博徒と自由民権―名古屋事件始末記 (平凡社ライブラリー)

著者 :
  • 平凡社
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本棚登録 : 32
感想 : 6
  • Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582760927

作品紹介・あらすじ

この「激化事件」の中枢を担ったのは、博奕打ちたちだった。幕末-明治10年代、権力との癒着と対抗の間を揺れ動く博徒集団の実像を描き、自由民権運動をまったく新しい視界の中におき直す。

感想・レビュー・書評

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  • 初出は1977年、中公新書。

  • これはすごい本。名古屋事件が単なる自由民権の激化事件というわけではなく、その背後にある博徒の集団を見出し、その幕末維新以来の来歴を明らかにし、さらに、その博徒集団への政府取締に対する反発が事件の契機になっていたことを指摘している。

    この本がすごいのは、壬申戸籍や刑務所史料をつかっているところ。これらの史料から描き出す事件の背景が、とても面白い。むろん今では壬申戸籍は見れないし、刑務所・警察史料もかなりハードルが高いと思うが、時代的にまだ閲覧可能だった時期に史料調査をしていたおかげで、こういう研究が可能になったのだろう。

    誤解してほしくないのは、僕は別に「昔は史料使用の制約が緩くて良かったね」という話をしたいわけではない。同時代に使える史料を縦横無尽に駆使しようとする、当たり前だが困難なその作業にあたる姿勢に驚きと僕自身の反省、そして憧れを覚えるのである。作者は閲覧不可能になることを想定して史料調査をしていないわけだから、当時見れるだけの史料を見た結果の叙述であることに、評価を高くすべきであろうと思う。

    もうひとつすごいのは、1977年に出された本なのだが、経済決定論的なマルクス主義歴史学を明確に批判しているところ。自由民権運動のなかの激化事件というと、史学史的にはブルジョア市民革命か否かという論点があって、そこにはさらに明治政府が絶対王政かブルジョア市民政府かという古典的問題が背景にある。しかし、この研究はそういうことを議論していた時代のもとにありながら、その双方を否定し、具体的な人の動きから民権運動の特質を規定しようとしている。そこに、本書の強烈な凄みがある。

    僕も、本書のように、具体的な人の動きから歴史像を構築したいと思っていて、かといって有名人の動向ではなく、地域に根ざした人の動きからそれをできないかと思っている。だから個々の思想から時代像を読み込む思想史的作業や、維新の主要人物による政治過程史にはかかわらないようにしている(というか、そもそも能力的にもできないのだが)。その意味で、本書は非常に面白く、かつ叙述のスタイル的にも自分のなかで共振するところ大、な本だった。

  • 549夜

  •  平凡社ライブラリー版は、1995年の刊行。おそらく、1977年に中公新書から刊行された本の文庫化と思われる。

  • 自由民権運動に博徒、いわゆる博打打が深く関わっていたことを綿密な史料調査から「発掘」し、戦後博徒研究の嚆矢となった名著。読み物としても非常に楽しめる。私の祖父の著書である。

  • 分類=幕末維新・博徒。95年4月(77年初出)。

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