- Amazon.co.jp ・本 (472ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582762488
感想・レビュー・書評
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「解きがたい謎としての私」や他者意識の征服を目的にした文学作品と読めた。神が不在なのに信仰心があったら、崇拝する対象を他に見つけて自己投影するか自滅するしかないよねって。死に接近してまで自己神格化しなくちゃならんのかーと。輪廻転生の代わりに終末思想の概念がある西洋人は深刻に思い詰めて、最後の審判を自分でやりたがるのだと思う。
この著作には重要なことや事実が書かれていない。中世の魔術書にある、絶対神あるいは神秘の根源についてレトリックを駆使しながらはぐらかし周縁をなぞるといった文体が採用されている。この著作から智恵を取り出すことは不可能であるかわりに、何もないところに「至高性」をでっちあげる発想を学べる。
だが一人で生きることができない人間は全体の一部であるのを運命付けられており、周縁の存在である。そして他の支配により疎外が規定されている。以上のことから内的体験というのは周縁としての自己を解放して全体性を回復することであると思うが、この著作の虚無主義はあらゆるものを否定して読者を惑わせようとしてくる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
三章.刑苦での独白は必読でしょう。ニーチェに対して「共犯者の友情」を終始抱いていたバタイユですが、ニーチェよりさらに企てに回収されない体験の可能事へと進んでいきます。
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記録
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なにかあった本。うまく言葉にはできない。思考の地平みたいなものが見えた。読んでみる価値はあると思う。
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『無神学大全』全3巻のうちの1冊。
哲学や評論というより、幻想文学の範疇に入るような気がしてならない。そして、『無神学』と言いつつも、『神』を何処かで希求しているとも思える。キリスト教的な価値観なのかな……。 -
不可能性の哲学。
言語化しえない領域へ。
宗教なき神秘主義の探究。
「私は哲学者などでは決してなく、聖者もしくは狂人だ。」 -
いつも難解だ。
アジアの辺境に生を受けた俺たちは、時にはバタイユの波動を全身で浴びる必要があるのかもしれない。
著者プロフィール
ジョルジュ・バタイユの作品





