- Amazon.co.jp ・本 (326ページ)
- / ISBN・EAN: 9784582766882
感想・レビュー・書評
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先日「オーウェル評論集の№1―像を撃つ―」をレビューしたのですが、「オーウェル評論集№2―水晶の精神―」も迫力満点。あまりにも圧倒されて、どこをどう書いたらいいのか悩むのですが、今回は文章の書き方をレビューしてみます。オーウェルの文筆家としての技術は優れて高いものだと私はつくづく感じていて、その一端を華麗に披露してくれました。
「……何よりも必要なのは意味に語を選ばせることであって、その逆ではない。散文においては、語に対するもっともいけない態度はそれに屈服することである」
★具体的な対象について考えるとき⇒言葉抜きで考える⇒それを記述したければ適切に見える正確な語がみつかるまで探す。
★抽象的なことについて考えるとき⇒最初から言葉を使いがち⇒意識的に努力して防がないと、ありあわせの慣用語が押しかけて、さらに意味がボヤける。
★よって言葉の使用を可能な限りあとに延ばす⇒心に描き感じる⇒できるだけ言わんとすることを明確にさせる⇒もっとよい語句を選ぶ⇒他人にどう印象を与えるか考え判断する。
オーウェルらしい<規則>
①印刷物の上で見慣れている隠喩や直喩やその他の修辞を決して使うな。
②短い語で十分なときは決して長い語を使うな。
③一語削ることが可能な場合はつねに削除せよ。
④能動態を使える時は決して受動態を使うな。
⑤相当する英語の日用語(*オーウェルの母語は英語のため)を思いつける場合には、外来の句や科学用語や専門語を決して使うな。
⑥野卑むき出しの言葉遣いをするくらいなら、これらの規則のどれでも破れ!
<番外編>「ないこともない」形を、笑い飛ばして消滅させよ。
オーウェルはユーモア例をまじえ、ぜんぶ本気でまじめに遊んでいます(^^♪
「黒くないこともない犬が、緑でないこともない野原で、小さくないこともない兎をおいかけていた」
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こういう基本的な文章の書き方や修辞学を、小・中学校で徹底して習いたかった。そうすれば今ごろはもう少しマシな文章が書けたはずなのになぁ……なんて人のせいにしてはいけませんね(反省)。
文筆家としてのオーウェルが言葉について敏感なのは、当然といえば当然なのかもしれません。でも彼のすごいところは、紋切型の言葉や常套句の濫用による言葉の腐食という現象が、単なる言葉自体の腐敗にとどまらないことを喝破しているところです。
紋切型の言葉や常套句は手っ取り早く、悩まなくてもいい、リズムもよいし、ときには恰好よかったりする、ついつい言う側も書く側も言葉選びに苦しくなると、ほかの言葉を探すことを放棄してこれらの言葉を使いがちです(私もちょっと油断するとそうなってしまいます…汗)。それによって言わんとすることが曖昧になり、具体的イメージが伝わらず、なんとなくそんな感じ~? といった朦朧としたものになって、ついには書く方にも読む方にも思考の停止を招いてしまいます。そうなれば、人々の不安や憎しみを煽り、独善に陥った政治的プロパガンダを金切声でさけぶ為政者に容易につけ入る隙を与えてしまうことになるのでしょう。ナチス・ドイツの「宣伝省」によるプロパガンダのようです。
人の知性ではなく、感情や意識に狙いを定めている身近な例はたくさんあって、たとえばトランプ政権などは好例。彼の発言やお得意のツイッターは、一国の大統領候補者、その後の大統領とは思えないほど、つねに挑発であり、まことに単純でわかりやすく、怒りや憎しみや差別を増幅させる言葉や内容が多いため、それに煽られたり魅入られたりする人もすこぶる多い。「1984年」の<ビッグ・ブラザー>の憎悪による群衆の操作・統制のよう。なるほど、アメリカでこの作品が空前のヒットとなっているのもうなづけますね。
ここ数年、見聞きするたびに歯がゆい思いをしているのは、政治家や官僚や企業が濫用する「遺憾」という常套句。本来なら謝罪しなければならない場面のはずなのに、この言葉を使うことで自らの責任を回避し、なんとなく謝罪したような曖昧な雰囲気でお茶を濁してしまう。マス・メディアも、その言葉に麻痺したように彼らの発言のきちんとした意味や真意をなかなか追及できない。
オーウェルの作品を読んでつくづく感じたのは、必ずしも典型的な全体主義とは評価されなくても、なんとなく隠微にすすんでいく言葉の腐敗と人々の意識や思考の縮小は、ある種の全体主義と同じ効果をもたらすものだということ、そしてそれは米国や諸外国だけに興るものではない、日本も決して例外ではないということです。
素晴らしい評論集なのでお薦めします。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ナショナリズム覚え書きが良かった。
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2010/1/16図書館で借りる
著者プロフィール
ジョージ・オーウェルの作品





