- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582762945
感想・レビュー・書評
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中学生にも読みうるように、という条件のもとで、哲学史に題材を取りながら著者が自らの問題意識を語った哲学への案内。
自分の手で働いて生きる者のための哲学、と著者は自ら謳っている。
生きることの意味を明らかにすることは、働くことの意味を明らかにすることに他ならない。働くことの意味が決定的に損なわれた近代において、それを回復させるために何が必要か、という内山哲学の原点が、きわめて平明な言葉で綴られている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『哲学』と『冒険』の二つの言葉が一緒になっていることに少し興味を持ち購入。父親と少年の会話が凄く分かりやすく、引き込まれる様に一気に読み終わる。
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人間の生きる意味は人間の歴史に参加すること
すなわち何かを生み出すこと
本来の労働とは何かを生み出すことそのものだった
産業革命以降人間の労働は歯車になった
その中で生きる意味を見失っている
哲学とは今の人生と理想の人生のギャップを
埋めるための精神的活動
理想を描くのが難しい社会になっている
主体的に理想を探すことこそが自由ということ -
3
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内山節『哲学の冒険』読了。内山節という人は俗に言う「哲学(を研究する)者」ではなく、まさに「哲学する人」なのだ、と(彼の講義に数回しか出なかったことを申し訳なく思う反面、そのれでも彼の言葉にひっかかりを覚えてこれまで彼の本を何冊か読んでいるのは、比較的僕の言動にマッチしているからだけではなく、そのような後ろめたさがある種の原動力となっているのかもしれない)。「自分の手で働いて生きていく」ための哲学を模索する「僕」の冒険のなかで、内山は非マルクス系の初期社会主義思想を「存在論的社会主義」とよびならわして、高く評価している。内山の「労働」を「作品」としてとらえかえす試みは、労働というものが本質的にもっているとする喜びや尊厳というものを創作の喜びや創作物および創作者への敬意、自らの創作物ないしは創作活動に対する誇り、それらへの比喩的な連想をスムーズに呼び起こしてくれる。
そこで考えさせられるのは果たしてこの僕は何か内山の言う労働らしい労働を成しているのか。実際に本書でも第3部で「僕」と対話する「父さん」が企業での労働者として僕自身が直面しているような苦悩を述べている。
ただ、重要なことには内山における「労働」あるいは「作品」の射程というのは何も賃金や報酬を前提とする狭義の労働に限定されず、ひととひととの関わり、ひとと社会との関わりにまで及ぶ。この辺の発想というのは、先日中之島哲学コレージュで出会った現代戯曲家?の岸井大輔のそれと近しいものがあるように思う。
なんにせよ、平日昼間の労働の作品性に本質的な限界を感じるのならば、その外でいかに魅力的な作品をつくりだせるか、いかに可能性のある作品を築けるか、当面はその路線でいってみよう、そんなことを思わせてくれた本だった。 -
毎日中学生新聞の中学生のための哲学の連載の文庫化
というだけあって、読みやすかった。
おすすめだ。
目次
第一章 哲学の中へ
一 未来への迷い
二 美しく生きるために哲学をーエピクロス
三 人は誰でも、いま生きているように未来をつくっていくー三木 清
四 哲学は自分自身の勇気を信頼するところから始まるーへーゲル
五 世界の成り行きに驚嘆する能力から新しい文化は生まれるーウェーバー
六 人はつねに過渡期の人間として生きているー梅本克己
七 不完全な人間が哲学をつくりだすー親鸞
八 哲学はこれからも不完全な学問でありつづけるーディドロ
第二章 現代哲学の発見
一 あらゆるものは動き続けているーヘラクレイトス
二 歴史の発達は、一面では人間を退化させたールソー
三 私は考える、それ故に私は在るーデカルト
四 ある時代には、その歴史段階特有の精神的態度があるーウェーバー
五 現代の戦争や悲惨は、私有財産からつくられるールソー
六 近代産業の中には、人間に対する侮辱が生まれているーアダムスミス
七 死に至る病とは絶望のことであるーキェルケゴール
八 我々の共同社会をー近代革命の担い手たち
九 人間は実現可能なことのみを考えるーマルクス
第三章 未来への冒険
一 人間たちの幸せと不幸
二 自由の研究
三 生きることの意味を探して
人名注
日本にもたらされた主要哲学とその歴史
あとがき -
色々な時代の色々な哲学者を割とあっさり目に紹介する本
道しるべとしての役割をうまく果たすと思う。