哲学の冒険 (平凡社ライブラリー)

著者 :
  • 平凡社
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本棚登録 : 94
レビュー : 11
  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582762945

感想・レビュー・書評

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  • 人間の生きる意味は人間の歴史に参加すること
    すなわち何かを生み出すこと
    本来の労働とは何かを生み出すことそのものだった
    産業革命以降人間の労働は歯車になった
    その中で生きる意味を見失っている

    哲学とは今の人生と理想の人生のギャップを
    埋めるための精神的活動
    理想を描くのが難しい社会になっている
    主体的に理想を探すことこそが自由ということ

  • 3

  • もやもやを少しほぐしてくれるような、そんな本。

  • 真理に踏み込む勇気を人間がもちはじめたとき、哲学は生き返るんだ。しかも人間はそれだけの力をもっているんだ。だからヘーゲルは、人間の偉大さを信頼しろといっているのだと思う。哲学はつねに人間の偉大さとともにあるのだから。(p.34)

    マックス・ウェーバー『古代ユダヤ教』「あらゆる合理的文化のそれぞれの中心地点においては、いまだかつて完全に新しい宗教思想の成立したためしはほとんどなかった。……文化の飽和している地域のただなかに生活し、その文化の技術にまきこまれている人間は、ちょうどたとえば、毎日電車で通学することになれっこになっている子供が、いったいどうして電車が走りはじめることができるのか、というような問いにみずから思いつくことが現実にはほとんどないであろうように、周辺世界に対してかような問いを提出することはないのである。世界事象について驚嘆する能力こそは、その事象を問うことを可能にする前提条件である」(p.37)

    ルソー『人間不平等起原論』「「人間のすべての知識のなかでもっとも有用でありながらもっとも進んでいないものは、人間に関する知識であるように私には思われる」「さらにもっと痛ましいことは、人類のあらゆる進歩が原子状態から人間をたえず遠ざけるために、われわれが知識を蓄積すればするほど、ますますわれわれはあらゆる知識の中でもっとも重要なもの(=人間に関する知識)を獲得する手段をみずから棄てるということであり……」知識の量がふえればふえるほど、逆に、もっとも重要なこと、つまり人間とは何かというようなことを考える思考力を人間はなくしていった。(p.77)

    自分の手で何かをつくりだし、そのことによって世間から尊敬される、それこそ昔の人たちの労働の誇りだった。
    ところが近代産業によってつくられた労働はそんな美しさをもっていなかった。労働者は命令されるままに働かなければならなかった。生きるために働く、お金のために働くだけになった。近代社会は少数の成功者を生みだしたが、その背後では多数の人間を誇りのない労働にしばりつけたのだった。(p.118-119)

    人間の理想を信じられない人ほど不幸な人はいない。それまで、理想を信じることのできない生き方をしてきたのだろうね。(p.179)

    朝鮮人や中国人を殺した犯人は日本人だ。だからそれをほじくりられるのは嫌なことなんだ。慰霊碑も建てないし慰霊祭もしない理由はここにあると父さんは思うね。
    人を殺すっていうのは大変なことなんだよ。もしかすると、その人にはこれからどんな素晴らしい生涯が待っていたのかもしれないし、世界を大変革するような人間になったかもしれないんだよ。そういう未来のある人間たちをいっぺんに灰にしてしまうことなんだからね。一人でも大変なことを何万、何十万人と殺した。その責任を感じないということは、人間の尊さを無視しているからだと思うね。(p.186)

    自由について考えるときは、精神の自由ということをいつでも考えておかなければいけないと父さんは思う。精神が解放されていれば、けっこう不自由ともなんとも感じなくなってしまうものさ。自由っていうのは、人間の力、人間の可能性をどんどん拡大して、人間の素晴らしさをみつけだしていくことだと思うね。そういう自由な精神が、未来へ向けての偶然性と必然性のすきまを埋めて、歴史をつくり変えていく人間たちの力の源だと思うね。(p.197)

    ===================
    (2017/05/29再読)
    「すべて生命あるものは個体であり…個体は単に環境に適応するのみでなく、同時に自己自身に適応することによって、言い換えると自己自身を模倣することによって個体であり得る」(三木清『構想力の論理』)(p.27)

     人間は自分の力で自由に生きていると思っているけれど、実際は環境に自分を適応させて、どんな環境にもすぐ適応してしまうような人間に自分を変えながら生きているのかもしれないと思ったからだ。(p.30)

     批判や疑問をもっていたからこそ、大革命に接したとき、自分がいつも問いかけていることに対する解答が、大革命のなかにあることを発見できたのだと思う。だからウェーバーのいうように、世界のなりいきに驚嘆する力は、感受性がすぐれているといったことではなく、能力なんだ。
     哲学は人間がつくるものだ。世界のなりゆきに驚嘆する能力をもった人たちがつくりだしてきたものが哲学なんだ。(pp.40-41)

     僕は労働とは何らかのも作品をつくるためのものでなければいけないと思うんだ。その作品とは物かもしれないし、空間かもしれないし、人と人との関係をつくることかもしれない。それが何であったとしても、労働が作品をつくるためのものであったなら、労働は人間にとっては喜びになるし、楽しみにもなっていくと思う。労働をとおして、いろいろなことを発見することもできるだろう。(p.141)

    「人間はつねにみずから解決しうる問題のみを問題にする」(マルクス『経済学批判』)(p.162)

