完全言語の探求 (平凡社ライブラリー)

  • 平凡社
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  • Amazon.co.jp ・本 (549ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582767506

作品紹介・あらすじ

ヨーロッパ各地で、現代の国民語のもとになった俗語が擡頭しはじめた時代、バベル以前、多言語状態以前の単一の祖語「アダムの言語」への復帰、あるいは"完全言語"の再建への探求が始まる。そこに投入される、さまざまな理説、我々にも親しい哲学者や思想家を含む多彩な人々の情熱、百科全書や、コンピュータ言語、またエスペラントなどにも行きつくその多様な道筋を、練達の筆で見事にさばき描き切るエーコの傑作思想史!待望のライブラリー化。

感想・レビュー・書評

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    ── エーコ/上村 忠男・廣石 正和・訳《完全言語の探求 20111210 平凡社ライブラリー》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4582767508

    (20231103)

  • 篠山

  • 原書名:La ricerca della lingua perfetta nella cultura europea

    アダムから「言語の混乱へ」
    カバラーの汎記号論
    ダンテの完全言語
    ライムンドゥス・ルルスの「大いなる術」
    単一起源仮説と複数の祖語
    近代文化におけるカバラー主義とルルス主義
    像からなる完全言語
    魔術的言語
    ポリグラファー
    アプリオリな哲学的言語
    ジョージ・ダルガーノ
    ジョン・ウィルキンズ
    フランシス・ロドウィック
    ライプニッツから『百科全書』へ
    啓蒙主義から今日にいたるまでの哲学的言語
    国際的補助言語

    著者:ウンベルト・エーコ(Eco, Umberto, 1932-2016、イタリア、小説家)
    訳者:上村忠男(1941-、尼崎市、思想史)、廣石正和(1956-、熊本県、思想史)

  • 【由来】


    【期待したもの】

    ※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。

    【要約】


    【ノート】


    【目次】

  • 地域研究と異文化理解[Regional and Cross-Cultural Studies]

  • 3/4 読了。

  • ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』以来の傑作で、この『完全言語の探求』は思想書でありながらもエーコのナラティヴへの傾倒は表現されていると思った。つまり小説として読んでも十分面白く、それこそ同じく思想的作品像のボルヘスやジョイスと同じ要領で楽しめる。「語り」の巧みさがエンターテインメントの機能を備えているのだ。小説だけに限らず、こうした思想書にも小説の旨みはある。

  • さほど期待していなかった本ながら、読んでみるとなかなか面白かった。やや厚めの文庫本だが、文章も読みやすく、興味深いトピックが次々と出てくるので一気に読めた。
    書名の「完全言語」というのは、エスペラントのような普遍性を狙った人工言語のことかと思ったが、そうではない。エスペラントの話題も最後の方に少し出てくるが、大半は遙かな太古、人類の黎明期にあったと想像される「原初の人間が持っていた言語」の探求についての歴史である。
    話はヨーロッパに限定されており、つまり、キリスト教に支配された世界観の内部の歴史だ。聖書(創世記)によると、人間が思い上がって天まで届こうとバベルの塔を建立したところ、神が怒ってこれを破壊し、ついでに「互いの言うことがわからないように」人間の言語をバラバラにしてしまった。
    これに則れば、こんにちの多文化・多言語現象は「バベル以後」の苦難なのである。
    バラバラになった世界を、神の意志を伝える「教会」によって統一しようと目論むキリスト教思想は、一方で、バラバラになる前の原初の言語を探求しようと、中世から近代に至るまで連綿と努力を重ねることになる。その原初の言語とはすなわち、アダムが使っていた言語であり、それは神と対話できる言葉であり、従って「完全」なのである。
    このキリスト教的テーマに基づいて、言語学あるいは文化史的なトピックが沢山飛び出してくるのが圧巻。
    さすが、博識なエーコである。この人のイメージはマンガに出てくる「ハカセ」だ。ハカセは都合の良いところに出てきて、事態に解説を与えることにより、周囲の人びと(子どもたち)の世界観を一気に豊かにしてくれる。
    ライプニッツの、まだよく知らない側面についても詳しく書かれていて興味深かった。薔薇十字団も登場する。

  • バベル!

