無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150))

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  • 平凡社
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  • Amazon.co.jp ・本 (380ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582761504

感想・レビュー・書評

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  • 初めての網野本
    知らなかった分野なので割にためになる
    結論への飛び付き方は留保
    とりあえず他にもいろんな作品よんでから

  • 網野善彦は、間違いなく歴史学の天才でした。
    この本は寺院と俗世、僧侶とその他の人々などの「縁切り状態」、つまり無縁を中心に、それが権力に取り込まれながらも形を変えて生き延びていく姿を文献資料を使って明らかにしています。
    寺院に寄進された荘園もまた公権力の手の及ばないものになり、遍歴の芸能民も、一方では差別されながら、もう一方では力強く自由を持って生きていたことが分かります。
    そして「無縁」は仏教的に肯定された語であることも網野氏によって証明されていく、歴史学の様々な前提を覆した名著です。

  • 暴力のシステムが、ある程度の力を持つとき、それは少数者の保護を約束する。
     道々の輩、異形異類と言われる特殊な技能を持つ人々が、かつては職農民同士で国のようなものを作り、他の組織あるいは国と交流していたと説く。

  • アジール=無縁=私的所有や貸借関係、ルールの及ばない区域。供御人等としての天皇と直接の結びつき。禅律僧との結びつき。女性、海民、職人。これらは中世から近世にかけて封建支配の中に取り込まれていくが、本来「無縁」の論理は未開社会に通底する人間の原初の状態と主張。
    古文書の実例を細かく引きながらも、全体は太めの筆で大胆に描いたデッサンみたいな論じ方。娯楽として読む自分には面白いが、これを素人が真似ると大怪我する奴だなと思う。
    本書のかなりの部分を占める補注で、本論へ寄せられた批判や反応にいちいち答えていく。もっともよく登場する、つまりは手厳しい批判者だったのは安良城盛昭。いっそのこと両論を収めてくれたら読み応えがありそうなのに…と思うが、話をまとめる編集者が死ぬ思いをしそう。

  • 日本史の泰斗である著者の初期の著。著者が高校教師として生徒たちから訊かれたという質問から始まる謙虚さで、子供の頃の「エンガチョ」という遊戯から、無縁・公界・楽に関わる歴史の残滓を探していく。「無縁」は、領主などの私的隷属を拒否し、無縁の人々という意味。縁切寺(鎌倉の東慶寺、浅草の満徳寺)は夫婦の無縁を実現する「アジール(逃れ場所)」のイメージが強いが、元々は主人からの自由の場でもあったとして冒頭から惹きつけられる。逆に東慶寺の内部には女たちの階層があったとは、ちょっと興冷めではある!無縁の方々が、いかに広範で、日本史上、特に女性史においては無視できない存在であり、社会の活力であったようだが、それが次第に自由を奪われ、差別の対象になっていった歴史。

  • 「エンガチョ」で始まるものの、がっちりとした専門書。じっくりと精読する心構えが必要。ただし、得られる示唆は極めて大きい。

  • アジールの概説が載っている。
    図書館借り本本。2016.10.15読了。
    縁切、公界の意味が実証的に説明されていて示唆多し。

  • 従来の、天皇と幕府の二重権力と農本主義に貫かれている日本史観を覆したというだけで、網野史観はスリリングだし、それだけで面白い。
    その上、それぞれの時代のアウトローな存在たちに光を当てているのだから、学術書でありながらエンターテイメントの要素をはらんでいて、活劇を読むようにわくわくして読み進めた。

    それが学術であれ、エンタメであれ、人の魂を揺さぶるものには、いつも無縁の原理が働いているという。


    「無縁」というのは、現代的な意味での無縁とはちょっとちがう。

    現代では「無縁仏」とか「無縁社会」とか、個人が社会の中で孤立している状態を指すのだが、網野史観による「無縁」の概念とは、「有縁」「有主」の対立物として浮かび上がる。

    定住に対して移動。
    国家に対して宗教。

    …といった具合に。
    しかもそれらは対立ばかりしているわけではなく、常に背中合わせで、密着しながら拮抗している。

    具体的な無縁の原理というのは、
    場としての市場、境界、社寺、山林、自治都市、関渡津泊、橋、河原、中洲などなど。
    人々しての、供御人、職人、手工業人、海民、遊女、聖、山伏、巫女、勝負師、芸能民などなど。

    それらは異界と異界の境界に発生し、異界と異界を行き来する人々によってもたらされる。
    大阪に現れた最大の自治都市「堺」はまぎれもなく「境」だったのだ。

    異界と異界の境とは、この世とあの世の境でもあった。
    市には必ず死者が現れる。河原も中洲も浜も山野も、それらは神々と関わる聖域であり、交易芸能の広場であり、平和領域であり、葬送の地であり、刑場でもあった。

    「無縁」の原理は階級社会に対しての自由・平和・平等の理想への本源的な希求が貫かれている。これはなにも日本に限ったことではない。

    寺院に飛び込むと娑婆世界での縁が断ち切られる。
    祭では日常社会の階級が解消される。

    でも、このような無縁の原理は、国家(有縁の原理)の台頭によって衰弱してしまう。江戸時代の身分政策や寺請制度、明治以降の近代化によって人々はより権力の管理下に置かれ、無縁の原理は有縁の原理に取り込まれる。

    60年代の学生運動などはこうした無縁の原理の希求がその根底に流れているのだろうし、この本が1978年に初出でベストセラーになったというのも興味深い。左翼やリベラルたちの支持を得たのは想像に容易い。

    そしてインターネットの登場。
    誰もが発信できる双方向のコミュニケーション空間は、それこそ有縁の原理がすみずみまで立ち入ることが困難な、無縁の世界の登場だったのだが、これもまたいつか有縁に取り込まれることになるのだろうか…。


    ********************

    文学・芸能・美術・宗教等々、人々の魂を揺るがす文化は、みな、この「無縁」の場に生まれ、「無縁」に人々によって担われていると言ってもよかろう。

    ********************

  • 増補部分未読。
    聖性に根ざした無縁については分かりよい。実利的無縁については読めた気がしない…意図された無縁ということ?いずれ再読しましょう。

  • ネットで見かけて。

    面白かったし、読みやすかった。
    中世に寄進関係や主従関係で結ばれていない
    「無縁」のエリア、人々がいたらしいことは
    納得できた。

    その無縁所は
    ただ神聖な場所ということではなく、
    芸能に関係し、婚姻の無効に、借金の棒引きに有効なのはまだしも、
    犯罪をも帳消しにできるエリアだということが、
    今一つピンと来ない。
    納得できないというか。
    現代人の感覚なのか。

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著者プロフィール

1928年山梨県生まれ。東京大学文学部卒業。都立北園孝行教諭、名古屋大学文学部助教授、神奈川大学短期大学部教授、同大学経済学部特任教授を歴任。専門は日本中世史、日本海民史。著書に『日本中世の非農業民と天皇』『無縁・公界・楽』『異形の王権』『蒙古襲来』『日本の歴史をよみなおす』『日本社会の歴史(上・中・下)』『「日本」とは何か』『歴史と出会う』『海民と日本社会』ほか多数。2004年逝去。

「2018年 『歴史としての戦後史学 ある歴史家の証言』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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