愉悦の大橋 剣客大名 柳生俊平15 (二見時代小説文庫)

著者 :
  • 二見書房
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感想 : 2
  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784576200590

作品紹介・あらすじ

将軍の影目付・柳生俊平は一万石大名の盟友二人と、悪党どもに立ち向かう! 実在の大名の痛快な物語、続々重版のシリーズ

感想・レビュー・書評

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  • 愉悦の大橋 ― 剣客大名 柳生俊平シリーズの15作目 
    2020.05発行。字の大きさは…中《前巻きから字が大きくなった、しかし、字が細い》。

    将軍家剣術指南役の大和国柳生藩の第6代藩主・柳生俊平が第8代将軍・徳川吉宗の命により、影目付として悪を退治する。

    此度は、大川(隅田川)に架橋された5つの橋のうち最後の橋である大川橋(吾妻橋)の架橋に係わる物語です。大川を挟んで浅草と向島の賑わいから町民が請願する形で、組合橋を建設する機運が盛り上がるが。橋に係わる利権が10万両といわれ、それに群がる、商人、幕府役人、大奥御年寄、西国大藩が地上げのため地主の子を攫いと……。
    将軍吉宗から相談された影目付・柳生俊平がその全容を調べて報告すると、吉宗は、架橋を延期する決定をする。

    【読後】
    組合橋は、幕府が金を出さず商人が組合を作って金を集めて架設し、出来上がった大川橋から武士以外の全ての通行者から1人2文を取って回収して行く方法です。
    江戸時代に大川にかかる橋で事故が多く、その度に何百人と死者がで、また、10年ぐらいで手抜き工事がもとで崩落した橋が有ったため。橋は利権と、凶器とみなされていたことが読み取れます。

    【豆知識】
    「吾妻橋(あづまばし)」は、隅田川にかかる橋です。
    創架は1774年(安永3年)10月17日のことで、それまでは「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟があった場所であった。江戸時代に隅田川に架橋された5つの橋のうち最後の橋であり、1769年(明和6年)4月に浅草花川戸の町人伊右衛門と下谷竜泉寺の源八の嘆願が幕府によって許可され、着工後5年で完成したものである。

    長さ八十四間(約150m)、幅三間半(約6.5m)の橋で、武士以外の全ての通行者から2文ずつ通行料を取ったと記録に残る。1786年(天明6年)7月18日の洪水の際に永代橋、新大橋がことごとく流され、両国橋も大きな被害を受ける中で無傷で残り、架橋した大工や奉行らが褒章を賜ったという。その後幾度かの架け替えが行われたようである。

    橋名ははじめ「大川橋」と呼ばれた。これは近辺で隅田川が「大川」と呼称されていたことにちなむ。しかしながら、俗に江戸の東にあるために町民たちには「東橋」と呼ばれており、後に慶賀名として「吾妻」とされた説と、東岸方面の向島にある「吾嬬神社」へと通ずる道であったことから転じて「吾妻」となった説がある。いずれにしても、1876年(明治9年)2月に木橋として最後の架け替えが行われた際に正式に現在の橋名である「吾妻橋」と命名された。
    2020.07.19読了

  • 第十五弾
    今回は大川に架ける新橋に係る利権を巡る策謀
    黒田藩、大大工、地元ヤクザ、さらには老中、道奉行、大奥と、どうも悪を退治せずになあなあで済ますいつものパターンやはり面白くない

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著者プロフィール

麻倉一矢 あさくら・かずや
1947年、兵庫県生まれ。東京大学文学部卒業、コピーライターを経て『魔宮伝』(角川書店)で作家デビュー。著書に、『かぶき平八郎荒事始』シリーズ(二見書房)『上様は用心棒』シリーズ(二見書房)、『やさぐれ大納言』シリーズ(コスミック出版)、『無外流立志伝』シリーズ(富士見書房)、『将軍の影法師 葵慎之助』(徳間書店)等の人気シリーズがある他、『豊臣の黄金』、『家康の野望』、『鬼の吉宗』、『一本槍疾風録』(祥伝社)、『小西行長』(光文社)、『後藤又兵衛』(学陽書房)、『剣王伝』(講談社)、『吉良上野介』(PHP)、『徳川三国志』(徳間書店)等著書多数。

「2022年 『将軍吉宗の大敵 剣客大名 柳生俊平20』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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