迷って自己評価さげまくってズタボロになった果てに手にした仕事がブルシットジョブ。なんてことが珍しくない世の中ですが、羨ましがられない仕事ほど人の役に立っていて、しかもやりがいがあるんだということがとてもよく描かれていると思います。資本主義は労働者を労働から解放するのではなく、労働を中身から解放する、とはマルクスの指摘ですが、中身から解放される前の労働が与えてくれる喜び、みたいなものが感じられました。内山節もそれに近いことを「稼ぐ」と「働く」という対比で指摘していたような。
分業は効率化と増産のための必然ですが、それが奪うものの大きさも考えさせてくれる良書です。 -
屠畜場での就労経験に基づいた興味深いエピソードの数々。毎日のように肉を口にしながら屠畜に関する知識に乏しい読者にとって現場の描写は衝撃的だ。決して快適とはいえない労働環境や被差別部落に対する偏見が影を落とす職場にあって働くことの本質が見えてくる。
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職人の修行場のようで、部活のようにも感じました。極める、ということができる職場って今は少ないのかな。極めようとしている人の中で、認め合いながら、そして、次を育てながら仕事が続いていくのが、なんか好きでした。自動化されていくと、こういう職人的なことって不要になっていくのかな。。なんか寂しい。仕事が未来につながっていく感覚の一つに、後輩が育つ、というのがあると思うけど、それを感じれられなくなっちゃうのかな。自動化の罠なのかもしれない
あと命を扱うことについて、嫌味というか、ネガティブな感じではなく、淡々と事実と著者の気持ちを書いてくれているのが、なんか良かったです。
こういう本が読めるっていいな -
文章が上手い。
エアナイフ等うまく想像ができない作業も多かったが、仕事として淡々と牛を捌いていく職場の雰囲気が伝わってくる本だった。前作も読もうと思う。
著者プロフィール
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