     人間が物のようにあつかわれる社会で人間が幸せになれると思うかい。それにさっきお前は、試験がちょっとよかっただけで本当に幸せになれる人の話をしたね。でもきっとその人たちは幸せじゃないよ。そんなことに幸せを感じなければならないほどに、その人たちは不幸な生き方をしているのだろうね。きっといろいろな不満があるのだと思うよ。ただ不満だらけの生活に慣れすぎて、何が不満なのかさえわからなくなってしまっただけさ。
     お前はそういう人たちの気持ちをわかるようになってほしいな。父さんは最近までわからなかった。お前は絶対父さんみたいなことを繰り返してほしくないね。(p.182)

     自由っていうのは、人間の力、人間の可能性をどんどん拡大して、人間の素晴らしさをみつけだしていくことだと思うね。そういう自由な精神が、未来へ向けての偶然性と必然性のすきまを埋めて、歴史をつくり変えていく人間たちの力の源だと思うね。(p.197)

  • 内山節『哲学の冒険』読了。内山節という人は俗に言う「哲学(を研究する)者」ではなく、まさに「哲学する人」なのだ、と(彼の講義に数回しか出なかったことを申し訳なく思う反面、そのれでも彼の言葉にひっかかりを覚えてこれまで彼の本を何冊か読んでいるのは、比較的僕の言動にマッチしているからだけではなく、そのような後ろめたさがある種の原動力となっているのかもしれない)。「自分の手で働いて生きていく」ための哲学を模索する「僕」の冒険のなかで、内山は非マルクス系の初期社会主義思想を「存在論的社会主義」とよびならわして、高く評価している。内山の「労働」を「作品」としてとらえかえす試みは、労働というものが本質的にもっているとする喜びや尊厳というものを創作の喜びや創作物および創作者への敬意、自らの創作物ないしは創作活動に対する誇り、それらへの比喩的な連想をスムーズに呼び起こしてくれる。
    そこで考えさせられるのは果たしてこの僕は何か内山の言う労働らしい労働を成しているのか。実際に本書でも第3部で「僕」と対話する「父さん」が企業での労働者として僕自身が直面しているような苦悩を述べている。
    ただ、重要なことには内山における「労働」あるいは「作品」の射程というのは何も賃金や報酬を前提とする狭義の労働に限定されず、ひととひととの関わり、ひとと社会との関わりにまで及ぶ。この辺の発想というのは、先日中之島哲学コレージュで出会った現代戯曲家?の岸井大輔のそれと近しいものがあるように思う。
    なんにせよ、平日昼間の労働の作品性に本質的な限界を感じるのならば、その外でいかに魅力的な作品をつくりだせるか、いかに可能性のある作品を築けるか、当面はその路線でいってみよう、そんなことを思わせてくれた本だった。

  • 自分という枠を取り払うこと(概念の固定化の回避)。
    労働とは作品を生み出す行為であること。

  • 毎日中学生新聞の中学生のための哲学の連載の文庫化

    というだけあって、読みやすかった。

    おすすめだ。


    目次
    第一章 哲学の中へ
    一 未来への迷い
    二 美しく生きるために哲学をーエピクロス
    三 人は誰でも、いま生きているように未来をつくっていくー三木 清
    四 哲学は自分自身の勇気を信頼するところから始まるーへーゲル
    五 世界の成り行きに驚嘆する能力から新しい文化は生まれるーウェーバー
    六 人はつねに過渡期の人間として生きているー梅本克己
    七 不完全な人間が哲学をつくりだすー親鸞
    八 哲学はこれからも不完全な学問でありつづけるーディドロ

    第二章 現代哲学の発見
    一 あらゆるものは動き続けているーヘラクレイトス
    二 歴史の発達は、一面では人間を退化させたールソー
    三 私は考える、それ故に私は在るーデカルト
    四 ある時代には、その歴史段階特有の精神的態度があるーウェーバー
    五 現代の戦争や悲惨は、私有財産からつくられるールソー
    六 近代産業の中には、人間に対する侮辱が生まれているーアダムスミス
    七 死に至る病とは絶望のことであるーキェルケゴール
    八 我々の共同社会をー近代革命の担い手たち
    九 人間は実現可能なことのみを考えるーマルクス

    第三章 未来への冒険
    一 人間たちの幸せと不幸
    二 自由の研究
    三 生きることの意味を探して

    人名注
    日本にもたらされた主要哲学とその歴史
    あとがき

  • 色々な時代の色々な哲学者を割とあっさり目に紹介する本

    道しるべとしての役割をうまく果たすと思う。

  • 分野、趣味、関心事、主義主張に関係なく、皆さんに一度は読んでいただきたい本です。

    皆さんの当たり前が、近代に飲まれているかもしれない。

    私達の行為を凄く「みじめ」に感じてしまうかもしれない。

    私達はどう生きるべきか?

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著者プロフィール

1950年、東京生まれ。東京都立新宿高等学校卒業。哲学者。1970年代から東京と群馬県上野村を往復しながら暮らす。むら人の暮らしの考察をとおして、自然と人間との関係、仕事と労働、時間や共同体などをめぐって、独自の思想を構築する。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授(2010年4月~2015年3月)などを歴任。NPO法人・森づくりフォーラム代表理事。『かがり火』編集人。主な著書は『内山節著作集』(全15巻、農文協)に収録されている。最近の著書として『日本人はなぜキツネにだまされなくなったか』(講談社現代新書)、『いのちの場所』(岩波書店)、『修験道という生き方』(共著、新潮選書)などがある。

「2019年 『内山節と読む 世界と日本の古典50冊』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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