    完全言語の空想にとりつかれたのは、ヨーロッパ文化だけではない。諸言語の混乱のテーマ、そして全人類に共通の言語を発見または発明することによって混乱を矯正しようとする試みは古今東西のすべての文化に共通 (P22)

    1)ヨーロッパ以前またはヨーロッパ以外の文明には、単に散発的かつ周辺的にしか言及されることはない
    2)量的な限界 (P22)

    (本書の限界の上でもなお書かれる事)(一)原初的な言語、または神秘的なしかたで完全言語とみなされた言語の再発見(二)多少とも架空性をおびた祖語の復元の試み(三)人工的に構築された言語(四)多少とも魔術的な性格を帯びた言語 (P24)

    (しかし)本書が目的としているのは、ほぼ二千年におよぶある一つの空想の歴史の大筋を、(略)テーマ別にたどっていって、大きな流れやイデオロギー的方向性を浮き上がらせることに限定した方がゆうえきであると思われたのである。 (P28)

    本書にとってもっとも適切と思われる『バベル以降』(邦訳『バベルの後に言葉と翻訳の諸相』亀山健吉訳(上・下)法政大学出版局)という表題がすでに二〇年ほども前にジョージ・スタイなーによって先取りされてしまっていた。 (P28)

    このテーマについては、私はボローニャ大学で二学年度にわたって、またコレージュ・ド・フランスで一学年度講義をした。そのときに作成した講義録は本書の二倍の分量になる。 (P29)

    カバラー学者にとっては、折り句は神秘的な類似を啓示するものでなければならない。 (P58)

    例えば、モシュー・デ・レオンは聖書の4つの意味(peshat,remets,derash,sod)の頭文字を採って、そこからPRDSを導きだしている。これは、Pardes「天国」のことである。 (P58)

    名前のカバラー、または法悦のカバラーは、ヘブライ語のアルファベット文字をあれこれと組み合わせながら、トーラーに隠されている神の諸々の名前を唱える事によって実践される。 (P61)

    アブラフィアの場合には、このあらゆる言語の母型は、まだヘブライ語と一致するには至っていなかった。アブラフィアは、母型としての二十二文字(永遠のトーラー)と人類の祖語としてのヘブライ語を区別しているようである。 (P64)

    ルネサンス期になると、ヨハナン・アレマンノが、ヘブライ語の二十二文字の発音から変形したものは動物の鳴き声と同類であり、ヘブライ語と異なる音声を発音しているという事実そのものから、ヘブライ語以外の言語が正しい生活態度を放棄した民族にどんなにふさわしいものであるかが明らかになる。 (P65)

    (赤ん坊は、誕生後ひとりきりにしておかれたら、おのずとヘブライ語を話すはずであるという、キリスト教世界でも主張する者のいた考えをアブラフィアは拒絶する)ただし、ヘブライ語は聖なる祖語である。 (P66)

    ロジャー・ベイコンは諸言語を研究することと異教徒と接触を図ることとを密接に結びつけた。(略)新しい言語を発明することよりも、他の諸民族の言語についての知識を普及させる事によって、彼らをキリスト教に改宗させたり、異教徒が所有する権利のない知恵の宝庫を彼らからとりあげて、その知恵によって西洋キリスト教世界を豊かにしたりすることであった。 (P96)

    ダンテは、神によって与えられた言語形式を、現代のわたしたちにはまさにチョムスキーの生成文法を想起させるような一種の生得的メカニズムと考えることができる。 (P83)

    もしもそうであるとすれば、バベルとともになにが起こったのであろうか。バベルとともに完全言語が消失した、とたぶんダンテは考えたのだろう。 (P83)

    ダンテ自身のつくりだす詩的言語こそは光輝ある俗語の最高の模範なのだ。それはひとりの近代詩人がポスト・バベルの傷をいやす方法にほかならないのである。 (P84)

    『俗語論』(ダンテ)の第二部全体は、これを単なる文体論の小論と受け取ってはならないのであって、発明可能な唯一の言語、つまりはダンテの詩のイタリア語の、条件、規則、言語形式を確立する努力と受け取らなければならない。 (P84)

    ダンテが言語の多数性を避難する事をせず、むしろ、それらの諸言語のもつほとんど生物的な力、諸言語が自己を革新して時間とともに変容していく能力の方を重視しているのは、このようにして大胆にも自分が完全言語の再興者の役割を担っていると考えていることによっている。というのも、このように言語の想像力を確認して初めて、これを基礎にして、ダンテは、失われたモデルを追い求めるような事をしなくても、あるひとつの近代的で自然的な完全言語を自ら発明しようと決意できるからである。 (P85)

