昼の学校 夜の学校+ (平凡社ライブラリー)

著者 :
  • 平凡社
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本棚登録 : 79
感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582767377

作品紹介・あらすじ

体験をもとに語る、写真と自分をめぐる言葉。二〇〇三〜〇五年に行われた四回の講義に、二〇一一年のインタビューと写真を増補。

感想・レビュー・書評

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  • 写真

  • 2016/3/30

  • 面白かったなぁ。森山さんの本とか言葉って、実はそんなにちゃんと読んだことがこれまでなかったけれど、スパっとした言葉を放つ人だなぁ。本当は、カメラすら持ちたくないだよ、目をシャッターにしたいくらいでさ、みたいな発言とかが印象に残る。(13/8/19)

  • ストリートスナップが少なくなってきたな、と思う。ドアノーの回顧展わみに行ったあとだから、尚更そう思う。スナップは帰納法的に世界を対象化する。観念にとらわれていないか?

  • 熱いです。
    写真を撮りたくなります。

  • 「+」がついてない単行本は図書館にあったけど、「+」がついた平凡社ライブラリー版を読んでみたくて、相貸でもいいしとリクエストしたら、珍しく購入されて届く。

    森山大道は写真撮ってる人よなーというくらいは知っていたけど、それだけ。もっと若い人だと勝手に思っていたら、カバーの見返しには1938年生まれとある。死んだ母より、ひとつ年上だ。

    2003~2005年におこなわれた講義=対話集をまとめた単行本に、2011年のインタビューと写真が加えられて、ライブラリー版になっている。

    ついこないだ、「ユニバーサルミュージアム」のシンポで、「触れる写真展の挑戦」という真下弥生さんの報告を聞いたこともあって、森山の話のなかでも、写真というメディアがどういうものか、他のメディアと何が違うのかというあたりに興味がいく。

    森山の言葉を拾ってみると、「写真」とは、こんなもの。
    「写真は光の移動とその影でしょう」(p.84)、「要は、時間を止め、光を写し、出来事を記録すること」(p.117)、「写真は断片性のメディアで、物語性のメディアではない、というのが日頃のぼくのスタンス」(p.224)、「写真て多重性のメディアだからね。永遠の洗い直しだからさ、世界の。何を見ようが写そうが、それらはすでに撮られてるんだよ」(pp.301-302)。

    真下さんの「触れる写真展」では、立体コピーした写真を触ることと、言葉による写っている状況の説明と、写真を撮った人による話によって、「写真」に近づこうとしていた。光をとらえる視覚をもたない人が、光を写したメディアにアクセスするのを助けるのが触覚や言語による説明だとして、その経験はどんなものなのか、それは写真を「楽しむ」ものになるのか… そんなことを森山の本を読んでいても思った。

    ▼写真が言葉を挑発する。写真はその挑発の資料だってね。…言葉を写真によって覚醒させるということです。…写真って煎じ詰めれば状態や説明ではなくて、何かを指し示す記号だと思うから。…人間はどんなことについても必ずいったん言語化しますよね。いくら写真がイメージだとしても、イメージの近くだけでは認識にいたらないわけで、そこに言葉との互換性が必要になるわけです。映像と言葉の相対性も二元性も、どうあれ認識の一点でクロスせざるをえないというふうにぼくは思っているんです。…しかし、いくら言語とかいったって、言語だけでは支えることができない領域を映像、まあつまり写真が開示するわけです。(pp.243-244)

    この話のあとに、森山は「自分の写真をとくとくと解説する人」のことをこんな風に言う。

    ▼何でそんなに写真にいきなり言葉をぶつけようとするのか分からないんだよね。…べつに自分の写真についてなんてしゃべらなくてもいいんだよ。見る人それぞれが、それぞれのコードとセンサーで読み取るわけだからさ。とくとくと説明するなんて、カッコ悪いよ。(pp.224-225)

    言葉と写真については、中平卓馬という写真家について、森山がこう語っているところも気になる。

    ▼ぼくの目からすれば、中平卓馬はじつは写真を撮ってるんじゃなくて彼の持つ抜きさしならない言葉を日々飽くことなく拾っていると思える。もしかしたらそれは、ものすごい言葉なのかもしれないという勘繰りもできる。(p.295)

    世界を切り取り、認識するには、たぶん言葉が必要。そのことと、「写真」という光と時間を止めたメディアを見ることと、、、、

    森山は、子どもの頃に豊中にいたらしい。「朝鮮戦争の頃は…いまの大阪空港のすぐそばにいて、しじゅう基地の飲み屋街に遊びに行っていたし、校舎の窓からは朝鮮戦争へと出撃する戦闘機が四六時中見えるわけです」(p.290)というなかで育ったと書いている。1938年うまれの森山は、朝鮮戦争の頃は小学校の6年~中学生だ。そして当時の伊丹空港は、米軍の接収下にあった。

    (11/2了)

    ※森山大道のオフィシャルサイトがあった
    http://www.moriyamadaido.com/

  • 森山大道のトークショーをまとめた本。

    青山ブックセンターでのトークショーイベントに参加できるんで購入w
    どんな人なのか会ってみたかった。

    正直言って森山大道の写真ってどこか苦手なのだけど、
    その写真観はすごく共感できた。

    しゃべり言葉なのでとても読みやすかったです。

  • とにかくシャッターをきれ!

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著者プロフィール

1928年、大阪府生まれ。写真集に『Daido Moriyama Buenos Aires』(講談社)、『新宿』『大阪+』『ハワイ』(いずれも月曜社)、『サン・ルゥへの手紙』(河出書房新社)、『犬の時間』(作品社)、『仲治への旅』(蒼穹舎)、『にっぽん劇場写真帖』(新潮社)、『4区』(ワイズ出版)ほか、著書『写真との対話、そして写真から/写真へ』『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』(ともに青弓社)、『犬の記憶』『犬の記憶 終章』(ともに朝日新聞社)、『昼の学校 夜の学校』(平凡社)、『もうひとつの国へ』(朝日新聞出版)ほか。

「2009年 『森山大道、写真を語る』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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