へたも絵のうち (平凡社ライブラリー)

著者 :
  • 平凡社
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本棚登録 : 262
感想 : 25
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  • Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582763256

作品紹介・あらすじ

朝起きて奥さんと碁を打ち昼寝して絵を描いて寝る-。こんな日課がもう何十年も続く。その絵が「天狗の落とし礼」と呼ばれた超俗の画家から紡ぎ出された思い出の数々。やわらかさのなかに鋭く光る、物の核心を見つめる確かな眼差し。

感想・レビュー・書評

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  • おもしろく読んだ一冊。昔は偉人伝とか伝記ものという本、沢山ありましたな。いまやっている朝ドラも植物学者の牧野万太郎の物語、まさにそれを彷彿させる画家・熊谷守一の伝記。
    社会人として、世の中の常識とはかけ離れていて、所帯を持っているのに生活的には貧乏の連続、絵の腕は確かで描いて売ればいいのに、なぜか描かない。そして筏師みたいな肉体労働をする。これは」「日経新聞」の「私の履歴書」として連載されたもので、九十一歳の時の記者に向かっての語りで、その語りのなかの即興性みたいな自然な言葉、熊谷守一、本人の飾り気のない自然な心の声を知ることができる。

  • 読書の意義の1つはユニークな人物との出会えることだと思います。「こんな人がいたのか」と思える本です。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/787284

  • 「へたな絵も認めよ」という熊谷先生。へたな人はへたな絵を、ばかな人はばかな絵をとのこと。結局表現とはその人自身から湧き上がってくるもので、変に違うことしても良いものにはならないという。

  • 熊谷守一さんの人生、信念を知った。

  • 生誕140周年 熊谷守一展 わたしはわたし
    伊丹市立美術館

    「Assemble -集積する技法と身体-」展
    伊丹市立工芸センター
    青木千絵  田中雅文 釣光穂 中村弘峰 宮田彩加

  •  一般的に、ことばというのはものを正確に伝えることはできません。絵なら、一本の線でも一つの色でも、描いて仕舞えばそれで決まってしまいます。青色はだれが見ても青色です。しかしことばの文章となると、「青」と書いても、どんな感じの青か正確にはわからない。いくら詳しく説明してもだめです。私は、ほんとうは文章というものは信用していません。(p.83)

     いつか誰かが「絵は才能ですか」と訊いたら「いや経験ですよ」と熊谷さんは答えたという。経験とは普段の探求の蓄積である。それは志賀直哉さんのいう「普段の意志」をもつことによって初めて生きるものである。その生きた経験を熊谷さんが尊重するのに不思議はない。そしてそれはまたそのまま熊谷さんが永遠の探求者だということである。(pp.180-181)

     そういう、見て、見て、見て、それをぎりぎりの形と色とにしぼりあげる作業を、熊谷さんは、毎日勤勉に画布や画板に向う仕事によらないで、昼寝や日向ボッコや、猫や草や花や蟻やガマや蠅と遊ぶ生活の中で自然に会得する。その蓄積と醗酵の時間の長さに比べて、熊谷さんの制作の時間は極めて短い。そこで作品は即興的とも習作的ともいえるものになりがちで、そこには力の籠もった重さはない。しかし小さいながらに、しっかりと骨太に、静かに沈んで、清らかに輝いた、生きた絵とそれはなるのである。(p.185)

  • 2018 2/7

  • 絵の本をたまにつまんでいるわけですが、こりゃ名前も存じあげなかった画家の半生、マイペースな生き方紹介、みたいなところで、ただそこには解説・あとがきにもあるように、スッとキレのある一言が添えてあり、それこそが著者の芸術性の豊かさたらしめるもんがあるってのも分かる気がします。それは直観でしかわかりえないものかもしれませんが…。先日亡くなった水木しげるともども生き方を考える時にはご参考に。

  • 一言でいえば、水木しげるのような人ですね。

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著者プロフィール

1880年岐阜県に生まれる。裕福ながら複雑な家庭に育ち、のち家の没落にあう。東京美術学校西洋画科選科を首席で卒業。同級生に青木繁がいた。実母の死を契機に30代の6年間を郷里で暮らし、山奥で伐採した木を川流しで搬送する日傭(ヒヨウ)の仕事を体験する。1938年頃より、輪郭線と平面による独特な表現に移行し、近代日本洋画に超然たる画風を築く。自然に近い暮らしぶりとその風貌から「仙人」と呼ばれ、生き様、作品、書などが多くの文化人を魅了する。87歳のとき文化勲章の内定を辞退。俗世の価値観を超越した自由な精神で、ただ自由に自分の時間を楽しむことだけを願った生涯だった。1977年、97歳で亡くなる。自宅跡は豊島区立熊谷守一美術館となる。2015年9月、郷里の岐阜県中津川市付知町に熊谷守一つけち記念館が開館。

「2022年 『熊谷守一カレンダー2023年版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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