    ところが、『俗語論』から『神曲』の「天国篇」に移ると(その間に数年が経過している)、ダンテは考えを変えたように見える。 (P85)
    (『俗語論』では、完全言語としてヘブライ語をアダムが神に言葉を用いているとするが、「天国篇」では違う。)

    「私が地獄の苦悶の下へ降りてゆく以前には、私を包むよろこびのもとである最高善は この世で「イ」と呼ばれていた。 それが後には「エル」と呼ばれた。これは尤もなことである。(天国篇)」  (P86)

    アダムが言うには、言語は、言葉への自然的な素質から生じながらも、やがて人間の発揮する自発的な意志によって分化し、成長し、変化していく。 (P87)

    ここでダンテは『創世記』10章と11章のあいだで揺れ動いているように見える。二つとも、すでに以前にも彼が自由に利用できたテクストである。それでは、ダンテにこの様な路線の修正を促したものは何であるのか。 (P87)

    手掛かりとして興味深いのは、神は「イ」と呼ばれていたという奇妙な考えである。この言葉をダンテが選んだことについて、その理由を満足のいくしかたで説明する事に成功したダンテの注釈者は、これまでのところ、ひとりもいない。 (P87)
    (神の呼称が何故「イ」から「エル」(ヘブライ語)に変ったのか。何故、原初「イ」だったのか。)

    ダンテもそうできたように、そのヨッドを「イ」と書き換えてみるとどうであろうか。ダンテの「方向転換」の源泉がどのあたりにあったか、わかろうというものである。しかし、ダンテがアブラフィアと共有する思想は、神の名前(だけではない (P87)
    (ヨッド(YHVHという神の名前を構成しているそれぞれの文字が既に神の名前。ヨッドだけでも神の名前)

    アブラティフィアはトーラーと【アリストテレスのいう】<能動的知性>とを等しいものとみなしていた。また、神が世界を創造するのに用いた図式は、神がアダムに言語の天分として贈ったのと同じものであった。 (P87)

    ダンテは、彼もまた可能的知性にもろもろの形相を与える〈能動的知性〉というアヴィセンナ的=アウグスティヌス的な思想を抱懐している。 (P88)

    ヒレルとバルセロナのゼラヒヤとの間で、 論争が行われる事になる。(略)ヒレルはヘロトドスの提起した問題である、幼児は、もしも言葉の刺激にさらされる事なく育てられたならば、どのような言語を話すことになるだろうか、と提起した。 (P90)

    ヒレルによればらそうした幼児はヘブライ語を話すようになるだろう。ヘブライ語は人間にもともと生まれつき与えられている言語だから。ゼラヒヤはヒレルに返事を書いて、(略)言語教育の欠如した幼児の発する声は犬の吠える声ににているはずであり、聖なる言葉が人間に与えられてい(ないと主張する) (P90)

    (ゼラヒヤ)人間は潜在的には言語活動の素質をしょゆうしているが、この潜在能力は発声器官を訓練することによってのみ発揮されるのであって、これはがくしゅうによって達成される。 (P91)

    (ダンテがヒレル×ゼラヒヤ論争を知っていたという推論のもとで)ダンテは『俗語論』ではヒレルの説に接近していながら、「天国篇」二六ではアブラフィアの説であったゼラヒヤの説に転向すると言ってヨイのかもしれない。 (P92)

    ユダヤ教徒の共同体は、異端者と同様、排斥された人々のカテゴリーに属していた。これらの排斥された人々(ダンテに影響を与えたであろうユダヤ教徒たちの論説や登場する人々)を、公式の中世は、魅惑と恐怖のない交ぜになった感情をもって、嫌悪しながらも同時に賛嘆していた (P93)
    (ユダヤ教徒による言語論争などは歴史をエーコは掘り起こす。)

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著者プロフィール

1932年イタリア・アレッサンドリアに生れる。小説家・記号論者。
トリノ大学で中世美学を専攻、1956年に本書の基となる『聖トマスにおける美学問題』を刊行。1962年に発表した前衛芸術論『開かれた作品』で一躍欧米の注目を集める。1980年、中世の修道院を舞台にした小説第一作『薔薇の名前』により世界的大ベストセラー作家となる。以降も多数の小説や評論を発表。2016年2月没。

「2022年 『中世の美学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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